第18話:天才少女の敗北と、大人が教える「待ちガイル」の美学
その日、宇佐美未羽は死んでいた。
メゾン・ド・サトウ、203号室。 玄関を開けるなり、未羽はランドセルを放り投げ、俺の煎餅布団に顔面からダイブした。
「……ううぅ……」 「おい、どうした。算数のテストで99点でも取ったか?」
俺はPCモニターから視線を外し、芋虫のように丸まっている未羽に声をかけた。 彼女は顔を上げると、涙目で訴えてきた。
「負けたの……」 「負けた? 誰に? もしかしてヨルムンガンドの残党か?」
俺の表情が引き締まる。もしそうなら、今すぐ迎撃態勢を……。
「違う。……4年2組の、タカシ君に」 「……はい?」 「『スマッシュ・ブローラーズ』で、ボコボコにされたの! 三回やって、三回とも!」
未羽が布団をバンバンと叩く。 なんだ、ゲームの話か。
「ボクの計算では勝てるはずだったの。フレーム数も、当たり判定も、全部頭に入ってた。なのに……あいつ、理不尽な動きばっかりして!」
未羽はIQ180の天才だ。 プログラムコードなら一度見れば暗記できるし、弾道計算も暗算でこなす。 そんな彼女が、クラスの男子ごときに完敗する。 俺にはその理由が手に取るように分かった。
「未羽。お前、まさか『正々堂々』戦ったんじゃないだろうな?」 「当たり前でしょ。最適解を導き出して、正面からコンボを……」 「だから負けるんだよ」
俺はコントローラーを手に取り、未羽の隣に座った。
「いいか。ゲームってのはな、計算式じゃねぇ。心理戦だ。相手が一番嫌がることをした奴が勝つ。それが真理だ」 「嫌がること……?」 「ああ。教えてやるよ。俺が二十八年のニート人生で培った、必勝の『クソ戦法』をな」
***
特訓が始まった。 題材は、学校で流行っている対戦アクションゲーム。
「いいか未羽。お前のプレイは綺麗すぎる。教科書通りだ。だから読まれる」 「でも、理論値最強のコンボよ?」 「理論値なんて、ラグ(遅延)と人間の焦りでゴミになる。……これを見ろ」
俺は画面端で、ひたすら飛び道具を撃ち続けた。 近づいてきたCPUを足払いで転ばせ、また距離を取って飛び道具。
「名付けて『待ちガイル戦法』だ」 「……地味。あと、セコい」 「セコい? 違うな。『合理的』だ。相手は近づけない焦りでミスをする。そこを狩るんだ」
未羽は不満げな顔をしていたが、実際にやってみると、高難易度CPUを無傷で倒せてしまった。
「……なにこれ。相手が勝手に突っ込んできて、勝手に死んでいく」 「そうだ。次は『起き攻め』だ。相手が転んだら、起き上がる瞬間に攻撃を重ねろ。息つく暇を与えるな。相手の心を折れ」 「心を折る……」 「さらに『挑発』だ。相手がミスったら、すかさず屈伸運動(煽り)を入れろ。冷静さを失わせろ」
俺の熱血指導に、未羽の瞳からハイライトが消え、代わりにドス黒い炎が宿っていく。 素直な吸収力。 さすがは天才だ。悪い方向への学習能力が高すぎる。
ガチャリ。 そこへ、スーパーの袋を提げた結衣が帰ってきた。
「ただいまー! あ、未羽ちゃんいらっしゃい。……ん? なんか部屋の空気が悪いような?」 「ふふふ……見えた。勝利への方程式が、書き換わったわ」
未羽がニヤリと笑う。その笑顔は、完全に悪役のものだった。 結衣が俺を見て、「お兄ちゃん、未羽ちゃんに何を吹き込んだの?」とジト目を向けてきたが、俺は口笛を吹いて誤魔化した。
***
翌日の放課後。 未羽が再び、俺の部屋にやってきた。 昨日とは違い、その足取りは軽い。ランドセルが弾んでいる。
「サトル! やったよ!」 「おう、どうだったリベンジマッチは」
未羽はPCデスクの前に陣取り、興奮気味に語り出した。
「完勝よ。タカシ君、手も足も出なかったわ」 「ほう、どんな手を使った?」
「まず、開幕で遠距離から魔法弾を連射。タカシ君が『卑怯だぞ!』って叫びながら突っ込んできたところに、カウンターで投げ技。その後は画面端に追い込んで、起き上がりに下段キックをハメ続けたわ」
……えげつねぇ。 教えた以上のことをやってのけている。
「タカシ君、途中でコントローラー投げて泣き出しちゃった。『お前なんか友達じゃない!』って」 「で、お前はどうした?」 「『友達じゃないわ。私は勝者よ』って言って、ゲーム内で挑発ポーズを決めてやった」
俺は爆笑した。 最高だ。こいつは立派なゲーマーだ。 しかし、キッチンで話を聞いていた結衣は、鬼の形相で立っていた。
「……サトルお兄ちゃん?」 「ひっ」 「未羽ちゃん?」 「……はい」
結衣の手には、今日のおやつのドーナツが握られているが、その拳は震えている。
「ゲームは楽しくやるものでしょ! お友達を泣かせるなんて、ダメ絶対!」 「で、でも結衣、これは勝負の世界の非情さが……」 「言い訳しない! 二人とも、そこで正座!」
世界を救ったハッカーと、その愛弟子。 二人は並んで畳の上に正座させられた。
「未羽ちゃん、明日タカシ君に『ごめんね』してくること。あと、『もう一回楽しく遊ぼう』って言うの。分かった?」 「……はぁい」 「お兄ちゃんも! 子供に悪いこと教えないでください! 今日のおやつ、ドーナツの穴しかあげませんからね!」 「それ空気じゃねーか!」
説教は三十分続いた。 足が痺れて感覚がなくなった頃、ようやくおやつの許可が出た。
「……でも、サトル」 ドーナツを頬張りながら、未羽が小声で言った。 「勝つのって、気持ちいいね。……あのゾクゾクする感じ、ハッキングに似てるかも」
未羽の目は輝いていた。 俺は苦笑して、自分の分のドーナツ(ちゃんと実体のあるやつ)を半分、彼女の皿に乗せた。
「ほどほどにな。じゃないと、俺みたいに友達がいなくなるぞ」 「平気よ。ボクにはサトルと、結衣と、アリスがいるもん」
サラッと言われた言葉に、俺は少しだけ喉が詰まった。 コーラで流し込む。 炭酸が、妙に目に染みた。
「……ま、そうだな。ゲームも人生も、パーティ(仲間)がいた方が攻略しやすいのは確かだ」
俺たちの「放課後」は、まだしばらく続きそうだ。




