第20話:家庭訪問という名の最終審判、そして家族のカタチ
その日の朝、俺、佐藤悟は鏡の前で人生最大の難問に直面していた。
「……ネクタイの結び方、忘れた」
首元でぐちゃぐちゃになった布切れを見つめ、俺は絶望した。 今日は、結衣の小学校の家庭訪問の日だ。 海外赴任中の両親に代わり、保護者代理として俺が対応することになってしまったのだ(結衣の泣き落としと、アリスの「あんたが出ないとアパート取り壊すわよ」という脅迫により)。
「もう、お兄ちゃん! 貸して!」
見かねた結衣が、背伸びをして俺のネクタイをキュッキュッと結んでくれる。 その手つきは、まるで熟練の主婦だ。
「いい? 今日の先生は、新任の佐々木先生だよ。真面目で厳しくて、ちょっと怖いんだから。余計なこと言っちゃダメだよ?」 「分かってる。俺の経歴(ニート歴)がバレないよう、『在宅ワークのIT実業家』という設定でいく」 「……目が泳いでるけど、大丈夫かなぁ」
部屋は完璧だ。 アリスが手配した清掃業者によってピカピカに磨き上げられ、ゲーム機やフィギュアは全て押入れの奥深くに封印された。 テーブルの上には、一客五万円のティーカップ(アリス私物)が鎮座している。
ピンポーン。 運命のチャイムが鳴った。
「は、はい! どうぞ!」
俺が裏返った声でドアを開けると、そこには黒髪をきっちりと束ね、銀縁メガネをかけた女性教師が立っていた。 手には分厚いバインダー。隙のないスーツ姿。 眼光が鋭い。これは「できる女」の目だ。俺が一番苦手なタイプだ。
「初めまして。4年1組担任の佐々木です」 「あ、どうも……佐藤です。ITコンサルタントをやってます(大嘘)」
***
リビングでの対話は、尋問の様相を呈していた。
「――それで、佐藤さんは、佐倉さんのご親戚ではないと?」 「はい。えっと、お隣さん兼、遠い親戚のような、まあ、保護者代行といいますか……」 「ふむ」
佐々木先生がメガネをクイッと押し上げる。 レンズの奥の目が、「怪しい」と語っている。
「単刀直入に申し上げます。独身の男性が、女子児童の世話をしているという状況。学校側としても、少々懸念しております。……本当に、健全な関係なのでしょうか?」
ぐっ、痛いところを突いてくる。 客観的に見れば、二十八歳無職が十歳女児に養われている現状は、事案スレスレ(というかアウト)だ。
「も、もちろんです! 俺たちは清い関係で、俺は結衣ちゃんの成長を温かく見守る、あしながおじさんのような……」 「ですが、佐倉さんの作文にはこうあります。『サトルお兄ちゃんは、私がいないとパンツ一丁で寝ちゃうし、野菜も食べないし、手のかかる大きな子供です』と」
暴露されてるぅぅぅ! 結衣ちゃん、正直すぎない!? 俺が冷や汗ダラダラで弁解しようとした、その時だ。
ガチャリ。 玄関のドアが勝手に開いた。
「あら、来てるのね。お茶菓子を持ってきてあげたわよ」
土足で上がり込んできたのは、西園寺アリスだ。 背後のSPに命じて、有名ホテルのケーキ箱をテーブルに積み上げる。
「さ、西園寺さん!? どうしてここに?」 先生が驚く。
「このアパートのオーナーとして、テナントの視察に来ただけよ。……で、先生。ウチの管理物件の住人に、何か文句でも?」 「い、いえ、文句というわけでは……しかし、教育的指導が必要かと」
さらに、窓が開いた。 ベランダから宇佐美未羽が侵入してくる。
「サトル、Wi-Fi重いんだけど。またエロ動画ダウンロードしてるの?」 「バカ野郎! してねぇよ! 先生の前で変なこと言うな!」
未羽は悪気なく先生を見て、「あ、どうも」と軽く会釈し、勝手知ったる手つきで冷蔵庫からコーラを取り出した。
先生の顔色が青ざめていく。
「ど、どうなっているんですか、この部屋は……! 財閥のお嬢様に、不登校気味の天才児まで……! 佐藤さん、あなたは一体、子供たちに何をしているんですか!?」
「な、何もしてません! ただ、一緒にゲームしたり、ご飯食べたり……」 「それが問題なんです! こんな教育上よろしくない環境、見過ごせません! 児童相談所に通報を……」
先生がスマホを取り出した。 終わった。俺の社会生活が、今ここで終わる。
「待ってください!」
ドンッ! テーブルを叩いて立ち上がったのは、それまでお茶を淹れていた結衣だった。
「先生。サトルお兄ちゃんを悪く言わないでください!」 「佐倉さん……でも、あなたは利用されているだけじゃ……」 「違います!」
結衣は真っ直ぐに先生を見つめた。
「パパとママが海外に行って、私、一人ぼっちですごく寂しかった。広い家で一人で食べるご飯は、全然美味しくなかった」
結衣の声が少し震える。
「でも、お兄ちゃんがいてくれたから。お兄ちゃんはダメ人間だけど、私が作ったご飯を『世界一美味い』って食べてくれるの。私が熱を出した時は、徹夜で看病してくれたの。……お兄ちゃんがいるから、私は寂しくないんです!」
部屋が静まり返った。 俺は胸が熱くなった。 徹夜で看病した時、俺はネトゲのイベントをすっぽかして、チームを追放されたっけ。でも、そんなの後悔してない。
「……結衣」
アリスがフンと鼻を鳴らす。 「ま、私もこの男の『ダメさ』には救われてるわね。大人はみんな私のご機嫌取りばかりだけど、コイツだけは私を対等な『ガキ』として扱うから」
未羽もボソッと言う。 「ボクも。学校の先生はボクを『扱いにくい天才』って見るけど、サトルはただの『ゲーム仲間』として見てくれる。……居心地がいいの」
三人の少女たちが、俺を囲んで守っている。 佐々木先生は、ポカンとしてその光景を見ていたが、やがてふぅと息を吐き、メガネを外した。
「……完敗ですね」 「え?」 「教師として、型にはまった『正しさ』だけを押し付けていたようです。……世の中には、こういう形の『家族』があってもいいのかもしれませんね」
先生の表情が、少しだけ柔らかくなっていた。 彼女は立ち上がり、俺に向かって頭を下げた。
「失礼なことを言って申し訳ありませんでした、佐藤さん。……佐倉さんたちのこと、よろしくお願いしますね」 「あ、はい! 任せてください! 命に代えても守ります!」
俺が敬礼すると、先生はクスッと笑った。
「ただし! 未羽さんのWi-Fi利用制限と、アリスさんの金銭感覚、そして佐藤さんの就職活動については、引き続き指導させていただきますからね!」 「うげっ」
先生は颯爽と帰っていった。 嵐が去った部屋で、俺たちは顔を見合わせて笑った。
「やったねお兄ちゃん! 大成功だね!」 「ああ。……結衣、ありがとうな」 「えへへ。その代わり……今日の夕飯は、お兄ちゃんが作ってね?」 「え?」 「私、先生にタンカ切って疲れちゃった。今日はサトルシェフの『男のチャーハン』が食べたいな!」
アリスと未羽も「賛成!」「大盛りで!」と声を上げる。 俺は、やれやれと肩をすくめ、エプロンを手に取った。
「しょーがねぇな。特別だぞ。……世界を救ったこの腕で、最高のパラパラチャーハンを作ってやるよ!」
フライパンを振る音が、六畳一間に響く。 俺のニート生活は、まだまだ騒がしく、そして温かく続いていく。




