35話 擦り切れた想い出
炎天下の狭い塹壕の中、3人の男達が膝を突き合わせて補給をしている。
「通信兵が来てから1ヶ月か。だいぶ他分隊と連携が取れやすくなったな。感謝してるぞ、通信兵」
曹長は乾パンを食べる手を止め、彼の固有魔法を褒めた。
「ああ、俺達小隊の中でも、お前ほど軍にとって有用な魔法も珍しいからな」
彼の隣に座り、配給されたマッシュドポテトを食べている狙撃兵も、彼の固有魔法は認めているらしい。
彼等は混合魔法小隊に所属する第三混合魔法分隊。通常の部隊では運用し難い魔法使いや、特殊な技能を持った人材が集められた変則的な隊である。
「それで通信兵、気になる女は出来たか?」
長い髪を下ろした事で特徴的な瞳を隠した狙撃兵は、簡易的な布で区切られた女性ゾーンに目配せをした。
彼は答えることが出来なかった。衛生兵と曹長がデキていることは察していたし、魔術兵が狙撃兵を憎からず想っている事にも、彼は気付いていた。そして、機関銃手と彼はあまり仲が良くなかったからだ。
戦場に染まり切っていない彼の脳味噌ですら、誰かを選択する事が地雷である事を理解していた。
「狙撃兵、やめたまえ。彼も困っているだろ。それに、この距離なら女性陣にも聴こえているぞ」
「そうかい?曹長。人間関係の把握は、部隊の円滑な運用において必須だと思うけどな」
「はぁ…単に君は人間関係を引っ掻き回して愉しみたいだけだろ?あまり褒めらたモノじゃない」
曹長と狙撃兵がヤイヤイと言い合っていると、女性陣が身体を拭き終わったのか、布を外して合流してきた。
「ニャにを楽しそうに話していたのニャ?女がどうとか聞こえたげど。ニャ」
「お前のその明らかな語尾について議論してたんだよ。いい歳して語尾にニャをつけるな」
「五月蝿い狙撃兵だニャ。こっちの方が男ウケが良いのニャ。語尾は普段から使わないと忘れるから、お前は黙ってろニャ」
彼は驚いた。機関銃手の語尾は自前のものだと思い込んでいたから。そして、それを可愛いと内心思っていた自分自身に。
「それにしても、未だに違和感あるね。戦場に女性が居るのは」
曹長は雰囲気を変えるため、話題を切り替えた。
「そうですね。私も幼少の頃は想像していませんでした。将来は看護婦になるものかと」
衛生兵は故郷であるニーズヘッグがある方角の空を眺め、昔を懐かしむ。
「せやなぁ。現代魔術の進歩はホンマにエゲツナイわぁ。乗算式だった身体強化が、まさかウチらの時代で加算式に変わるなんて、誰が想像つくねん」
現在最もポピュラーな身体強化の魔術は、元の身体能力に関係なく、魔術の効力をそのまま足してくれる加算式だ。
「えぇ、お陰で筋力に劣る女性でも、男性と大差のない身体能力を得られたのは喜ばしいのですが、それの恩恵を最も受けるのが戦場とは。魔術を用いる医学の徒として、複雑な思いです」
「まぁ、そう言うニャニャ!お陰でニャー達の猫パンチでも戦車をワンパンニャ!戦車なんてもう居ないけど!ニャ!」
魔術により繰り出される火力と、戦車を超える機動力は、戦場から一部の兵器を駆逐した。その代表が戦車である。だが、その反面、塹壕を突破する為の戦車が消えた事により、塹壕の突破は一部の魔法使い達に託される事となった。負担が集中したとも言う。
「さて諸君!未だに我軍は劣勢なれど、我々のやるべき事は変わらない!連合軍の猛攻を凌ぎ、デュークと本国が政治的勝利を得られるまで耐え忍ぶ事のみ!1時間後からまた前線だ!それまでよく休憩しておくように!」
曹長は軽い激励を飛ばした後に、士官たちの会議に参加すると言い残して、塹壕を歩いていった。
「そ、それじゃあ私は、野戦病院の手伝いに行ってきますね」
衛生兵は頬を赤らめさせながら適当な言い訳をし、曹長の後を付いて行った。
二人を見送った分隊員は、思い思いの感想を述べる。
「衛生兵は相変わらず見てて癒されるニャ!」
「確かになぁ。せやけど、曹長って歳いくつよ?この前の戦役参加したゆうてたから、40?50?。歳の差かなりあるんちゃうか?」
「確か40前後だぜ。この前本人が言っていたが、義勇兵として参戦したニーズヘッグ戦役。いや、この場合は第一次ニーズヘッグ戦争と言うべきだな。第一次ニーズヘッグ戦争当時では、20代中頃だって話だ。逆算して今は30後半から40前半ぐらいの筈。歳の差にして15くらいか?」
「歳の差15かぁ。まぁウチとしては、ギリセーフやな」
「通信兵は、歳いくつだっけニャ?……え、20ちょうど?…………お姉さんが童貞貰ってあげようか?」
「おい、年増。語尾付け忘れてんぞ」
「デリカシー無いオッサンは黙ってるニャ!」
「俺はまだ20代だ!」
彼は歩く。下水道での出来事など、彼の朦朧とした意識の中には残っていなかった。彼の心に残ったのは、己の人生に対する諦観と焦燥。過去に対する哀愁と、一抹の寂しさだけであった。
彼の目に映る街並は、白黒のサイレント映画よりも味気無いモノであった。だが、今の彼にとっては、そんな陳腐な喜劇にすら、憧憬を覚えるほど、彼の世界はひとりぼっちであった。
通りには子供を連れた家族。肩を組み酒を飲み交わす男達。スーツを着た証券マン。どれも彼にとって有り得た世界線。
彼は気付けば泣いていた。40にもなるいい歳した大人が、声を潜めて泣いている。それは過去を思い出したが故か、現状に対する絶望故か。だが、誰も彼に声などかけない。彼は独り、道半ばで佇むのであった。
時計の針は戻らない。彼に語るラジオは無い。彼の時間は止まったままだ。
「雪だ」
曹長が薄暗い空を見上げて呟いた。
だが、誰もそれには応えない。一目チラリと空を見上げるだけで、彼らの中に会話は生まれなかった。
あれから約半年。第三混合魔法分隊は疲弊しきっていた。勝利の見えぬ戦、下がり続ける防衛線、耳にこびりついた砲撃音。彼等は今、自分達が居るのが、前線か補給基地かの区別もつかぬ程に、戦場と死臭に慣れてしまった。
「次の集合は36時間後だ。それまで各自、自由行動とする。以上、解散」
目に光が失われた曹長は、それだけ言うと指揮所に向かった。
「私も上がります。お疲れ様でした」
「俺も休むわ。魔術兵、行こうぜ」
「ほなまたな。しっかり休めよ」
声に気力がない彼等は、一言だけ言ったら去っていき、残されたのは彼と機関銃手だけになった。
「じゃあ、私達も行こっか。早く身体洗いたいし」
語尾を付けなくなった機関銃手に、彼は、猫真似はいいのかと、からかった。
「えぇ…でもまぁ…。君がソッチの方が好きだって言うなら、仕方ないニャ」
そう言って二人は手を繋ぎ、臨時の宿営地に向かっていった。
「皆さんに、言わなくてはならない事があります」
冬が明け、春の兆しが見え始めた頃。久し振りに戻ってきた補給基地にて、衛生兵は神妙な顔をして発言した。
分隊員の面々は顔を見合わせ、誰が聞き返すか目で話した。そして、女性陣を代表して魔術兵が聞いた。
「なんや、言うてみ。魔法に問題でも起きたんか?」
魔法は分かっていない事が多すぎる。例として、精神状態に異常をきたすと、正常に発動しない事が報告されているが、もしかしてそうなのだろうか?衛生兵は戦場に来てから1年が経つ。あり得ないことではない。
「いえ、妊娠しました」
……全員が意味を理解するのに数秒かかった。殺しに慣れすぎた彼等にとって、それはあまりにも未知の言葉だったから。
そして全員が曹長を見た。
めっっっっっちゃ複雑な顔をしてた。
此処に来て結構な月日が経った通信兵は、その理由を察していた。1つ目は妊娠させる事は基本的にNGだから。2つ目は衛生兵が抜けたら、死亡率が上昇するから。3つ目は子供の誕生が嬉しいから。そして、最後に4つ目。彼女を後方に送れるから。
だが、そんな曹長の葛藤も、女の友情の前では塵同然であった。
「なんや、朗報やないか。心配して損したわ。はよ下がって産んでこいな。新しい衛生兵の補充はされるだろうし、ウチらの事は気にせんでエエよ」
「そうだニャ!殺す事しか出来ないニャー達が、なんの為に戦ってると思ってるニャ!目的と手段を履き違えるほど、ニャー達は馬鹿になりたくないニャ!」
彼女達に続いて、狙撃兵も便乗した。未だに葛藤している様な、腰抜けと一緒にされてはたまらないのだろう。
「あっはっはっは!そうか衛生兵!此処1年で最高のニュースだ!曹長との子が産まれる頃には、この馬鹿騒ぎも終わってるだろうさ!気楽に俺達の帰りを待っててくれよ!」
そして彼も負けじと懐妊を祝福し、後方に下がることを勧めた。
その日は久し振りに隊の空気が盛り上がり、隊のみんなで食卓を囲った。
曹長は上官に怒られていたけど、これまでの功績を踏まえて注意されるだけで終わったらしい。1つ補足するならば、通信兵はその日から機関銃手にせっつかれる事が多くなった。
そして3日後、衛生兵はニーズヘッグに帰還し、新しい衛生兵が補充された。
3ヶ月後、魔術兵が死んだ。狙撃によって心臓が貫かれたのだ。あの衛生兵がいれば助けられた負傷であった。
その1週間後、狙撃兵が隊を去り、新しい魔術兵と狙撃兵が補充された。
啓かれた知識
旧第三混合魔法分隊
曹長
幅広い知識と第一次ニーズヘッグ戦争を生き抜いた戦闘経験を併せ持つ、臨時の下士官。
衛生兵
治癒に特化した固有魔法を持つ後方向きの人材。だが、本人の強い希望により、第三混合魔法分隊に所属している。
機関銃手
常人より遥かに強靭な魔力回路と魔力量を併せ持つ事で、銃弾の威力を増幅させる攻勢魔術を、長時間稼働させる事を可能としている。
狙撃兵
彼の目は、因子の影響を強く受けた事で、観測魔術と同等の性能を発揮している。
魔術兵
当時のM.M.は専門知識を強く求められた。その為、分隊員全員の身体強化と防御魔術。その他、魔術に関するモノであれば全て担当していた。




