執筆裏話
※表題通り、本作執筆時における裏話を紹介するページです。そのコンセプトの関係上、遠慮なくネタバレ全開で行きますので、可能な限り本文読破後にお読みください。
◎執筆経緯
(※この項のみ、連載前に活報で執筆した内容とほぼ同一の内容となりますので、あらかじめご了承ください)
事件名で何となくわかると思いますが、本作のモチーフにしたのは説明無用の名作『ひぐらしのなく頃に』です。もちろん、作品内の雰囲気などを参考にしただけで、本家「ひぐらし」とは内容的には一切関係ない(要するに二次創作ではない)ので、その点は重々ご承知ください。読めばわかりますが、舞台の雰囲気が似ているだけで、内容そのものは全くの別物です。
で、これを書こうと思ったきっかけですが、かつて10年以上前に「ひぐらし」のアニメを見た際の感想から来ています。元々私自身、あぁいう八墓村めいた古い因習が残る村での事件という構図は好きだったのですが、「ひぐらし」に関しては本格推理ではないという噂を聞いていた事から長年避け続けていました。が、見ず嫌いもあれだという理由から一度腰を入れて見てみようと考え直し、あるときDVDをレンタルして一気見をする事にしたのです。結論から言えば、ミステリーとしては噂通りの内容でしたが、純粋に物語の組み立て方や伏線の張り方としては非常に面白かったと思っていますし、個人的にも今後の作品の執筆に役に立ちそうな内容だなぁと実感した記憶は残っています。
ただ、ミステリー論的な内容以前の問題として、この作品に関して私には一つ納得がいかない事がありました。それは……
……蝉、関係ないじゃん。
はい、私のイメージでは題名にわざわざ「ひぐらし」と入っているくらいですから、ひぐらしが事件の中核に絡んでくるのではないかと非常に期待をしていたのです。が、実際の所は確かに背景及び雰囲気的な側面でひぐらしは出てきたものの、事件そのものに大きくかかわるような存在ではなく、本格推理小説ファンとしては、どうしてもそこが不満点でもありました(よりによって突っ込むのがそこかよ! というツッコミはスルーさせて頂きます)。
で、このような感想を持った私が思った事が以下の通り。
だったら、私自身で蝉の絡んだ「ひぐらし」以上に怖い『本格推理小説』を書けないだろうか?
……我ながら何でこんな思考回路になってしまったのかはわかりませんが、気付いたらパソコンのキーボードを叩いていた次第です。
いずれにせよ、以上の経緯で誕生したのがこの小説という事になります。とはいえ、普通に書いたところで「ひぐらし」の劣化になってしまいますから、作品を執筆するにあたって差別化を図るために私はいくつかの条件を設定しました。その条件は以下の四つ。
・作品の雰囲気は必要最低限の範囲で「ひぐらし」に似通ったもの(山奥の山村、古い儀式や因習、など。言い方を変えれば「横溝正史的な排他的な田舎を舞台とする伝統的推理小説の描写」)にする。
・その上で、「蝉」を事件の中核に据える。
・私が考える限りでのちゃんとした「本格推理小説」にする。
・この路線で読者には本格推理小説特有の恐怖を徹底的に味わってもらう。
以上をコンセプトにこの作品を執筆しました。自分で言うのもなんですが、「ひぐらし」とは別方面で怖い話になったと思います(まぁ、「ひぐらし」以上に怖いかどうかはわかりませんが……)。
ちなみに、第一の条件は本来必要最低限のものに限定するつもりだったのですが、実は「舞台が岐阜県」というかなりギリギリなところまで踏み込んでしまっています。さすがにこれはあれなので別の県に変えようかとも考えたのですが、これに関してはストーリーの構成上どうしても舞台が「岐阜県」でなければならない事情(具体的には蝉鳴の伝説に帰雲城伝説や白山の噴火絡みの話を組み込んでいるため)が発生してしまったがゆえの処置です。あと、作中で大量に発生する殺人事件群の中に「鉈」「金属バット」「スタンガン」など「ひぐらし」ファンにとってはおなじみの物品が凶器となっている事件が登場するのですが、これについては作者のちょっとした遊び心であり、それ以上の意図はないという事をご理解いただければと思います。
◎葛原論文
物語の根幹をなすこの論文ですが、内容が内容だけに、当初から「読者が読みやすいかどうかなんか完全無視して、本物の大学院の修士論文のつもりで書く」事をコンセプトにしていました。おそらく、「なろうに来てまでこの手の論文的文章なんか読みたくない!」と思った人は、ここで大半が脱落する事になったのではないかと思われます。私の卒業した大学の大学院の修士論文の規定文字数が三万字~四万字程度だったので、最悪でもこのラインは超えられるようにという事を目標にしていました。
ただ、実際に書いてみると大学の卒業論文の執筆なんかよりはるかに内容が難しく、執筆は数年がかりになる事となりました。何しろ、実際の卒論や修士論文の場合は各種参考文献を読み込んで必要があれば適宜引用を行い、そこから自分なりの論理構築を行う事で文章が成立するのですが、今から私が書こうとしている「論文」は架空の事件を題材にしており、当然ながら文章執筆の材料になる参考文献なんか一切存在しません。よってこの論文執筆は「自分で設定を考えた架空の事件を題材に、当然ながら全ての真相がわかっているにもかかわらず事件の真相がわかっていない風に論理構築を行って、場合によっては実際には的外れである推理をいかにも正しいように見せかける論理構築を織り交ぜながら本物そっくりに論文を仕上げる」という地獄を味わう事になりました。一時期などどう書けばいいのか自分でもわからなくなって、図書館で実際に未解決になっている冤罪事件についての考察がまとめられている書籍を借りてきて、真相がわかっていない事件を題材にした論文がどういう構成で文章を書いているのかを確認するなどという事までやったほどです。正直、もう二度とやりたくはありませんね……。
なお、文中や文末に登場する参考文献もいかにもありそうな風に書いていますが、その大半が架空の作者・書籍となっています。ただ一つだけ、長谷川公之著の『犯罪捜査大百科』(映人社)については実在する文献で、本当に今回の論文執筆の際の参考文献(具体的には動機の分類の部分)として利用しています。著者の長谷川公之氏は科捜研職員から刑事ドラマの脚本家に転身したという異色の経歴の持ち主で、そんな彼が推理小説や刑事ドラマの脚本家など創作を行う人向けに自身の鑑識・捜査の専門知識をまとめたのがこの本。ちょっと古いので最新の科学捜査についての知識は掲載されていませんがそれでも充分に参考になる内容で、基本的な各種法医学的知識や科学捜査知識などが詳細に掲載されており、いつだったか古本市に行った時に偶然売っていたのを購入して以降、私の執筆においても大きな武器となっている文献となります。
◎異常な登場人物の多さ
通常の小説(特に純文学系統)などを書く場合は、読者に飽きられる事なくわかりやすく読んでもらう必要があるため「登場人物の数をできるだけ絞る」事に重点を置かれる事が多いのですが、その数少ない例外が推理小説。特に複雑な人間関係が構築され、場合によっては何人も殺害される(つまり、途中で登場人物がどんどん減っていく)事が前提の本格推理小説では登場人物が何十人も登場するのが当たり前の状況となっている事が多いです(納得できない方は横溝正史や綾辻行人や二階堂黎人の小説を読んでみたらいいと思う。私自身、その辺りの作家の小説を読む際は必ずルーズリーフを用意して登場人物一覧表や家系図をメモしたりしているので)。今回の事件の場合、構想段階で被害者の数が数十名を軽く超えるのは明らかであり、しかも論理が複雑になればなるほど、論理構築を成立させ、読者をミスリードに引っ張るために新たな登場人物を追加し続けなければならないという悪循環に陥ってしまいました(数十名が死亡する事が前提になっている小説で生き残るのがレギュラーや警察関係者を除いて数名しかいないとどうしても読者が犯人を特定しやすくなってしまう上に、連続殺人の場合、殺人が起これば起こるほど読者に与える情報=ヒントが増え、それなのに犯人候補者が減少している状態なので、少人数の登場人物だけで最後まで読者を騙しきる事がさらに難しくなる。さらに、推理小説では重要人物だけしか出さないと読者の論理思考が一本道になって推理ミスを誘発できなくなってしまうため、推理に不必要ないかにも怪しいミスリード要員も意図的にそれなりの数を出さなければならない。基本的に本格推理を書く人間は、読者にわかりやすく読んでもらうためとかわかりやすく謎を解いてもらうためとかではなく、いかにフェアな形で読者を騙しきり、推理ミスを誘発させるかという事を第一目標にして様々な仕込みを小説内に投入しているひねくれ者が多いと思った方がいい。この辺りが、他文学やトリックよりも背景を重視する社会派推理小説などと比べて、本格推理小説が文学的に異色と言われている理由かと思われる)。
しかも私の場合「登場人物にはできるだけフルネームをつける」という癖があり(というか、そうしてラベリングしないと大量にいる登場人物を管理できない)、そんな感じで登場人物の数が五十名を超えたあたりで「ここまで来たらもういっそ登場人物を百名越えにして、犯人を当てる事ができる確率を百分の一=1%以下にしてしまえば、同じく『正答率1%以下』をキャッチコピーにしていた『ひぐらしのなく頃に』を確率の上では超える事になるのではないのか」という悪ノリじみた発想をしてしまい、その結果この前代未聞の大量の登場人物が登場する小説になってしまったという次第です(多分、色々考えていて疲れていたんだろう)。もちろんこれ、普通の出版されている小説やゲームなどではできないやり方かもしれないのですが、幸いにもこれはネット小説。ならば、比較的自由に書けるネット小説である事を逆手にとって、こういう実験的かつ推理小説の限界に挑んだような小説を書いてみるのもいいのではないかという想いもあります。
なお、ここまで多いと「登場人物表を作ってくれ!」という声もあるかもしれませんし、私自身も最初は作ろうと思っていたのですが、一覧にしてしまうと作中に仕込んだいくつかのトリックや仕込みがもろバレになってしまう人物が何人も出現してしまった(具体的には、一人二役をしている人物とか、後の方で名前が出てくる事で読者にインパクトを与える仕組みになっている人物、名前その物がネタバレになっている人物、さらに登場人物表に載せただけで怪しまれてネタバレに直結するきっかけになりかねない人物、挑戦状後に当たる第三章や第四章で初めてその名が登場してくる人物など。特に最後の最後に関係が浮かび上がるまであえて物語の中核に絡ませてないようにしていた井島蝶花や知事三人組辺りが顕著)ため、ネタバレ防止のために登場人物表を作る事ができないという事態に陥ってしまった事はご理解ください。
◎蝉の理論
この小説のモチーフが『ひぐらしのなく頃に』であり、執筆動機が「本家と違って、ちゃんと蝉が物語の中核にある推理小説を書こうとした」事は何度も述べている話ですが、そこで使用したのが「蝉の亡骸で埋め尽くされた遺体」であり、その状況を実現するために使用した理論が「地中の温度が急上昇したため蝉が強制羽化した」というものでした。まず、作中の桜島の噴火の事例で述べたように、噴火の熱で地面の温度が上昇し、その結果冬眠中の動物が目覚めるという現象は実例が存在する話です。また、蝉の羽化が地中温度に関係しているという学説も実際に存在し、いくつかある説の中では一番の有力説である事も間違いなさそうです(モチーフにしたのは漫画版『日本沈没』(小学館)の第一巻で、地殻変動による地熱の上昇で冬にもかかわらず蝉がビルの側面で大量に羽化をしている絵から)。ただ実際の所、色々調べたのですが、『蝉の羽化が間違いなく地面の熱の変化に影響されている』のかについてまでは明確な結論が出ていないらしく、いくら可能性が高いとはいえこの不確かな理論を『読者への挑戦状』に含むわけにはいきませんでした。ですが、だからと言って「蝉」をメインコンセプトにしている以上、このトリックをなしにするわけにもいかない。その結果、苦肉の策として「『蝉の謎』に関しては事件編の時点で真相を明らかにしてしまい、その真相を踏まえた上で本命の謎を解決してもらう」という方式で妥協する事にしました。作中の大きな謎の一つである蝉関連の謎解きが解決編ではなく事件編の時点でなされているのはそのような事情からです。なので、実際の所はどうなのかはわかりませんが、少なくともこの小説の中では「蝉の羽化は地中の温度変化で起こる」という学説を正しいものとして扱っている事は、ご理解いただければと思います。
◎涼宮事件
被害者の涼宮玲音の名前の由来は、あまりにもあからさまなのでもうおわかりかと思いますが、説明不要の大ヒットライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』の涼宮ハルヒと、本作のモチーフにした『ひぐらしのなく頃に』のヒロイン・竜宮レナから取っています。ただ、ここで衝撃的な事実を一つ。本編では彼女は事件当時十七歳という事になっていますが、実は書き始めた時点では十歳くらいの少女という設定になっていました。しかし、読んで頂ければわかるように殺害手法が「槍で体を貫く」というあまりにも残虐すぎるもの(しかもトリックの都合上、この殺害手法を変更する事ができない)だったため、「さすがに小学生くらいの年齢の子どもをこの殺害方法で殺害するのは、いくら小説とはいえ倫理的にまずすぎる」と不安を覚えるようになり、執筆途中で年齢を大幅に引き上げる変更を加える事になりました(とはいえ、巫女退任年齢が二十三歳である事や蝉鳴学校に通わなければならないという話の都合上、大学生以上というのも無理が出てしまうので、結果的にこの辺りで妥協)。うまくごまかしたつもりですが、それでも「小中学生メインの蝉鳴学校に高校生の年齢の女子が通う」というちょっと無理がある設定を押し通さざるを得なくなっています。物語の根幹を揺るがすかなり大きな変更だったため、修正作業にかなりの時間がかかった事だけは覚えています。
◎真犯人・美作清香
車椅子の人間を犯人にするというコンセプト自体は、この話の構想を練った初期段階ですでに決めていた事でした。ただ、推理小説に慣れた人間であるならば「車椅子の人間が犯人」というトリックは割とよくある話であり、それゆえに疑われる可能性が高い立ち位置だったため、それなりの工夫……それこそ「犯人が彼女だと見破っても、それだけで事件を解決した事にならない」というかなり難しい条件をクリアする必要がありました。さらに、「車椅子の人間が実はすでに歩けるようになっており、それを利用したトリックを使っていた」という話は古今東西の推理小説で嫌と言うほど使い古された話(そして、個人的にアンフェアな気がする)なので、話を創る中で「実は歩けた」という結末だけは絶対に使用しない事は最初から決めていました(なので、作中でもしつこいくらいに歩けない事を強調しているはず)。ここから「犯人が彼女だとわかっても、事件の大半が車椅子では絶対に実行不可能なものであるため、それだけでは事件を解決した事にならない」という構図を成立させる事になり、このような事件の流れになった次第です。要するにこの小説、「犯人が美作清香だとわかった時点で、初めてそれまでの事件で何を解決しなければならないかという『謎』が提示される」というかなりひねくれた構造になっているわけです(特に第三の事件。要するに、犯人が特定できない限り解くべき『謎』がわからないので、犯人を特定する事がゴールではなくむしろスタート地点になっている=犯人を特定しないと推理を始める事さえできない。そしてその『謎』が解けなかった場合、読者側は「そもそもの犯人予想が間違っていたのでは?」と疑念を抱く事になり、そのまま別の間違った犯人候補に誘導されてしまうという罠を仕込んでいる)。
犯人の美作清香に関しては、これだけの大事件を起こしている関係上、徹底して「常人には理解できないサイコパスタイプの犯人」「目的のためなら無関係な人間を殺す事も一切ためらわない」事を突き詰める事にしました。ちなみに、名前の由来は『金田一少年の事件簿』に登場するある人物から名付けていますが、ファンの方なら多分おわかりでしょう。
◎鳩野観光夜行バス失踪事件
この小説の完成が数年単位で延長する事になった元凶。元々この小説は題名の通り蝉鳴村で起こった殺人事件で全てを完結させる予定であり、夜行バスの事件も当初は他の「涼宮事件」や「関ヶ原事件」などと同じく解明編の中の一章で全てを解き明かしてしまう予定で、本来だったらこの小説は三部構成で「完」なる方針でした。しかし、執筆を進める中でこの夜行バスの事件だけはとても一章だけでは収まらない内容になってしまい、2020年頃(正直、いつ頃だったかも今となってははっきりしないが……)になって「これはもう、独立した『第四部』を作った上で本腰を入れて解き明かすしかない!」と判断。もちろん、それをやるという事は全く別の独立した推理小説をもう一作書くとの同じなので完成が数年単位伸びるのは自明だったのですが、自分が納得できる小説に仕上げるためにはもはや他に道はなく、当初の予定には全くなかった「第四部」を一から書き始める事になったという次第です。
なお、この第四部だけでも文字数は約15万字ほどあるので、この状況を簡単に言うと「当初書き進めていた小説がようやく7~8割程度完成した所で、新たに『イキノコリ』より少し短いくらいの長さの小説をもう一作書く羽目になった」という事になるでしょうか(参考までに、拙作の中の『イキノコリ』や『魔法少女は高笑う』が約17万~18万字、『シリアルストーカー』や『贖罪者』が約12万字くらいです)。もっと言いかえれば「マラソンでゴールがすぐそこまで見えていたのに、7割くらいまで来たところでいきなりゴールの位置が遥か彼方に変更になった」ようなもので、正直、執筆延長を決めた当時は絶望感しかありませんでしたし、「果たしてこの小説は私が生きている間に完成できるのだろうか……」と冗談抜きで思ってしまったほどです。
そんな感じだっただけに辻褄合わせだのトリックの構想だので執筆は過酷を極め、本来他の小説で投入するはずだった「雫」ネタをここで使う事に急遽変更。それに伴って「青空雫」という新キャラを出した事からさらに本編の辻褄合わせや修正作業に追われる事になりました(つまり、「青空雫」というキャラが小説内に登場したのはかなり遅いタイミングで、この変更がなければ「白小路若菜」は死亡扱いのまま終わるはずだった)。さらに田向貴史に至っては、彼が犯人側の人間という設定になったのは何と執筆終盤の2025年春ごろの話で、それまでは単に「月村杏里を助けた人」というだけで名前すら設定していませんでした。なので、最初に夜行バス事件の説明をした際に彼の事をいかにも怪しくなさそうに書いていたのは、当初は本当にただの第三者の予定だったからという裏があったりします。
とにかく、色々あった末にそれでもなんとか自分が納得できるだけの完成度まで持ってくる事はできたものの、そんな経緯なので私の中では「下手すると本編よりも大変だった」という印象がかなり強い事件だったりします。
◎元凶・岡是康
本作の真のラスボスで、その立場的に榊原シリーズ屈指の強敵、最強クラスの犯人として設定した人物です。まず愛知県在住及び出身の皆様、県知事を勝手に殺人犯にしてしまって申し訳ございません……。当たり前ですが本作はフィクションであり、現実の愛知県知事とは一切関係ありませんのでご了承ください。一応、作中の政治と現実の折り合いについては私の中に基準があって、「内閣は一九九六年に退陣した村山富市内閣までは正史通りで、橋本龍太郎内閣以降は架空の首相。ただし、行われた政策・外交や制定された法律などに関しては全て史実通り」というものです。なので、榊原シリーズの世界では、宮澤喜一や細川護熙は存在しますが、小泉純一郎や安倍晋三は存在せず、『平成』の額縁を掲げた官房長官としての小渕恵三は存在しても首相としての小渕恵三は存在しない(つまり、小渕恵三は首相になれないまま一九九八年に死亡した)という奇妙な事になっているわけですね。これは榊原が辞任するきっかけとなった「政治家事件」が一九九八年に発生しており、さすがにこの時点での政治関係者は全て架空の人間にしなければならないので、その当時本来の首相だった橋本龍太郎の一つ前の村山富市までを正史と同一にしようという考えからきています。
話を戻しますが、キャラ付けとしては徹底して救いようのない悪逆非道な人物として描いており、これは万が一にでも「現実の~知事と似ている」という批判が出ないようにという配慮から、現実の世界に絶対存在しない知事になるよう、いっそ荒唐無稽なほど突き抜けた悪役の設定にしています(……というか、過去だろうが未来だろうがこんな知事が実在してもらっては困る)。また同時に、私の小説の中ではどんな立場の人間だろうが犯人になる可能性があるという事を改めて周知する意味合いもありました。なお、名前に関しては完全にインパクト重視で、「目立ちやすい一文字名字+いかにも政治家っぽい古めかしい名前」という事でこのような名前になりました。
◎政治家事件
ついに本作でその一端が明かされ、具体的な犠牲者名が出てきた『政治家事件』。シリーズ初期から一貫して「榊原が警察を辞めるきっかけになった未解決事件」として描写し続けている事件であり、概要自体は榊原という探偵を考案した際に一応大まかな内容は設定してあります。ただ、設定を考えてからもうすでに十五年以上が経過している事もあって現在発表してあるシリーズ作品群の内容とそぐわない事象や変更内容が多数出てしまっているため、執筆以前に設定の練り直しをしなければならない状況に陥っており(正直、現段階では執筆計画は全くの白紙となっている)、いつ執筆できるのかもわからないというのが実情です。
なお、現時点でこの事件について私の中ではっきり確定している事は……
・一九九八年の七月から十二月にかけて東京都内を中心に発生している。
・最初の被害者は参議院議員の杉原宗佑で、その他に複数名が殺害された。
・当時の警察庁長官・厳島蔵ノ介の要請で沖田班(捜査一課十三係)が捜査に関与。
・事件関係者には当時の首相もおり、首相と関係が深かった当時の警視庁警視総監と捜査本部が対立。
・容疑者が一人浮かんだが、榊原たちはこの人物が犯人である可能性に疑問を持っていた。
・しかし上層部(特に例の警視総監)の判断でこの容疑者を逮捕せざるを得なくなり、やむを得ずブレーン役の榊原が全責任をかぶる形で逮捕を強行。
・この判断に納得できなかった沖田班の刑事の一人が独断で捜査を続行したが、その刑事は間もなくして真犯人に殺害され、その事実が真犯人自身によりマスコミに暴露されて大スキャンダルに(この刑事が政治家事件最後の被害者)。この一件で逮捕した容疑者の無実が確定したが、釈放前にその容疑者は獄中で自殺。
・「誤認逮捕した上に、その取り調べ中に真犯人に刑事を殺され、その上誤認逮捕した容疑者に自殺される」という警察史に残る大失態となり、捜査ミスの責任を取る形で榊原と当時の刑事部長が辞職。他の捜査員たちも軒並み処分対象となり、捜査本部は崩壊。沖田班も解散に追い込まれる。
・以後、この事件は未解決のままで、現在は形だけの専従捜査本部が設置されているのみで、まともに捜査がなされていない。
……こんな所でしょうか。このように本筋自体はある程度固まっているのですが、それ以外の部分がまだまだ固まりきっていないというのが現状です。果たしてこの事件の詳細が明らかになるときは来るのでしょうか……。
◎宮下亜由美
本作における榊原の助手枠として登場した彼女は、以降の時系列の作品でも榊原のアルバイト秘書としていくつかの作品で脇役的に登場しており、『アップル・ロジック』では大学卒業後に高校の現代文教師となった彼女の姿を見る事ができます。そんな彼女ですが実はキャラとしての歴史は非常に古く、私の中では斎藤警部、榊原恵一に次いで三番目に考案したキャラであり、当初は彼女こそが榊原の正式な相方として活躍するはずの存在でした。
しかし、不運だったのは私が榊原シリーズを構想し始めたのが中学生~高校生にかけての時期で、亜由美もその時期に考案したキャラだったのですが、当時中高生だった私に女子大生の描写をするのはあまりにも難しすぎ、ついには作中で彼女を上手く動かせなくなってしまったため、やむなく新たに女子高生の深町瑞穂を考案して比較的動かしやすい彼女に相棒枠を譲渡したという経緯があります(つまり私の中では瑞穂は「二代目相棒」で、元祖相棒は亜由美というイメージ)。とはいえ、さすがに初代相棒である亜由美の存在そのものを抹消してしまうのは心苦しかったので「事務所で待機している事が多いアルバイト秘書=探偵助手としての瑞穂の先輩格」という役回りで彼女も残す事にし、現在のような榊原と瑞穂のサポート枠としての役割が確立したという流れです。
そのような経緯があるため、今回久方ぶりに執筆した榊原と亜由美のコンビは、私の中では「原点回帰」というイメージが強いものであり、懐かしいというか、なかなか感慨深いものがありました。あくまでこのシリーズにおけるメインの相棒役は瑞穂なので今後このコンビが活躍する機会があるかどうかは不明ですが、書ける機会があれば書いてみたいなぁと思ったりしています。
ちなみに、亜由美の名前の由来は、かつてテレビで放送された『戦国自衛隊 関ヶ原の戦い』に登場する宮下という自衛隊員の名前と、おなじみ『名探偵コナン』の登場キャラである吉田歩美から取っています。
◎怪奇作家・夕闇逢魔
執筆が折り返しを過ぎた辺りで、物語のアクセントとなる狂言回し的な登場人物がほしいなぁと考えて急遽登場させた人物です。モデルにしたのは、最近アニメにもなった『異世界失格』(小学館)という漫画の主人公である『先生』だったりします(逆に言うと、あの作品が発刊されるまでこのキャラは作中に存在していませんでした。結構な重要人物なので意外な話かもしれませんが……)。かなり特徴的な口調のキャラなのですが、作者からすればかえってその方が書きやすく、他のシーンの執筆が遅々として進まない中、彼の登場シーンだけは打って変わってサクサク書けた印象です。ちなみに、名前の由来は完全に「その場のノリ」。「何となく怖そうでそれっぽい名前」という事で頭に浮かんできた名前をそのまま使用しました。ただその分、書いている途中で「こいつの名前、『閻魔』と『逢魔』のどっちだったっけ?」と混乱する場面も多く、公開後もそれに関する誤植の指摘が多かったりしました。
◎名崎鳴
数学の天才少女という設定で登場させたキャラですが、その天才ぶりをどう表現するかで物凄く苦労したキャラ。表現技法として榊原が何か数学の問題を出すという形にしたものの、下手に簡単すぎる問題は看板倒れになってしまうし、逆に難しすぎると読者が理解できなくなる(というか作者自身も理解できん)と、ちょうどいい塩梅の問題がどうしても考案できず、キャラ自体は割と執筆開始当初から登場していたにもかかわらず、執筆開始以降数年以上に渡ってこの「榊原が鳴に出す問題」の部分は空白のまま放置状態になっていました。結局、最終的には2023年から2024年ごろになって『3つの立法数の和の問題』という数学上の未解決問題の存在を知り、「これちょうどいいじゃん!」となってようやく数年来の未執筆部分の解消に至ったわけですが、本文中でも書いた通り、この問題が一応の解決を見たのは2020年以降の話で、すなわち執筆を開始した時点では正真正銘の未解決問題だった事になります。それゆえに、執筆期間の恐ろしいほどの長さが逆に結果オーライ的に作用したキャラとして、作者の中では物凄く印象に残っています。ちなみに、名前の由来は『ガメラ2』に出てきた『NTT名崎送信所』という施設名から(我ながら「よりによってそれ!?」とは思うが……)。父親の名崎義元の名前は、そのまんま戦国大名の今川義元からです。
◎美作宿の宿帳の三人
読者に対するミスリード要員として用意した三人。内容的には最後の杉沢村夫の正体が須賀井睦也だったというのが肝になるわけですが、実は他の二人についても罠を仕込んでいました。
①魚肥由紀也
アナグラムを疑ってくる読者に対するミスリードとして設定したキャラ。実は「うおひゆきや」を並び替えると「ひおきゆうや」になるようになっていて、「もしかしてこいつ、捕まる前の日沖勇也なのか!」と思わせておきながら、実際は日沖とは何の関係もないただの逢魔の知人のカメラマンだったという罠を仕込んでいました。なお、構想段階では本当に日沖の偽名という設定だったのですが、執筆の過程でその方面のネタが没になって日沖が蝉鳴村に関与する筋が消滅したため、「じゃあ、いっそミスリード要員として利用してやろう」と考えて今のような設定になりました。
②羽住福太郎
何の関係もないと思わせておいて、実は『葛原論文』の参考文献の著者として既に名前が出ていたキャラで、そこから「何か事件に関係あるのでは!?」と読者に思わせておきながら、蓋を開けてみれば本当に事件とは何の関係もなかったミスリードキャラというひねくれているにも程がある思惑で誕生した人物です。経緯が経緯なので名前以外はあまりしっかり設定をしていないのですが、一応「論理学者で、涼宮事件当時は今は夕闇逢魔が住んでいる家に当時住んでいた千倉という数学者を訪ねるために村に滞在していた」という裏設定があります。
③杉沢村夫
実は若き日の須賀井睦也だった人物。名前はできるだけ偽名っぽいものにしようと考え、都市伝説の『杉沢村伝説』からほぼそのまま名付けた感じとなっています。
ひとまず以上です。今後、また何かありましたら裏話の内容を追加する事があるかもしれませんが、いったんこれで本作は終了となります。この長く小難しい小説を最後までご一読頂き、本当にありがとうございました。 奥田光治 記




