7話 "価値"ある遺物
「来たか」
甲板から荒れ果てた港を観察していたソニアは、この戦争の目標を見つけた。
そいつは周りの世界のスケール感を非現実的なモノにしていく。身長は間違いなく3mを超え、彼が道を歩く姿は子どものテーマパークに迷い込んだ大人のようだった。
ブラウンの革を鞣して作られた鳥の嘴のようなペストマスク。それは血で黒く変色しており、目の部分にあるガラスは闇しか写していない。
ペスト医師の帽子に、綺麗な白い手袋。薄汚れてはいるが明らかにゴツくデカいブーツ。
ここまでは比較的標準なペスト医師だが、異様なのはフルレングスコートだ。本来であれば体に沿うようにしてピッチリと着込むのが正しいのだが、彼は極度の猫背のせいで首が前に突き出しており、首元から下にコートが垂れ下がっている。
実はあのコートの中に成人男性が5人くらい隠れていても驚きは無いだろう。
相変わらずキモいヤツだとソニアが内心思っている最中、先に動いたのはドクターだった。
ドクターは一匹の巻き付いた蛇が彫刻された杖を前に出すと、右手でユラユラと振り始めた。
「儀式魔術か」
ソニアが言い当てた直後、主砲塔が音を立て旋回を始めた。
先程までの戦闘は全て副砲が担当しており、ここからは主砲が演奏を務める。
主砲塔は三基。前方の甲板に二基、後方に一基あり、各主砲塔には一門12インチの砲塔が三門搭載され全三基合わせ計九門ある。
スペックは弾薬重量900ポンド、初速3,200フィート/s、最大射程22,000ヤード。
最新の油圧システムを搭載した主砲塔は、仰俯角を寸分の狂いなく調整していく。
そして一瞬の沈黙。
「All-Fire」
キャプテンの呼びかけに応え、全主砲一斉掃射が行われた。
音速の3倍で飛んでいく九発の砲弾は、この距離ならば発射から着弾までおよそ"2秒"。
避けられる人間なんていない。
甲板に殺人的なまでの衝撃波と振動が駆け抜けるが、ソニアは帽子を片手で押さえるだけで眉一つ動かさない。
その眼はドクターから離れることはなく、着弾のその瞬間まで油断しない。
だから気付けた。
ダランとぶら下がっていた左手の掌の中に、ピンポンボールのように小さく見える人の頭蓋が収まっていることに。
そして港に粉塵が舞い上がる。
しばらくして煙が晴れたそこには、塵で汚れているが傷一つ無いドクターが佇んでいた。
「クソ野郎め、やはり聖遺物か。フリークスモドキが触れるとは虫唾が走る」
聖遺物。
それは聖人の死後、人々の感謝、尊敬、崇拝、様々な想いが聖人の遺物に"価値"を与える。故にそれらは人々に尊ばれ、奇跡を行使する際の触媒としては規格外の性能を発揮する。
おそらく、ドクターが用いたのは矢避けの伝承がある聖人の頭蓋だ。
ソニアは脳内で該当する聖人を検索していたら、一つ思い出すことがあった。
「8年前のセンクパラメロ博物館強奪事件、犯人はまさかヤツか?」
聖遺物が力を持つのは、多くの人に覚えられた時だ。
その為、博物館などに展示されている聖遺物は比較的強力だが、マイナーで歴史が浅く、闇市に流れるような聖遺物は比較的弱い傾向にある。
そのせいで博物館に襲撃をかけるバカどもは後を絶たないが、ここ最近で唯一成功したのが8年前のセンクパラメロ博物館強奪事件だった。
国家が威信をかけ捜査するも犯人は不明。
そして強奪された中には第五変革歴時代に活躍した聖人パレスイグナの遺骨が含まれていた筈だと思い至った。
パレスイグナは世界中の人々を医師として救ってまわり、戦場では矢が彼を傷つけることを良しとせず矢の方から彼を避けたという逸話がある。
「まさか一人前の医者気取りか?死亡告知しか出来ないくせに」
ディーラーたるドクターは砲弾の爆風では斃れない。
確実に砲弾を直撃させてやりたいが、聖遺物を使われている現状厳しいと言わざるを得ない。
主砲は随時装填され、動きを封じるために随伴艦も含めた飽和攻撃は途切れる事なく掃射を続ける。
帰港してからまだ一度も補給をしていない艦隊の残弾数と予想されるドクターの耐久力とを比較し、長期戦に持ち込むべきかと思案しているとドクターが動いた。
はためかせたコートの内側から幽霊のような黒い魔力がモヤとなり、モクモクと飛び出した。そいつはドクター基準でのボールサイズに縮まると、杖に代わって右手に収まる。
「まさか、投擲する気か?」
ソニアの頬に一筋の冷や汗が流れた。
「全艦!回避運動!」
ソニアは手に持っていた短距離通信が出来る、懐中時計の形をした魔術道具に向かって叫んだ。
ドクターはその曲がった背骨をゆっくり起こし、2m近い右腕を後方に置く。
そして振りかぶり、投げた。
音速を遥かに超えた投球はたった数秒で艦隊まで届き、迎撃網を突破する。
そして、回避運動をしていた駆逐艦の土手っ腹を貫通した。
爆発炎上している艦からは、総員退艦を命じる甲高い警音器が鳴り響く。
「此れ程とは」
強い人間とはいるにはいる。魔術で強化された人間達は、人外の動きを可能とするからだ。
現にソニアも、砲塔の衝撃波程度はそよ風だ。
しかし、砲撃される中これ程の投球が出来るニンゲンなど存在しない。…筈だった。
「我が行く」
ソニアは即座に遠距離戦は愚策だと判断し、通信機に一声かける。そして、自身の身長よりも長い原始的な鎖付きのストックアンカーを背負った。
【魚雷よ、雲海を泳げ】
ソニアは甲板から跳び出し、自身に補助魔術をかけて空を飛んでいく。
後方からはキャプテンに対する信頼と、それより多くの心配の目が追っていた。
「機関長、ソニアちゃん大丈夫でしょうか?」
艦橋にて測量士の若い女性が、隣にいた筋骨隆々な機関長に声をかけた。
「わからん。キャプテンは強い。だが、ドクターとは先代のときに一度やりあったことがある。あれは化け物の類だ」
「聞いたことがありませんでした。その時は、…どうなったんですか?」
薄々感づいていることを、恐れながら聞く。
「負けた」
啓かれた知識
聖遺物
時代が古いほど強力になるのは、長期間の"価値"の蓄積によるもの。
そのため、伝承が残らなかった聖人の遺物は聖遺物たりえない。
逆説的に"価値が無い聖遺物"とは存在しない。
第三変革歴以前の聖遺物は、その貴重性及び重要性から博物館に展示されることはない。
一般には童話や神話といったカタチで存在だけが知らされている。
バベルの塔には第三変革歴時代の聖遺物が使用されていると噂があるが、ニーズヘッグにはどうやらそれを無視する愚か者がいるようだ。
一言コメント
ソニア「むしゃくしゃしたから撃った」
バベルちゃん「ぴえん」(全治4ヶ月)