『葛原論文』 事件の考察~1
1 空白の四十五分間における被害者の行動について
先述した通り、被害者が最後に確実に目撃された事件当日午後五時十五分(大津留証言時)から死亡推定時刻の始まりである午後六時までの四十五分間、被害者が生きていた事は法医学的にも確実である。では、この最低四十五分の間、被害者はどこで何をしていたのだろうか。裁判において検察側はこの四十五分間は加藤氏が被害者をどこかに連れまわしており、名崎証言の目撃はその過程を目撃されたものだと主張していたが、その裁判で加藤柳太郎犯人説が否定されている以上、大津留証言の目撃後に加藤氏が被害者を連れまわしたという推理は否定されるべきであり。すなわち彼女が加藤氏と別れた後の四十五分間の空白が持つ意味がことさら重要になってくるのである。
被害者が午後五時に出たという蝉鳴学校から自宅までは二十分ほどの距離であり、実際に大津留証言もその間の通学路上で目撃されている。しかし、にもかかわらず彼女は自宅に帰っていない。もし帰っていれば持っていた鞄類を自宅に置いているはずなのでこれは間違いない事と考えられる(実際には鞄類は遺体発見現場で見つかっている)。となれば、大津留証言で立証されている加藤氏が声をかけた午後五時十五分から、本来なら家に帰る時刻である午後五時二十分までの約五分間の間に、彼女の帰宅を妨げる何かがあったと考えるのが自然であろう。
ここで問題になるのは、やはり「名崎証言」で目撃された「少女」が涼宮玲音だったのかそうではない別の人物だったのかという問題である。すでに述べた話であるが、この点については裁判においてもはっきりと明言がなされておらず、灰色の決着に近い形で終わっている。もし、この「少女」が涼宮玲音ではない謎の第三者だったとすれば、この空白の四十五分における涼宮玲音の行動を推察する事は不可能に近くなる。では、あくまで仮定ではあるが、「名崎証言」に登場するこの謎の「少女」が正真正銘本物の涼宮玲音だったとして、彼女の空白の四十五分間の行動に説明がつくのだろうか。これについては、下の簡単な地図を参照しながら論じていきたいと思う。
まず、「名崎証言」の肝となる謎の男女が目撃された時刻については、名崎氏が役場を出た時刻が午後五時四十五分であった事と、そこから診療所まで十分程度である事などから、概ね午後五時五十分から五十五分の間くらいではないかとされている。目撃場所は役場と診療所の間にある村の西側の田んぼ道であるが、この場所は涼宮玲音の自宅(彼女の自宅はどちらかといえば村の東側に位置する)はおろか、大津留証言で加藤氏が彼女に声をかけた地点から見ても完全に反対側となり、むしろ家から遠ざかって学校方面へ戻っているような状況になる。もちろん、加藤氏が声をかけてから名崎氏に目撃されるまで三十五分程度の時間があるため、徒歩であっても物理的にその場所まで行きつく事は可能であろう。だが、何度も言うが移動の目的がよくわからない。実際にこの目で確認をしてみたが、目撃された場所は田んぼや数軒の民家しかなく、彼女が訪れるような場所が存在しないからだ(各地点の位置関係は地図参照)。
それでも無理やり解釈をひねり出そうとすれば、一番単純に考えられる仮説として「被害者が学校へ忘れ物を取りに帰った」可能性が浮上する。先程も述べたように、名崎証言で彼女が目撃された場所は家とは完全に反対方向で、むしろ学校に戻るような位置関係であった(蝉鳴学校は村の一番西側に位置している)。が、この状況を変にひねらず素直に解釈すれば「空白の四十五分の間に彼女が一度学校に戻った」という事になるのではないだろうか。そしてこの可能性が正しかった場合、帰宅途中の彼女が再び学校に戻る理由として一番自然に考えられるのは「何らかの忘れ物をした」というケースであろう。
つまり、午後五時十五分頃に加藤氏に声をかけられた後、家に到着する直前に彼女は何かを学校に忘れた事に気付き、慌ててきた道を引き返した。家から学校までは約二十分であり、無事に学校に到着した彼女は忘れ物を見つけると再び元来た道を引き返し、その帰宅中に謎の男と田んぼ道で会話をしているのを名崎氏に目撃されたと考えれば、少なくとも時間的な辻褄は合う(加藤氏と別れた直後の午後五時十五分から二十分の間に忘れ物に気付き、そこから学校に引き返して午後五時三十五分から四十分頃の間に到着。その後、五分から十分程度で忘れ物を見つけ、午後五時四十五分から五十分頃の間に学校を出れば、午後五時五十五分頃には名崎証言の目撃地点に到着できる)。
目撃された男性の正体という問題は残るが、この仮説は空白の四十五分における彼女の行動に説明をつけるものとしてかなり有力なもののように思えた。だが、実際に村の中でこの仮説を検証してみると、この仮説が成立するかどうかがかなり怪しい事がわかってきたのである。というのも、事件当日何人かの子供たちが蝉鳴学校の校庭で遊んでいたという話を事件概要の項ですでにしていると思うが、そのうちの一人が事件当日の午後六時頃まで校庭に残って遊び続けており、午後五時から帰宅する午後六時まで学校の敷地内に涼宮玲音も含めて誰も入っていないという事を証言したのだ。
この証言をしたのは事件当時小学一年生だった少年(ここではT少年と仮称する)であり、私は今回の訪村で運よく彼に話を聞く事ができたのだが、その結果この今まで知られていなかった証言が新たに浮上する事となった。もし、このT少年の証言が事実だとすれば、今述べたような「忘れ物説」が成立しないばかりか、たとえ忘れ物目的でなくても彼女が学校に戻ったという仮説自体が考えられない事になってしまうのである。
では、学校でなかったとすれば、彼女は一体どこへ向かっていたというのだろうか。一応、蝉鳴学校に隣接する場所に蝉鳴診療所があるのでそこへ向かった可能性がないとは言えないが、特に持病等もなかったとされる彼女が何の前触れもなくそんな場所を訪れるとも思えない。というより、診療所に用があるならわざわざ一度自宅に戻らずとも、最初から学校を出てすぐに隣の診療所を訪れればいいだけの話である。唯一可能性があるとすれば、彼女が加藤氏と別れた直後に自宅前で何らかの怪我をしてしまって治療のために診療所に向かったという可能性だが、それならそれで荷物は自宅に置いていくはずだし、そもそも発見された彼女の遺体には致命傷となった傷以外に怪我の痕跡は確認されていない。従ってこの可能性も否定せざるを得ないだろう。
こうなると困った事になる。今述べた二つの施設以外で、村の西側に彼女が訪れそうな場所は、私の調べた限りだと存在しない。果たして、彼女はどこへ何をしに行ったのか。現状ではこれ以上の考察は不可能と判断せざるを得ないが、逆に言えばこの謎を解明できた時にこそ、事件そのものを解決する大きなヒントになるのではないかと愚考する次第である。