第21話:雨の日の拾いもの、そして第2次ニート大戦(修羅場)の幕開け
世界を救ってから一ヶ月。 季節は梅雨に入り、東京は連日の雨に沈んでいた。
俺、佐藤悟の生活は、驚くほど変わっていなかった。 相変わらず昼に起き、ゲームをし、結衣のご飯を食べ、アリスに家賃を(体で)払い、未羽と対戦ゲームをする。 平和だ。平和すぎて、背中にカビが生えそうだ。
「……カップ麺の買い置きが切れた」
深夜二時。 激しい雨音が窓を叩く中、俺は空腹に耐えかねてコンビニへ行くことにした。 ビニール傘を差して、サンダルをぺたぺたと鳴らしながら歩く。
アパートへの帰り道。 ゴミ捨て場の横を通った時だった。
「……ん?」
濡れた段ボール箱が置かれていた。 その中から、ガサゴソという音と、小さな気配がする。 捨て猫か? 俺はため息をついた。ウチのアパートはペット禁止だ(大家のアリス権限で特例はあるかもしれないが)。
「悪いな、俺は自分の面倒を見るので精一杯なんだ」
通り過ぎようとした。 その時、段ボールの隙間から、細くて白い手が伸びてきて――俺のジャージの裾を、ギュッと掴んだ。
「……たす……けて……」
猫じゃない。 俺は慌てて傘を傾け、箱の中を覗き込んだ。
「おい、大丈夫か!?」
そこにいたのは、ズブ濡れの少女だった。 銀色の髪が肌に張り付き、体はガタガタと震えている。着ているのはボロボロの貫頭衣のような布切れ一枚。 裸足の足は泥だらけで、あちこちに擦り傷がある。
少女は虚ろな瞳で俺を見上げ、掠れた声で呟いた。
「……あったかい……匂い……」
ドサッ。 少女は俺の足元に倒れ込み、そのまま意識を失った。
「お、おい! しっかりしろ!」
見捨てられるわけがない。 俺は傘を放り投げ、少女を抱きかかえた。 軽い。羽毛のように軽い。そして、熱い。高熱がある。
「くそっ、厄介ごとの予感しかしねぇ!」
俺は少女を背負い、雨の中をアパートへと走った。
***
翌朝。 雨は上がり、雀の鳴き声がチュンチュンと響いていた。
俺はソファの上で目を覚ました。 昨晩、拾った少女を風呂に入れ(もちろん目は瞑って洗った)、俺のブカブカのTシャツを着せてベッドに寝かせた後、看病していたらいつの間にか寝落ちしていたらしい。
「……そうだ、あの子」
俺は慌ててベッドの方を見た。 いない。 もぬけの殻だ。
「まさか、出て行ったのか?」 俺が立ち上がろうとした、その瞬間。
ギュッ。 背中から、何かが抱きついてきた。
「……?」
振り返ると、そこには銀髪の少女がいた。 彼女は背後から俺の腰に腕を回し、顔を俺の背中に埋めている。 まるで、親木にしがみつく蝉のように。
「お、おい。起きたのか?」 「……ん」 「体調は?」 「……ん」
少女は無表情のまま、さらに強く抱きついてくる。 俺が歩こうとすると、そのままズルズルと引きずられてついてくる。 離れない。強力な磁石だ。
「あのな、ちょっと離れてくれないとトイレにも行けないんだが」 「……やだ」 「やだ、じゃない」
困った。完全に懐かれた。 野生動物の刷り込み(インプリンティング)か何かか?
その時。 運命の時刻が訪れた。
ガチャリ。 玄関のドアが開く音。
「サトルお兄ちゃん! おはよー! 今日はお休みだから、朝からフレンチトースト作るね!」
元気いっぱいの結衣の声。 続いて、
「佐藤、今月の家賃の徴収に来たわよ。……あと、新作の紅茶も」 アリスの高飛車な声。
「サトル、昨日の対戦の続き……」 未羽の眠そうな声。
いつものJSトリオが、三点セットで来訪した。 そして、彼女たちは見た。
部屋の中央で立ち尽くす俺。 その俺に対し、Tシャツ一枚(下は穿いてるが見えない)というきわどい格好で、背後から密着抱擁している見知らぬ美少女を。
シン……。 時が止まった。 結衣が持っていた卵パックが床に落ち、グシャリと割れる音が響く。
「……お兄ちゃん?」
結衣の声から、感情というものが完全に消え失せていた。 瞳のハイライトが消失し、代わりに暗黒物質のような黒いモヤが背後に立ち上る。
「……説明、してくれるよね? その、泥棒猫は誰?」
「あら、奇遇ね。私も同じことを聞こうと思っていたの」 アリスが優雅に扇子を開いたが、その手はギリギリと音を立てて震えている。 「私の許可なく、新しいペットを増やすなんて……どういう教育的指導が必要かしら?」
「……サトル。ボクという二番手がいながら、新しい女?」 未羽がPCを取り出し、何かの攻撃コードを打ち込み始めた。
殺気。 世界を救った時以上の、濃密な死の気配が部屋に充満する。
「ち、違う! 誤解だ! こいつは昨日の雨で拾っただけで……!」 「拾った? 女の子を? 警察も呼ばずに連れ込んで? ……お兄ちゃん、ついに一線を超えたの?」
結衣がキッチンの包丁立てに手を伸ばそうとする。 待て待て待て!
すると、背中の少女――セツナが、のっそりと顔を上げた。 彼女は虚ろなオッドアイで三人の少女を見回し、そして俺の首筋に顔を擦り寄せながら、ボソッと言った。
「……マスター。この敵、排除していい?」
ブチッ。 何かが切れる音が、三人同時にした。
「「「マスターっ!!??」」」
結衣の髪が逆立つ。 アリスの背後に不動明王が見える。 未羽のPCから「Lock on」の音声が流れる。
「上等じゃない……! どこの馬の骨か知らないけど、私の領土で随分と大きな顔をしてくれるわね!」 「お兄ちゃんから離れて! そこは! 私の! 場所なの!」
セツナは俺にしがみついたまま、獣のように小さく「ウーッ」と唸り声を上げた。 一触即発。 俺の部屋が、核戦争の爆心地になろうとしている。
「頼むから落ち着いてくれぇぇぇッ!!」
俺の絶叫は、乙女たちの嫉妬の嵐にかき消された。 こうして、新たな波乱――『謎の少女セツナ編』の幕が上がった。




