第13話:サーバーダウン作戦
作戦は整った。
あとは、“その瞬間”を迎えるだけだ。
でも——それが近づけば近づくほど、胃がきしむように痛んだ。
これで本当に、終わるのか?
妹を守れるのか?
……俺は、どこまで非情になれているのか?
少しでも迷いがあれば、失敗する。
だから、俺は繰り返し自分に言い聞かせた。
これは、守るための戦いだ。
俺は、あいつとは違う。
深夜。
部屋の明かりを落とし、バイヤーにメッセージを送った。
⸻
中村直人:
日曜の午後、世田谷区の邸宅。
俺の仲間が動く。
タイミング、合わせてみないか?
m32_wright:
偶然にしてはできすぎてるな。
裏があるんじゃないか?
中村直人:
さあな。
あんたの言う通りにやったら、稼げたからな。
今度は俺も一枚噛ませてもらいたいだけさ。
m32_wright:
……そうか。
実はちょうど、その屋敷の主が動いていたところだ。
タイミングは悪くない。
m32_wright:
営業は13:55。
落札は14:00までに成立させる。
⸻
予想通り。
思ったよりもあっさりと乗ってきた。
バイヤーは、自分が勝ってるときほど大胆になる。
自信に満ちた言葉の裏に、わずかな隙が見えた。
***
その朝、俺は夜勤明けの配達員のフリをして、某施設の裏口に潜り込んだ。
そこは、バイヤーの取引プラットフォームの管理会社が所有する、
サーバー管理用の小型施設。
立ち入りにはセキュリティ認証が必要だけど、配送員の動線は意外と雑だった。
俺は事前に調べておいた構造図を思い出しながら、
非常階段から電源設備のあるフロアに向かった。
——この建物に、緊急用の電源はない。
バックアップはすべて外部委託のサーバーに分散してる。
つまり、このローカル中継が落ちれば、その瞬間のログは飛ぶ。
13:52。
配電室には、古びた分電盤が並んでいた。
俺は前日に調達した高電圧絶縁工具と携帯ショートスイッチを取り出す。
これなら、絶縁状態を保ったまま一瞬で回路を過負荷にできる。
「……いける」
スイッチを押す。
火花がバチンと弾け、照明が瞬時に消えた。
廊下が暗転し、非常灯がぼんやりと灯る。
サーバーのLEDも一斉に赤に変わっていた。
外から、爆発音。
奴らが屋敷に取りついた証拠だ。
13:59。
スマホを開く。
【取引中】
買主:匿名
売主:匿名
殺人権価格:1,200万円
状態:確認待ち
14:00。
【売買成立】
……よし。
俺は携帯スイッチのスパークをもう一度起こし、
補助電源のヒューズごと回路を吹き飛ばした。
通信機器の一部が黒煙を上げ、スマホにはエラーメッセージが表示された。
「接続できません」
「ネットワーク障害が発生しました」
記録は、消えた。
***
数時間後、SNSは大混乱だった。
【速報】
世田谷区の豪邸前で暴徒と銃撃戦。
家主の男性が発砲し、2名死亡。
殺人権の“記録が存在せず”男性は現行犯逮捕。
男は「ちゃんと買った」と叫んでいたらしい。
でも、証拠はなかった。
プラットフォームは沈黙し、
メディアは「売買不成立による無権利殺人」だと報じた。
それは、ただの一件じゃなかった。
信用崩壊の引き金だった。
“金で命を守れる”という幻想は、崩れ始めていた。
でも——これは、まだ第一段階にすぎない。
***
世田谷の銃撃事件は、想像以上にデカかった。
その夜、テレビは全部、あのニュースに切り替わっていた。
「殺人権を持っていたと主張する男が、2人を射殺」
「しかし取引履歴は消えており、無権利殺人として逮捕」
逮捕されたのは、元財務副大臣、山内悠真。
ニュースキャスターが名前を繰り返すたび、スタジオの空気が冷えていくのが分かる。
「……やっぱり、あの瞬間だったんだ」
スマホを手に、俺は息を吐いた。
サーバーを落としたタイミングと、撃ったタイミング。
きっちり、重なっていた。
殺人権を買ったつもりで殺した人間が、
実際には“普通の殺人者”になった——
この世界にとって、あまりにも象徴的な事件。
そのショックは、すぐに伝播した。
「殺人権取引の不正疑惑が浮上」
「システム内に改ざんの形跡。運営関係者に責任は?」
キャスターの口ぶりが、少しずつ変わっていくのがわかる。
“誰が殺したか”ではなく、
“誰がそれを許可したか”に、焦点が移っていく。
そして月曜。
朝のニュースがこう伝えた。
「マーケットの取引ログに異常を検知」
「社内から、匿名で内部資料が持ち出された模様」
——あぁ、もう逃げられないな。
午後。
“バイヤー”という言葉が、ついに報道に乗った。
今までは一部の掲示板やダークウェブで囁かれていたその名が、
ニュース番組の字幕で堂々と並んでいた。
「殺人権マーケットの“裏営業”に関与した男の正体が判明」
「都内在住の会社役員・井原崇史(34)」
「……井原、か」
別に見覚えがあったわけじゃない。
でも、調査していた時の癖で、俺は反射的にその名前を検索した。
すぐに、SNSアカウントが見つかった。
鍵もかかっていない。
そこに並んでいたのは、暴力的な投稿でも、陰謀論でもなかった。
——家族の写真だった。
小さな娘と遊ぶ動画。
妻との旅行。
誕生日ケーキを囲む笑顔。
そして、三年前の投稿に、目が止まった。
「俺は、自分の頭を金のためじゃなく、家族のために使う」
「貧乏に生まれたって、それを子どもに引き継ぐ必要はない」
スマホを閉じたあと、しばらく何も考えられなかった。
——あいつも、誰かを守ろうとしてたんだ。
守り方は、まるで違ったけど。
井原は逮捕された。
理由は正直、こじつけに近かった。
「暴動を誘発した可能性」だの、「詐欺的運営」だの。
証拠なんてない。
でも、世論がそれを許した。
誰かが、罰せられる必要があったんだ。
それが、社会の“落としどころ”だった。
殺人権市場は、急速に瓦解していった。
目に見えて、構造が壊れていく。
でも、それだけで全てが終わるわけじゃない。