『葛原論文』 事件の考察~序文
事件の考察
さて、以上、事件の流れを説明した上で、以降は私自身のこの事件に対する私見を記したいと思う。この論文を書いている二〇〇三年末時点で、事件は冤罪が発覚した加藤氏と村人との間の法廷闘争へ移行しており、肝心の事件の真相解明についてはもはや二の次となってしまっている。序論で書いたように県警側もこの事件の再捜査については新たな証拠や手懸りが出ない限りは公には行わない方針を示しており、事実上、事件は迷宮入りになりつつあるというのが実情だ。
では、実際の所この事件の真相はどのようなものなのだろうか。これも序論で述べたように、真相究明への公的な道筋が事実上閉ざされた今だからこそ、私はこの点について検証を行い、事件の真相解明のためにいくつか簡単な考察を示したいと思う。なお、この検証を行うに当たり、各種文献からの引用の他に、事件発生からちょうど四年目に当たる二〇〇三年七月二十三日から同二十七日までの四日間にわたり蝉鳴村を実際に訪れて行った実地調査で得られた情報を交えている事を付記しておく次第である。
まず、この事件が殺人事件である事については疑いようのない事実であると考えてもいいだろう。どう考えても自殺ではありえないし、事故で人間が壁に貼り付けになるなどという事はまずありえない。この事件に人の手が加わっているのは間違いないと断言しても構わないと考える。
それを前提とした上で、この事件において確実とされ、動かす事のできない情報をピックアップすると、以下のようなものが浮かび上がる。
1、被害者の死因が槍を胸に突き刺された事による出血死でほぼ即死であるという点。これは司法解剖によって導き出された情報であり、法医学的に疑いの余地のない事実であると言わざるを得ない。
2、被害者の死亡推定時刻が七月二十三日午後六時から七時の間の約一時間のどこかであるという点。これも司法解剖によって判明したもので疑いをさしはさむ余地はなく、遺体に死亡推定時刻を誤魔化すような何らかの細工がなされた形跡がなかった点も追記しておく。
3、被害者が少なくとも当日午後五時までは普段通りの生活をしていたという点。これは複数の目撃者の存在により確実視されている事である。
4、少なくとも「大津留証言」は真実であるという点。一連の裁判においても午後五時十五分に被害者に声をかけた事を加藤氏本人が認めており、弁護側もその事実は否定していない。つまり、加藤氏が声をかけた午後五時十五分の時点で彼女の身には何も起こっていなかった事になり、加藤氏が無罪であった以上、この大津留証言こそが彼女が生きて目撃された最後の瞬間という事になる。
また、これを踏まえて彼女が蝉鳴学校を出た午後五時から午後七時頃までのタイムテーブルを簡単に整理すると以下のようになる。
17:00 涼宮玲音が蝉鳴学校を出る。
17:15 加藤柳太郎が涼宮玲音に声をかけ、大津留真造巡査が目撃(大津留証言)
17:50頃 村の西部の田んぼ道で名崎義元が謎の男女を目撃(名崎証言)
18:00 涼宮玲音の死亡推定時刻の上限
18:30 扇島利吉老人が蝉鳴神社の境内に入る謎の男女を目撃(扇島証言)
19:00 涼宮玲音の死亡推定時刻の下限
19:25 涼宮清治が蝉鳴駐在所に涼宮玲音の失踪を届け出
以上の事実を踏まえた上で、今度はこの事件において一連の裁判が終結した今となってもはっきりしていない謎を列挙していこう。これらの謎の真実を解き明かす事が、この事件を解決するための大きなカギになるのは間違いないはずである。
1、被害者が大津留証言で最後に目撃された午後五時十五分から彼女の死亡推定時刻である午後六時以降までの四十五分の間、自宅に帰る事なくどこで何をしていたのかという点。この空白の四十五分間における被害者の行動については現在でも不明のままである。「名崎証言」がこの空白の時間における唯一の証言であったが、「名崎証言」は裁判でその信憑性が疑問視されている(ただし完全否定された訳ではない。厳密に言えば明確に否定されたのは目撃された男性が加藤氏ではなかったという事象についてで、同時に目撃された女性については、被害者の涼宮玲音本人だった可能性は否定されていない)。また、仮に「名崎証言」が正しかったとして、涼宮玲音と話をしていた男の正体とは一体誰で、その人物は犯人なのかあるいは何の関係もない第三者なのか。
2、犯人はなぜ被害者を社内で槍により串刺しにしなければならなかったのかという点。単純に殺すだけなら他にいくらでも簡単な手法はあるはずであるし、仮に槍を使った殺人を行う何らかの理由があったとしても、その際に被害者を串刺しにして壁に磔にする合理的な理由が想定できない。わざわざあのような残虐非道な殺害方法を採用しなければならなかった理由とは一体何なのか。
3、犯人がなぜ被害者を殺害しなければならなかったのかという点。いわゆる動機の点であるが、これについては加藤氏の裁判においても、最終的に加藤氏が自白しなかった事もあって明確になっていない。検察は異常心理による犯行ではないかと推測していたが、加藤氏が無罪と判明した今となってはこの推理も怪しいものである。高校にも行っておらず、村に来てからまだ三カ月程度しか経っていなかった彼女に対して果たしてどのような動機が発生するというのか。
4、「扇島証言」に登場した、午後六時半頃に神社に入っていったという二人組は何者なのか。一連の裁判において、弁護側は扇島証言で目撃された二人組が被害者と加藤氏だった可能性を否定する主張を行っているが、正体不明の二人組が午後六時半頃に神社の境内に入っていった事までは否定しきれていない(実際、裁判中に行われた実験でも、扇島老人が誰かが神社の入口にいる事を認知する事、その人物の性別を判断する事までは可能である事が実証されている)。加藤氏の無罪がはっきりした今となってはこの人物が加藤氏でない事は明白であるが、だとするならば一体それは誰で、何の目的で神社に入っていったのかという問題が発生する。
5、加藤氏のジャージに血痕の捏造をしたのは誰なのかという点。裁判の結果、滴下血痕の存在や加藤氏に槍を使った犯行が不可能である事などから、加藤氏のジャージに着いた血痕が捏造であるという事はもはや疑いようのない事実と考えられている。では、この捏造を行ったのは誰なのか。可能性が高いのは捜査を行っていた警察関係者であり、実際に当時の捜査関係者にはそれを行いかねないだけの事情が存在するのは裁判でも言及された通りである。しかし、それ以外に可能性はないのか。例えば、真犯人が加藤氏に罪を着せるためにジャージに血をつけた可能性はないのか。
これらの疑問に対して様々な文献調査及び先述した実地調査を踏まえた上で現時点で考えられる事について、以下個別に列挙していきたいと思う。