19話 第一種低E級魔術道具M.M.
飛んでくるでかい鉄の塊に、建物を巻き込みながら進む黒鉄の濁流。余波で暴風を生み出すバロックの拳と、危険いっぱいな状況から私は全力で脱出を試みる。
つまり逃げている。全力で。
え?戦わないのかって?無理を申すな。
触媒もないし予備の弾薬もない。ハンスを撃つのに1発使って、バロックの装甲の硬さを確認するためにも1発使ったから残り4発。
何より、攻勢魔術を使うためのM.M.がないのがかなりツライ。
M.M.は魔術陣が刻印された彫刻板を収容する容れ物の事で、様々な機能があるが端的に言うと事前にセットした魔術陣の祝詞をほぼ0にしてくれるスグレモノだ。
魔術を行使する際は祝詞と魔術陣のどちらか、もしくは両方が必要だが、どちらか片方だけで行使するのは非常に難易度が高い。その為、祝詞と魔術陣のハイブリットで運用するのが一般的だ。
逆に言えば、事前にほぼ完成された魔術陣さえ用意しておけば起動の祝詞はとても短く済む。というのが現代魔術の真髄であり、それを補佐するのがM.M.のコンセプトだ。
私謹製のM.M.は強力な魔術陣が多数セットされており、本来であれば今使ってる身体強化の補助魔術もM.M.を用いて行使するのが正しい。お陰で背中が熱い。
路地裏を壊しながら進む私達の戦闘は、完全に鬼ごっこと化していた。
バロックが放つ頭ぐらいはありそうな鉄塊は高速で飛翔し、壁に張り付く錆びた鉄の配管にぶつかった。穴が空いた配管からは熱せられた蒸気が鋭く噴出し、近くにあった計器は圧力が下がった事を示した。
さらに、バロックの足元から湧き出る黒鉄の濁流は、木造も、煉瓦造りも、鉄もコンクリートも関係なしに、道中全ての建造物を飲み込んでゆく。
「生成量がおかしすぎる!いくら魔法といえど法則を無視しすぎだ!」
バロックが魔法で飛ばしてくる鉄塊を避けながら、私はジグザグに路地裏を走る。
道中に転がっている木箱や樽、金網の柵にゴミ回収ボックスと言った障害物をパルクールの要領で飛び越えながら自宅のアパートを目指す。
私が路地裏のように狭く薄暗い道を転ばずに走れるのは、ひとえに私の発現因子が猫だから。
人より発達した脚の筋肉は緩急を小刻みに入れ、トップスピードとターンを繰り返す。
そして全身の関節は柔らかく、壁を蹴っての空中移動を可能にした。
さらに、瞬発力にも優れた瞳は夜目も利き、薄暗い路地裏をしっかりと見通す。
そんな猫の因子に想いを馳せていると、今は亡き我が尻尾が恋しくなる。
「痛っ!」
無駄なことを考えていたせいか、左肩に鉄塊が被弾し深い裂傷を負った。
私はチラリと後ろを振り返り、ガシャンガシャンと五月蝿い音を立てて爆進するバロックを睨みつける。
黒鉄の濁流の高さは3m近くまで達しており、バロックも飲み込み一体となって迫ってくる。
「死ね!ストーカー野郎!こっち来んな!」
当たりそうになった鉄塊を銃撃することで撃ち落とし、左腕をだらんと下げた私はなんとか逃走を続ける。
そして鬼ごっこは遂に大通りにまで舞台を移した。
路地裏から跳び出した私は大声で叫ぶ。
「フリークスの変異種が出だぞ!気を付けろ!」
私の法螺を信じた民衆の半数は悲鳴を上げて逃げ出し、何人かはM.M.を起動して、残った大半の人間は銃を構える。
そして狭い路地裏から瓦礫を巻き上げ、建物ごと吹っ飛ばしながら出てくる黒鉄の濁流。
「はぁ?!あれがフリークスだと!?変わり過ぎだろ!」
キューブ型のM.M.を構えた男性が、民意を代表するかのように私の法螺にツッコむ。
だがやる事は変わらないのか、武装した民衆は銃撃音を響かせ突如として市街戦が勃発した事を周りに知らせた。
彼らの戦闘が開始した最中、闘いの元凶を連れてきた私は何食わぬ顔でその場から逃げ出す。
「あとは任せたぞ有志諸君!私は帰る!」
身を屈めることで逃げ出す民衆の人混みに紛れた私は、身体のスペックをフル活用しスルスルと人混みを掻き分けていく。
「いやはや、自主的に戦ってくれるとはなんと正義感の高いことか!この街も捨てたもんじゃないね!」
後方で魔術が炸裂し、爆風が吹き荒れるのを感じるが無視して進む。
咄嗟に自衛行動を取っただけの彼らは冷静になったら逃げ出すだろうが、新しい肉壁としての役割を充分果たしてくれる。
私の自宅である3階建てのアパートはここから近く、路地裏の鬼ごっこが長距離続いたことを実感した。
それから暫く走り、戦闘音が小さくなる程離れたところで、私はアパートに辿り着いた。
赤錆が目立つ階段を上り、最上階の角部屋にある扉を無遠慮に開け部屋に入る。
「ただいま〜」
適当に挨拶しながら誰も居ない暗い室内をブーツを履いたまま歩き、棚から予備のM.M.を取り出す。
【3番術式起動】
懐中時計型のM.M.に付いているツマミを回し、治癒術式をセットした私は左肩と焼き爛れた背中を治療する。
「ふぅ…疲れた。だけど取り敢えず何とかなる目処は立ったかな」
術式が起動する事で光が漏れているM.M.を片手に室内を歩きまわり、戦闘の準備を整えていく。
リボルバーに弾薬を装填し、コンバットナイフをガンホルダーに装着する。
食器棚や狭い天井裏に隠してあった様々な触媒をコートの内ポケットに突っ込み、紙幣や通帳もついでに回収しておく。
「え〜と、あと必要なのはこれか」
大半の準備が整った私は、最後に寝室の机の上に置いてある埃を被った1枚の白紙のカードを取る。
「これも随分と久しぶりだ。なんか汚いけど大丈夫だよね?」
1年ばかし机の奥に放置されていたカードは、本来は真っ白なはずが少し日焼けをしている。
「さて、そろそろかな」
M.M.に魔力を通し、身体強化の補助魔術を起動した直後、玄関の一帯が破砕音を鳴らしながら叩き潰された。
「黒死会の幹部サマはノックも出来ないのかい?」
そこにいたのは濁流の容量をかなり減らし、ヒト型だと認識出来る様になったバロックだ。
「貴様が礼節を持って接しでもらえるほど崇高な人間だったとは、自惚れが過ぎるんじゃないか?ウェンデル・フェアラート」
「薬売りを自称するイタイ奴よりはよっぽどマシだけどね」
鼻を鳴らしながら馬鹿にしてやる。
「グハハハハ!········ほざくな魯鈍の愚物」
「あはははは!私との"価値"の差を理解させてあげる!感謝してね?白痴に劣る鈍才」
私は黄金に輝くリボルバーを構え、バロックは黒鉄が湧き出る片腕を突き出す。
【プレイ・バカラ!ベット、金貨30枚!】
【万物悉く鉄中錚錚に塗り潰せ、銑鉄襟帯鉄火ノ呪法】
啓かれた知識
バロック・ロック
年齢67歳、身長2m11cm、体重180kg、因子は熊(実は小さな尻尾が付いている)
ブランブロックに生まれ、21の時に町を去る。
35の時にニーズヘッグに流れ着き、裏の商売をする為に黒死会の傘下に入った。
固有魔法が目覚めたのはドクターと初めて対面した時であり、その後に幹部まで上り詰める事になった切っ掛けでもある。
自身の生まれに強いコンプレックスを持っており、人の"価値"は金銭や資産などが重要であるという物質主義に近い価値観を持っている。
黒死会の幹部の中では相対的に穏健であると言えるが、価値観の相違により仲は悪い。




