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猫と雑魚  作者: ふくマカロニ
雑魚は猫と出会う
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始まりは滑稽な思い出


 他人と深く関わることが苦手、そんな僕が初めて大学の飲み会に参加した夜。


「飲みすぎたの?」

「そ、そうっすね……げほ、げほっ」


 綺麗な初対面の女性と二人きりの密室で、僕は人生初めての経験をした。

 こう聞くと、誰もが色っぽい話を想像することだろう。


 だけど現実は。

 年上の女性に居酒屋のトイレに同伴してもらって、半開きの口内にひんやりとした指を突っ込まれて胃の中を吐き出す、そんな滑稽にも程がある男子大学生の姿がそこにあった。


 えっ、美人に介抱されて役得だろって?


 どんなに優しく背中を擦られようとも、こんな酷く情けない体験をしたい訳があるか。僕は脳内で不甲斐ない己への愚痴を吐き捨て、現実で酸っぱい胃の中身を吐き出した。

 ふわふわと意識が覚束ないなか、思ったよりも居酒屋のトイレが綺麗なことに奇妙な感心を覚える。  アルコールを吸い込んだ脳は茹だってばかりで、それ以上の現実逃避を許さなかった。


「っ、おえぇっ……」

「ねぇ…ほんとに大丈夫?」


 優しい声音が頭の中で反響して、ピンボールの様に暴れ回っている。

 自分を気遣っているだろう彼女に、言葉にならない返事をしながら咳き込んだ。

悪酔いで視界は回り続け、追い付いてきた羞恥心で涙も滲む。ふらつきながら立ち上がり、水洗レバーを押して吐瀉物を流し切った。


「もう落ち着いたかな?」


 胃の中を空にした効果はあったようで、掛けられる言葉が意味を成して耳に入るようになってきた。前屈みになった背中を支えられながら、ゆっくりと洗面台へと向かう。


「はぁはぁ……ありがとうございます」


 冷たい流水で口をすすぎ、鏡越しに後方の彼女と目が合う。僕は薄情ながら、そこで改めて自分を介抱してくれていた恩人の姿を目に焼き付けたのだった。


 左右反転した世界に佇んでいる彼女。そこに映る美しさに見惚れてしまった。僕の体感時間が計測を止めて目が離せなくなる。


 鏡越しに向けられる視線は優しく。すっと通った鼻筋と微笑みを浮かべた唇。

 肩の辺りで切り揃えられた艶やかな黒髪がふわりと揺れる。

 上に羽織ったカーディガンの白さが、彼女の綺麗な髪色と対比になっている。


 僕の喉に手を差し込む前に指先を入念に洗っていたため、その袖はたくし上げられたままだった。色白で華奢な腕が眩しく晒されていて。陶器のように滑らかな肌が視界に入り、先程まで自分の舌の上を這っていた冷たい指の感触を思い出して、また恥ずかしくなる。


「あれ、どうかしたの?」


 急に俯いた僕に怪訝そうに尋ねる彼女。何でもない、と無言で手を振った。


「あぁ、意識戻って恥ずかしくなっちゃったか。気にしなくて大丈夫だよ?」


 隠したかった心情を、完璧に読み取られてしまい沈黙する。お酒以外の影響で顔を赤くする僕の手をサッと取り、彼女は微笑みながら下駄箱まで連れ出してくれた。ふらふらと靴を履き替え、ぐったりともたれかかるように戸を押す。


「あっ、会計は済ませてるんで……」

「はーい」


 意地悪な夜風が肌を刺す。スマホを覗くと、現在の時刻は午後10時を回っていた。空には三日月がくっきりと輝いている。


「終電は大丈夫?タクシー呼ぶ?」

「いえ、家が近くなので…大丈夫です」


 これ以上、初対面の人の気遣いに甘える訳にもいかない。自宅が近いのは本当で、建前で嘘を吐いた訳でもないから罪悪感もない。


 そう返事をした後、目の前で肩を震わせている彼女に気付いた。今度は僕が怪訝そうな顔をする番だった。


「ふふ、『いえ、家』かぁ。ふふっ♪」


 近くを走る車の走行音に遮られて、彼女の呟きは聞き取れなかった。とりあえず、介抱してもらった礼をしてから、この場を立ち去ろうと決める。


「あの、本当にありがとうございました」

「いえいえ、体調戻ったなら良かった。…っふふっ」


 何かがツボに入ったのか、未だに笑い続ける彼女にもう一度頭を下げて、家路の方向へ進んだ。しばらくして振り返ると、彼女も僕に気付いて手を大きく振ってくれた。最後の会釈をして前を向き直す。


 10月も後半に入った季節、秋の夜風が火照った心と体を冷ましてくれる。


 頭痛がして、身体も嫌な感じに熱く、喉もかなり痛む。それでも不思議と気分は爽やかだった。彼女の優しい雰囲気は初対面なのに安心感を抱かせるものだった。


 ただ、お酒は暫く飲まないことにしようと堅く心に誓った。見ず知らずの優しさに甘えているのは、僕の理想の生き方としては不本意なのだ。

 これからも出来るだけ、僕は孤独に生きていたい。今回の飲み会はイレギュラーな事情があったとはいえ、今後は不参加にしようと決意した。


 その後、何事もなく自宅に着き、気持ちばかりのシャワーを浴びてから、すぐに布団を敷く。


「疲れた…明日は朝イチで必修科目あるんだよな…」


 重い瞼をこじ開けながら、翌日のアラームを設定した。


「ごほっごほっ、とんだ災難というか自業自得か……」


 色々と慣れないことをした自分を責めるように、掠れた喉が痛みを主張する。僕は枕を抱えた状態で咳き込んだ。

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