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34話 夢を見た

彼は歩いた。夢遊病者のように、ふらふらと。


錆びた鉄管に錆びた家。黒く汚れた蒸気は何処からともなく漏れている。壁にはスプレー缶で卑猥な落書きがされ、道行く人々は大半が浮浪者である。


だが、そんな小汚い通りの中に、身なりの良い二人組の男が居た。その男達は若く、髪が整えられ、この下層区画では浮いていた。


「Quali sono le previsioni per il futuro? Ci sono segni di ripresa?」


「La chiave sarà vedere se ci sarà un intervento del governo」


彼らは人目も憚らず、エーグルの言葉を話している。彼にはその内容を理解できなかったが、エーグルである事だけは、間違いようの無い事実として判別できた。


彼が二人の男を眺めていると、突如として動悸が早くなり、息が苦しく、ふらついた。


だが彼は慣れているのか、慌てることなく道の端に行き、座り込んだ。


彼はズボンのポケットからしわくちゃになった紙袋を取り出す。中には白い錠剤が多く含まれており、その内から数粒を取り出し、飲み込んだ。


暫くして動悸が収まった彼は、ふと、顔を上げ、道行く人々を眺めた。聴こえてくるのはエーグルにオーロニアン。そして、名も知らぬ多様な異国の言語。


そして彼は思うのだ。"俺の住む世界は、何時から変わったのだろうか"と。


部屋の時計は止まったままだ。


彼は思い出す。あの暑かった夏を。






「…きろ………起き………起きろ!!!」


彼はハッと目が覚めた。聴こえてくるのは彼を揺さぶる曹長の声。そして、飛び交う銃声と着弾する砲撃音。空は魔術に焼かれ、地は悲鳴を上げている。


そうだ、俺達は塹壕に身を伏せ、飛び交う攻勢魔術に耐えていたのだ。


「気が付いたか!通信兵!起きたならば至急伝令送れ!防衛線は突破された!第三混合魔法分隊は撤退する!」


30代だろうか。白髪に青い瞳の曹長が、鬼気迫る様相で命令する。曹長の手にはボルトアクションの突撃銃である"Gawer 72"が握られ、腰にはいくつかの手榴弾を装備している。


頭を触れば、ヘルメットには穴が空いており、手に血が付着した。


俺は頭を撃たれたのか?


死の恐怖が足を伝い、無意識に血に濡れた手が震える。


「落ち着いて下さい。通信兵。傷は治しました。貴方は死にません」


土と血に汚れた長い金髪に、金色に輝く瞳。戦場の天使である衛生兵だ。彼女は塹壕内で取り回しの良い骨董品のリボルバーを片手に持ち、もう片方の手は魔力で発光している。


「起きたならサッサと仕事するニャ!通信入れないと逃亡扱いされるニャ!」


茶髪に猫の尻尾が生えた機関銃手は、軽機関銃である"battlefield M2"で広範囲に弾幕を張り、侵攻を牽制している。


「不味いな、他の部隊も撤退を始めてる。急がないと取り残されるぞ」


茶髪に、瞳が特徴的な十字を描く狙撃兵は、"Schütze-75"を肩にかけ、周囲を観測している。


「ウチもそろそろ限界や。魔力も触媒も、撤退出来るかギリギリのライン。はよ行動せんと手遅れになる」


バックパック型の軍用のM.M.を背負う黒髪の魔術兵は、防御魔術を常時展開し、砲撃を防いでいる。


全員がヘルメットを被り、銃を背負う。そして、彼らの迷彩服は、血と泥と火薬に汚れていた。


ここは979年7月。戦端が開かれてから4ヶ月目の、暑い夏であった。






彼は道の端から立ち上がり、ぼうっとした夢遊病者の様に歩き出した。


彼はただ徘徊しているのではない。仕事に向かっているのだ。最低賃金の、誰もが忌み嫌う、下水道の清掃員として。




「わかっていると思うが、下水道にはクソネズミが出てくる!先週は6番街で一人殺された!武器は携帯したな!では、各員作業始め!」


清掃員達は半自動式拳銃を腰に装備し、斧や棍棒などの近接武器を背負っている。


そして彼等は、下水道の渠に膝丈まで沈殿したドブをスコップで攫い、荷車に投げ入れる。


「おい!お前!しっかり手を動かせ!」


バシャバシャと汚水を撥ねさせて近づいてきた班長は、彼を叱責した。

やれ、動きが鈍いだとか、やれ、生気がないだとか。


だが、彼は構わずに黙って仕事を続ける。


「チッ!テメェ聞いてんのか!監督からも何か言ってやって下さいよ!」


班長は上司である現場監督に話を振った。


「ソイツ義足なんだろ?大目に見てやれよ」


監督者は心底どうでも良さそうに目を向け、それだけ言うと仕事に戻った。




それから1時間。誰もが黙々と作業を続ける中、その異変は起こった。


ガチガチと、何か硬質なモノを打ち合う音。ガぁ゙ガぁ゙と、声にならない低い唸り声。


誰かが叫んだ。


「ネズミが出たぞ!」


彼が掃除する通路の先から現れたのは、人間になり損なった様なカタチをした化け物。髪が生えていない頭部、痩せこけた体躯、剥き出しの歯茎から見えるのは不格好で鋭い乱杭歯。身長は140cmほどで、所々にはげっ歯類特有の灰色の毛が無造作に生えている。まるで、ネズミとニンゲンを混ぜた様な、そんな気味の悪さ。


この化け物はフリークス。ネズミの因子を取り込む事で小型化した、人類の敵である。


クソネズミとも呼称される化け物は彼に向かって我武者羅に走り出し、鋭い爪を振り回しながら聞くに堪えない絶叫を咆えた。


迫りくる脅威に対して、彼の身体は無意識に動いていた。先程までの鈍さなど、まるで嘘のようにピストルを引き抜き、ブレる頭に向かって精確に3発。


その立ち姿、気迫、彼が放つ銃弾とオーラに、他の清掃員は動けない。


だが、それも束の間。彼は瞬く間に薄汚れた清掃員へと戻り、ヨタヨタとフラつきながら下水道を出ていった。


「おい、見たか今の。何者だ、アイツ?」


「えぇと、確か、ウチの班のヤツだけど……なんだっけ、アイツの名前」




下水道から出た彼は、激しい発作に襲われていた。彼はズボンのポケットにしまっていた紙袋を無造作に取り、白い錠剤を数粒飲み込む。






「あっはっはっはっは!なんとか生き残ったな!通信兵!初陣を生き残れたのなら、後は流れで何とかなるもんだ!良かったな!」


ヘルメットを脱ぎ、汗に濡れた髪をかきあげた曹長は、新しく補充された通信兵を褒めた。


「ホントに、良く生き残ってくれました。頭部を撃たれた時はもう駄目かと。角度が浅くて助かりましたが、私の魔法も万能では有りません。以降は油断しないように」


金髪をポニーテールに纏めた衛生兵は、彼の幸運と不注意を指摘した。


「これでお前が死んだら、ニャー達の部隊は通信兵殺しの異名を付けられるところだったニャ!ウチの隊に不名誉を付けてみろ、お前は地獄行きニャ!」


ヘルメットを脱いだ事で露わになった猫耳を手で掻いている機関銃手は、彼をからかう。


「俺は先に行くぜ。いい女は早いもん勝ちだからよ」


狙撃兵は戦場に出稼ぎに来ている娼婦を買いに、足早に去って行った。


「ホンマ、デリカシーないゴミやな〜。もっとエエ言い方ちゅうモンが有るやろ。通信兵はアアはならんようにな」


黒い毛の狐耳を露出させた魔術兵は、まだ年若い通信兵に忠告した。


彼は弱々しい返事を返した。




そして彼は識る事になる。英雄達の物語を。





啓かれた知識

白い錠剤

『薬品名:

セルマース錠 200粒

主成分:

セルトーリン塩酸塩・フォルブース

効能・効果:

うつ病、うつ状態、パニック障害、社会不安障害

用法・用量:

成人には、1日1回、3〜5粒を経口投与する。必要に応じて、10粒まで増量可能。ただし、

〜省略〜

製造販売元:

ルーン製薬株式会社』

しわくちゃの紙袋に印刷された文字


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