第14話:深夜のカーチェイス、そして「彼女」はドリフトと共に
心臓が破裂しそうだ。 俺、佐藤悟は夜の住宅街を全力疾走していた。 呼吸をするたびに、肺がヒューヒューと鳴る。足は鉛のように重い。 一年分の運動量を、この数分で使い果たしている気がする。
「ハァ……ハァ……! 畜生、なんで現実にはファストトラベルがねぇんだ!」
背後からは、複数の足音と、タイヤのスキール音が迫ってくる。 俺はUSBメモリをこれ見よがしに掲げ、囮となって正面通りを走っていた。 その隙に、アリスたちが裏路地を使って結衣を逃がしているはずだ。
ブォン!! 黒塗りのバンが俺の横に並び、スライドドアが開く。 中から伸びてきた腕が、俺のジャージを掴もうとする。
「捕まえてみろよ、脳筋ども!」
俺はとっさに路地の曲がり角へ飛び込んだ。 ゴミ箱を蹴倒し、追っ手の進路を塞ぐ。 だが、このままではジリ貧だ。ジャミングのせいでエヴァのサポートもない。俺はただの、足の遅い二十八歳児だ。
ドンッ! 曲がり角を抜けた先、俺は誰かとぶつかった。
「痛っ……!」 「きゃっ!」
ぶつかった相手は――アリスたちだった。 どうやら合流地点であるコインパーキングで鉢合わせしてしまったらしい。
「佐藤! あんた遅いわよ!」 「うるせぇ! 俺の肺活量はハムスター並みなんだよ!」 「お兄ちゃん、大丈夫!?」
結衣が心配そうに駆け寄ってくる。 だが、安堵している暇はない。 路地の前後から、黒服たちが現れた。完全に包囲された。
「……万事休す、か」
俺は歯噛みした。 俺一人ならどうとでもなるが、子供たちがいる。 強行突破はできない。
黒服の一人、リーダー格の男が銃口を向けて歩み寄ってくる。 サイレンサー付きの拳銃だ。本気で殺る気だ。
「遊びは終わりだ、Unknown。そのUSBを渡せ」 「断る。……と言いたいが、命には代えられねぇか」
俺はポケットからUSBを取り出し、ゆっくりと手を挙げた。 結衣が俺の服をギュッと掴む。
(……ごめんな、結衣)
俺がUSBを投げようとした、その時だった。
キキキキキキッ――!!! 耳をつんざくようなブレーキ音と共に、一台のセダンが路地に突っ込んできた。 覆面パトカーだ。 車体はドリフトしながら俺たちと黒服の間に割り込み、車体を横にして急停止した。
バンッ! 運転席から飛び出してきたのは、パンツスーツ姿の女性。 公安警察、氷室冴子だ。 彼女はニューナンブ(拳銃)を構え、凛とした声で叫んだ。
「警察だ! 全員、動くな!」
黒服たちが動揺する。 まさか警察が、しかも公安が介入してくるとは思わなかったのだろう。
「チッ、警察か……! 引くぞ!」
リーダー格の男が判断を下した。 彼らは素早くバンに乗り込み、タイヤを鳴らして去っていった。 嵐のような撤収劇だった。
「ふぅ……。間に合いましたね」
氷室刑事は銃を下ろし、カッコよく髪をかき上げた。 そして、俺の方を振り返り、キメ顔で――
「さあ、乗りなさい。話は車の中で……きゃっ!」
自分の車のタイヤにつまずいて、盛大にズッコケた。 ……台無しだ。
***
「……で、なんでアンタがここにいる?」
狭い覆面パトカーの後部座席。 俺と結衣、未羽、アリスがギュウギュウ詰めにされながら、俺は運転席の氷室刑事に尋ねた。 車は首都高を猛スピードで走っている。
氷室刑事はバックミラー越しに俺を睨んだ。
「勘違いしないでください。私はあなたを逮捕しに来たわけじゃありません。……まだ、証拠不十分ですから」 「じゃあ、なんで助けた?」 「『上』の動きがおかしいからです」
氷室刑事の表情が険しくなる。
「一連のサイバーテロ。現場からは『ヨルムンガンド』の痕跡が出ているのに、警視庁上層部は捜査を縮小しようとしています。まるで、誰かに圧力をかけられているように」
なるほどな。 敵の手は警察内部にまで伸びているってわけか。
「私は正義を信じて警察官になりました。組織の論理で、子供たちが危険に晒されるのを見過ごすわけにはいきません」
彼女はハンドルを握り直した。 ドジっ子だが、その眼差しは真っ直ぐだ。 少しだけ、見直した。
「行き先はどこです? 安全な隠れ家まで送りますが」 「いや、隠れている場合じゃない。反撃だ」
俺は前方を指差した。 夜空に突き刺さるような巨塔、東京スカイゲート・タワーが見えてきた。
「あそこへ行ってくれ」 「スカイゲート・タワー? あそこは現在、テロの影響で封鎖中ですよ?」 「だからいいんだ。敵の妨害電波を突き破って、真実を拡散できるのは、日本で一番高いあの場所しかない」
氷室刑事は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにニヤリと笑った。
「不法侵入に、電波法違反。……私の目の前で、堂々と犯罪予告ですか?」 「現職警官を共犯にするつもりだ。乗るか?」
しばしの沈黙。 そして、彼女はアクセルを深く踏み込んだ。
「……いいでしょう。今回だけ、私は『何も聞いていない』ことにします。あとで始末書を書くのは私なんですから、しっかり世界を救ってくださいよ!」
Gがかかり、車が加速する。 頼もしい味方だ。
だが、そう簡単にはいかないらしい。 後方から、ハイビームの光が迫ってきた。 さっきの黒いバンだ。しかも三台に増えている。
「しつこい男は嫌われるわよ!」 アリスが窓から後ろを見て叫ぶ。
「ぶつけて止める気だわ! 氷室さん、振り切って!」 「無茶言わないでください! これでも公務員運転なんです!」
ドンッ! 後ろから追突された。車体が激しく揺れる。 結衣が「キャーッ!」と悲鳴を上げ、俺にしがみつく。
「くそっ、このままだとタワーに着く前にスクラップだ!」
俺は膝の上のノートPCを開いた。 ジャミングの影響で通信は不安定だが、近距離ならハッキングできるかもしれない。
「未羽! 後ろの車の制御系を乗っ取れるか?」 「無理! 奴らの車、旧式のアナログ車よ! 電子制御が入ってない!」 「チッ、用意周到な奴らだ!」
現代のハッカーにとって、電子制御のないクラシックカーは天敵だ。 物理で殴り合うしかないのか?
その時。 アリスが窓を開け、夜風に髪をなびかせながらスマホを取り出した。
「仕方ないわね。……私のとっておきを使うわ」 「とっておき?」 「ええ。パパに内緒で買っておいた、私の『お小遣い』よ!」
アリスが画面をタップした瞬間。 高速道路の側壁の向こうから、黒い影が飛び出してきた。
ズドォォォォン!!!
それは、並走していた敵のバンの一台を横から吹き飛ばした。 火花を散らして転がる敵車。 現れたのは――真っ黒な装甲に覆われた、装輪装甲車(APC)だった。 車体には『SAIONJI SECURITY』の文字。
「……は?」 俺と氷室刑事の声が重なった。
「私兵団の装甲車よ。公道を走ると怒られるから隠しておいたんだけど、緊急避難だからセーフよね?」
アリスが悪びれもせずに言う。 小学生が装甲車を「お小遣い」で買うな。
「さあ、道は開けたわ! 氷室さん、突っ走んなさい!」 「も、もう何が何だか……! 分かりました、行きます!」
装甲車が殿となって敵を食い止める中、俺たちの覆面パトカーはスカイゲート・タワーの地下駐車場へと滑り込んだ。
キキーッ! 急停止する車。
「着いた……」 俺はドアを開け、フラフラと降り立った。
目の前には、天を摩する巨大な塔。 ここが最終決戦の地だ。
「行くぞ。ここを登り切れば、俺たちの勝ちだ」
俺、結衣、アリス、未羽。そして氷室刑事。 奇妙な五人組は、暗闇に沈むタワーのエレベーターホールへと走り出した。




