『葛原論文』 序論
『蝉鳴村殺人事件(通称・「涼宮事件」)に関する研究と考察』
序論
一九九九年七月に岐阜県高山市蝉鳴村で起こった殺人事件(通称・涼宮事件)が日本の犯罪学会に与えた影響があまりに大きなものである事はすでに自明である事であろう。山奥の山村で起こったこの奇怪な猟奇殺害事件は、一度は犯人の逮捕という結末を見たものの、その後の裁判の経過によって事件は驚くべき推移を見せ、『二十世紀最後の冤罪事件』としてメディアの報道や犯罪学会での研究で何度も議論され続けている事である。
しかし、冤罪である事が証明されたがゆえに、この事件の核心の解明については逆に大きく遠ざかってしまったのも事実である。今まで数多く起こってきた冤罪事件の例にもれず、この事件もまた、冤罪であった事ばかりが注目されて、肝心の真相について論議される事はほとんどないというのが実情だ。実際、過去の事例を見てみれば、冤罪が発覚した事件で真犯人が逮捕されたという事件は非常に少ない。私の知る限り、せいぜい真犯人が自ら犯人である事を自供した『弘前事件』と呼ばれる事件くらいで、後は『免田事件』『財田川事件』など著名な冤罪事件であっても、冤罪発覚後に真犯人が逮捕された事はおろか、時効の成立や証拠の散在などを言い訳にして警察による再捜査がなされた事すらなかった。そして現状、この涼宮事件においても警察は新たな再捜査をしない旨を公言しており、今回もこれまでの冤罪事件同様の流れになりそうな気配を見せている。
しかし、当然ながらそれが許されるべきではない事であるのも事実である。もしそれが認められてしまうのであれば、犯人からすれば誰かに罪を着せさえすれば完全犯罪が成立してしまうからだ。従って、冤罪が発覚した事件だからこそ、その事件の真相が何なのかについて真剣に議論をする事は必要不可欠であると考える次第である。
この論文では、改めて『涼宮事件』と呼ばれる一連の事件について総括し、それによって浮かび上がるこの事件の謎や真相について、私自身が考える事を改めて検証していきたいと考えている。できる事ならば、この検証によって少しでも謎に満ちたこの事件の真相解明に近づく事ができれば幸いである。