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住所不定無職、佐藤悟(28)。実は世界を救う伝説のハッカーですが、隣の女子小学生(10)に餌付けされて生きてます  作者: RIU


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佐藤悟の優雅で怠惰な朝

「働いたら負け」  それは、現代社会における真理であり、俺、佐藤悟さとう さとるの座右の銘だ。


 時刻は午後一時を回ったところ。  遮光カーテンの隙間から差し込む容赦ない日差しが、散らかり放題のワンルームを一本の線となって切り裂いている。  俺は煎餅布団の上で、生まれたての小鹿のようにプルプルと震えながら身を起こした。


「……腰が、痛ぇ」


 二十八歳。アラサー。無職。  世間一般で見れば、俺は「終わっている」人間らしい。  だが、訂正させてほしい。俺はただの無職ではない。  **『超』**がつくほどの無職だ。


 枕元に転がっているコントローラーを足の指で器用に引き寄せ、電源を入れる。  モニターが青く光り、昨日中断したRPGの続きが表示された。  ああ、平和だ。  今日も世界は俺を中心に回っていないし、俺も社会の歯車になるつもりはない。


 ――ガチャリ。


 その時、玄関のドアノブが回る音がした。  ピッキングではない。正規の合鍵を使った、慣れた手つきによる解錠音だ。


「サトルお兄ちゃん! また起きるの遅い!」


 玄関から響いたのは、鈴を転がすような、しかし明確な怒気を孕んだ少女の声。  ドタドタという足音と共にリビングのドアが開かれ、ランドセルを背負った小さな影が仁王立ちする。


 お隣に住む小学四年生、佐倉さくら結衣ゆいだ。  ツインテールに結った黒髪が、彼女の怒りに合わせてフリフリと揺れている。


「……おはよう、結衣ちゃん。学校は?」 「もう終わったの! 今日は短縮授業だって言ったでしょ? もう、カレンダーに書いておいたのに!」


 結衣は頬をぷくっと膨らませながら、慣れた手つきで部屋に入り込んでくる。  足元に転がっていた空のコーラ缶を拾い上げ、ゴミ箱へダンクシュート。  脱ぎ捨てられたジャージを回収し、洗濯機の方へ放り投げる。


「ほら、窓開けるよ! 空気が悪いと運気が下がるんだから!」


 シャッ! と勢いよくカーテンが開けられる。  直射日光が俺の網膜を焼き、吸血鬼のように悲鳴を上げそうになる。


「うぐぁ……やめろ、俺は光属性に弱いんだ……」 「はいはい、寝言は寝て言ってください。お昼ご飯、まだなんでしょ? 特売のひき肉買ってきたから、ハンバーグ作るね」


 結衣はランドセルを下ろすと、キッチンへ向かい、ピンク色のエプロンを装着した。  その背中は、この世の誰よりも頼もしい。


 俺は彼女に背を向け、再びモニターに向き直る。  さて、レベル上げの続きを――。


 その時だった。  部屋の隅に置かれた、無骨な黒いタワー型PC。  そのモニターの一つが、警告音もなく真っ赤に染まった。


『WARNING: Unauthorized Access Detected - Defense Infrastructure Grid A-7』


 俺の目は、一瞬で死んだ魚のような濁りから、獲物を狙う鷹の鋭さへと変わる。  ヘッドセットを首にかけ、マイクをミュートにする。


(……おいおい。A-7グリッドって、関東全域の電力制御システムじゃねぇか)


 画面上の文字列が滝のように流れる。  どこぞの国の諜報機関か、あるいは愉快犯か。  ファイアウォールを食い破り、中枢システムへ侵入しようとしているワーム(ウイルス)が見えた。


 もしこれが突破されれば、関東一円が大停電ブラックアウトに見舞われる。  信号は消え、電車は止まり、病院の生命維持装置が予備電源に切り替わるだろう。


 だが、今の俺にとって最も重要な問題はそこじゃない。


(停電したら……結衣ちゃんのハンバーグが焼けないだろうが!)


 俺はコントローラーを投げ捨て、キーボードを叩いた。  カチャカチャカチャカチャカチャッ!  指先が残像を生むほどの高速タイピング。  打鍵音はノイズキャンセリングのように周囲の音を消し去る。


 画面上に、俺のアバターである『Unknown』のロゴ――顔のないパーカー姿のアイコン――が浮かび上がる。


「……面倒くせぇな。五秒で終わらせる」


 俺は敵の進入経路を逆探知トレースし、同時に三千個のダミーサーバーを経由して相手のメインサーバーへバックドア(裏口)を仕掛ける。


 相手もプロだ。防衛プログラムが牙を剥く。  だが、遅い。  俺にとっては、止まって見える。


「そこ。セキュリティホール、空いてんぞ」


 Enterキーを、小指で優しく叩く。


 ズドン、という感覚が指先に伝わる。  画面上の赤い警告灯が消え、全てが正常な緑色オールグリーンに戻った。  敵のサーバーには、俺からのプレゼントとして『ごめんなさいファイル』を置いておいた。開くとPCの壁紙が全て「働いたら負け」という毛筆フォントの画像に書き換わる特製ウイルスだ。


 所要時間、四秒八二。  関東一円の平和は、誰にも知られることなく守られた。


「サトルお兄ちゃん? 今のすごい音、なに?」


 キッチンから結衣が顔を出す。  俺は瞬時にPCの画面を切り替え、何食わぬ顔で伸びをした。


「ん? ああ、ゲームでボスを倒した音だよ」 「ふーん。ゲームもいいけど、ちゃんと栄養取らないとダメだよ? はい、出来上がり!」


 テーブルに置かれたのは、湯気を立てる焼きたてのハンバーグ。  付け合わせのブロッコリーと人参が、色鮮やかに皿を彩っている。


「……いただきます」


 箸を入れると、肉汁がじゅわりと溢れ出した。  一口食べる。  美味い。  世界中のどんな高級レストランの料理よりも、この味が俺の荒んだ心を癒やしてくれる。


(守ってよかった、関東の電力)


 俺は心の中でそっとガッツポーズをした。


「どう? 美味しい?」 「ああ、最高だ。結衣ちゃんは天才だな」 「えへへ、でしょ! 将来はいいお嫁さんになれるかな?」 「なれるなれる。俺が保証する」


 適当に相槌を打ちながら、俺はハンバーグを頬張る。  テレビのニュース速報が流れた。


『先ほど、関東地方の一部のシステムで一時的な通信障害が観測されましたが、現在は復旧しており――』


 キャスターが深刻そうな顔で原稿を読んでいる。  結衣はそれを見ながら、「また機械の故障? やだねぇ」と他人事のように呟いた。


 そう、これでいい。  世界を救うなんて大それたことは、このハンバーグのついでで十分だ。


 だが、俺の平穏はそう長くは続かないらしい。  ポケットの中のスマホが、短く振動した。


 通知画面には、見知らぬ番号からのメッセージ。  表示されたのは、たった一行。


『見つけたわよ、Unknown』


 俺は箸を止めることなく、心の中で深いため息をついた。  ……どうやら、食後のデザートは、少しビターな味になりそうだ。

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