第22話:野生児vs愛妻・女王・天才。仁義なき同居戦争
現在、メゾン・ド・サトウ203号室の室温は、氷点下と灼熱を行き来していた。
俺、佐藤悟はリビングの中央で正座をさせられている。 その背中には、相変わらず銀髪の少女・セツナがコアラのように張り付いている。剥がそうとしても、万力のような力でしがみついているため、物理的に不可能なのだ。
そして目の前には、腕を組んだ三人の審問官たち。
「……で? 名前も、住所も分からない。記憶喪失(自称)の家出少女だから、一晩泊めてあげたと?」
結衣が冷ややかな声で確認する。 手に持った菜箸が、指揮棒のように小刻みに揺れているのが怖い。
「そ、そうなんだ。雨の中で倒れてて、放っておけなくて……」 「警察には?」 「届けようと思ったんだが、見ての通りこの有様で……」
俺は背中を指差した(指せないが)。 セツナは俺の肩に顎を乗せ、結衣たちをジロリと睨んでいる。
「……マスターをいじめるな。噛み殺すぞ」 「か、噛みっ……!?」
結衣が「ひえっ」と後ずさる。 アリスが扇子をバチンと閉じた。
「野蛮ね。狂犬病の注射は済んでいるのかしら? 黒服、つまみ出しなさい」
アリスが指を鳴らすと、玄関に待機していた屈強なSPの大男が、「失礼します」と部屋に入ってきた。 身長190センチの巨漢だ。
「お嬢ちゃん、悪いがご主人様から離れようか」 SPがセツナの肩に手を伸ばす。
その瞬間だった。
シュッ。 風を切る音がした。
「……え?」
次の瞬間、SPの巨体は宙を舞っていた。 セツナが俺の背中から離れ、SPの腕を取って一本背負いを決めたのだ。 しかも、狭い室内で家具を壊さないよう、空中でSPの体を制御し、ソファーの上に優しく(しかし衝撃的に)叩きつけた。
ズドン!! SPが白目を剥いて気絶する。
「……敵性反応、沈黙」 セツナはタンッと床を蹴り、再び瞬時に俺の背中へと戻ってきた。 所要時間、わずか二秒。
「「「……は?」」」
全員が絶句した。 俺も開いた口が塞がらない。 今の動き、ただの子供じゃない。柔術の達人……いや、それ以上の反射神経だ。
「……な、なによコイツ。私のSPを一瞬で……?」 アリスが初めて動揺を見せる。 未羽がPCのキーボードを叩き始めた。
「今の動き、録画したわ。……関節の可動域、筋肉の収縮速度、すべてが常人の数値を逸脱してる。サトル、この子『人間』?」 「俺に聞くな。ただの迷子だと思ってたんだよ!」
セツナは俺の首筋に顔を埋め、クンクンと匂いを嗅いだ。
「マスターは私が守る。……このメスたちは邪魔」 「メ、メスぅぅぅ!?」
結衣がキレた。 エプロンの紐をギュッと締め直す。
「上等じゃない! 腕っぷしが強くてもね、サトルお兄ちゃんの心(胃袋)を掴むのは私なんだから! 朝ごはん対決よ!」
***
こうして、奇妙な朝食会が始まった。 メニューは結衣特製のフレンチトーストと、アリス差し入れの最高級紅茶。
「はい、お兄ちゃん。あーんして!」
結衣がフォークに刺したトーストを差し出す。 いつもの微笑ましい光景だ。 だが、そのフォークが俺の口に届く直前。
バシッ! セツナが素手でフォークを掴み取った。
「きゃっ! な、なにするの!」 「……毒見」
セツナは真顔でトーストを口に入れ、モグモグと咀嚼した。
「……異常なし。糖分過多だが、エネルギー効率は悪くない」 「私が毒なんて入れるわけないでしょ! 返してよ、お兄ちゃんのあーん!」
結衣が涙目になる。 セツナは「次はマスターの分」と言って、皿の上のトーストを俺の口に押し込んできた。素手で。
「むぐっ!?」 「……食え。栄養を摂取しろ」 「あ、あのなセツナちゃん。手で掴むのはお行儀が……」 「道具は遅い。手が一番早い」
野生児すぎる。 すると今度は、未羽が不敵に笑ってタブレットを見せてきた。
「ふふん。野生の勘だけじゃ、現代社会は生きられないわよ。サトル、この難解なパズルゲーム、どっちが早く解けるか勝負しない?」 「お、いいぜ。俺の頭脳を見せてやる」
俺が画面に触れようとした瞬間。 セツナが横からタブレットを奪い取り、画面を高速でタップした。 タタタタタタッ! 残像が見えるほどの指さばき。
『CLEAR! NEW RECORD!』
「……終わった」 セツナがタブレットを未羽に返す。 未羽が固まった。
「……0.5秒? 問題文も読まずに? パターン認識だけで解いたの?」 「簡単すぎ。欠伸が出る」
未羽のプライドが粉砕された音が聞こえた。 「う、うわぁぁぁん! ボクのアイデンティティがぁぁ!」と泣き崩れる天才ハッカー。
強い。強すぎる。 暴力、食欲、知能。あらゆる面でセツナは規格外だった。
「……分かったわ」 アリスが重々しく口を開いた。 彼女は懐からブラックカードを取り出し、テーブルに叩きつけた。
「あなた、いくら?」 「……?」 「値段を聞いているのよ。私のSPより優秀で、未羽より計算が早くて、結衣より図々しい。……気に入ったわ。私が買い取る。西園寺家のメイドになりなさい」
アリスなりの最大限の評価だ。 一生遊んで暮らせる金額を提示しているはずだ。
だが、セツナは興味なさそうにカードを弾いた。
「いらない。紙切れには興味ない」 「紙切れですって!? 無制限のブラックカードよ!?」 「私が欲しいのは、マスターだけ」
セツナは俺の腕に頬擦りをした。 その瞳には、一点の曇りもない忠誠心――いや、執着心だけがあった。
「マスターがいれば、他には何もいらない。……だから、誰にも渡さない」
その言葉に、三人の少女たちの表情が変わった。 敵対心から、焦燥感へ。 「こいつは、本気で佐藤悟を奪いに来ている」という危機感。
「……ふーん。そう」 結衣が、かつてないほど低い声で言った。 彼女はニッコリと笑ったが、目は笑っていなかった。
「お兄ちゃん。……しばらく、監視強化させてもらうからね?」 「同感ね。この部屋に監視カメラを追加発注するわ」 「ボクも常駐する。サトルのPCの横に寝袋置くから」
こうして、泥沼の「佐藤悟包囲網」が完成した。 俺は天井を仰いだ。
「……誰か、俺の人権を守ってくれ」
その時。 俺のTシャツの首元が少しずれ、セツナのうなじが見えた。 綺麗な白い肌。 だが、そこに異質なものがあった。
(……バーコード?)
彼女のうなじには、黒い刺青で『TYPE-Z 007』という文字と、複雑なバーコードが刻まれていたのだ。 (ただの家出少女じゃねぇな……)
俺の脳内で警鐘が鳴る。 こいつは、とんでもない「爆弾」かもしれない。 だが、俺の腕の中で安心しきって眠り始めたセツナの寝顔を見て、俺は追い出すことなんてできなかった。
「……ま、なるようになるか」
俺は諦めて、四人の少女たちに囲まれた騒がしい日常を受け入れた。 この平穏が、嵐の前の静けさだとも知らずに。




