26話 職場見学
急いで走った私達は、ニーズヘッグ統計調査委員会と彫られた看板を入口に掲げた、5階まである事務所に到着した。
建物の外観は、ロック事務所とは比べ物にならないほど清潔に保たれている。アール・デコを取り入れた幾何学模様の装飾と、実用性を重視した構造は、周囲の派手な建築群と比べ、落ち着いた雰囲気を醸し出す。
ホテルを出る時に、事務所に案内するとしか教えられていないヒサメは、予想以上に重厚感のある事務所に気後れしている。
「あの、ウェンディ、ちょっと待ってください。想像していたのより、かなり立派というか、壮観と言いますか。薄暗いことやってる人達がいる建物とは思えないんですけど。それに、まだ詳しいこと聞いてませんよ」
品の良いシックな入口である両開きの扉の前で、イヤイヤ期を発症する自称大国出身トカゲ。
私はため息を付きながら解説してやる。
「ここは統計調査委員会。業務内容は名前の通りだよ。だけどちょっと特殊な立ち位置で、議会じゃなくて公爵家によって運営されてる。だから、議会の下に位置するような普通の公共機関よりも金回りが良いの。お陰で事務所は立派だし、活動費に困ることも無い。ヒサメが就職出来れば給料安泰ってわけ。わかったら行くよ」
私は表向きの紹介だけして、扉を3回ノックした。そして流れるように、ドアポストに白紙の名刺を投函する。
それから一分程待てば、中から特徴の無いオジサンがドアを開けてくれた。
「ヒサメ、入るよ」
私はヒサメにひと声かけてから、屋内に入る。
中は薄暗く、木製の内装とシックな色合いの絨毯は、心を落ち着かせる。広いエントランスには人がおらず、開けてくれたオジサンも、気づいたら居なくなっていた。
一見寂しさも感じられる雰囲気だが、モノクルの魔術を起動すれば、多数の監視用魔術道具が稼働することで飛散する、魔力光が飛び交っている光景が見える筈だ。
「ウェンディ、なんか怖くないですか?ここが本当に公共機関なんですか?お化け屋敷予定地と言われても信じますよ」
私の背中に張り付いているトカゲは、あたりを警戒しコソコソと話しかけてくる。
その時、突如として背後から声をかけられた。
「ようこそ、ミス・甘楽院。歓迎しよう。そして久しいな、ミス・ウェンディーナ。壮健であったことは聞いている」
低く重厚な、それでいて落ち着きがある声がした。私達はその時に初めて、その人物が背後に立っていることに気がついた。
「ビャ゙〜!ゆゆゆ幽霊!」
私の耳元で絶叫したクソ迷惑トカゲ。
私は耳を押さえながらゆっくりと振り返る。
そこには美しい白と黒のコントラストの羽毛が生えた、シマフクロウの頭をした男性がいた。身長はおよそ2m弱。スラリとした体系は引き締まっており、明らかに質の良い背広を着て、手には白手袋をはめている。目立つ容姿かつ、近くに居るのに存在感が希薄に感じるのは、何かしらの魔術的要因のせいだろう。
「お久しぶりです。室長。お元気そうで何よりです」
私はフクロウ頭のせいで年齢が分かりづらい室長に向かって、手を差し出す。
「うむ。報告自体は受けていたが、実際に会うのは1年ぶりか。初めての長期に渡る任務、ご苦労だった」
彼の硬い手としっかりと握手をした私達は、お互いに少し笑顔を見せる。室長の笑顔は、猛禽類として猫を食べようとしている様にしか見えないが、笑ってくれている筈だ。多分。
私達が再会を祝っていると、放置されたヒサメが、ツンツンと脇腹をつついてきた。
「ウェンディ、この御仁は?」
初対面の方に悲鳴を上げたのは失礼だと気づいたのか、頬を赤らめ、ウジウジとしながら聞いてくる。
「この人は統計調査委員会、秘匿調査室室長、ナハトフォーゲル統括官だよ。所謂、巷で言われているところのパンドラのトップ」
私はここまで引っ張ってきた秘密を話す。室長が出迎えに来たと云うことは、ヒサメには全て話しても構わないと判断されたからだ。
「そして私は、秘匿調査室工作部の工作員。所謂スパイってやつさ。魔都の為に働く公僕のね」
ニーズヘッグ統計調査委員会。それはニーズヘッグの人口やGRPを調査し、議会に統計資料を提出する為の組織であると、表向きには説明される。また、議会の圧力に屈しない為に、議会の支配下に無い独立した第三者機関であるとも説明されるが、実際には戦力の保有を制限されている公爵家によって設立された、私兵が集う諜報機関である。
ヒサメは恐る恐る聞き返す。
「スパイ、ですか……ならコナタは、何故此処に連れてこられたのですか?」
自分が口封じに消される可能性を思いついたのか、私の腰に抱き着き、上目遣いで連れてこられた理由を問うガクブルトカゲ。
久し振りに情けないヒサメを見れて、私は自尊心が満たされていくのを感じる。
ちょっと人口が多いだけの国から来た田舎者に、シティガールたる私が負ける筈が無いのだ!
私は菩薩の如きアルカイックスマイルを浮かべて、安心させてあげる。
「大丈夫だよヒサメ。ちょっと剥製になるだけだから」
腰を抜かし、口から泡を吹き出しそうになってる出荷前トカゲ。私の内心は狂喜乱舞である。ヒサメで遊ぶの楽しいー!サイコー!
たが、そんな崇高な遊びも、室長の趣味には合わなかったらしい。
「ウェンディ、あまり友人をイジメてやるな。品格を損なうぞ」
呆れた口調で言われたドが付く正論に、流石の私も反省する。
「それに、甘楽院さんと一緒に働きたいと手紙に書いたのは君だろう。人付き合いが苦手なのは知っているが、好きな子にちょっかいをかける男児ではあるまいし」
腰に手を当てて嘆息する室長。
ヒサメはポカンと私を見上げ、色々理解したのか、段々と口角が上がっていく。
私はトップハットを深くかぶることで、赤くなり始めた顔を隠し、無言を貫く。
「へぇ〜、ウェンディはコナタの事、そんなふうに想ってくれてたんですね〜。なんだかウェンディの毒舌も可愛く思えてきました〜。あれ〜?どうしたんですか〜?顔を真っ赤にして。素直にコナタの胸に飛び込んできても良いのですよ?親猫に甘える子猫のようにねっ!」
コイツっ!好き勝手言いやがって!室長が居なかったら殴り飛ばしてやるところだ!
一応言っておくが、私は誰彼構わずに懐きやすいなんてこと無いからな!ただ、終わりの見えない任務に加えて、長期間親友とも会えなくて、ちょっと寂しくなってただけだから!一人暮らしの社会人が、ペット飼うのと同じ感覚だから!
「ふむ。出会って数日と聞いていたが、随分と親密のようだね。友達の少ない君が良くぞここまで成長したものだ。私は嬉しく思うよ。それと甘楽院さん。これからもウェンディと仲良くしてやってくれ。この娘は一丁前に格好だけはつけるが、中身はまだ幼い。この娘の成長を手助けしてやって欲しい」
「はい!お任せください!不肖氷雨!必ずやウェンディを良い子に育ててみせます!」
鼻息荒くガッツポーズをしている母性本能全開トカゲ。その無駄にデカい乳、もいでやろうか?
「室長、あまりイジメないでください。品格が損なわれますよ?」
段々と落ち着いてきた私は、ムスッとした顔で抗議する。
「ハハハ、そうだったね。では移動しようか。ここで立ち話をするより、茶を嗜みながら話すほうが、よほど品があるだろう?」
歩き出した室長の後を追い、私達は上階にある談話室に向かった。
室長は二人用のソファに座った私たちにダージリンを振る舞い、お互いに一服した後に話し始めた。
「さて、まずはもう一度労っておこう。ウェンディ、1年に及ぶ黒死会の調査ご苦労だった。諜報部から活動報告は聞いているが、工作部としての所感を聞いておきたい。それと、先日戦闘を行ったバロック・ロックの固有魔法も詳細に頼む」
対面の椅子に座っている室長は、腕を組みながら問いかけた。
「はい。判明した黒死会幹部の人数は8名。内、男性6名、女性2名です。ただし、先日の戦闘にて、バロックの死亡を確認している為、現在は7名です」
室長も当然知っているだろう前提情報をすり合わせ、認識の齟齬を無くす。
ヒサメは良くわかっていないのか、頭にクエッションマークを浮かべている。
後で説明して上げるから待ってなさい。
「バロック・ロックの固有魔法は『銑鉄襟帯鉄火ノ呪法』。周囲の物質を支配下に置き、銑鉄に変換する呪いの一種でした。また、彼の経歴を調べた所、バロックの固有魔法が発現したのはニーズヘッグに来てからで間違いありません。それに加え、固有魔法がドクターと同じ呪いに関係する点は、特筆すべき共通項です。偶然であると結論づけるのは危険かと」
室長は話を挟まずに、無言で続きを促す。
「工作部員の見解としては、彼の固有魔法はおそらく高価な物質に対する執着と、ドクターの魂を蝕む呪い。この2点が何かしらの関係性を持つ事で発現したモノと考えます」
本当はもっと詳しく話せるが、それは書面に纏めて後日提出する。今は要点さえ伝えられればそれで良い。
「他幹部の固有魔法は推測できるか?」
室長は内ポケットから紙巻きタバコを取り出し、質問をしてくる。
「いえ。もし仮に、ドクター若しくは黒死会が固有魔法発現のメソッドを確立していた場合でも、呪いに関するモノである事しか推測できません」
室長は指先から出した炎でタバコに火を点け、咥えながら考え込んでいる。私の報告の妥当性と正確性を精査する為だろう。
だが即座に考えが纏ったのか、室長はすぐに顔を上げ、次の話題に移った。
「成る程。ではバロックの魔力構造は後ほど総務部に提出すること。これでこの話はお仕舞いだ。次は甘楽院さんの事について話そうか」
室長は猛禽類特有の鋭い目で、ジッとヒサメを見つめる。多分、威圧してるわけじゃなくて生まれつきの目力だろうけど、ヒサメは完全にビビってる。
「君は就職先を探しているらしいね。ウェンディも共に働きたいと言っているし、どうだろう?うちで働く気はあるかい?」
拒否権があるようで実は無い質問に、ヒサメは肯定しか返せない。
「は、はい!勿論です!ニーズヘッグの為、誠心誠意お仕えする所存です!」
背筋を伸ばして宣言するヒサメに、私は安堵した。
「ナイスな選択だよヒサメ!君の剥製も見てみたかったけど、借金返済を優先してくれるなら、それはそれで良いからね!」
ヒサメの給料は故郷への仕送りと生活費。そして私への借金返済で全て消える予定だ!これは法に則って結ばれた正式な契約だから、室長といえど文句は言えまい!
だが、ヒサメは本気にしていない様子。ニコニコ笑顔を浮かべて煽ってくる。
「はいはい。構って欲しいのですね〜、ウェンディーナちゃん。これからも一緒に居てあげますから、安心して大丈夫ですよ〜」
「フシャァー!」
ウェンディは猫パンチを繰り出した!
未強化の猫パンチはタワワな胸部装甲に弾かれ、ダメージを与えられない!
「そのデカい脂肪!もいでやろうか!!?」
「素直に甘えれば良いと、コナタは思うのですよ〜。子猫ちゃん?」
私達がギャーギャーとじゃれつく様を、室長はタバコを吹かしながらのんびりと眺めている。多分だけど、人間性を観察している気がする。
そして、私達が取っ組み合いを始めた辺りで、室長が存在をアピールして仲裁した。
「ああ、それと甘楽院さん。これからは私の部下になるのだから、ヒサメ君と呼ばせてもらうよ。ヒサメ君にはこの後、簡単な説明と試験を受けてもらう。それからウェンディ、デュークが君を呼んでいる。逃げずに館に行くように」
ディーラーの下に行けという無慈悲な通告に、私は泣いた。
啓かれた知識
ニーズヘッグ統計調査委員会秘匿調査室
表向きの業務を遂行する委員会を隠れ蓑にすることで設立された、諜報組織。
いくつもの部署に分かれており、総務部、諜報部、工作部、人事部、警備部、情報及び戦略分析部、技術開発及び研究部、倫理部などがある。
また、この他にも特殊作戦を行う場合、臨時のオペレーション部が設立される。
各部署の詳細な情報は一般の職員には共有されておらず、全貌を知るのはナハトフォーゲルとデューク、作戦の立案を行う一部の総務部職員のみ。
長年に渡る公爵家の全てを見透かす情報収集能力と、存在だけが推察される諜報組織は、資本家や有権者達に畏怖の念を抱かせた。
故に、「暴けば希望が見える筈の、絶望のベールに包まれた諜報組織」という仄かな希望と無力感を込め、一部の者は"パンドラ"と呼ぶ。
補足:議会の圧力とは、議員の政策を良く見せる為の恣意的な数値の改竄や、偏向調査、議員の思想によるバイアスなどが介入することを指す。




