それが君の頼みなら
あまりの急展開に立ち尽くす僕の頭の中では、いまだに軽やかな呼び鈴の音色が鳴り続けていた。そんなチリンチリンからトントン、と。固まった僕の緊張をほぐすように叩いてくる柔らかな手。
「取り敢えず、家の中で話そうよ。粉城もいいよね?」
「あ、あぁ」
「わぁ、いらっしゃい!」
そう言われて断る理由もなく、餅宮家にお邪魔することとなった。いそいそと来客用の紅茶の準備などをしている寧々子さんを横目に、ニヤニヤしている餅宮に小声で話しかけた。
「ねぇ…説明して」
「昨日、居酒屋まで迎えに来てくれたお姉ちゃんに、酔い潰れているだろう友達がいるから助けてあげて欲しいって伝えたの。その後は粉城の方が詳しいんじゃない?」
つまり、昨夜の僕の行動は。
「…強がってたのバレてたか」
「流石にね。でも私の前だと意地張るだろうと思ったから。お姉ちゃんに頼ったの」
全て見透かされていたことを知り、曖昧な笑みを浮かべることしか出来ない。そんな僕を呆れた目で見ながら、餅宮は続けた。
「私も最初に飲みすぎた時、お姉ちゃんが介抱してくれたからさ。お姉ちゃんの吐かせ方…上手だったでしょ」
「…餅宮も?」
「…うん、初めて飲んだ日にね」
自分の醜態が全て報告されていると、凄く羞恥心を煽られる。二日酔いのぶり返した頭に手を当てた。
「…そこまで聞いてたのか。忘れてくれ」
「嫌だね。格好つけて強がった罰とでも思ってなさい」
じとっとした視線に降伏した。餅宮が満足気に微笑む。丁度そこへ、寧々子さんが三人分の紅茶と茶菓子を持ってきた。礼を言って、紅茶を一口飲んだ。紅茶の熱さと檸檬の香りが舌先に広がる。
対面に座った餅宮姉妹は猫舌なのか、ふぅふぅと息で少し冷ましながら、紅茶を口に運んでいた。姉妹二人そろって同じ仕草をしているのが面白かった。
「それで、二人は何の話をしてたの?」
「この前の飲み会で、お姉ちゃんが粉城の事助けた話だよ」
「あぁ、あの時の粉城君、意識朦朧で本当に酔い潰れた子の見本って感じだったわね」
「そうそう!それなのに強がってたの!」
目の前で、僕を肴に盛り上がる二人。実目麗しい彼女達の会話が弾むのは結構なのだが、その話題の張本人としては居心地が悪い。しかも、段々と話の内容が、しつこく口説かれていた餅宮を庇って酔い潰れたという美談に変わっている気がする。僕以外の人なら、もっとスマートに解決できた気もするし、こんなに褒められていると恥ずかしい気分になる。
「粉城君、紅茶が飲み終わったならお酒もあるよー?ちゃんと度数の弱いやつだから、安心してね」
二人が話に花を咲かせる中、僕は相槌を打つ作業に没頭していたが、会話を振られたら反応せざるを得ない。昨日の今日だし、少しでも愛想よく返せていたら良いのだけど。
「いや、お酒はしばらく勘弁したいですね」
「粉城は飲まなくてもいいからさ。酔っぱらったお姉ちゃんの相手してあげてよ」
「っ!?」
動揺した僕の指先からカップを抜き取る寧々子さん。
「ふふっ、寧央ちゃん。本人の前で泥酔した時のお相手を頼むのはいかがなものかなぁ。あっ、粉城君の紅茶淹れなおしてくるね」
とんでもないキラーパスが飛んできていた。反射的に断る姿勢に入る。
「あの人の話し相手なんて大役、僕に務まらないよ」
「いや、粉城は聞き上手だと思うよ」
曇りなき眼で視線を合わせてくる餅宮。僕が返答に詰まったところを好機と、更に畳み掛けてくる。
「私、留学行っちゃうからさ。その間、お姉ちゃんの面倒見てくれる人いて欲しい。粉城なら信用できるの」
いつのまにか、面倒まで見ることになっていた。顔の前で手を振って拒否する。
「いや、僕も男だし。そもそも寧々子さんは一人で暮らしても問題なさそうだろ」
台所で紅茶を淹れなおしている寧々子さん。こちらの会話は届かない距離で作業する彼女を横目に確認しながらそう言った。
「いや、あれで意外と、寂しがり屋なところもあるのよ」
餅宮が顔を寄せて小声で囁いた。至近距離にいる彼女は真剣な表情を浮かべていた。
「お姉ちゃん可愛いから、今まで付き合った人は何人かいるけどさ。ずっと男運なくて。だから、本当に心配なの…」
「…僕でいいのか。餅宮がいない間、何をするか分からないぞ」
「粉城はそういう人じゃないよ。一年以上も友達なんだから…分かるよ」
そう言われると僕は弱い。こういう信頼には弱いし、なんだかんだ唯一の友人に頼られて嬉しいと感じている自分もいるのだ。これ以上、頑なに反対し続けるのも野暮だろう。
「…分かった。でも寧々子さん次第だからな。彼女が僕を苦手なのに、無理に面倒見るのは出来ないよ」
「それなら大丈夫!お姉ちゃんは粉城のこと気に入っているよ」
「何でそう言えるのさ」
「…秘密」
餅宮は悪戯っぽく微笑して、その理由を教えてくれなかった。そのまま、湯気が立つカップを手に戻ってきた寧々子さんに声を掛ける。
「お姉ちゃん、粉城がね。私達と一緒に夕食も食べたいってさ!」
「…いや、僕まだ何も言ってないんだけど」
戸惑う僕を置いてきぼりに寧々子さんが顔を輝かせる。
「やったー!じゃあ、出前取ろうか。皆は何を食べたい?」
「私はピザの気分だから、粉城もピザにしようよ、ねっ」
「…強引すぎるだろ。…いいよ、分かったよ。僕は出前頼んだ経験ないから、餅宮のおすすめのピザ教えてくれ」
「ふふっ、ありがと。そうだね、私はこれが好きかな。こっちもありかなー」
「二人とも沢山頼んでいいよ。お姉さんが奢ってあげよう」
やったと、両手を上げて無邪気に喜ぶ餅宮と、彼女の動作に釣られて手を少し上げてしまった僕。何もなかったように手を膝の上に戻すが、餅宮が目ざとく反応して笑った。そんな僕達の様子を見て寧々子さんも笑った。気付くと僕にも笑顔が浮かんでいた。
「じゃあ…僕もキノコのピザが食べたいかな」
「いいね、いいチョイスだよ、粉城」
メニュー表をスマホの画面に映して、三人で顔を突き合わせてピザの種類を選んだ。気付けば窓の外に見える景色は夕焼けで橙色に染まっていた。
出前を頼んでから三十分程経って、玄関の呼び鈴が鳴った。
「じゃあ、私が受け取ってくる」
「お願いします」
寧々子さんが出前を受け取りに玄関へ向かう。浮き浮きした様子で、冷蔵庫を開ける餅宮が目に入った。彼女が振り返ると、学内でも滅多に見せない無邪気な笑顔を浮かべていて。その手にはお酒の缶が二つ握られている。「ほろ酔い」というパッケージまで確認した。
「私の送別会第二幕ってことで。お姉ちゃんは私と一緒に飲みます。粉城は二日酔いだし、ジュースでいいよね。紅茶のままでもいいけど」
「あぁ、ありがとう」
寧々子さんがピザを持って帰ってくる。両手が塞がっていたので、僕は扉が閉まらないように抑えた。寧々子さんが僕の行動に気付いて、微笑んでくれる。
「粉城君ありがとね。はい、寧央ちゃん。お望みのピザが届きましたよー」
「わーい!」
こうして豪勢な料理も届いて、三人だけの宴会が始まった。