3話 始まり
「ふぁ〜」
大きな欠伸をする私に、カーテンの隙間から差し込む天使の梯子が、今日の始まりを祝福してくれる。
ん〜と腕を伸ばし、身体をほぐしていく気持ちの良い朝。
ここは街の中心から少し南寄りにあるアパートの一室。1LDKの我が城だ。
昨日は少し飲みすぎたかと、脳みそに残っていた酒の妖精が頭をつついた。
水を求めた私は、ベット横の小テーブルに置かれた水差を持ち上げ、直接喉に流し込む。
「ぷはぁ〜!…よし、起きた!」
完全に目が覚めた私は、日課のルーティンを行う。
まずは身支度。歯を磨き、着替え、髪を編んだら、どこに出しても恥ずかしくない私の完成だ。
最後に、姿見の前に立ち最終チェック。
そこには、長い金髪をシニヨンに纏め、澄んだ空色の瞳はパッチリとしている私。
綺麗な二重に、色白の肌。大人になりかけている容姿は、紛う事なき美少女といえる(自画自賛)。
服装はラフな白シャツに、黒のスラックス。
一見して出来る女感を出すのが、私のお気に入りだ。
自分に合格を出せたら次のステップ。
「よいしょと」
身体をベットの上に置き柔軟体操。
これはキッチリ10分行う。
最後はK&K28の点検だ。昨日帰ってきてから、全部分解して整備したとはいえ、毎朝行っている簡易点検は必須作業だ。接合部、シリンダー、ライフリング、刻印された文字と、目視で確認をしていく。動作確認も忘れない。
心行くまで.45口径の愛しき相棒を堪能していたら、腹の虫が鳴き始めた。
今日の朝食は、トマトにチーズとベーコン。主食のライ麦パン。
そして山盛りのマッシュドポテト!
やはり芋!
ヨルムンド大陸のソウルフードたる芋は、朝昼晩、たとえ刑務所内だろうが必ず食卓に並ぶ!
「芋を作った此の世の農家全てに感謝を!」
朝食を美味しくいただき、食後の珈琲で一服する。
そして、今日は何をしようかと、未定の脳内スケジュール表に予定を詰めていく。
時刻は10時30分。
服を買おうか、スイーツ巡りをしようか、脳内で議会が開催された。
しかし、野党の一人が「昨日の船乗り殺しの件は大丈夫か?」などと野暮なことを言ったせいで議会は解散。
急遽軍事会議が執り行われ、満場一致で偵察を行う事が決定した。
ため息をつきながら、右の太ももにガンホルダーを装着し、財布をポッケに突っ込む。
玄関まで行き、壁にかけてあったコートと、黒のキャスケットを装備した私は、港に向けて出発した。
チリンチリンチリンチリン♪
路面電車は蒸気を吹かし、いくつもの歯車を回しながらベルを鳴らせて進む。
停留所についても人足程度には減速するが、止まることはない。完全に止まるより、少し動いていたほうが燃費がいいのだとか。何処かで聞いた雑学を思い出す。
そして、停留所で待つ私達は、後方から下車していく人と入れ替わるように、足早に前方から乗り込んでいく。
乗車料金は一律で600ルド。乗車と同時に100ルド貨幣6枚を出し、支払いを済ませる。
ゴォォォ、ゴトンゴトンと、蒸気と駆動部が奏でる重低音。そして、偶に鳴る警笛を聴き流しながら、私は車窓から見える街並を観察する。
耳が尖った少年は、カゴいっぱいに新聞を詰め込んで自転車を漕ぐ。
屋根がない馬車のような自動車に乗ったウサギ耳の女性は出勤中だろう。
そして、見慣れた変革主義者達はこの世の終わりを演説し、布教活動に余念がない。
両足が熊のようにゴツく、毛むくじゃらな大男はきっと大工で、路地裏にいる浮浪者が吹かしている煙は麻薬だろう。
多種多様な姿形をしている人々が、蒸気と騒音をだす煉瓦や鉄造りの街並を背景に、日常を謳歌している。
「おや?珍しいな」
濡烏の長髪と翼をもった女性だ。
大きな翼を折り畳みキョロキョロする様は、お上りさんを連想させる。ドラゴンとか蝙蝠のような、被膜が剥き出しの翼を持つものは少なく、この辺りでは見かけなかったはず。
すぐに通り過ぎてしまったため、鱗の有無や面相などは確認できなかったが、もしドラゴンの因子が出ているのだとしたらレア中のレアだ。
そんな様々な人を集めるのが港湾都市の良いところであり、私がこの魔都を愛している理由の一つだ。
「終点、終点、港湾入口前、港湾入口前。
乗船をご予定のお客様はニーズヘッグ港ターミナルまで。えー繰り返します。終点、終点…」
そんなこんなで、潮の香りがする目的地に着いたのを、車掌が伝声管を通じて知らせてくれた。
路面電車に別れを告げた私は、水夫がいるだろう埠頭に足を向ける。
さっそく情報収集開始といこうか。
見えてきたのは、大量に積まれた木箱の群れだ。
私の身長よりも少し高い木箱の群れが、規則正しく配置されて積み上がり、埠頭一面に格子模様をなしている。
近くには港湾管理局の事務所や、いくつもの大型倉庫に警備用の詰所と、貨物船の運用に必要な施設が勢揃いしている。
泊地には帆が畳まれた木造の商船がお行儀よく並び、そこから荷卸ししているのは日に焼けた水夫達だ。
どいつもこいつも単発式のピストルを持っているのが目に付くが、実はこれ、結構異常だったりする。
船乗りといえば、基本的に水夫と水兵の2種類のことを指しているが、そのうちの水夫は銃を持たないからだ。
銃は重いだけじゃなく繊細だ。
日頃から潮風に晒される仕事をしている水夫らにとって、銃は持ち歩くだけで故障のリスクがある。現に今も、所持しているのは構造が単純な単発式拳銃だけだ。
また、この都市における水夫と水兵の見分け方は簡単で、群青色のネッカチーフ巻いていたら水兵だ。
白のセーラー服を着ていることもあるが、群青色のネッカチーフは特別であり、彼らのアイデンティティと言っても過言ではない。私服で出掛ける時だって身に着けている奴がいるほどだ。
そんな水兵諸君はバディを組んで見回りを行なっているらしく、装備はベレー帽にセーラー服。銃床の木目が綺麗なボルトアクション式ライフルを背中に背負い、サーベルを腰に帯びている。
「ふむ、どうやらかなりの厳戒態勢のようだね。誰かに話を聞けたら良いんだけど」
辺りを見回すと、木箱に寄りかかりながら駄弁っている水夫のおっさん2人。
「アホイ!おじさん達!今いいかい?」
「なんだぁ?嬢ちゃん?」
頭頂部が寂しそうな茶髪をしている小太りのおっさんに話しかける。
「みんなピリピリしているみたいだけどさ、どうしたんだい?」
「あぁ…そりゃあなぁ…」
少し言い淀む小太りのおっさん
「殺されたんだよ!人死が出たんだ!人死が!しかも水兵に!」
対照的に、黒髪の痩せ気味なおっさんは話したいのか、興奮気味に捲し立てる。
「そのせいで皆ブルっちまってんのさ!とうとう黒死会が攻めてくんじゃねぇかってな!だけどよ?オレァビビっちゃいねぇぜ?マフィアなんてのはヌルイ陸で銭勘定ばっかの軟弱モン共だ!海の男が負けるわけねぇ!」
「あははは!そりゃあ、勇ましいね!」
「そうだろう!そうだろう!オレにかかれば奴らなんぞ、船体にくっつくフジツボと同類よ!ところでよぉ、このあと時間あったりしない?な、なぁ、もしよかったらお茶でも」
ナンパのお誘いが出てきたあたりで撤退することに決めた。
「ごめんねー?この後お仕事でちょっと忙しくてさ」
「あ、あぁそうか」
明らかに落ち込む彼。
「最後に一つ聞きたいんだけどさ、"パイロット"から何か今後の方針とかの通達きてた?」
小太りの方に話を振る。
「いや、警戒態勢にしとけってこと以外何も来てない。キャプテンは今、海にいるはずだから、もしかしたら今回の件をまだ知らないのかも」
「そっか。ありがとう。Have a nice day!」
「You too!」
リップサービスで笑顔を見せながら離れ、今の話を考察しながら埠頭をブラブラ歩く。
(まさか殺されたのが水兵だっだとは、予想の範疇とはいえ少し驚いた)
水兵は全員ディーラーである"キャプテン"の手下であり、"パイロット"という組織に属している。
(その頭であるキャプテンが海にいる今、水兵が陸で殺されたのは隙を見ての奇襲か?それとも偶然?ドクターの動きが読めない。どちらにせよ、キャプテンがいない今、パイロットの連中は大きくは動けまい。やれることなんて警戒態勢くらいか。ただ、キャプテンが帰港したら荒れるのは確実だな。それに、キャプテンが乗る船には通信設備があるはず、だったら…)
思考の海で泳いでいたら、突如として轟音が港に轟いた。
啓かれた知識
水兵
『この魔都は条約により海軍を保有していない。水兵と呼ばれる彼らはすべてパイロットと呼ばれる組織の兵隊であり、トップであるキャプテンの私兵でもある。
実質的な海軍の役割もこなしており、群青色のネッカチーフは一人前の証としてキャプテンから直接授与されるそうだ。
読者諸君が港で迷ったら、ガイドブックを開くより、ネッカチーフを探すべし。』
危険な魔都ガイドver12.0コラムより一部抜粋