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31話 氷雨の一歩。

「え〜、であるからして、触媒における"価値"を決めるとされていた集合的無意識であるCoin説は、紙幣の登場によって否定されたと言われています。……ヒサメ、聴いてる?」


私は伊達メガネをクイクイしながら、ウトウトしているヒサメを呼ぶ。


ここは、私達が宿泊しているホテルの一室。私はヒサメの為に、小さな黒板を持ち込んで授業をしていた。

そして、あの買い物をした日から3日が経っていた。


「ウェンディ〜、これ、必要なんですか〜?コナタは眠くなるだけなのですが」


椅子に座り、ホテルに備え付けられた机に突っ伏すヒサメは、この授業が前提知識程度であり、ここからが本番である事を、理解していないらしい。


「あのねぇ…。今説明してるのは、この後出てくる祝詞を解説するためにも必要な知識なの。特に、奇跡に分類されるような祝詞が中心の魔術の場合は、触媒の"価値"基準を、世界図書館学と混同しないようにって……聴いてる?」


鼻提灯を膨らませる不良トカゲに、私は呆れた。


「仕方ない。今日の授業は此処まで。午後からはジーク部長と初の顔合せでしょ?出かける準備を済ませなよ。私は優雅にカフェ巡りでもしてくるからさ」


私は低能トカゲから目を離して、今日のコーデについて考える。とは言っても、バロックのせいで服のバリエーションは殆ど無いのだが。


(取り敢えず、カフェでカッコよく見える服にしよう。となると、ツァラみたいにスーツか?それか、少しパンクな格好もありかな。前に着てみた時は案外悪くなかったし。でも、トップハットは被りたいな。だったら何時ものフォーマルな格好も捨て難い)


私は姿鏡の前で、次々と服を着替え、今日のコーデを探っていく。私こそ、似合う服を探究する者。なんてね?これでは全世界の女性が該当してしまう。


「よし!決めた!何時もの仕事着で行こう!」


やはり、原点とは頂点。襟から胸元にかけてフリルが付いた白いブラウスに、ピシッとした黒いベスト。下は黒のスラックスと、焦げ茶色のオックスフォードシューズ。左目にはモノクルを掛け、黒のトップハットを被る。


このスタイリッシュな格好は、流行もあるけど、ツァラの影響を強く受けた結果だ。ツァラが何故男装をし始めたのかは知らないけど。


「それじゃあ私は行くから。部屋の施錠は忘れないように。もし、フロントや清掃員を名乗る人が来ても、部屋に入れちゃ駄目だからね」


私はガンホルダーを装着し、ハンガーに掛けてあった黒のトレンチコートを着る。そして、貴重品とM.M.も忘れずに内ポケットに突っ込む。ホテルに貴重品置きっ放しは、流石に怖いからね。


See you(また後) later(でね)!」


オーロニアン(オーロリア語)で出かける挨拶をした私は、眠そうな眼をしたヒサメを置いて部屋を出た。






コナタの名前は甘楽院氷雨(かんらくいん・ひさめ)。絶賛爆走中の遅刻寸前ドラゴンです。


八洲国出身たる者、遅刻は許されません。5分前行動を幼少の頃から仕込まれるコナタ達八洲の民は、時間に厳格だとよく言われます。だけれど、コナタからすれば、外国の方は時間に無関心すぎます。これでは信頼関係の構築など、到底出来っこ有りません。


まぁ、コナタは最初の一歩で躓きそうになっているのですが。


「はぁ…はぁ…つ、着いた、」


時間はッ…!ギリギリセーフ!


ウェンディに借金して買った機械式腕時計を確認して、コナタは安堵した。給料も入ってないのに借金だけが積み上がっていく現状に危機感を覚えますが、ウェンディはなんやかんや甘いので許してくれると思います。…思いたいです。


「確か、このドアポストに、この前貰った名刺を投函すれば良いのですよね?」


コナタは白紙にしか見えない不思議な名刺を投函し、暫し待つ。すると、中から掴みどころの無い御婦人が、扉を開けてくれた。コナタは軽く会釈をした。


室内に入ればやはり薄暗く、誰も居ない。コナタは定期的に背後を確認し、ジークバル部長が来られるのを待つ。




10分後。誰も来ない。


「コナタ、もしかして集合時間、間違えましたか?」


メモ帳を確認するが、書かれている時間とは間違っていない筈。




20分後。誰も来ない。


「探しに行ったほうが良いのでしょうか…」


エントランスをウロウロするコナタは、諜報組織の事務所を見て回る勇気はない。




30分後。誰も来ない。


「…………」


其処にいるのは、エントランスに座り込んでいる一匹のトカゲ、ただ独り。


「…帰るか」




その日、ヒサメと、まだ見ぬジークバルとの信頼関係は崩壊し、彼女はまた一歩、魔都に染まったのであった。


実績解除!ヒサメは時間を守らない奴が居ることを学んだ!






翌日、私とヒサメはデュークの館の正門前にいた。つまり、デュークによる呼び出しである。


「いいかい、ヒサメ。デュークはとても寛大な人だ。ラフな口調で話していいからね」


私は笑顔で教えてあげる。まぁ、私は話さないが。


「嘘を付かないで下さい。この前、公爵は危険な人だと言っていたではないですか。もう忘れたのですか?」


チッ、騙されなかったか。タメ口でデュークに話しかけるヒサメを見てみたかったのに。


「そんな事もあったね。取り敢えず丁寧に話せば問題ないよ。あと、この国のマナーとして、出されたモノは戴くこと。お菓子を振る舞ってくれるだろうから、しっかりお食べ」


「え!良いのですか!コナタの国では手を付けないのが作法でしたので、少し楽しみです!」


勝ったな。


私は、食いしん坊トカゲが罠にかかったのを確信した。


「へぇ〜、ソイツがテメェのペットか。随分とデケェじゃん」


私達が駄弁っていると、ナーナが迎えに来てくれた。私よりも背が低くてぺったんこのナーナからすれば、背が高くてスタイルの良いヒサメは羨望の的だろう。


「ウェンディ!メイドさんですよ!初めて見ました!」


今の時代、メイドなんて絶滅危惧種だろうしね。本物のメイドが現存しているのは、この国で封建制が維持されてる事の数少ないメリットかな?


「ケケケッ、随分と元気なトカゲだな。オレは好きだぜ。元気なヤツ」


ナーナは正門を開けて、私達を案内する。


「聞きましたかウェンディ!オレっ娘ですよ!オレっ娘メイド!コナタの国では御伽噺(おとぎばなし)です!」


ヒサメは私の耳元に、コソコソと話しかけて来た。


「はい、はい、よかったね」


私からすれば、なんの新鮮味もないナーナについて、語る事など無い。


ヒサメは私が相手にするつもりが無いと分かったのか、庭園を眺め始めた。


「流石は模範となるべき貴族の屋敷ですね。秩序立っていて美しいです」


幾何学模様の庭園や、左右対称の屋敷を言っているのだろうが、現当主であるデュークの内情を知っている私とナーナは、つい、むせてしまった。


「ゲホッゲホッ、いや〜、その、感動してるとこ悪いんだけどさ。デュークは、秩序とは正反対にいる人だよ」


「そうだぜ、デカトカゲ。この庭も館も、どっちも前当主の趣味だ。今代のデュークが改装をして無いのも、興味が無いからそのままにしてるだけだぜ。あんまデュークに期待すんなよ」


私とナーナは、ヒサメが想像しているような、法令遵守で清廉潔白な貴族像を壊しておく。


「え?じゃあ、悪政を敷いてる人なんですか?」


最もな疑問だが、私は回答に詰まる。


「ん〜〜、悪政と言えば悪政だけど、敷いているかと言えば、敷いてない」


もはやナゾナゾである。だが、ナーナは理解したのか、頷いている。


「デュークの統治を悪だと言うのなら、それは本質的に、人民が悪って事になる。オレは人ってヤツは、本質的に悪だと思うけどな」


ナゾナゾに続いて哲学である。トカゲの頭ではクエッションマークが量産されている事だろう。


「ほれ、着いたぜ」


私達一行は、趣のあるデュークの館に到着した。


「ゴホン、それじゃあ挨拶するか。…ようこそ、カンラクイン・ヒサメ。オレ達グラフ公爵家は、お前の来訪を歓迎するぜ」


口調に反して綺麗なカーテシーを披露したナーナは、深い赤みを帯びたマホガニーの玄関扉を、恭しく開けた。





啓かれた知識

国家

アストラリス帝国

アストラリス人、アストラリス語

封建制国家であり、帝国主義。

備考:最近は戦争に負けて財源がツライ。


エーグルドレ大王国

エーグル人、エーグル語を含む多様な言語

連邦君主制であり、国家主義。

備考:人口、面積、共に最大。民族問題を抱えている。


オーロリア王国

オーロニアン(人種名)オーロニアン(言語名)

立憲君主制であり、議会制民主主義。

備考:歴史的な背景により、多くの地域でオーロニアンが話されている。


八洲国

八洲人、八洲語

立憲君主制であり、軍国主義。

備考:少し前に戦争で負けて以降、経済が低迷中。

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