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猫と雑魚  作者: ふくマカロニ
雑魚だから臆病なのか、臆病だから雑魚なのか
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宅飲み、良き朝かな

 

 翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日で目が覚めた。時刻は七時半。綺麗に磨かれたフローリングに反射した光が眩しくて、目を擦りながらソファから立ち上がった。


「苦い…」


 昨日は暖を取ってから放置したまま、すっかり冷めてしまった缶コーヒーのプルトブを開ける。漆黒の織りなす苦みが寝起きの脳を覚醒させてくれる。

 今日は休日だが、午後からは塾のバイトがある。午前の予定は特にないが、寧々子さんと共に過ごすことになるだろう。嫌なわけではないが、複雑な思いを吞み込んで洗面所へ向かった。


「そろそろ、寧々子さんも起きる時間かな」


 時刻が八時に差し掛かる頃、二人分の朝食を作り始める。朝食といってもインスタントの味噌汁とお冷といった簡素な物だ。

 流石に簡素すぎると思い、冷蔵庫から卵を二つ取り出した。冷蔵庫の食材は自由に使っていいと許可を得ている。…フィンランドに行った餅宮から。


 餅宮家では、普段の自炊は餅宮が主体で行っているようで、基本的に寧々子さんは料理を作らないらしい。そんな姉を一人で日本に残していくのは確かに不安だろうな、と餅宮の気持ちも分かる。僕は一人暮らしで自炊をするので、餅宮がいない間の食事当番は僕の仕事となった。


「この前、半熟が好きって言ってたような……」


 二人分の料理を作ることは苦ではないし、僕の分の食費まで負担してくれる寧々子さんの厚意はありがたかった。そんな訳で、宅飲みした翌日の料理は僕が作っている。


 じゅわっと目玉焼きの焼ける匂いがした。


「おはよう、いい匂いだねぇ」


 朝食の匂いに誘われたか、寝室のドアが開く音がした。視線を物音の方には向けないように逸らしたまま、挨拶した。


「おはようございます、ご飯出来てますよ」

「ありがと、でも、先にシャワー浴びてくるねぇ」


 間延びした声が浴室の方へと消えた。それを確認して、ぴったりと閉まった浴室の戸を睨む。

 泥酔した翌日の寧々子さんは、あられもない格好で起きてくるから危険なのだ。僕の理性的な意味で。先日、はだけたキャミソール姿の彼女と寝起きで対面した時は、肩口から覗く鎖骨の眩しさで目のやり場に気まずくなってしまった記憶がある。寝惚けている彼女は気にしていなかったが。


「…自分の容姿と、寝起きに男がいる状況に、もっと自覚を持ってほしい…」


 昨日から疲労している心がささくれ立つのを感じる。知らず知らずのうちに漏れた呟きを洗い流すように蛇口を捻った。冷たい流水が手を濡らす。


「…お湯を使ってもいいか、後で聞いてみよう」


 どこまで客人としての領分を踏み越えていいのか、僕だって不安なのだ。たかが皿洗いだとしても、家主の許可を求める人間でありたいと思う。遠慮しすぎ、と餅宮がいたら笑われるだろうが。

 ゆっくりと調理器具を洗い始めた。そのうち浴室からシャワーの音と鼻歌が聞こえてきたから、煩悩を取り払うように水流を少しばかり強くした。


「シャワーあがりました、一緒に食べようっ」


 午前九時頃、浴室からドライヤーで濡れた髪を乾かす音が聞こえてきた。それを合図に朝食の皿を卓に並べる。


「粉城君、今日はバイト?」

「午後二時から三時間ですが、塾の場所が遠いので余裕持って出発するつもりです」


 二人して朝食を食べ終わると午前中の予定を決めた。僕の希望は特に無いので、昨夜に続き、寧々子さんが薦める映画を鑑賞する時間となる。


「あっ!」

「すごいですね」


 嵐で遭難した虎と少年の漂流を描いた洋画だった。有名な作品で一度観たことがあったが、二度目の視聴でも楽しかった。


「うわぁ、虎って迫力あるね。凄く怖いけど、不思議な格好良さもある」

「なんか虎の眼が好きです。格好良くて」

「分かる!」


 一緒に観ている人がいるから楽しいのかもしれない。酔っていなくても、寧々子さんの口数は多く、それに応答する僕の口数も増える。画面に目を奪われながらの会話だけでなく、彼女の反応を見ているのも飽きない。


 楽しいシーンでは満面の笑顔で。

 緊迫したシーンでは固唾を飲んで。

 感動するシーンでは素直に目を潤ませて。


 ワンシーンごとに目まぐるしく移り変わる表情に、気付けばいつも見惚れている。映画に集中している寧々子さんの横顔は、どんな映画の演出よりも色鮮やかに感じた。

 僕が画面に目を戻すと、物語はクライマックスに突入していた。


「一番切ないのは、別れを言えずに終わることだ。ふぅん…」


 映画に見入っている寧々子さんが、画面に浮かんだ字幕をそのまま復唱した。その彼女の呟きに他意は無いだろう。それでも、その言葉は僕の心の奥深くに突き刺さった。


「……」


 自分には、別れを言った経験が無いと気付いたからだ。いつも、僕の人間関係は希薄なままで。

 小学校、中学校、高校と。

 その時のクラス内で出会えば、それなりに話すような友達はいた。それでも、学年、学校が変わるたびに、もう話すことは無い関係だった。

 疎遠になって自然消滅していくだけの関係に、別れの言葉は必要だったのだろうか。


 今、大学生になって。


 親友である餅宮との関係。二週間とはいえ、この寧々子さんとの関係。どちらも、過去の全ての関係と比べても、過去の全ての対人関係を足しても、負けないくらい濃い密度だと感じている。二人とも、僕との関係を大切だと思ってくれていると知っている。こんなに親しくしてもらっていて、それを疑うのは失礼だということも知っている。


 この寧々子さんとの近すぎる距離感が本当に良いか、真剣に思考を巡らせた。


 僕は雑魚だけど、獣にもなり得る危険性がある。虎だか狼だか知らないけど、僕の理性が切れたら、この二人との関係も切れる。


 そんな最悪な形で終わるくらいなら。


 エンドロールが流れ、僕は自分が長考していたことを知る。寧々子さんは号泣していたため、長考に浸っていた僕の様子には気付いていないようだった。目を擦る彼女の姿に苦笑して、机の上のティッシュを差し出す。ぐすっと彼女が鼻をかむ音が居間に響く。


「そんな風にしたら、目が赤くなっちゃいますよ」

「うぅっ、ありがとうぅ…」


 既に赤くなった目元を覗かせて、泣き声の彼女は礼を言った。

後半で二人が観たのは「ライフオブパイ/トラと漂流した227日」という映画です。

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