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戸塚警部と密室殺人

 冬の満月の夜、戸塚警部は急ぎ足で住宅街を歩いていた。


 マフラーがなくては外も出歩かれない大寒波に、警部は元来の猫背をよりいっそう丸めて歩く。ボタンをきちんとしめても安物のコートでは、この寒さは如何ともし難く、針のような風にコートの裾が揺れていた。警部はますます足を早めた。人間、寒いときは自然と早足になってしまうものだが、しかし、今戸塚警部の足を早めさせる主な理由は別にあった。


 今日は彼の娘の十歳の誕生日だった。仕事に忙殺される日々。なかなか娘にかまってやれないことに若干の後ろめたさを感じていた警部は、今日くらいは時間を取ってやろう、と考えていた。もちろんその殊勝な行動の裏には、彼の妻からの圧力があったことは否定できない。しかし、人相の悪さに反して存外情に流されやすいのが戸塚警部。子供への溺愛ぷりは捜査一課に属する全課員の知るところであった。本人に自覚はないが。


 娘のプレゼントに、警部はちょっとしたぬいぐるみを用意していた。彼の娘は大のぬいぐるみ好きで、およそ持っていないぬいぐるみなどないというぐらいだったから、変に奇を衒うのではなく、人気のある動物の中から一種選び、一番かわいくて上質なぬいぐるみを送ろうと決めた。そのプレゼントは書斎においてあり、今日の誕生日ケーキの後にどうやって劇的に渡してやろうか、と警部は画策していた。


 家に着きさえすれば。戸塚警部は考えていた。家に着きさえすれば、今日の仕事とはおさらばだ。よしんば、松村のヤツが事件だと言って電話をかけてきたとしても知ったこっちゃない。電話に気づかなかったとでも言って無視してやろう。


 松村とは戸塚警部の部下のことである。今年警官になったばかりの新米だ。


 大体、松村はどうも頼りなくて困る。俺が下っ端だった頃は、上が帰った後に起きた事件なんてのは、てめえで処理したもんだ。もっと粘り腰だった。それをあいつは、全く。

歩きながらかぶりを振り、ここ最近の松村の働きっぷりにひとしきり愚痴を並べると、警部は何か楽しいことを考えようと思った。


 そうだ、なんと言っても今日は娘の十歳の誕生日だ。それはつまり、あいつが産まれてきっかし十年立ったってことを意味するわけだ。何だ。最近口が達者になって生意気言うようになったと思ってりゃあ、おめえまだ十歳かよ。


 やはり娘は可愛いものである。戸塚警部はマフラーの下の口元を緩めた。あと3分で家に着く。


 夜の暗闇を照らすのは月光と街灯ばかりである。今夜は満月だった。アメリカでは十一月の満月をビーバームーンと言う。留学していたときにホストファミリーから教わったことを三十年ぶりに思い出した。警部は家に向かってまた足を一歩進めた。


 その時。携帯の着信音が暗闇に響く。これは警部にとって、死刑の宣告に近い意味を持っていた。プルルルルルルと音は止まない。

 たっぷり8コールやり過ごしたところでもうよんどころなくなって、とうとう警部は電話に出た。


「戸塚だ」


 電話の相手は液晶を見ずともわかっていた。


「警部、コロシです! コロシが起きました!」


 ああ。


 果たして今夜の誕生会に間に合うのだろうか? 可能性は限りなくゼロに近かった。


「ガイシャは毛利徹氏37歳であります」


 警部はムニャムニャ言い訳をして、電話越しで事件の詳細を聞くことにした。これは極めて異例のことである。しかし、聞いたところ殺人事件の現場はかなり遠いらしく、すぐさま現地に赴くことは、到底望めなかった。であるなら、明日にまわしても差し支えないだろう。警部は結論付けた。それに触りを聞いたところ犯人も既に自首しているのだという。尚更明日に回してもいいだろう。警部は結論付けた。


「毛利氏というと、あの毛利氏か」


「はい、あの毛利氏です」


 小さな確認の後、警部は松村に続きを促した。内心、警部はひどく狼狽していたのだが、それを面に出すほど、部下の前で醜態をさらすほど、彼は無能ではなかった。どのような事件においても、淡々と対応していかなけれはまならない。警部は常々そう考えていた。


「あの、警部。どこから話しましょうか」


「知るか、お前で考えてくれ」


「しかし……」


 冴えない。電話越しであることを考慮しても、松村の話は分かりづらい。有能とは言い難い奴だと、とうに諦めてはいるのだが、こういうとき要領を得ないのはやはり困る。


「毛利氏は、アメリカの軍人四名と合同で、まあ、なんと言えばいいのでしょうか、ある種の任務に赴いていたわけです。一応彼らの名前も。ええと……ニール氏、アブラハム氏、ユーリ氏、マクドナルド氏であります。それで自首してきたのがこの中の、ニール氏である、と。この毛利氏、結構優秀な人だったらしいですね。任務地への移動は過酷なもので、アメリカを発ってからの道中の船では、皆ことごとく三半規管をやられて酔っちまったそうなんですが、この人、毛利氏だけは、ついぞ吐瀉することがなかった、と証言があります」


 毛利氏が優秀かどうかなど、事件には関係のない話だろう、何をダラダラと……。警部は内心毒づいた。


「そんなこんなでたどり着いた目的地。なんというか、まあ荒廃した土地だったそうですが、そこにある施設を作る任務だったそうで」


「煮えきらんな。どうしてそう持って回った言い方をする」


「アメリカの軍事秘密にも関わってきますから、正確なことがはっきりしないこともありまして……」


「わかったわかった。今の調子でいいよ」


 面倒くさいなと、思いながら、足だけは動かす。


「はい。で、その任務中に事件が起きたようです。施設を作るために、まずは簡易式のプレハブ小屋を作る予定だったそうです。それで薄い大きな板を四枚、こう地中にですね、鉛直に突き刺すわけです。各辺がピッタリとくっつくように。そうして四方を五メートルもの高さの板で囲んだら、毛利氏が内側から板の一部を切り抜く仕事をする予定でした。実際簡易プレハブを作るまでは順調だったのですが、そこで事件が起きたわけです」


「あぁ」


 戸塚警部は別段信心深いわけでもないが、それでも人が死ぬのはあまり良い気のしないものである。思わず天を仰いだ。街灯と月明かりが、目に染みた。


「この、四方を5メートルの壁に囲まれた内側から、よし板をくり抜くかと毛利氏が機械を取ろうとした瞬間、何者かに背中を刺されたのです。

 毛利氏は死亡。結局、現場から少し離れた船で、刃渡り八センチほどのナイフを持っているニール氏を、その他の、船で待機していた人々が発見。理由を問われたニール氏は、毛利氏を殺すためにナイフを用いたと自供。すぐに警察に連絡が行って、今に至るというわけです」


「そうか……」


 ビーバームーンは綺麗だった。人が死んでも変わらず綺麗に輝く月を見ていると、なんだか命がちっぽけなもののように思われてくる。戸塚は悲しくなった。が。


「それで」


「は、それでと言いますと」


「だから、殺害現場と殺害状況についてもう少し詳しく補足できんのか!」


 一喝する。


「ひっ。わ、わかりました。殺害現場ですね、繰り返しますが殺害現場は簡易プレハブの中、四方を五メートルの板で囲まれた中です。毛利氏は板をくり抜く作業の直前に死んでいますから、この板は完全に無傷です。つまり、一切の瑕疵はなく、表面はつるつるでした」


 次第に松村の声に熱がこもってくる。


「ええ。もちろん、死亡推定時刻はばっちりその時間に合っています。もともとニール氏と毛利氏の二人で、この板をくり抜く作業をする予定だったそうでニール氏は外から毛利氏は中からくり抜く予定だった。四方に板を配置してから、くり抜くまでの一瞬で殺されたわけです。そこで――」


 以下、松村の詳細な説明が続く。やれ、地面は細かい砂は多いが穴をほった形跡はなかっただの。やれ、板を外してつけ直すことは絶対にできなかっただの。


 細かく言えと言ったら、どうでもいいことまで説明する。実に無能なやつである。




【四方をそれぞれ5メートルの高さの板4枚に完全に囲まれており、かつ地下を掘った形跡もなく、おまけに板に何か引っ掛けることは不可能であり、上の吹き抜部分で板を超えるためのいかなる道具も用いた形跡がない。もちろん、板を一度外してつけ直すことは不可能だった。】






 実に楽しそうに事件の詳細を語る松村に、「密室殺人に憧れて警官を目指したんです」と酒の席で彼が語っていたのを思い出し、なるほど、要素を取り出してある種の見方をしてみると、たしかに密室殺人のようだと戸塚警部は納得した。



「ああ、いい忘れていました。一応ですが死因は……」


「言わなくてもいい、わかっとる」


 松村が言おうとするのを警部は遮り、そして死因を口にした。刃渡り8センチのナイフを()()()後ろから突き刺されたのだ。死因はわかりきっていた。


()()()だな?」


 松村が答える。


「ええ、死因は()()()です」











〈読者への挑戦的なお手紙〉


 犯人はニール氏です。

 さて、どうやって殺したでしょうか?

 なるべくフェアに伏線を張ったつもりですが、至らぬ点があるかもしれません。なんせアマチュアです。ミステリ作家がやるところの「私は読者に挑戦する!」への憧れはありつつ、いやいやそこまでの自信はないかなぁなんて考え直した結果、読者への挑戦的なお手紙というなんとも奥歯に物が挟まったような表現にあいなりました。

 どこで真相を見抜いたか、コメントで教えていただけると幸いです。作者拝。


↓ 以下解答篇
































〈解答編〉


 ❶この事件は密室殺人事件ではない。


 作中登場人物は誰もこの事件が密室殺人だとも不可能犯罪だとも発言していない。タイトルで唯一、密室殺人という言葉を使っているが。たしかに、なろうという閉鎖的プラットフォームではタイトルが内容を表す傾向にあるが、しかし、一般に文学作品は本文の内容と全く無関係のタイトルをつけるケースが多々ある。したがってアンフェアにはあたらない。


 ❷この事件の舞台は月面である。


 船 宇宙船


 酔い 宇宙酔い


 任務 月面探査


 地面の細かい砂 月の砂レゴリス


 服 宇宙服


 警部の月を仰ぎ見る仕草、毛利氏、ニール氏などの示唆的な登場人物名。




 ❸殺害方法は以下の通り。


 ナイフを持ってニール氏はジャンプで板を飛び越える。月の重力は六分の一。作業中で背後を見せていた毛利氏の背中を宇宙服ごと刺す。酸素ボンベが破裂し、窒息死。ジャンプで板を飛び越え、囲いの外に出る。状況的に言い逃れできず、自首。




 以上。













〈おまけ〉


 戸塚家の家族が就寝した後、戸塚警部の一人娘、戸塚梨花の部屋には彼の父親からのプレゼントが飾られていた。彼女は父親からのプレゼントを大変気に入り、部屋の中で最も目立つ場所である窓辺に置いた。


 窓辺。


 そこには窓越しに射す月光に白く照らされる、小さな兎のぬいぐるみがあった。





――了

面白いと思ったら、是非! 評価をお願いします。評価が一つ入るだけで、アナリティクスを見た作者は椅子の上を飛び跳ねているのです。

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