第11話:神の領域(ゴッド・モード)開放! 炎上ビルを制圧せよ
カタカタカタカタカタッ――!
駅前の広場。 アスファルトの上に胡座をかいた俺の指先が、ノートPCのキーボードを破壊的な速度で叩き続けている。 周囲の喧騒は、もう耳に入らない。 俺の意識は肉体を離れ、0と1で構成された電子の海へとダイブしていた。
(……硬ぇな、クソが)
目の前のモニターには、オメガ・タワーの制御システムを模した3Dモデルが表示されている。 だが、その全域が赤黒いイバラのようなデータに覆われていた。 ウイルス『ラグナロク』。 自己進化し、外部からの干渉を全て喰らい尽くすデジタル怪物。
「くっ……! ダメ、また弾かれた!」
隣でPCを操作していた未羽が悲鳴を上げた。 彼女はビルの防災システムへの裏口を作ろうとしているのだが、作った端からウイルスに修復されているのだ。
「諦めるな未羽! 敵の修復アルゴリズムには『0.5秒』の遅延がある。そこを狙え!」 「簡単に言わないでよ! そんな一瞬、見えるわけない!」 「見えるようにしてやる。――エヴァ、視覚補助を展開」
『了解。AR(拡張現実)オーバーレイ、起動』
エヴァの声と共に、俺と未羽のPC画面が切り替わる。 複雑な文字列が整理され、敵のデータの「継ぎ目」が光って表示された。
「え……? コードが、止まって見える?」 「俺の演算リソースをお前に回した。迷うな、突っ込め!」
俺の指示に、未羽がハッと息を呑み、再びキーボードに喰らいつく。 天才少女の本領発揮だ。彼女の指が、光る継ぎ目を正確に切り裂いていく。
「開いた! 第3層、防災エリアへのパスが開通!」 「でかした! ――そこを維持しろ、俺が本丸を叩く!」
未羽がこじ開けたわずかな隙間。 そこへ、俺は自身の全存在をねじ込ませる。
狙うは最上層。メイン制御ユニット。 そこに巣食う「女王」を叩けば、全てのロックは解除される。
だが、敵もさるものだ。 俺の侵入を感知した瞬間、膨大なデータゴミ(ジャンク・パケット)の津波が押し寄せてきた。 回線負荷が急上昇する。PCのファンが悲鳴を上げ、熱暴走寸前まで加熱する。
「チッ、回線が細すぎる……! この安物Wi-Fiじゃ帯域が足りねぇ!」
物理的な限界だ。 軍事用ウイルスの質量に対し、俺たちが使っている公衆回線はあまりに貧弱だった。 このままでは押し負ける。
「帯域(バンド幅)が欲しいか、佐藤悟」
頭上から、凛とした声が降ってきた。 西園寺アリスだ。 彼女はスマホを耳に当てながら、仁王立ちで俺を見下ろしていた。
「ああん!? 今それどころじゃ……」 「黙って使いなさい。――繋げ!」
アリスが指を鳴らした瞬間。 広場の上空に、轟音と共に一機のヘリコプターが現れた。 西園寺グループの社用ヘリだ。 ヘリからパラボラアンテナのような機材が向けられ、俺のPCのアンテナピクトが一気にMAXまで振り切れた。
「西園寺家のプライベート通信衛星『エンペラー』の直通回線よ。秒間100テラバイトでも好きに流しなさい!」 「……はっ、お嬢様サマサマだな!」
全身に力が漲る。 武器は揃った。 盾(未羽)があり、補給があり、剣(俺)がある。 負ける要素など、一つもない。
「エヴァ、リミッター解除。モード『Unknown』へ移行する」 『Yes, My Master.』
俺の瞳孔が開く。 打鍵音が消えた。 あまりの速さに、指が空気を叩く音すら置き去りにする。
画面の中、俺の分身である『顔のないパーカー男』が、赤黒いイバラを引きちぎり、食い破り、光の速さで駆け上がる。 ファイアウォール? 紙切れだ。 暗号化? 挨拶代わりにもならねぇ。
敵のウイルスが、俺を認識して牙を剥く。 巨大な蛇の幻影が、画面越しに俺を睨みつける。
『――排除スル。排除スル。排除ス……』 「うるせぇよ」
俺はエンターキーに指を置いた。 かつて、この指一本で某国の軍事衛星を墜としたことがある。 その感触を思い出す。
「結衣ちゃんの作った晩飯を冷めさせた罪は、万死に値するんだよ」
ッターン!!!!
俺の一撃が、蛇の眉間を撃ち抜いた。 画面上の赤いイバラが、ガラス細工のように砕け散る。 同時に、システム全体が青い光へと塗り替わった。
――ガコンッ! 目の前の巨大ビル、オメガ・タワーから重厚な音が響く。 閉ざされていたシャッターが一斉に開放された。 スプリンクラーが作動し、黒煙の中に白い水飛沫が舞う。
『火災鎮火システム、正常作動。避難経路のロック解除。エレベーター、非常電源にて復旧しました』
エヴァの報告を聞き、俺はPCの前で大きく息を吐き出した。 全身から汗が噴き出る。指が痙攣して動かない。
「……やった、か?」 「開いた……! 開いたよサトル!」
未羽が俺の肩を揺さぶる。 アリスも、扇子で口元を隠しながらも安堵の息を漏らしている。
その時。 開放されたエントランスから、咳き込みながら人々が出てきた。 俺はふらつく足で立ち上がり、人混みを探す。
「結衣……っ! 結衣ちゃん!」
いない。 出てくるのは大人たちばかりだ。 まさか、逃げ遅れた? 嫌な予感が背筋を走る。
その時、スマホが鳴った。 非通知設定。 俺は震える手で通話ボタンを押した。
「……もしもし」 『……あ、サトルお兄ちゃん?』
結衣の声だ。 少し掠れているが、いつもの声だ。 俺は膝から崩れ落ちそうになった。
「結衣! 無事か! 今どこにいる!?」 『うん、大丈夫。なんかね、急にドアが開いて、スプリンクラーの水でビショビショになっちゃったけど……今は一階のロビーにいるよ』 「よかった……本当によかった……」
心底、ホッとした。 だが、結衣の言葉は続いた。
『でもね、お兄ちゃん。私、拾っちゃったの』 「え? 何を?」 『停電した時、暗闇の中で誰かが落としたみたいなの。USBメモリみたいなやつ。……なんか、赤い蛇のマークがついてるんだけど』
――心臓が止まった。
「……結衣。今すぐそれを捨てろ」 『え? でも、落とし物だよ? 交番に……』 「いいから捨てろ! いや、触るな! 今すぐそこへ行く!」
俺はスマホを握りしめ、走り出した。 終わっていなかった。 ラグナロクは撃退した。だが、敵の「本命」は、ウイルスの拡散ではなく――データの回収だったとしたら? そして、その重要なデータを、よりにもよって結衣が拾ってしまったとしたら?
「くそっ! なんて運の悪さだ!」
俺はビルの中へと飛び込んだ。 勝利の余韻など、一瞬で消し飛んだ。 この瞬間、結衣は「ただの隣人」から、世界最悪の組織に狙われる「重要参考人」になってしまったのだから。




