第16話: 世界を救うのは「俺たち」だ
「はぁ……はぁ……もう、無理……膝が、笑うどころか……爆笑してる……」
東京スカイゲート・タワー、地上四五〇メートル。 最上階にある第2放送スタジオの重厚な扉の前で、俺、佐藤悟は四つん這いになっていた。 非常階段と梯子を登り切った代償は大きかった。現在の俺のHPは限りなく1に近い。
「情けないわね。小学生の私たちが息も切らしていないのに」 アリスが涼しい顔で俺を見下ろす。 「鍛え方が違うのよ、佐藤。ボクたちは毎日ランドセル(数キロ)を背負って登下校してるんだから」 未羽がPCを構えながらドヤ顔をする。
現代の小学生、強すぎるだろ。
「お兄ちゃん、大丈夫? お水飲む?」 結衣だけが優しく背中をさすってくれる。天使か。
「……待たせたな。突入するぞ」 氷室刑事が呼吸を整え、ニューナンブを構えた。彼女の足は震えていない。さすがプロだ。
「私が先行します。合図と同時に、佐藤さんと未羽ちゃんはシステムを制圧してください」 「了解」
氷室刑事がドアノブに手をかけ、一気に押し開いた。
「警察だ! 動くな!」
***
スタジオ内は、無数のモニターとサーバーラックが並ぶ異様な空間だった。 その中央。 世界中に向けてテロ予告を配信しているメインコンソールの前に、九条が立っていた。 彼は振り返りもせず、優雅に手元のキーボードを叩いている。
「遅かったじゃないか、Unknown。……いや、今は佐藤悟と呼ぶべきか」
九条が椅子を回転させ、こちらを向いた。 その背後の巨大モニターには、真っ赤な進行状況バー(プログレスバー)が表示されている。
『Project RAGNAROK: 98% Loading...』
「あと2%。あと数分で、世界の主要インフラは全て私の支配下に落ちる。金融、交通、軍事……すべてが停止し、文明は石器時代に戻るだろう」
九条は恍惚とした表情で両手を広げた。
「なぜだ九条! お前ほどの技術があれば、もっと建設的なことができるはずだろ!」 「建設的? フン、退屈だ。私は見たいのだよ。偽りの秩序が崩壊し、真の能力者だけが生き残る混沌を!」
典型的な悪役のセリフだ。 俺はフラつく足で立ち上がり、鼻で笑った。
「カオスだの能力者だの、厨二病も大概にしろ。……俺はな、明日の新作ゲームの発売日が楽しみで生きてるんだ。それを邪魔する奴は、テロリストだろうが神様だろうが、ぶっ飛ばす!」
「俗物め。……やれ」
九条が指を鳴らす。 スタジオの暗がりから、武装した黒服たちが現れた。数は十人。全員がマシンガンを構えている。
「くっ、伏せて!」 氷室刑事が叫び、近くの機材の陰に飛び込む。 ダダダダダッ! 銃弾がサーバーラックを削り、火花が散る。
「物理で来るなんて反則だろ!」 「文句はあの世で言え!」
九条が狂ったように笑う。 氷室刑事が応戦するが、多勢に無勢だ。 俺たちは動けない。PCを開く隙すらない。
万事休すか。 そう思った瞬間、アリスがスマホを取り出し、スピーカーモードで叫んだ。
「パパ! 今よ! 『アレ』をやって!」
ズゥゥゥゥン……! 突然、タワー全体が大きく揺れた。 照明が一斉に落ちる。モニターの光も消え、スタジオは完全な闇に包まれた。
「な、なんだ!?」 九条が狼狽する。
「このタワーの電力供給元である電力会社ごと、パパに買い取ってもらったわ! 今、送電を強制カットしたの!」
アリスが得意げに叫ぶ。 電力会社を買収!? スケールが違いすぎる!
「非常電源(UPS)に切り替わるまで、タイムラグは十秒! 佐藤、今よ!」
十秒。 それは、世界最速のニートにとっては永遠にも等しい時間だ。
「よくやったアリス! ――未羽、行くぞ!」 「OK! こっちの準備はできてる!」
俺と未羽は闇の中でPCを開いた。 バッテリー駆動の画面が青白く顔を照らす。
「エヴァ、全リソースを攻撃に回せ! 目標、九条のメインコンソール!」 『了解、マスター。リミッター完全解除。……神殺し、開始します』
俺の指が走る。 未羽が敵のファイアウォールを食い破り、道を作る。 その道を、俺のウイルスが疾走する。
三秒。第一層突破。 五秒。第二層突破。 七秒。中枢カーネルに到達。
「バカな……! 電源が落ちているのに、なぜアクセスできる!?」 非常灯が点き始め、九条が叫ぶ。
「俺たちのPCは自家発電だ! お前のシステムが再起動する前に、中身を空っぽにしてやるよ!」
俺はUSBメモリを取り出した。 結衣が拾った、あの「鍵」。 こいつをメインコンソールに直接ぶっ刺せば、ラグナロクは逆流し、自壊する。
だが、コンソールまでは距離がある。 黒服たちが体勢を立て直し、銃口をこちらに向けようとしている。
「行かせるかぁぁ!」 九条がハンドガンを抜き、俺に向けて発砲した。 バァン! 弾丸が俺の頬を掠め、背後の壁に突き刺さる。
足が竦む。 怖い。死にたくない。 俺はただのゲーマーだ。ヒーローじゃない。
「お兄ちゃん!」 結衣の声。
――そうだ。 ここで逃げたら、結衣の笑顔も、明日のハンバーグも、アリスの毒舌も、未羽とのゲーム対決も、全部なくなる。 そんなの、死ぬより嫌だ。
「……うおおおおおおッ!」
俺は雄叫びを上げ、飛び出した。 銃弾が飛び交う中、低い姿勢で滑り込む。
「援護するわ!」 氷室刑事が立ち上がり、二丁拳銃のような構えで黒服たちを牽制する。 その一発が、照明器具を撃ち落とし、敵の頭上に落下させる。 ナイスドジ(?)、いやナイスショット!
俺はコンソールに肉薄した。 九条が目の前に立ちはだかる。
「渡さん! これは私の理想郷への鍵だ!」 九条が俺に掴みかかってくる。 ひ弱なニート VS インテリ眼鏡。 泥仕合だ。
「放せ! この野郎!」 「貴様こそ! 才能の無駄遣いばかりしおって!」
揉み合いの中、USBメモリが宙を舞った。 スローモーションのように回転し、床に落ちる。
「あっ」 二人同時に声を上げた。 USBは、コンソールと壁の隙間――手の届かない場所へと転がっていった。
「しまっ……!」 「ふははは! これで終わりだ! 誰も届かん!」
九条が狂喜する。 俺の手は届かない。アリスも未羽も遠い。 だが。
「……届くもん!」
小さな影が、俺の脇をすり抜けた。 結衣だ。 彼女の小さな体なら、その隙間に入れる。
「結衣ちゃん!?」 「佐倉さん、危ない!」
九条が銃を向ける。 だが、結衣は迷わなかった。 彼女は隙間に手を伸ばし、USBを拾い上げ、そして――。
「サトルお兄ちゃんの、バカァァァァ!」
叫びと共に、USBポートに全力で突き刺した。
ガガガガガッ!! 激しい電子音がスタジオ内に鳴り響く。 メインモニターの赤いバーが、一瞬で青色に塗り替わっていく。
『Access Key Accepted. System Override.』 『RAGNAROK... Deleted.』
「な……なにィィィ!?」
九条が崩れ落ちる。 システムが完全に掌握された。 モニターには、あのパーカー姿の『Unknown』のロゴと、そして――『Game Over』の文字が表示された。
「……勝った」
俺はその場に大の字に寝転がった。 黒服たちは状況を悟り、武器を捨てて逃走を図るが、一階から突入してきたSAT(特殊急襲部隊)によって次々と制圧されていく音が聞こえる。
「お兄ちゃん……やったね」 結衣が埃まみれの顔で、へへっと笑った。 「ああ。……ナイスだ、結衣」
俺は彼女の頭をくしゃくしゃに撫でた。 アリスと未羽も駆け寄ってくる。 氷室刑事は九条に手錠をかけながら、こちらを見てウィンクした(そして足元のケーブルに引っかかって転んだ)。
窓の外。 一度は消えた東京の夜景が、光を取り戻していく。 その光景は、どんな高画質のゲーム画面よりも美しかった。
「……さて」 俺は上半身を起こし、仲間たちを見渡した。
「世界も救ったことだし、帰るか。……腹減ったろ?」
俺の言葉に、全員が笑顔で頷いた。 こうして、世界で一番長い夜が明けた。




