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住所不定無職、佐藤悟(28)。実は世界を救う伝説のハッカーですが、隣の女子小学生(10)に餌付けされて生きてます  作者: RIU


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第10話:崩れゆく日常、そして神(ハッカー)の目覚め

その瞬間まで、世界はあまりにも平和だった。


 午後五時。  夕暮れのオレンジ色が、東京の街を優しく包み込んでいる。  俺、佐藤悟はいつものようにPCの前で、ネット対戦ゲームのランクマッチに興じていた。


「よし、そこだ! 右フックからの昇竜拳!」


 画面の中のキャラが必殺技を放つ。  勝利のファンファーレが鳴り響く――はずだった。


 プツン。  唐突に、モニターの画面が暗転した。  それだけではない。部屋の照明、エアコンの駆動音、冷蔵庫のモーター音。  あらゆる「電気の音」が、一瞬にして消え失せた。


「……停電か?」


 俺はヘッドセットを外し、暗くなった部屋を見渡した。  ブレーカーが落ちたわけじゃない。外の街灯も消えている。  窓の外を見ると、向かいのマンションも、遠くに見える高層ビル群も、まるで黒い影絵のように沈黙していた。


 東京全域、大規模停電ブラックアウト


「……おいおい、マジかよ」


 俺はスマホを取り出した。  圏外。  4Gも5Gも繋がらない。基地局が死んでいる。


 その時、予備電源で駆動していた俺のPCサーバーから、エヴァの声が響いた。  いつもの冷静なトーンではなく、明らかな焦燥を含んだ声だ。


『マスター! 緊急事態エマージェンシーです!』 「状況を報告しろ。ただの停電じゃねぇな?」 『はい。現在、東京都内の電力制御システム、交通管制システム、および主要通信インフラに対し、同時多発的なサイバー攻撃が行われています。攻撃規模は計測不能……!』


 エヴァがモニターに地図を表示する。  東京が真っ赤に染まっていた。  制御不能になった信号機により、各地で交通事故が発生している映像がウィンドウにポップアップする。


『攻撃プログラムの正体は、以前から検知していたウイルス『ラグナロク』です。それが、一斉に「覚醒」しました』


「ラグナロク……」


 商店街や学校でのボヤ騒ぎは、このための予行演習だったのか。  奴らはウイルスをあらかじめインフラの深層に眠らせ、合図一つで一斉に起動させたのだ。


『さらに、犯行声明が出ています。全ての公共放送の電波がジャックされました』


 エヴァが映像を切り替える。  真っ暗な画面に、あの不気味な「赤い蛇」のエンブレムが浮かび上がる。  加工された機械音声が、ノイズ混じりに語りかける。


『――我々は『ヨルムンガンド』。腐敗した世界に、黄昏ラグナロクをもたらす者である。文明という名の砂上の楼閣を、これより崩壊させる』


 中二病全開の演説だ。普段なら鼻で笑ってスルーするところだ。  だが、俺の心臓は嫌な音を立てていた。


 ――結衣ちゃんは?


 今日はアリスの家に遊びに行って、その帰りにスーパーで買い物をしてくると言っていた。  時間は五時過ぎ。  そろそろ帰ってくる時間だ。


「エヴァ! 結衣のGPS信号を拾え!」 『通信障害のため、正確な位置特定は困難です。ですが……直前のログによれば、彼女は駅前の商業ビル『オメガ・タワー』にいました』


 オメガ・タワー。  地上四十階建ての複合施設だ。


『あのビルの電力制御も掌握されています。エレベーターは停止。空調も停止。さらに悪いことに……』


 エヴァが言葉を詰まらせる。


『ビルの電子ロックが誤作動を起こし、全ての出入り口が封鎖されました。内部に多数の民間人が閉じ込められています。……さらに、ビルの自家発電設備にて火災発生の予兆あり』


 血の気が引いた。  密室。停電。火災。  最悪のコンボだ。


 俺はPCの前から立ち上がり、ジャージのポケットにスマホを突っ込んだ。


「……行くぞ」 『行くとは、現地へ? 無謀です、マスター。外はパニック状態です。それに、貴方が現地に行ったところで、鍵を開けられるわけでは――』 「開けるさ。俺を誰だと思ってる」


 俺は予備のノートPC(軍事用スペックの改造機)を小脇に抱え、玄関のドアを蹴り開けた。


「俺は佐藤悟。世界最強のハッカーで……あいつの保護者代わりだ」


 ***


 外は混沌としていた。  信号の消えた交差点では車が衝突し、クラクションの音が鳴り止まない。  人々がスマホを掲げて電波を探し回り、不安げな声を上げている。


 俺はその中を、脇目も振らずに走った。  息が切れる。足が重い。  ここ数年、コンビニへの往復以外で走ったことなんてなかった。  運動不足の体が悲鳴を上げる。


(くそっ、なんで俺がこんな……!)


 本来なら、俺は涼しい部屋で世界を救うのがスタイルだ。  汗をかくのは嫌いだ。努力も嫌いだ。  だが、脳裏に浮かぶのは、結衣の笑顔だ。


『お兄ちゃん、ご飯できたよ!』 『もう、私がいなきゃダメなんだから』


 あの日常が、壊されようとしている。  たかがテロリストの自己満足のために。


「……ふざけんなよ」


 俺は歯を食いしばり、人混みをかき分けた。


 数分後。  駅前のオメガ・タワーが見えてきた。  巨大なビルは闇に沈み、エントランスには脱出できない人々がガラスを叩いている姿が見える。


 その時、俺のスマホが微弱な電波をキャッチした。  エヴァが強制的に回線を繋げたのだ。


『マスター! 近くに西園寺アリスと宇佐美未羽の信号を確認! ビル前の広場です!』


 見ると、広場のベンチに二人の少女がいた。  SPたちに守られたアリスと、PCを必死に操作している未羽だ。


「佐藤!」 「サトル!」


 俺を見つけ、二人が駆け寄ってくる。  アリスの顔からはいつもの余裕が消え、未羽は悔しそうに唇を噛んでいた。


「結衣が……佐倉さんが、あの中にいるの! 一緒に買い物してたんだけど、私たちが先に外に出た直後にシャッターが降りて……!」 「ボクの技術じゃ無理だ……。このビルのセキュリティ、軍事レベルの暗号でロックされてる。解除しようとすると、カウンターでデータが焼かれる……!」


 天才少女の未羽が、涙目で首を振る。  それほど強力なウイルスなのだ。


 ビルの上層階から、黒い煙が上がり始めた。  火災だ。スプリンクラーも作動していないのだろう。  時間は、ない。


 俺は広場の地べたに座り込み、ノートPCを開いた。


「未羽。お前のPCを貸せ。並列処理パラレルでいくぞ」 「え……でも、無理だよ。相手は『ヨルムンガンド』だよ?」 「関係ねぇ」


 俺は指を鳴らした。バキボキと音が鳴る。  その目には、もはやニートの怠惰な光はなかった。  あるのは、獲物を狩る捕食者の輝き。


「いいか、よく見とけクソガキども。これが『大人の本気』ってやつだ」


 俺の指がキーボードに触れる。  瞬間、世界が変わった。


 ディスプレイに流れるコードが、俺の網膜に直接流れ込んでくる感覚。  ビルの制御システム。幾重にも張り巡らされた悪意あるウイルス。  その全てを、俺は「認識」した。


「エヴァ、全力支援フルサポート。回線負荷は無視しろ。衛星回線を一本乗っ取るぞ」 『了解ラジャ。……お待ちしていました、マスター』


 俺は笑った。  不敵に、狂暴に。


「さあ、始めようか。――神殺し(ラグナロク)の時間だ」


 東京の夜空の下。  最強のニートによる、世界奪還戦の火蓋が切って落とされた。

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