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住所不定無職、佐藤悟(28)。実は世界を救う伝説のハッカーですが、隣の女子小学生(10)に餌付けされて生きてます  作者: RIU


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第12話:そのUSB、混ぜるな危険。そして逃避行へ

オメガ・タワーの一階ロビーは、避難した人々の安堵のため息と、遅れてやってきた消防隊のサイレン音で満たされていた。  スプリンクラーの水で床は水浸しになり、高級な大理石が泥で汚れている。


 俺は息を切らしながら、人混みの中を彷徨っていた。  足がもつれる。肺が焼けるように熱い。  だが、止まるわけにはいかない。


「結衣! どこだ、結衣!」


 俺の声は周囲の喧騒にかき消される。  スマホを握りしめ、エヴァに怒鳴る。


「エヴァ! カメラだ! ロビーの監視カメラを乗っ取って結衣を探せ!」 『了解。……正面玄関右手の観葉植物の陰。濡れた子犬のように震えている生体反応を確認』


 いた。  俺は転がるように駆け出した。  巨大なパキラの陰に、うずくまる小さな背中を見つけた。  ずぶ濡れのワンピース。髪からは水が滴り落ちている。


「結衣ちゃん!」 「……あ、サトルお兄ちゃん!」


 結衣が顔を上げた。  その瞳に涙が溜まっているのを見て、俺の胸がギュッと締め付けられた。  俺は躊躇わず、泥だらけのジャージの上着を脱ぎ、彼女の肩にかけた。


「ごめんな、遅くなって。怖かったろ」 「ううん……お兄ちゃんが来てくれるって、信じてたから」


 結衣は気丈に笑おうとしたが、その手は小刻みに震えていた。  そして、その小さな手の中に握りしめられていたもの。  黒い、スティック状の物体。  赤い蛇のマークが刻印されたUSBメモリ。


(……これか)


 俺が手を伸ばそうとした、その時だ。


『マスター、警告ウォーニング。三時の方向、距離15メートル。清掃員に変装した男二名。……懐に銃器らしき反応あり』


 エヴァの声が脳に突き刺さる。  俺は反射的に結衣を抱き寄せ、柱の陰に隠れた。


 隙間から覗く。  灰色の作業服を着た男たちが、鋭い眼光で避難者たちの顔を一人ひとり確認している。  手にはモップを持っているが、その動きは明らかにカタギじゃない。  奴らは探している。  この混乱の中で紛失した「何か」を。


「……結衣。そのUSB、俺に渡せるか? そっとだぞ」 「え、うん……」


 結衣からUSBを受け取る。  ずしりと重い気がした。  俺はそれをジーンズのポケットの奥深くにねじ込んだ。


「いいか、結衣。今からゲームをする」 「ゲーム?」 「ああ。『かくれんぼ』だ。あの清掃員のおじさんたちに見つからないように、外にいるアリスたちのところまで行く。……できるか?」


 結衣は少し不安そうな顔をしたが、俺の目を見て、コクリと頷いた。


「うん。お兄ちゃんと一緒なら、できる」 「よし、いい子だ」


 俺は結衣の手を握った。  冷たい手だ。早く温かい風呂に入れてやりたい。  そのためにも、こんなところで捕まるわけにはいかない。


「エヴァ、ナビゲート頼む。敵の視界ラインを切れ」 『お任せを。館内放送と照明をハックして、撹乱かくらんします』


 バチッ!  ロビーの照明が一斉に消えた。  同時に、館内放送から大音量で『蛍の光』が流れ始める。


「な、なんだ!?」 「また停電か!?」


 人々がざわめく。  清掃員の男たちが「チッ!」と舌打ちをして周囲を警戒する。  その一瞬の隙。


「走るぞ!」


 俺は結衣の手を引き、闇の中を疾走した。  エヴァがスマホの画面に矢印を表示してくれる。  右、左、そして正面突破。  男たちの脇をすり抜ける瞬間、俺の背中には冷や汗が流れたが、彼らの注意は明滅する照明に向いていた。


 回転扉を抜け、夜風に当たった瞬間。  俺たちは広場へと転がり出た。


「佐藤!」


 待ち構えていたアリスが、SPたちに指示を出して壁を作らせる。  俺たちはその内側へと滑り込んだ。


「はぁ……はぁ……死ぬかと……思った……」 「無事なのね!? 佐倉さんも!」 「う、うん。西園寺さん……」


 結衣がアリスの姿を見て、ようやく安心したのか、へなへなと座り込んだ。  アリスがすぐに自分の高級ブランドのショールを外し、結衣に巻き付ける。  未羽も駆け寄ってきて、無言で結衣の背中をさすった。


「……で、佐藤。何があったの? ただの避難にしては、顔色が悪いわよ」


 アリスの鋭い指摘。  俺は周囲を警戒しながら、小声で答えた。


「奴らがいた。『掃除屋』だ。……ブツを探してる」 「ブツ?」


 俺はポケットを叩いてみせた。  未羽がハッと息を呑む。


「まさか、テロの目的は破壊じゃなくて……データの運搬?」 「ああ。混乱に乗じて内部協力者に持ち出させる手はずだったんだろうが……運悪く落としたらしい。それをウチの『幸運の女神(結衣)』が拾っちまった」


 最悪の状況だ。  奴らは顔を見られたかもしれない。  いや、このビル周辺には無数のカメラがある。俺たちがUSBを持っていることは、時間の問題でバレる。


「ここに長居は無用だ。アリス、車を出してくれ。送迎用の一番スモークが濃いやつを頼む」 「分かったわ。……私の屋敷に来る? セキュリティは鉄壁よ」 「いや、西園寺家は目立ちすぎる。それに、もしこれが公になれば、お前の家のスキャンダルになりかねない」


 財閥令嬢をテロ組織との抗争に巻き込むわけにはいかない。  俺は首を振った。


「帰るぞ。いつものボロアパートへ」 「はあ!? 正気!? あんな紙みたいな壁の部屋で防げるとでも?」 「灯台下暗し、だ。それに……」


 俺はニヤリと笑った。虚勢だが、今は笑うしかない。


「あそこは俺の『テリトリー』だ。ネットに繋がってさえいれば、ホワイトハウスより安全にしてやるよ」


 ***


 一時間後。  メゾン・ド・サトウ、203号室。


 結衣はシャワーを浴びて、俺のブカブカのTシャツに着替えてベッドで眠っていた。  精神的な疲労が限界だったのだろう。  その寝顔を見守りながら、俺たち――俺、アリス、未羽の三人は、PCデスクを囲んで緊急会議サミットを開いていた。


 テーブルの中央には、あの赤い蛇のUSBが鎮座している。


「……解析結果は?」


 アリスが固唾を呑んで尋ねる。  未羽がキーボードから手を離し、青ざめた顔で俺を見た。


「……とんでもない代物だよ、これ」 「ああ」


 俺も頷く。  エヴァと共に中身をサンドボックス(隔離環境)で解析した結果、分かったことは一つ。  これは、単なるデータではない。


「これは『鍵』だ」 「鍵?」 「世界中の銀行、軍事施設、インフラ……あらゆるセキュリティを無効化できる、マスターキーの生成コード。ヨルムンガンドが数年かけて開発した、ネット社会の終焉を招く『禁断の果実』だ」


 部屋が静まり返った。  エアコンの音だけが空しく響く。


 そんなヤバいものが、なぜか日本の、しかも俺の部屋にある。  笑えない冗談だ。


「奴らはこれを取り戻すために、手段を選ばないだろうな」


 俺は天井を見上げた。  結衣の寝息が聞こえる。  平和な寝息。  だが、その平和は今、薄氷の上に成り立っている。


『マスター。アパート周辺の防犯カメラに、不審な車両を確認。……包囲されつつあります』


 エヴァの無機質な報告。  俺はPCに向き直り、指を鳴らした。


「上等だ」 「佐藤……どうする気?」 「決まってる。――籠城戦だ」


 俺は画面にアパートの見取り図を表示させ、ありったけのトラッププログラムを起動させた。


「ニートの引きこもりスキル、ナメんじゃねぇぞ。この部屋からは、一歩も入れさせないし、一歩も出させない」


 俺たちの夜は、まだ始まったばかりだった。

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