2話 ハニー&Be
「はぁ····」
ガス灯と店舗の照明に照らされた夜道を、白い息を吐きながら歩く。
2月も終盤。
そろそろ暖かくなる頃かと思いながら、人通りの多い表通りを歩く私は、行きつけの酒場を目指す。
手をコートに突っ込む私は、帰ったら我が愛しき愛銃"リボルバーK&K28"の整備をしなくちゃと、心のリストに書き加えながら歩く。
そして、ようやくご到着。我が愛しき愛酒場…いや、この場合はただの酒場である"ハニー&Be"
カランカラン♪
心地よい入店音を響かせ、いい雰囲気の店内に浮足立つ私は、足早にカウンター席に向かう。
「おばちゃん!ソーセージの盛り合わせとマッシュドポテトを大盛りで!あと、ビアシンケンとシードルを!」
店内の喧騒に負けないように、よく響く声で注文をし、到着を鼻歌を歌いながら待つ。
店内は60人が入れる程の広さで、カウンター席の他にテーブル席や小さな舞台がある。
そして、ビールとソーセージ、それと葉巻のニオイが交わり、木製の内装からは僅かに白樺の香りがする。
天井には白熱電球を用いた照明が設置され、ガヤガヤと煩い店内を静かに照らしていた。
そして今日は運が良いことに、吟遊詩人が来ているらしい。
舞台の上の吟遊詩人は椅子の上で胡座をかきながらシタールを演奏し、この地を探検した開拓者を讃える讃美歌を謡っている。
店内の喧騒を眺めて時間を潰していたら、どうやらお待ちかねがやってきたようだ!
見るからに肉汁がしっかり詰まったいくつものソーセージに、黒胡椒がしっかり効いたマッシュドポテト。
薄く切られたビアシンケンに、オマケで付けてくれるスライスされたバゲット。
そして、主役のシードルも忘れちゃいけない。
最高の晩餐にワクワクが止まらない私は、祈りの言葉も天に投げ捨て、口いっぱいに頬張った。
「くぅ〜!最高に美味しいね!」
瓶に入ったシードルでマッシュドポテトを胃に流し込んでいると、どうやら私に来客らしい。
「よぉ〜!ウェンディ!相変わらずそんなジュース飲んでないでビールを呑め、ビールを!」
この至福の時間を邪魔する鬱陶しいやつは"ビリー"。
元はこげ茶色だろうハンチング帽を煤で黒くデコレーションし、黄ばみと煤でペイントされた汚いシャツを三段腹の上から着たコイツは、私と同じハニー&Beの常連客だ。
煙突に下水道と、正しい意味での掃除屋でもある。
「ええーい!寄るなッ!絡むなッ!鬱陶しい!!私はビールが嫌いなんだよ!」
ビール瓶片手にうざ絡みしてきては、毎度の如く私のシードルにケチをつけてくる面倒臭いオッサンだ。
「ガハハ!相変わらずお子ちゃまだなぁー!ウェンディ!そんなんじゃレディ・アーモンドになれねぇぜぇ!」
「興味ないよ!この酔っぱらいめ!」
レディ・アーモンドとは女の中の女。
ありとあらゆる良い男を、イロイロな意味で乗りこなしたと言われる人物であり、そのおかげで女性の社会的地位が向上したとも言われるレジェンドである。
「ガハハハ!まだまだ酔ってねぇよ嬢ちゃん!そういや知ってるか?下層の教会付近に出たんだとよ、ドクターが!」
この都市は東に港湾があり、街の中心には貴族街がある。そして、貴族街の周りをCの字に囲むように中層区画があり、この酒場も中層に含まれている。
さらに、中層区画の外側を下層区画が占めているが、別に明確な線引きがあるわけではなく、土地代とか、定職につけている人の割合だとかで、なんとなく分けられているだけだ。
実は、この小汚いビリーも、ステータスで言えば中流階級に分類されてたりする。
「まじか、で、何人死んだ?」
「5人だ」
真面目な顔で答えるビリー。
「5人か、5人で済んだのは不幸中の幸いというべきかな?」
「相変わらずおっかねぇったらありゃしねぇ!あのお方たちは、何考えてんだか訳わかんねぇからよぉ」
ドクターとは、この魔都を支配する5人のディーラーの内の1人であり、陸で活動するマフィアや下層階級などを束ねる恐怖の象徴である。
外見はペスト医師そのものだが、身長が3メートルを越え、常に極度の猫背であり、その杖をつくさまは老婆を彷彿させる。
そして、彼の本名、面相、年齢、出身、因子、目的、その一切が謎に包まれている。
ドクターというのも周りが付けた異名であり、分かっているのはただひたすらに強いという事のみ。
その武力を用いて巨大な勢力を築いており、ドクター直参の組織の他に、いくつものマフィアがその傘下に組み込まれている。
彼らは畏怖込めて"黒死会"と呼ばれ、この魔都の裏社会を牛耳っている一大組織でもある。
それに加え、ドクター本人は神出鬼没であり、目撃情報がある時には必ずと言っていいほど死亡報告が同伴する。
そういえば今日、ボスに報告した時にドクターについて聞かれたっけと、少しアルコールが回ってきた頭でふと思い返す。
そして、私の酔った脳みそは、下層区画の南東方面にある教会と、今回の仕事現場である"港に抜けれる地下道"が、それほど離れていないことに思い至った。
「それで、ビリー?誰が死んだか分かるかい?」
「あぁ、聞いたとこによると船乗り連中だとよ。戦争の前兆だったりしてな!ガハハハ!」
「あはは…。かもねぇ…」
いや笑えないよ!港付近で船員殺しとか、冗談じゃない!
一瞬で酔いが醒めていく。
船乗り連中は全員、海運を司るディーラーの支配下にあり、そこの連中は仲間意識が非常に強い。
そして、ディーラー同士はお互いを敵視しあっている。
海と陸で戦争が起きなきゃいいけど…。
啓かれた知識
黒死会
『この魔都において、マフィアとは黒死会であると言って過言では無い。
ただし、厳密に言えば黒死会とは、ドクターをトップに据えた幹部数名が所属しているだけの、少人数の組織であると言われている。
しかし、幹部の実態が不明瞭である事と、傘下にこの街のマフィアの殆どが収まっている事から、傘下のマフィアも含めて黒死会と呼称されることが一般的である。
〜中略〜
路地裏には近付かないこと。
杖に蛇が絡みついたタトゥーを入れている人物を見かけたら逃げること。
渡航者はこの2点を忘れるべからず』
ヌガエ新聞社によって発行された『危険な魔都ガイドver12.0』より一部抜粋