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さっくり読めちゃう短編集!!

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作者: 鈴女亜生

 人生を七十年と仮定して、残り四十年余り。それだけの時間、今と同じ毎日が続くのかと考えたら、激しい眩暈がした。


 日々の生活に不満があるのかと言われたら、そういうわけではない。仕事においても、プライベートにおいても、大きな悩みはなく、程々の毎日が続いている。


 そう、程々なのだ。全てが程々で、それは決して充実した毎日を送っているとは言えないものだった。


 大きなマイナスはないが、大きなプラスもない。

 プラスマイナスゼロの平坦な日常。

 それが今の私の人生だ。


 このまま何もなく、ただ水平に伸びる線が途切れるまで、同じような毎日をひたすらに繰り返すばかりの人生。

 そう思ったら、これからの人生に軽い絶望すら覚えるほどだった。


 私は何のために生きているのだろうか? 解答のない漠然とした悩みを抱え、平坦な毎日を生きる。


 人生の――限られた時間の浪費を繰り返す。


 そういう毎日に嫌気が差して、かと言って、自分で終わらせるほどの度胸もなく、同じ毎日から抜け出せない。

 そういう最中のことだった。



   +   -   +   -



 将来の仕事を考える中で、漠然とした希望を思い浮かべようとして、辛うじて残った物が自動車だった。子供の頃から好きだったと言える物の中で、仕事に直結しそうな物はそれだけだった。


 とはいえ、自動車を開発するような頭もなく、自動車自体を作りたいかと言われたら、そういうわけでもなく、それ以外で自動車と接するとしたら、と考えて思い至った物が運転手だった。


 最初はバスに乗りたいと考え、次にタクシーはどうかと考えたが、いざ実際に運転してみると、人を乗せて運ぶのは怖いと思ってしまい、最終的に落ちついた先が宅配業者だった。


 ここなら、仮に事故を起こしたとしても、潰れるのは積み荷と私の命くらいのものだ。託された荷物が潰れるのは非常に申し訳ないことではあるが、乗客がいた場合に、その人の命まで失われてしまうことを考えたら、その程度の犠牲で済むのなら、まだそちらがいいと私は思った。


 そうして、私は宅配業に勤しむこととなったのだが、そこからの日々は想像よりも大変なものだった。


 車を運転する仕事と考え、行きついた先がそこではあったが、仕事のメインは車の運転ではなく、荷物を送り届けることだ。スムーズな配達のために道を覚えることはもちろん、車の入れない建物の敷地内などは自分の足で駆け抜け、対応も区々な受取人を相手にしなければいけない。


 望んでいた自動車との関わりとは明確に違う日々が続き、私の精神は着実に摩耗していた。

 そんな時に考えてしまったのだ。今の時間がどれくらい続いていくのかを。


 少し形は違ったとはいえ、自身の望んでいた車に乗れる仕事につき、仕事上でのトラブルもあるとはいえ、大半は恙なく仕事を終えられている中での考えだ。

 大きな不満がない以上はそこから改善する術もなく、何も手をつけようとしなければ、望むプラスが得られるはずもない。


 どこまでも平坦な時間が続いていく自分自身の人生に、何を施せばいいのやらと頭を抱える中で、請け負った仕事の一つだった。


 それはこれまでに数度訪れたことのあるマンションの、これまでに一度も訪れたことのない部屋への配達だった。


 抱えた荷物で住所を確認し、知っているマンションだと思ってから、知らない部屋番号だと気づくまで、時間はかからなかった。


 知っている部屋なら、どういう人が住んでいるかは大体覚えている。良くも悪くも住所を見た段階で判別できるので、そこからの足取りも変わってくるというものだ。


 だが、今回は初めて訪れる部屋であるので、そこにどのような人が住んでいるのかは行ってみるまで分からない。


 当たりのない籤を引くような感覚だ。良い人と巡り合ったとしても、マイナスではなかったというだけ。どう足掻いても、そこにプラスは発生しないので、こういう初めて訪れる部屋は常に憂鬱な気持ちになった。


 せめて、変な人ではありませんように。


 心の中で祈りながら、他の荷物と一緒に荷台に積んで、車を走らせる。マンション自体は知っていたので、道に迷うことがない点は幸いだった。純粋に運転を楽しむ時間が作れ、辛うじて残っている仕事を選んだ理由の部分をじっくりと味わう。


 とはいえ、向かう先は初めての部屋だ。その重圧が常に背中には乗っていたので、アクセルを踏む足はいつもよりも少し弱々しかった。


 やがて、車は目的のマンションに到着する。そうしようと思ったわけではないが、自然と動きは遅くなりながら、荷台から荷物を下ろし、それを目的の部屋に運んでいく。


 このマンションには宅配ボックスがない。常に荷物の受け渡しは対面で行う必要がある。

 部屋を回避する方法はないかと、最後の最後まで足掻くように考えてしまうが、当然のようにそんな都合の良い手段はなく、気づいた時には部屋の前に到着していた。


 祈るように呼吸を挟んでから、チャイムを鳴らし、住民が出てくるのを待つ。扉の向こうから、少し慌ただしい足音が聞こえ、ドアノブが回されたというタイミングで、思わず息を止めていた。


 ゆっくりと扉が開く。隙間から覗くように顔が飛び出し、私は荷物を渡すために開きかけた口をそのまま、その形で維持することとなった。


 そこに顔を見せたのは、見るからにまだ幼い、小学生くらいの男の子だった。不思議そうに私の顔を見上げ、私は一瞬、どうしようかと戸惑う。


 家の人はいるかと確認しようかと思ってから、私が実際に口を開くまでの数秒の間に、再び扉の向こうからは慌ただしい足音が聞こえ、男の子を乗り越えるように別の頭が飛び出していた。


 今度は男の子よりも数歳は年上の、高校生くらいの女の子だった。


 その姿に少しホッとしながら、私は荷物を届けに来たことを伝えると、女の子は男の子に部屋の中に戻るように言ってから、私の運んできた荷物を受け取ってくれる。その対応から察するに、恐らくはさっきの男の子の姉がこの女の子なのだろう。


 少し動揺したが、結果的には大きな問題もなく、無事に荷物の受け渡しを終えられた。そのことに安堵しながら、私は車に戻っていく。


 この日はそれだけだったのだが、それが深く意味を持つことになったのは、その数日後のことだった。



   +   -   +   -



 その日も私はいつものように荷物を運んでいる最中だった。何度か訪れたことのあるマンションの、何度か訪れたことのある部屋に荷物を届け終え、車に帰ろうとしている途中のことだった。


 遠くから、「あっ」と声が聞こえ、私は自分に近づいてくる激しい足音に気がついた。


 何かとその音の聞こえる方に目を向ければ、そこには数日前、荷物を届けようと訪れた部屋で逢った、小学生くらいの男の子の姿があった。

 私を見つけるなり、すぐさま駆け寄ってきたようで、私はその勢いに戸惑いながら、「どうしたの?」と問いかける。


「あの、この前のあれ、お母さんも喜んでくれて」


 そう不意に言われ、私は戸惑ったが、少し落ちつかない話をまとめるに、どうやら送り届けた荷物が、この子と対応してくれたこの子の姉の二人で選んだ、母親へのプレゼントだったそうだ。


 それが無事に渡せたことと、それで母親が喜んでくれたことを必死に伝えてくれてから、男の子は笑顔を浮かべる。


「だから、ありがとう」


 まっすぐに、きらきらとした目でそう言われ、私は思わず言葉を失っていた。


 人を乗せるのは怖いから、と人ではなく荷物と向き合う運転手を選んだつもりだったので、まさか、このような形でまっすぐとした感謝の気持ちが伝えられるとは思ってもおらず、私は何も反応できなかった。


「それだけ言いたかった」


 そう言って、男の子は満足した様子で去っていく。その後ろ姿をぼんやりと見送ってから、私はゆっくりと車に乗り込んでいく。


 プラス1。ほんの少しだけ、目の前が明るく見えたような気がして、アクセルを踏みながら、私は自然と鼻唄を歌っていた。

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