第十八章 論理の死闘
……それは、榊原が千願寺境内で美作清香を殺人犯として告発する三十分ほど前の話である。
榊原と柊たちは、蝉鳴神社を出ると、村の南部にある美作宿へ向かっていた。その途中、榊原は速足で歩きながらも、この事件の犯人が美作清香である可能性が高い事を柊たちにあらかじめ明言していた。
「美作清香……ですって?」
「えぇ、彼女がこの事件の犯人……それが私の出した結論です」
村の中央通りを歩きながら断言するように言う榊原に対し、しかし柊や亜由美、それに付き従う他の刑事たちは何もわからず目を白黒させるばかりだ。
「し、しかし、一体なぜ! それが正しいとして、なぜ彼女がこんな連続殺人を……」
だが、榊原はそうした疑問に答える事なく、厳しい表情のまま先を急いでいた。
「今は詳しく説明している時間はありません。まずは一刻も早く彼女の身柄を押さえ、これ以上の犯行を阻止する事です。私の推理をお聞かせするのはそれからでも遅くはありませんし、彼女に直接聞かなければわからない事もまだ残っています」
「……そうですね。確かに彼女が犯人だとすれば、身柄の確保が最優先事項です」
向かった先は、彼女がいるはずの自宅……すなわち、村の唯一の宿である美作宿だった。だが、宿の前に到着して、榊原たちはすぐに違和感に気付いた。まだ地震の後片付けができていない様子にもかかわらず、宿に誰かがいる気配がないのである。おまけにそれでいながら、なぜか玄関の扉は開けっ放しになっているのだ。
「静かすぎる」
榊原の言葉に、柊たち刑事はいっせいに拳銃を取り出した。相手はすでに警察官を含めて多数の人間を殺害している殺人鬼であり、おまけに拳銃を所持している可能性が高い。いくら若い女性であっても、状況いかんでは発砲もやむなしというのが柊の判断である。
「美作清香がいなかったとしても、ここの主人である父親の美作頼元さんが地震の後片付けもしないまま外出しているとは考えにくい。何かあったのかもしれない」
榊原がそう呟くのと同時に、柊が一歩前に出て、玄関から宿の中に声をかけた。
「すみません、警察です! 美作さん、おられますか?」
だが、返事はない。柊たちは目配せすると、宿の中に突入する事を決めた。
「榊原さんたちはここで待っていてください。万が一の時に守れないと困りますので」
「わかりました」
簡単にそう言葉を掛け合うと、柊たちは拳銃を構えながら宿の中へ一斉に突入していく。そして、捜索の結果はすぐに出た。
「榊原さん!」
中から柊の声が響き、それを受けて榊原と亜由美も宿の中へ足を踏み入れる。未だに地震で多くの物が散乱したままの室内を通り抜け、声がした方へ向かうと、一階のラウンジの床に美作頼元が倒れているのがはっきりと見えた。
「美作さん、大丈夫ですか! しっかりしてください!」
美作の周りに刑事たちが集まり、柊が必死の形相で頼元を介抱している。当の美作は顔面蒼白でぐったりしており、時折苦しそうに呻き声を上げているのがわかった。
「どうですか?」
「……生きてはいます。ですが、腰を刺されていて意識がありません」
改めて見てみると、美作の腰の辺りに果物ナイフが突き刺さったままになっているのが見えた。幸いというか何というか、ナイフが栓の役割をしているため出血はそこまでないようだったが、抜いたが最後、出血多量で死亡してしまう事は誰の目にも明らかである。
「下手に動かすとまずいな。誰か出島先生を呼んできてくれ! 急げ!」
柊の指示に、刑事の一人が表に飛び出していく。が、仮に出島医師がすぐに来たとしても事態は予断を許さない。何しろ、これだけの大怪我の患者を手術できるだけの設備は蝉鳴診療所にはないのだ。一刻も早く設備の整った大病院に輸送する必要があるが、村に通じる道は地震でふさがっている状況なのである。
と、ここで榊原がある提案をした。
「そう言えば、怪我をした左右田元村長を輸送するためにドクターヘリが来るという話をさっき聞きました。そこに同乗させてもらう事はできませんか?」
榊原の提案に、刑事たちもハッとする。
「それだ! すぐに部長から上に連絡してもらって、同乗の許可をもらおう」
「しかし、左右田元村長がごねませんか?」
「緊急事態だ! この状況ではこっちの方が緊急性は高い! 左右田元村長だろうが誰だろうが、文句は絶対に言わせん!」
それから十分ほどして、さっき飛び出していった刑事が出島医師を連れて美作宿に戻ってきた。出島は床に倒れて動かない美作の姿に一瞬息を飲んだが、すぐに表情を引き締めて治療に入る。
「危険な状況です。応急処置はできますが、すぐに手術しないと」
「左右田元村長の輸送のために手配したドクターヘリで岐阜まで運びます」
「ドクターヘリ? し、しかし、あれは左右田村長の……」
「すでにうちの部長を通じて上の許可は得ています。それとも先生、医者であるあなたが治療の優先度を捻じ曲げるつもりですか」
柊にそう言われて、さすがに出島もグッと顔を引き締めた。
「……馬鹿にしないでください。さすがにそこまで医者の良心を捨てたつもりはありません」
「結構。では、輸送の準備をお願いします」
出島は真剣な表情で頷くと、美作を運ぶための担架の準備を始めた。その間に榊原たちは今後の対策を練る事にする。
「美作清香の姿は?」
榊原の問いかけに、柊は首を振る。
「一通りこの建物の中は調べましたが、彼以外に人影はありません」
「逃がしたか……」
「しかし、一体どこへ? 彼女だけで村から出る事は事実上不可能に近い。となれば、村のどこかにいる事になりますが、それでも車椅子では行ける場所に限度があるはずです」
まして今は地震の発生に伴い、いつもと違って後片付けなどのために多くの村人が外に出ている状況だ。つまり住宅エリアなどでは簡単に人目についてしまうのである。
「考えられるのは……村の東西にある林業エリアか、あるいは北にある千願寺の跡地ですかね。蝉鳴神社は今しがた警察が裏道の捜査をしていましたから、わざわざ向かうとは思えません」
「……そう、ですね」
とにかく、こうなったら一刻の猶予もない。柊は数人の刑事を美作の介抱のためにこの場に残し、残る刑事たちを三グループに分けてそれぞれの場所へ向かう事にした。柊や榊原たちは千願寺へ向かう事にする。
「急ぎましょう。こうして父親に手を出した以上、もう彼女自身、自身が犯人である事を隠すつもりはないのかもしれない。最後の犯行を達成される前に、必ず阻止しないと」
「わかっています」
榊原たちは美作宿を飛び出していく。そして、彼らが千願寺方向から一発の銃声を聞いたのは、それから十数分後……村の北東にある千願寺へ向かう道の入口に到着した直後の事であった……
……そして、舞台は再び現在の千願寺へと戻る。その場の誰もが固唾を飲んで見守る中、名探偵・榊原恵一と殺人鬼・美作清香の死闘の幕が今まさに切って下ろされようとしていた。
「改めて、最初から順に説明しよう。まず、私があの神社に別の経路があるという事実に気付くきっかけとなったのは、神社の書庫で涼宮事件前後に開催された寄合の資料を見た時だった。その寄合では次の巫女を決めるための話し合いが行われていたようだが、この話し合いの内容そのものは問題ではない。問題なのは、この会合に形だけとはいえ当時の巫女である美作清香……つまり君が出席していたという事だった」
榊原の静かな追及に対し、清香は無言のままどこか無邪気でありながらこの場にそぐわない微笑みを浮かべて応じた。だがその手に握られた拳銃は、足元でうずくまる堀川盛親の方につきつけられたまま一切動く様子がない。少しでも何かあれば即座に発砲できるようにしてあるようだ。榊原はそんな彼女の様子に気を付けながら、推理を進めていく。
「寄合の記録によると、涼宮事件が起こるまでの寄合は蝉鳴神社の社裏手にある集会場で行われていた。まぁ、次期巫女を決めるための寄合なのだから神社内の施設で会合を行う事に問題はないし、さっきも言ったように、その寄合に形式上巫女を続けている事になっている君が出席するのも当然の話だ。だが、この寄合にはそれとは別にどうしても見過ごせない問題が存在する。それは、神社境内の集会場で寄合を行ったのだとすれば、どうやって車椅子の君を石段の上にある神社の境内まで運んだのかという問題だ」
そう、もしあの神社に石段以外の出入口がないのだとすれば、車椅子の美作清香が神社境内の集会場で行われる寄合に出席する事が物理的に不可能になってしまうのである。
「もちろん、強引に車椅子ごと持ち上げて石段から運ぶ事が不可能とは言わないが、それをするには複数人で持ち上げる必要性があり、そんな苦労をするくらいならわざわざ神社の集会場を使わずとも車椅子の人間でも行ける他の場所で寄合をすればいいだけの話だ。実際、涼宮事件が起こった後の寄合は役場の会議室で行われているから、絶対に神社の集会場を使わなければならない理由もなかったはず。にもかかわらず、神社の集会場を会場にして実際に車椅子の君が寄合に参加している以上、車椅子の君が神社の境内に入る事ができる『第二の経路』が神社のどこかに存在するのは確実だと考えた。雪倉建業が神社の補修工事を請け負っていたという事実も、それを行うための工事車両が神社内に入るための経路があるはずという観点から、この推理を補強するものだった」
いったん言葉を止め、清香の様子を見ながら榊原は話を続ける。
「かくして、神社に石段以外の経路が存在するはずという推理はほぼ確実なものとなった。その上で、君が犯人であると確信する決定打となったのは、裏経路を封鎖していた南京錠が別の物とすり替えられていたという事実だった」
榊原は慎重に自身の論理を進めていく。
「南京錠の入れ替えの事実は、誰かが南京錠をチェーンカッターか何かで切断して扉を開放して境内に侵入し、その後別の南京錠を設置する事で裏経路からの出入りがあった事を隠蔽する目的があったと考えられる。そしてそれは、あの神社で犯行を行ったこの事件の真犯人の仕業と考えて間違いはあるまい。それ以外にそんな工作を行うメリットを持つ人間がいないのだからこの結論は当然だ」
榊原の言葉に清香は一切反応も返答もしない。ただ、微笑みを浮かべて榊原の話を聞いているだけである。それでも榊原は自身の推理を紡ぎ続ける。
「だが、そう考えると同時にある結論が浮かび上がる。それはすなわち、この南京錠の入れ替えを実行した『真犯人』は、少なくとも健常者ではあり得ないという結論だ。なぜなら、もし犯人が健常者であるなら、わざわざ南京錠を切断して扉を開放するまでもなく、扉をよじ登るなりして境内に侵入すればいいだけの話だからだ」
「……」
「あの裏経路を封鎖していた扉は、南京錠こそかかってはいたが高さ二メートル前後で、なおかつ金網製のものだった。それ以外の、例えば動体感知センサーや高圧電線、警備会社への自動通報といった本格的なセキュリティが仕掛けられているわけではない。ならば侵入するだけなら、別に南京錠を破壊せずとも金網に足をかけて扉をよじ登って神社に侵入すればいい。そうした方が時間的、労力的にも節約できるし、何より無駄な証拠を残す余地がない。だが、実際の犯人はそのどう考えても効率的かつ安全な方法を採らず、証拠が残るリスクまで犯してわざわざ別の南京錠まで用意し、元からかかっていた南京錠を切断して扉を開放するなどという面倒極まりない手法を行っている。なぜか? ……それは単純に犯人が足に何らかの怪我、もしくは障害を負っており、扉に足をかけて乗り越えるという手法が使えなかったからと解釈する他ない。そして、この村の関係者の中でそれに該当する人間はただ一人……車椅子での生活を送っていた美作清香、君しか考えられないというわけだ」
裏経路の存在そのものだけでは犯人を絞る事はできない。正面の石段から境内に入るところを村人に見られるのを避けるためにあえて裏経路を使ったと解釈する事もできるからだ。だが、犯人が裏経路を使った上で、なおかつ扉を乗り越える事もせずにわざわざ南京錠を破壊して境内に侵入していたとなれば話は別である。そのような行動をとるのは、石段を上る事ができず、なおかつ二メートル程度の金網製の扉すら乗り越える事ができない人物しかありえないからだ。そして大量の容疑者の中でそれに該当するのは、車椅子で生活を送っている美作清香しかありえないというのが榊原の出した結論だった。
「そして、このタネを理解した上で事件を振り返ってみれば、これと同じ理論が雪倉家での殺人でも適用できる事がわかる。あの事件において、犯人は釘木久光を殺害までして雪倉家の裏口の鍵を奪い、さらに屋敷の見張りをしていた二人の刑事をも殺害した上で、正面から雪倉家の敷地内に侵入して殺害を実行している。しかし、冷静に考えてみれば屋敷の敷地内に刑事に気付かれずに侵入するだけなら、別に馬鹿正直に真正面から入る必要性は一切ない。あの屋敷の敷地は広大で警察が見張るのにも限界があり、実際に殺害された刑事たちも二つある正面の出入口を見張るだけで精一杯だった。となれば、周囲の壁の一角に梯子でもかければ見張りの刑事に気付かれる事なく敷地内に侵入する事は充分可能のはずだ。実際、三件目の事件の際に被害者の雪倉美園はまさにその手段を使って見張りの刑事の目を誤魔化しつつ屋敷からの脱出に成功している。しかし、どういうわけなのか犯人はどう考えても一番楽なその手段を採る事なく、余計な二件の殺人までして正面からの侵入にこだわっている。なぜか? それは神社の一件と同じく、犯人は梯子を使った屋敷内への侵入ができなかったからだと考えるしかない。いくら無関係の人間を巻き込むのに躊躇がない犯人とはいえ、下手に殺人を失敗して正体がばれるリスクがある以上、避けられる殺人は避けようとするはずだ。それをしていない時点で、犯人に梯子を使った侵入ができない何らかの理由があるのは自明だった。正直……雪倉家での犯行発覚の時点でこの理論に気付くことができていれば、もう少し迅速に君への疑いを抱く事ができただろうに……そこだけは悔いが残るよ。それ以降、新たな殺人を起こされなかった事だけは救いだがね」
榊原の告発を、美作清香は無言の微笑みで受け止めた。その場に異様な空気が漂う。
「で、でも榊原さん! 彼女は十年前の事故で脳に障害が……」
亜由美が恐る恐る言うが、榊原は小さく首を振った。
「少なくとも、彼女の外傷性脳障害はある程度まで回復していると私は考える」
「ある程度って……」
「要するに精神面……つまりちゃんと人並みに考えられるだけの思考力や言語能力、知識力、それに記憶力はすでに取り戻していると考えるべきだ。さすがに一連の犯行形態を見るに、肉体的な障害……つまり車椅子を使用する原因となっている下半身不随の症状までは完治していないとは思うがね。いずれにせよ、そう考えなければこの状況や今回の事件に説明がつかない」
確かに、目の前で銃を構えている彼女は、狂気じみてはいてもちゃんと自分の意志を持っているように見える。少なくとも、幼児退行化しているように見えた今までの彼女のふるまいとは明らかに違うのが見て取れていた。
「人間の精神分野は今でもわかっていない事が多いし、他人が他人の精神状況を判断するのがどれだけ難しいかは、数多の重大事件の刑事裁判で何度も精神鑑定が行われ、その都度その精神鑑定が正しいかどうかで裁判が紛糾している事を見ればわかるだろう。まして彼女自身が自分からそうした態度を装っていたとなれば、それを判別するのは専門の医者でも難しい話だ」
「でも、専門医が演技を見抜けないなんてあり得るんですか? 確かに精神鑑定が難しいのは間違いないと思いますけど、だからって当時小学生だった彼女の演技を見抜けないなんて……」
亜由美はなおも食い下がるが、榊原はこう続けた。
「私の予想では可能性は二つ。一つは、専門医が実際に診察をした十年前の事故直後の時点で彼女は本当に脳障害を起こしていて、その後どこかの時点で障害が回復をしたというケース。この場合、彼女は回復したにもかかわらずその事を誰にも告げず、あくまで障害が続いている演技を続けてきたという事になる」
そして榊原はさらに厳しい表情でこう続けた。
「そして二つ目は、事故直後の最初の時点から彼女は脳障害など負っておらず、故に最初から今に至るまでがすべて演技だったというケース。ただしこの場合、君の言うように当時小学生だった彼女が専門医を騙すのはかなり厳しい。それでもこの演技が成立したとなれば、事故直後に彼女の治療をして脳障害の診断を下した専門医……つまり、先代の蝉鳴診療所所長である故・沖本吉秀医師が診断書の偽造という形で彼女の脳障害の演技に協力した、もしくは積極的に脳障害の演技をするように指示した可能性が浮上する。要するに、正真正銘の専門家である沖本医師の協力さえあればこの偽造は充分に可能であるという事だ」
「沖本医師が偽造したって、どうしてそんな事を……」
亜由美は絶句するが、榊原はなおも止まらなかった。
「それは、彼女が巻き込まれたという十年前の事故そのものに何かがあったからだろう。端的に言うが、十年前のあの事故は、誰かが故意に自動車のブレーキに細工をした結果発生したものではないかと私は考えている」
榊原の衝撃的な発言に、亜由美はもう何も言えない状態だった。
「この村の一部の人間の巫女に対する執着を考えれば、そんな事を考える人間がいるのも充分に予想ができる。巫女が死亡すればおのずと次の巫女選定が始まり、それはすなわち、予定よりも早く巫女になれるチャンスが他の人間に廻って来るという事でもある。十年前の事故当時の彼女の年齢は十一歳。本来なら二十三歳になる二〇〇九年まで巫女を続けていたはずで、そうなれば彼女と同学年かそれに近い学年の人間に巫女になるチャンスはなくなる事となる。彼女が巫女を辞める時には、自分ももう巫女になるには年齢を重ね過ぎる事になるからだ。しかも彼女は村の有力な家の人間ではなく、そうした有力な家同士の巫女争いを嫌った先々代巫女の大島瀧江によって選ばれた存在だった。となれば、その処置自体に不満を持つ人間がいたとしてもおかしくない。さらに言えば、巫女選出は本来巫女自身が最終判断を行って決定するが、当の巫女が死亡もしくはそれに近い状況になればそれが不可能になり、村の寄合で決定せざるを得なくなる。つまり……『巫女の意向』という本来どうしようもない不確定要素を排除し、自身の有利な人間を巫女にするチャンスが生まれる可能性も発生するわけだ」
確かにそう考えれば、当時の美作清香の周囲はかなりきな臭い状況だったのは間違いなさそうだった。
「そうは言いますけど……ブレーキに細工って、そんな事が簡単にできるんですか?」
「この村に来た時、美作宿のバンが建物横の空き地に停められているのを見た。もし、十年前の事故を起こした車があの空き地に停められていたのだとすれば、ブレーキに細工をする事は不可能じゃない。空地への侵入を防ぐものは何もない上に、美作家の人間が寝ている時間帯でも狙って細工を行えば気付かれる事はまずないはずだからだ」
「そんな……」
「だからこそ、彼女は事故による脳障害がなくとも、それを他人に明らかにするわけにはいかなかった。なぜならそれが明らかになった瞬間、ブレーキに細工をした何者かが真実の発覚を恐れて、今度こそ彼女を消しにかかる事が容易に想像できたからだ。しかもこの村は都合の悪い事を隠蔽する悪癖があり、おまけに彼女は車椅子での生活を余儀なくされている状態だ。となれば、脳に障害が残っているふりをし続けるのが村で暮らすための最大の防御になる事は自明だろう」
「……」
「そしてそうなると、村のこうした状況を知っていた沖本医師が、事故直後の時点で脳障害などなかった彼女の命を守るためにあえて脳障害の演技の指示や診断書の偽造を行った可能性も現実味を帯びてくる。本来診察する側である沖本医師がちゃんと指導すれば、他の医師の診察でばれる可能性を消す事は充分にできたはずだ」
もちろん、最初から演技をしていたのか途中で脳障害が治ったのか、どちらが真実なのかは今後の捜査次第だがね、と榊原は付け加えた。
「……一体誰が車のブレーキに細工をしたんですか? まさか、今回殺された頼子さんたちが?」
亜由美が恐る恐る尋ねるが、それを否定したのは柊だった。
「いえ、それはないでしょう。事故があったのは十年前。当時の堀川頼子、安住梅奈、雪倉美園はまだ小中学生で、さすがに彼女たちが車のブレーキを細工できるとは思えません」
「だったら……」
「やったのは大人。恐らく、堀川家、安住家、雪倉家の人間のいずれかか、あるいは彼らが共犯でやったのかもしれない」
榊原ははっきりと断言した。
「左右田家は違うんですか?」
「事故後の対応からそれはないと判断する。事故後、美作清香が生き残ったため、寄合はひとまず様子見という事で彼女の巫女続投を一度は認めている。結果的に彼女が表向き完治しなかったため二年後に巫女選びが行われるわけだが、この方針を決定したのは記録によれば寄合の長である村長の左右田昭吉だ。もし彼がこの事故に何らかの形でかかわりがあるなら、美作清香の巫女続投など認めず、彼女が巫女の職務を続行する事が不可能である事を理由にして即座に巫女選出に移っていたはずだ。それができるだけの権力を左右田村長は持っていたはず。よってそれをしなかった時点で、左右田家はこの事故に関しては関わりなしと判断できる。……あくまでこの事故に関しては、だがね」
何か含みを持たせるように榊原はそう言った。
「社務所にあった歴代の寄合の議事録を調べたところ、左右田家とは違い、堀川家、安住家、雪倉家はこの事故直後の寄合で巫女の再選出を強く主張していた。事がここに至れば、彼らが怪しいと思えるのも当然と言えるのではないかね」
「そんな……」
「もっとも、事故そのものに関わりはなかったとは思うが、左右田家……もっと言えば左右田村長も事故の真相について薄々気付いていた可能性は否定できない。だからこそ意識不明の巫女の続投をあえて決議して彼らの思惑を潰し、後年の巫女選びで左右田家が不利にならないように三家を牽制した可能性もある。まぁ、この辺は推測に過ぎないがね」
そう言いながらも、榊原は小首をかしげる清香から目を離さない。
「記録によれば、事故当時、事故車両は崖から転落した衝撃で大破し、さらに何時間も炎上した状態でした。ブレーキに何か細工がしてあったとしても、今更それを立証するのは不可能ですし、恐らく当時の県警もそう判断したはずです」
柊も清香に視線を向けながら慎重にそんな言葉を発する。
「ですが、実際に事故に遭遇して生き延びた彼女本人は、事故の原因がブレーキの細工によるものである事までは把握できたはずです。しかし、それを仕込んだ相手が誰なのかまでは理解できず、仮にわかっていたとしても、当時子供だった彼女にはどうする事もできなかった、だからこそ彼女は脳に障害がまだ残っているふりをし続け、長年他の村人たちを欺き続けるしかなかった。そして、そのまま二年が経過し……そこであの『涼宮事件』が発生したのです」
榊原のその言葉に、背後の柊が緊張した様子を見せる。
「榊原さんの考えでは、『涼宮事件』も今回の一連の事件に関係しているという事ですか?」
「もちろんです」
「という事は……榊原さんには、我々警察が敗北を喫した八年前のあの事件の真相がわかっていると考えても構わないのですか?」
柊の問いかけに、榊原は間髪入れずに頷いた。
「そう考えて頂いて結構です」
それは、榊原がもはや伝説と化していた涼宮事件の真相にたどり着いたという宣言に他ならなかった。
「では、もしやとは思いますが、『涼宮事件』の犯人もこの美作清香だった、という事でしょうか?」
柊は相手を見据えながらもそんな問いを返すが、しかしその問いに対して榊原が示した答えはまさかの「否」だった。
「いいえ、さすがにそれはないでしょう。八年前の事件当時の彼女は十三歳で、車椅子なのは今と変わりがありません。その状況で『涼宮事件』のように被害者の胴体に槍を突き刺すなどという犯行ができるとは思えません。また、美作清香が涼宮玲音を殺害する動機も調べた限りでは確認できませんでした」
ただし、と言い添えた。
「さっきも言ったように、『涼宮事件』が、今回美作清香が犯行を決行した動機に深く関与しているとは考えていますがね」
「ならば、『涼宮事件』の犯人は、一体誰だったというんですか?」
せかすように尋ねる柊に、榊原はあくまで冷静に答えた。
「まず、前提条件として、『涼宮事件』には当時この村で起こっていた巫女をめぐる争いが深く関係しているのは間違いないと考えます。この巫女選定を巡るトラブルを村側がひた隠しにしたからこそ八年前に警察は真実にたどり着く事ができなかったわけで、さらに今回の事件の発端がこの巫女争いについて書かれた『小里ノート』である事を考えると、事件の根幹にこの巫女争いがあった事は明確でしょう。そして、当時の巫女争いの構図をもう一度整理するとこうなる。八年前当時、事故の後遺症で巫女が続行不可能になった美作清香に代わる巫女選びが行われ、寄合の中で当時村に引っ越してきたばかりの涼宮玲音が最有力候補になった。ですが、これに納得いかなかった同年代の少女たちやその親にあたる村の有力者たちがこれに反発。小里ノートの記述によれば、大人に隠れたところで涼宮玲音に対するいじめに近い嫌がらせが行われていたらしい。そして、その嫌がらせを行っていた人物は複数おり、それが今回殺された堀川頼子、安住梅奈、雪倉美園の三人だった可能性が極めて高いという事までは私の調査でわかっています」
そう前置きしてから、榊原は唐突にこう続けた。
「さて、この条件の下で犯人が誰なのかを考える前に、一つはっきりさせておかなければならない事があります」
「はっきりさせておきたい事、ですか?」
「えぇ。それはすなわち、『そもそもこの村における巫女の役割とは一体どのようなものなのか?』という点です」
それは、事がここに至ってあまりにも根本的な問題だった。
「役割……と言われても」
「私が調べた限り、この村における巫女の役割はいくつかあるようですが、そのうち一番大きいと思われる役割が『式典の際に神社の境内で演舞を行う』というものです。つまり、巫女になる条件として、例の二十三歳ルール以外にこの『演舞』ができるという条件がある事になる。美作清香が事故後に巫女を外される事になったのも、精神面云々ももちろんあったでしょうが、それよりも車椅子の生活になってこの演舞をできなくなったという面が非常に大きかったと私は思っています」
そこで榊原は一際声を鋭くした。
「しかし、当時この村に引っ越してきたばかりで、演舞自体をあまり見た事がない涼宮玲音は自分がその演舞をできるかどうか不安だったはずです。ですが、村の寄合では玲音を巫女にする事で既定路線になりつつあった。これだけ裏で色々動いているのに今さら辞退するというわけにもいかない。そこで当時、彼女は誰にも秘密である事をしていました。それが何かという事は、今回送り返されて来た小里ノートにはっきり記されています」
そう言われて、実際にノートを読んだ亜由美が何かピンときたように呟いた。
「確か……神社の境内でその演舞の練習をしていたんですよね」
「あぁ。実際に、柾谷健介が神社の境内で練習をしている彼女を目撃した事があるとあのノートには書かれている。この記述により、『涼宮事件』における大きな謎の一つだった『なぜ学校から出た後、被害者は直接家に戻らず神社に向かったのか』という問題に答えが出たわけだが、今はその点については置いておく。問題にしたいのは、その時具体的に彼女が境内でどんな練習を行っていたのかという点だ」
「どんな練習って……普通に舞の練習じゃ……」
亜由美は戸惑った風に言うが、榊原は首を振った。
「単に練習をするだけなら別に自宅でやっても構わないはずだ。にもかかわらずわざわざ神社で練習をしたのには理由があるはず。その上で……今回常音さんに実際に問題の舞を見せてもらったわけだが、彼女はその際に小道具として例の『槍』を使っていた。常音さんの話では今使っている槍は子供でも扱えるように本物より少し重さを軽くしたレプリカだそうだが、事件発生までは十五歳以上の巫女についてはあの事件で凶器となった『戦国時代から伝わる本物の槍』が舞に使われていたらしい。当時の彼女は十七歳で、実際の演舞で使用するのは重さのある本物の槍の方だ。当然、実際に舞の練習をする以上、この槍を使った訓練は必要不可欠になるはず。だとするなら、彼女がどんな練習をしていたのかもおのずと明らかになる」
そこまで言われて、柊は何かに気付いたように呟いた。
「榊原さんは……涼宮玲音が実際の槍を使った練習を行っていたというつもりですか?」
「えぇ。もちろん、社に飾られている重要文化財級の槍を使う以上は先代神主の油山山彦氏の許可は得ていたと思いますが、そんな槍を練習に使う以上、当然自宅でやるというわけにはいきません。だから彼女はわざわざ毎日神社まで行って極秘の練習を行っていた。事件直前に山彦氏は急死し、後任として息子の海彦氏が帰ってくる事になったのですが、それでも彼女は下校時に神社に寄り、少しずつでも上達できるように境内で演舞の練習を行っていた」
そこで榊原は声を低くする。
「ですが、ここで問題なのは、涼宮玲音の巫女就任には堀川頼子をはじめとする同年代の少女たちが反発していて、日頃から涼宮玲音に対するいじめめいた嫌がらせが行われていたという事実です。さて、そんな彼女たちが、仮に涼宮玲音が毎日極秘の演舞の練習を行っている事を知った場合、どのような行動に出ると考えられますか?」
そう聞かれて柊は少し考え込んだが、やがてハッとしたように呟いた。
「もしかして……演舞の練習の妨害ですか?」
「えぇ。普段から嫌がらせをしていた事から考えても、十中八九、練習の妨害を行おうとするはずです。それで彼女が実際の演舞を失敗すれば彼女の巫女就任そのものに疑問符がつく事になりますし、そこから玲音が巫女候補から外されて、それ以外の人間による巫女の再選出が行われる可能性だってあるわけです。では、当時小中学生だった彼女たちが、涼宮玲音に気付かれないように彼女の練習を妨害するにはどうすればいいと思いますか?」
その問いに答えたのは、柊ではなく亜由美の方だった。
「まさか……練習に使う槍を隠したんですか?」
そう……小中学生の彼女たちが練習の妨害をしようとすれば、どうしてもそのような形になってしまうのである。
「そうだ。演舞に必要不可欠なあの槍を隠してしまえば、彼女は練習をする事ができなくなってしまう。もちろん、神社の主である山彦氏が生きている間はそんな隙はできなかったはずだが、運悪く山彦氏が亡くなってしまい、後任の海彦氏がやって来るまでに神社が無人になる空白の期間が発生してしまった。そしてその期間を見計らい、彼女たち……具体的には当時の巫女候補かつ今回殺害された堀川頼子、安住梅奈、雪倉美園の三人は、槍を隠す作戦を共謀して実行に移してしまった」
「その三人だけですか? 同じ条件なら後に巫女になった左右田常音も該当すると思いますが」
柊がすかさず突っ込みを入れるが、榊原がすぐにこう答える。
「いえ、ある理由から左右田常音はこのいじめ行為に加担していないと判断します。その理由については後ほど説明しますので、現時点では保留という事でお願いします」
「……わかりました」
柊はそう言って一度引き下がる。と、今度は亜由美が口を挟んだ。
「でも、どこにその槍を隠すんですか? 物が物ですから、下手に持ち歩いたらそれだけで怪しまれます」
亜由美の疑問に、榊原は即座に応える。
「君の言うように、人目につくから神社から槍を持ち出す事は不可能だ。だからと言って社務所みたいに簡単に見つかりそうな場所に隠しても意味がない。よって隠すべき場所は、神社の境内にあって誰も絶対に足を踏み入れないような場所だ。そして、そんな場所があの神社には一ヶ所だけ存在した」
榊原が回答を告げる。
「言うまでもなく、神社裏手の崖の上の祠がある洞窟だ。事実上の神域だけあって村の人間が入る可能性はほぼないし、隠し場所としては絶好の場所だっただろうな」
亜由美の頭にこの村に着た最初の日に案内してもらったあの洞窟奥の祠の姿が浮かぶ。確かに、神社の境内ではあの場所以上の隠し場所はなさそうだった。
「あの日、堀川頼子たち三人は涼宮玲音が来る前に神社に侵入し、社に飾られていた槍を崖の上の祠に隠そうとした。祠までは狭くて急な石段だ。演舞で振り回すのとはわけが違うし、問題の槍は小中学生の巫女が使う軽いレプリカではなく、それなりの重さがある本物だった。三人がかりとはいえ、小中学生の女子が槍を持って登るのにはさぞ苦労した事だろう。そしてその後、涼宮玲音が神社に来るとどういうわけか槍がなく、彼女は慌てて境内を探し回ったはずだ。練習するだけならレプリカでできなくもないが、なくなったのは重要文化財級のこの村の宝物。練習なんか後回しにして必死になって探すのは当然だろう。……さて、ここまで言えば、この後何が起こったのか予想がつくのではないかね?」
榊原のその問いに対し、柊と亜由美の頭には最悪の予想が浮かんだ。槍を持って崖の石段を必死に上る頼子たち。その下の境内で槍を探す涼宮玲音……そこまで当時の光景を思い浮かべる事ができれば、この後どのような惨劇が発生してしまったのかなど、誰にでも容易に想像ができてしまう。
「崖の上から……槍を落としてしまったんですか?」
そしてその『最悪の想像』を、亜由美がすっかり血の気が引いた顔で告げた。
「恐らく、故意ではなかったはずだ。いくら普段からいじめをしていた彼女たちでも、玲音を殺害する意図まではなかったはずだからな。だから恐らく、重い槍を持って石段を上る途中でうっかり手を滑らしたとかそんな感じだったんだろうとは思うが……その結果、暗闇の中、崖の上から神社の境内目がけて一本の槍が落下していく事になった。そしてさっきも言ったように、この時境内には槍を探している涼宮玲音がいた」
その結果、生じる事象は明白である。柊がその結論を告げた。
「落ちた槍が……境内にいた涼宮玲音を直撃し、彼女の体を刺し貫いてしまったという事ですか!」
「えぇ。裁判資料によればそれなりの重さの槍だったようですし、神社裏手の崖の高さもかなり高かった。そこから槍が落下して下にいる人間に直撃すれば、その人間の胸を貫通して地面に突き刺さるくらいの事は確実に起こるでしょうね」
暗闇の中、神社の境内で地面に突き刺さった槍に串刺しになっている涼宮玲音……それは、想像するのもおぞましい、あまりにもむごい死に様だった。一瞬の事だったため、恐らく当の本人は何が起こったかわからないまま即死したはずだ。
「涼宮事件の疑問の一つに、なぜ犯人がわざわざ被害者を槍で串刺しにして殺害したのかというものがありました。ですがこの推理が正しいなら、犯人が被害者を串刺しにした理由にも明確に説明がつきます。今回の美作清香の犯行と同じです。犯人は好きでそんな殺害方法を選んだわけではなかった。この犯行形態は、犯人にとって意図せざる原因によって発生したものだったのです。また、従来は槍で人の体を貫くという犯行形態から犯行時に相当な筋力が必要とされていたのですが、この犯行なら犯人側にそこまでの力は必要とされません。崖の上まで槍を持っていく事さえできれば、非力な子どもにも理論上は犯行が可能となります」
「じゃあ、『涼宮事件』の真相は……」
「厳密に言うなら殺人ではなく、当時小中学生だった少女たちによる限りなく事故に近い『過失致死』事件だった。私はそう考えます」
とはいえ、法定上は「過失致死」とはいえ、起こった結果は殺人に匹敵する悲惨極まりないものである。
「で、でも、実際にはその後、涼宮玲音は社の中で壁に槍で貼り付けにされて見つかっています。それをしたのも頼子さんたちだったんですか?」
亜由美の問いに、しかし榊原は首を振った。
「いや、何度も言うようにこの一件は彼女たちの意に反した事故に近いものだったと考えられる。当然、事件発生直後に被害者をこんなむごい状況で殺してしまった事を知った彼女たちはパニックに襲われたはずだ。いじめをしていたとはいえあくまで彼女たちは小中学生の少女だ。どうすればいいかわからなくなり……確実に誰かに助けを求めるはずだ」
「助けを……」
「有体に言って、恐らくは自身の家族……具体的には親に連絡を取ったはずだ。他に頼れる人間がいないのだからそう考えるしかない。携帯がまだそこまで普及していなかった時代とはいえ、社務所南の書庫の中には固定電話が備え付けられている。近くの植木鉢の下に隠してある鍵の存在さえ知っていれば書庫に入る事はできるから、そこから電話で助けを求めたと言ったところか。そして、彼女の親たちはこの神社に駆け付けた」
と、そこで亜由美はある事に気付いたようだった。
「じゃあもしかして、事件当日の午後六時半に目撃された『扇島証言』の正体は……」
「あぁ。状況的に考えて、娘たちの連絡を受けて慌てて神社に駆け付けた親たちのうち誰か二人が目撃された可能性が非常に高い。目撃された二人のうち一人が『女性』だった事から考えると、恐らくは条件に該当する雪倉家の統造・笹枝夫妻がその人影の正体だったとは思うがね。まぁ、今となっては些細な問題だ」
長年謎に包まれていた『扇島証言』の謎をいともあっさりと解き明かすと、榊原はさらに話を進めていく。
「とにかく、連絡を受けた親たちは慌てふためきながらこの神社に駆け付けた。そしてそこで、あまりにも凄惨すぎる現場を目撃する事になった」
それは彼らにとって頭を抱えたくなるような事態だったに違いない。事故とはいえ、自分たちの娘が人を殺してしまったのは事実である。もしこれが表沙汰になれば、将来の巫女候補どころの話ではない。最悪、娘たちが逮捕もしくは補導される可能性さえ出てしまうのである。そしてそんな事になれば、村における自分たちの権威が失墜する事を意味していた……。
「だから、彼らは事件を隠蔽する事にした。とはいえ、ここまで派手な死に様になっている以上、彼女が死んだ事そのものを隠す事はできない。彼らが仕組んだのは、『事故現場を偽造し、自分たちとは関係ない第三者による殺人事件に見せかける』事で警察の捜査をかく乱し、彼女たちが罪に問われる事を防ぐという手法だった」
「事故を……殺人に偽装する……ですか」
あまり聞かない話だった。逆の「殺人を事故に偽装する」というならそれなりにある話ではある。だが、彼らは必死だったのだ。
「彼らは境内の地面に串刺しになっていた被害者を、槍を体から抜かないまま地面から引き抜いて血を滴らせないようにしながら社の中に移動し、改めて壁に貼り付けにした。槍さえ抜かなければ出血はそこまで大した量ではないはず。無論、一人ではかなり難しいが、予想が正しければこの隠蔽工作には当事者である堀川頼子、安住梅奈、雪倉美園の親たちがほとんど関わっている。複数人いれば、遺体の移動も充分可能だろう。こうする事で、被害者は槍で胴体と刺し貫かれて社の壁に貼り付けされた事になり、そんな力任せの犯行が不可能な頼子たちに嫌疑がかかる事はなくなるという寸法だ」
「で、でも、それでも本来の現場には血だまりみたいな痕跡が残るはずです。殺人事件となれば警察も本格的な鑑識をするはず。それをどう誤魔化したんですか?」
亜由美の問いに対し、しかし榊原はすでに答えを用意しているようだった。
「神社の境内を調べた時だがね……少し気になる事があった」
「気になる事、ですか?」
「あの神社、境内の石畳の通路沿いにたくさん石灯篭があった。具体的には、石段から社へ続く石畳沿いに左右三個ずつ。その途中から社務所の前を経て社裏手へ行く石畳の左側……つまり社務所側に三つ。そして社裏手に出てから背後のご神体の祠へ続く石畳沿いに左右三個ずつ。合計十五。これがあの神社の境内に『実際』にある灯篭の数だ」
いきなり変な事を言い始めた榊原に亜由美たちは戸惑いを浮かべるが、榊原は動じずに続ける。
「だが、『雪倉建業』の事務所内を捜査した際に発見されたあの神社の修復工事の記録を確認したところおかしな事に気付いた。施工業者の雪倉建業は修復工事の際に灯篭の入れ替え及び新築作業も行っていたが、その際建造予定だった境内の灯篭の数は……記録上では全部で『十三』という事になっていた」
「あれ……二個少ない?」
そう……計画上の灯篭の数が、現在神社の境内にある灯篭の数より二個少なくなっているのである。つまり、今の境内には当初の予定よりも灯篭が余分に二個あるという状態なのだ。
「この修復工事が行われていたのはまさに涼宮事件があった頃で、修復作業のために境内には雪倉建業の工事用作業車が搬入されていた。ついでに……新しく作る灯篭の材料も」
「まさか……」
「この隠蔽工作に雪倉家の人間が絡んでいたとすれば、境内に残った涼宮玲音の血痕の上に灯篭を設置する事で隠蔽するという荒業が可能になるはずだ。いくら警察でも社内で発生した事件の捜査のために、文化財指定されている神社の灯篭をひっくり返すなんて事は絶対できないはずだからな」
それはまさに、警察関係者の想像をはるかに超えた隠蔽工作だった。
「で、でもそんな短時間で灯篭を組み立てるなんて……」
「できなかったら土台だけでも置いておけばいい。その状態でもこれをひっくり返そうとする警察関係者はいないはずだ。あとは警察の捜査が終わり次第、ゆっくりと組み立てれば目的は達成できる」
「でも、そんな灯篭が増えたら神主さんが怪しみませんか?」
「この修復工事を依頼したのは先代の油山山彦氏だが、山彦氏は事件直前に亡くなっており、次に来る海彦氏は長年この神社に帰っていなかった。海彦氏が灯篭の数の変化に気付かない可能性は高いし、気付いたとしても計画書を見せるわけでもないんだから、『山彦氏の依頼で増設した』とでも言えば誤魔化す事は充分に可能だ」
そして榊原は続ける。
「だが、本来作る予定ではなかった場所に灯篭を無理やり作ってしまった事で、完成した際の灯篭の配置がいびつな事になってしまった。だからやむなく配置する灯篭を二個追加する事で、そのいびつさを消そうとした。その結果、灯篭の数の矛盾という証拠を残す事になってしまったという事だろう」
ここから先は榊原の予想ではあるが、例えば当初の予定では社裏手の灯篭は石畳の左右二つずつの計四つだったのではないだろうか。この場合、石畳を一本の直線と見立てると、灯篭を配置するのは見栄えを考えてこの直線を三等分する場所にするのが普通である(灯篭は基本的に等間隔になるように設置するものなので)。ところが事件が発生し、例えば涼宮玲音がこの直線のちょうど真ん中に当たる場所で刺し貫かれたとするならば、隠蔽のためにこの場所に灯篭を設置せざるを得なくなる。が、直線の真ん中に左右セットで灯篭を設置してしまうと、残り二個の灯篭ではどうやってもこの区間の灯篭の配置がいびつになってしまう(やってみればわかるが、直線中央にすでに点を置いた状態では、もう一つの点を直線上のどこに設置しても、直線全体を等間隔に分割する事は絶対にできない)。そこでもう一セット(つまり灯篭二個)追加する事で、直線中央に固定された灯篭がある状態で、この直線を四分割する位置に残る二セットの灯篭を設置して灯篭を等間隔に設置する事が可能となるのである。
「私の予想が正しければ、距離的に考えて、崖に近い社裏手側にあるいずれかの灯篭の下から涼宮玲音の血痕が見つかるはずだ。それが見つかりさえすれば、そこが真の犯行現場である事……そして少なくとも、この隠蔽工作に雪倉家が関わっている事は立証できる。こんな灯篭を使った隠蔽工作を行えるのは、境内にあった工事車両を扱え、またその車両を動かす鍵を持っており、灯篭の数のごまかしそのものができる雪倉家の人間しかあり得ないからな。もっとも……今回の事件で一家全滅してしまった今となっては、後追い捜査で立証していくほかないがね」
そう言って榊原は一瞬清香を睨んだが、清香は相変わらず笑みを浮かべて榊原の話を聞き続けていた。
「かくして彼らは、見事に現場を隠蔽し、偽装の猟奇殺人を演出する事に成功した。しかし、殺人事件として捜査されている以上、犯人が見つからない限り警察の捜査が続いてしまう。だから彼らは、さらなる恐るべき隠蔽工作を実行した。……全く関係のない人間を犯人にでっちあげるという禁断の所業だ」
「その生贄に選ばれたのが加藤柳太郎だった……」
柊が呻き声を上げ、榊原は頷く。
「加藤が生贄になったのは成り行きからの偶然だったんでしょう。捜査の過程で警察が疑いを持っている人間がいて、これ幸いとそれに乗っかったという見方が正しいと思います。まぁ、彼が最近引っ越してきたばかりの余所者だったという点もあったとは思いますがね。そして、『大津留証言』『名崎証言』『扇島証言』という加藤氏に不利な目撃証言が出るに当たり、彼らは加藤氏を冤罪に陥れるためのとどめの一撃として、証拠の捏造を行って岐阜県警に誤認逮捕を引き起こさせたんです」
「証拠の捏造……」
柊が険しい声を発する。それは、涼宮事件の裁判で問題になった『被害者の血痕付きのジャージ』の事だろう。もちろん、岐阜県警側にも世論や村側の圧力による焦りや思い込みで捜査をして証拠の捏造を見抜けなかったというミスや、加藤氏に対する行き過ぎた取り調べなどの落ち度がないとは言えない。が、それでもそもそもあの誤認逮捕となった根本は村側の仕組んだこの捏造証拠にある事は間違いない。それだけに、村側の思惑にまんまとはめられた形の岐阜県警としては許せることではないだろう。
「……誰が証拠捏造をしたんですか? やはり、例の三家が?」
「いえ、確かに当事者である問題の堀川家、安住家、雪倉家も絡んではいたと思いますが……恐らくですが、この捏造には当時の左右田村長も絡んでいた可能性があります」
それは衝撃的な発言だった。
「左右田村長が?」
「えぇ。事がここまで大事になれば村の最高権力者であり全ての事情に精通している左右田村長に事の事情を知られないというのはまず無理でしょうし、捜査に圧力をかけるための上層部や世論への工作はそれなりの政治力が必要です。それができるのはこの村では左右田村長だけですから」
「……つまり、左右田村長は殺害事件や例の神社での隠蔽工作には加担していなかったが、加藤氏を冤罪に落とし込むための工作には加担していた、という事ですか?」
柊の指摘に榊原は頷く。
「その証拠に、事件直後の寄合で涼宮玲音の代わりに巫女に選出されたのは、左右田村長の娘だった左右田常音さんでした。この際、どういうわけか他の家の面々は自身の娘を寄合の席で推す事さえしなかったそうです。あれだけ巫女の座に執着し、その巫女争いの結果が涼宮事件につながっているにも関わらずです。今までその点がずっと疑問だったんですが、私はこの問題について、左右田村長と例の三家の間の裏取引によるものではないかと考えています」
「裏取引?」
「神社の隠蔽工作は行ったものの、その後の事……特に警察の捜査をかわしきる事についてあの三家は対処できるだけの力量がなかった。まぁ、どれだけ村の有力者だろうが、世間的に見れば村の一個人事業主に過ぎないわけですからね。そして捜査が始まり、進退窮まった三家は恐らく左右田村長に全てを打ち明けて協力を要請したのでしょう。左右田村長としても村の威信や世間体を守るためにはこの一件の真相が明らかになるのは都合が悪いはずであり、三家を警察に訴える事無く必ず協力するはずだというのが三家側の思惑だったはずです。思惑通り、左右田村長は彼らに協力する事を決めた。ですが、左右田村長側もこの状況を利用する事にしたんです。彼は三家に協力する見返りとして、次の巫女に娘の常音を就任させる事を条件に出し、それが認められないなら真相を警察に話すと脅した。三家としては家そのものの存続にかかわる事ですから、もはや巫女になれるかどうかなど言っている場合ではない。彼らはその条件を飲み……その結果、寄合では極めて不自然な状況で左右田常音が巫女に就任する事になったんです」
いったん言葉を切り、榊原は付け加えるようにこう続ける。
「実は、先程の涼宮事件の一件で左右田常音がいじめに加担していないと判断したのもこれが理由でしてね。もし、左右田常音が他の三人と一緒にいじめに加担して涼宮玲音の死に直接的に関係していたとすれば、事件後にこんな一方的に左右田家が動けるような事は起りえないからです。涼宮事件後、左右田家が他の三家を押さえてここまで優位に立ちまわる事ができたのは、自分たちには他の三家のような後ろめたい事がないという優位性があったからこそだった。なので、左右田常音が巫女に就任した際に他の三家が異議を唱えなかった事がわかった時点で、左右田常音が涼宮事件の犯人グループの中に入っていない……つまり、涼宮玲音に対するいじめに加担していないと判断するには充分でした」
「……ここまでの話、当の常音は知っているんでしょうか?」
その問いについて榊原は肩をすくめた。
「そこまではわかりかねますが、私に涼宮事件の解決を依頼してきた事を踏まえれば、知らなかったと考えるのが妥当かと思います。知っていたら私にそんな依頼をして自身の身を危険にさらすような事をするとは思えませんから。もっとも身内の事です。薄々疑惑程度は感じていた可能性は否定できませんが」
こればかりは常音に直接聞いてみるしかない、事がここに至れば、常音も嘘をつくような事はないだろう。
「とにかく、村側の思惑通り岐阜県警は加藤氏を逮捕し、彼らの思惑は成功したかのように見えた。ですが所詮は素人。犯罪史に名を残す法廷論争の末に、加藤氏の無罪は立証されてしまった。そこだけは彼らにとって計算違いだったとは思いますが、それでも涼宮事件の真相が明らかになるという最悪の事態だけは今この時まで避け続けていたんです。しかし……この涼宮事件の真相に気付いた人間がいた」
そして、榊原は清香に視線を向けた。
「君だよ」
清香は答えない。何かを試すかのように榊原を見続けている。
「具体的にはわかっていないが、君と涼宮玲音、そして『小里ノート』の送り主である死刑囚・葛原光明の間には何らかのつながりがあったはずだ。葛原は二〇〇三年頃に涼宮事件についての論文を書くための取材の一環でこの村を訪れているから、君と葛原がつながったとすれば恐らくその辺りの話だろう。そして、恐らく君は葛原が送りつけてきた『小里ノート』の記述から、君をそんな目に遭わせた十年前の自動車事故と、涼宮玲音が殺された涼宮事件の真相を解き明かす事に成功してしまった。今回殺害された面々は、巻き添えで殺害された人間を除けばすべて君の自動車事故と涼宮事件に関与したと思しき人間ばかりだ。ただ、加藤柳太郎への罪の擦り付けのみに加担したと思しき左右田家の人間は標的になっていない。となれば、君の目的は涼宮事件全体に対する復讐と言うよりは、純粋に涼宮玲音個人の復讐であり、同時に君自身の復讐と考えるのが妥当だろう」
「……」
清香は無言で榊原を見据えている。そんな中、榊原は具体的に各事件の謎解きを開始した。
「一連の犯行を改めて整理するとこうなる。第一の事件当日、君はまず何らかの手段で堀川頼子と連絡を取り、彼女自身に身を隠させた」
「でも、一体どうやって……彼女がそう簡単に誰とも知らない人の言う事を聞くとは思えないんですが」
困惑する亜由美に対し、榊原は清香から視線を外す事なく言葉を続ける。
「重要なのは、この段階ではまだ今回の連続殺人は起っていないという事だ。つまり、やり方次第で被害者をある程度誘導する事ができるという事でもある」
「誘導、ですか?」
「鍵を握るのは、堀川頼子が約半年前におやじ狩りグループの一人として、岐阜市内で岐阜市議会の天田議員を襲撃する事件を起こしていた事だ。当然ながらこの事実が明るみに出てしまえば、彼女の立場は究極の危険にさらされてしまう。警察に逮捕されるのは確実だから巫女への選出どころか大学への進学も絶望的になる上に、被害者が岐阜市議会議員である以上、村にかくまってもらえる可能性もほぼゼロに等しいだろう。となれば、もし犯人がこのおやじ狩り事件の真実を知っていたとすれば、この一件をネタにして堀川頼子を脅迫し、意のままに操る事が可能だったという事になる」
「いや、しかし、それこそどうやって美作清香は堀川頼子がおやじ狩り事件の犯人の一人だと気付いたんですか? この村から一歩も出ていない彼女が、警察にも気付けなかった事件の真相に辿り着けるとはとても思えないんですが」
柊はもっともな反論をするが、榊原はその問いに対してもちゃんと答えを用意していた。
「これはあくまで推測ですが、情報源は恐らく、事件発生時に盗まれたという天田議員の財布です」
「財布?」
「まず、問題の財布は犯人グループのうち三人が捕まった今も見つかっておらず、その三人の自供から中身の現金はグループ全員で遊行費に使い、空っぽの財布は堀川頼子がもらったという事がわかっています。また、別の情報として堀川頼子が事件が起こった直後の八月のお盆時期にこの村に帰省したという事実も判明している。その二つの情報に『美作清香が堀川頼子の起こした事件の情報を知っていた可能性がある』という事実を考慮すると、一つ考えられる事が出てくるはずです」
「……まさか、この村のどこかに財布を隠した?」
柊の言葉に、榊原は頷いた。
「えぇ。恐らく本人としては、当初は自分で使うつもりか、あるいは換金目的くらいの気軽な気持ちで問題の財布を受け取ったのでしょうが、後になって襲った相手が市議会議員であり、それゆえに警察が本格的に動き出したと知ってそれどころではなくなってしまった。自分の罪を立証する危険な財布を中途半端に捨てたり身の回りに置いておいたりするのはあまりにも危険すぎる。となれば、帰省したタイミングを利用してこの村のどこかに隠した可能性は充分に考えられるはずです。そして、もしその時に美作清香が堀川頼子が財布を隠す瞬間を何らかの形で目撃しており、その財布に持ち主が天田議員である事を示す何か……例えば名刺や運転免許証などが入ったままだったとすればどうなるでしょうか?」
「それは……」
亜由美が絶句したような声を出す。そうなればもう後は誰でも充分な予想がつく。堀川頼子の隠した財布の持ち主が天田議員のものだとわかれば、なぜ彼女が他人の財布を隠したのかというもっともな疑問が浮かぶはず。あとはネットなりで天田議員について調べ、彼が堀川頼子が帰省する少し前に強盗致傷事件に遭遇して財布などを奪われているという事実を知りさえすれば、財布を隠した堀川頼子が強盗致傷事件の犯人である事はもはや明白極まりないものになってしまうのである。
「とにかく、このような経緯であれば、君が堀川頼子がおやじ狩り事件の犯人であるという事実を知る事はできた。そして先程も言ったように、この事実さえ知っていれば君は堀川頼子を脅す形で意のままに動かす事ができたはずだ」
清香は何も言わずに、榊原の話をさらに促すような仕草を見せる。
「第一の事件当日、君は何らかの方法で堀川頼子に連絡を取り、天田議員の事件をネタに彼女に脅しをかけた。脅しの内容は、例えば『あなたが半年前にした事を警察がついに突き止めて、あなたを逮捕するために村に探りを入れている。実際、昨日から村におかしな男たちが尋ねているが、彼らは実は刑事であなたの事を密かに調べている』とか」
榊原の言葉に、清香はわずかな微笑みを浮かべる。言うまでもなく、その『おかしな男たち』というのは榊原や柊の事であり、実際の目的は違うものの、榊原たちが警察関係者である事も間違ってはいないのである。となれば、榊原たちの言動を伝え聞いていた彼女が榊原が推測したような脅し文句を信じてしまう可能性は充分に考えられる。あるいは、彼女が拘置所に小里ノートを送り付けた理由の一つには、そうする事で警察関係者を村に呼び寄せ、この脅しを成功させるというものもあったのではないかと亜由美は密かに思った。
「そして、怯える彼女に対し、君は一転して手を差し伸べた。例えば『自分があなたを逃がす手伝いをするから、指示に従ってほしい。いったん村の人間に気付かれないようどこかに身を隠し、夜になったら神社の境内で落ち合おう』とでも言ったんだろう。違うかね?」
榊原の問いに清香は相変わらず答えないが、図星だったのか、その微笑みはますます凄惨なものへと変化していく。それを確認すると、榊原は自信を持ったように話を続けた。
「堀川頼子に選択の余地はなかった。捕まったら身の破滅だから、指示通り身を隠すしかなかったんだろう。身を隠した場所は、そうだな……例えば槍の時と同様に『神社の祠の洞窟の中』というのはどうかね? 神域になっているあの場所なら、多少の事で調べる人間はいないはずだ」
清香は笑みがますます美しく、凄惨なものになっていく。榊原は気にする事なく話を先に進めていく。
「やがて堀川頼子の失踪が明らかになり、夜間になって村を挙げた捜索活動が始まる。そのどさくさの中、君は密かに自宅である美作宿を抜け出し、堀川頼子の捜索に参加していた大津留巡査を瀬見川河川敷の白虎橋付近で殺害した。目的はもちろん、村の中で彼だけが所持している拳銃を強奪する事だ。犯人が車椅子である以上、刃物や鈍器ではいざ被害者に抵抗された時に反撃する事が難しい。だが、犯人が銃器などの飛び道具を持っていたとなれば話は別だ。この場合、犯人が車椅子であっても被害者が抵抗する事はほぼ不可能となり、犯人側が被害者側を牽制する事も可能となる。一人で何人もの人間を殺害しようとしている関係上、君にとって標的を簡単に制圧できる拳銃は犯行に必要不可欠な道具だったはずだ」
と、ここで亜由美が再び待ったをかけた。
「ま、待ってください! 大津留巡査は鉈で頭を何度も殴られて撲殺されていたはずです。こう言っては何ですが、車椅子の女性が警察官を撲殺する事なんてできるとは思えません」
だが、その反論について榊原はすでに答えを用意していたようだった。
「もちろん、まともにやり合えばそうなるだろう。だが、やり方を変えれば車椅子の女性が警察官を撲殺する事は充分に可能となる」
「やり方って……」
「ポイントは、大津留巡査が殺害されたのが河川敷の橋の真下だったという事だ」
そこまで聞いて、柊が何事かに気付いたようだった。
「もしかして……鉈を落としたんですか?」
「え?」
「その通りです。恐らく、彼女はあの橋の辺りで大津留巡査を待ち構え、例えば『橋の下の辺りに変なものがあった』というような事でも言ったんでしょう。警察官である大津留巡査は当然それを確認しに橋の下へ向かい、暗闇の中、懐中電灯を点けて前かがみで地面を探していたに違いない。そこで橋の上から被害者の頭目がけて鉈を落とせば……それだけで充分な凶器になるはずです」
亜由美は息を飲む。確かに鉈は重さそのものもかなりのものとなり、殴りつけずともこれを落とすだけ相当な威力になるはずだ。
「あの橋の欄干はそこまで高くなかったから、狙いをつける事は車椅子に乗っていても可能だったはずだ。鉈が相手の頭に命中すれば、後は相手が生きていようが死んでいようが関係ない。鉈ほどの重さの物が頭部に命中したとなれば、その一撃で死ななかったとしてもかなりの重傷を負う事は間違いないからな。そうなれば後は河川敷に降りて鉈を拾い、地面に倒れ込んで動かない被害者に向かって何度も鉈を振り下ろせば、車椅子に乗っていたとしても相手を簡単に撲殺できる。あの河川敷には河川敷脇の散策路に降りるためのスロープ状の経路があったから、車椅子でも河川敷に降りること自体は可能なはずだ。そして、相手が事切れたのを確認すると、彼女は鉈でホルスターと拳銃を繋ぐコードを切断して拳銃を手に入れる事に成功。そのまま例の裏経路から神社の境内へ向かった」
いよいよ、話が本題へと入っていく。
「神社への侵入方法は先程から何度も言っている通りだが、もちろん細かい違いはあると思う。あらかじめ裏経路近くにチェーンカッターを隠しておいてその場で南京錠を切断したのか、あるいは南京錠の切断と入れ替え自体は犯行以前の段階で済ませていたのか……。あの裏経路はほとんど封印状態だったから、事件前から南京錠が入れ替わっていたとしても誰も気付かなかっただろう。実際、事件後もさっき私がこの可能性を思いついて確認するまで、油山神主も含めて誰も気付いていなかったようだしな。いずれにせよ、君は裏経路を突破して神社の境内に侵入する事に成功した」
榊原の鋭い視線が清香を貫く。
「堀川頼子殺害事件は、犯行そのものはシンプルなものだったと推測できる。事前の約束通りに神社の境内に現れた堀川頼子を君は拳銃で脅迫し、あらかじめ開放しておいた神社地下の捕虜遺体焼却炉へ降りるように指示をしてそのまま閉じ込めた。君があの地下焼却炉の存在をなぜ知ったのかについては詳細まではわからないが……恐らく、焼却炉の存在を確実に知っていたはずの先代神主・油山山彦氏が、生前、当時巫女だった君に極秘に教えていたというのが妥当だと思う。もっとも、聞き込みをした限りだと他の巫女経験者たちはこの焼却炉の存在を知らなかったようだから、なぜ君にだけ教えたのかについては疑問の余地が残るがね」
そう言いながらも、榊原は追及の手を緩めない。
「焼却炉の入口は地下へ続く階段だったから、車椅子の君は直接中に入る事はできない。だからこそ、中に入る被害者に対して入口から牽制ができる拳銃が必要不可欠だったんだろう。そして、彼女が中にさえ入ってしまえば、焼却炉の稼働操作そのものは外部からでもできた。外から扉を閉めて被害者を閉じ込めた上で、焼却炉の稼働装置を作動させる。後は被害者が勝手に焼け死ぬのを待つだけでよかった」
だが、と榊原は言葉を続けた。
「そこで君にとっては予期せぬ事態が起こった。他ならぬ、飯里稲美が神社の境内にやってきてしまい、よりにもよって犯行の瞬間そのものを目撃されてしまった事だ。これについては本当に偶然のアクシデントだったんだろう。だが見られてしまった以上、今後の犯行を遂行するためにも目撃者を生かしておくわけにはいかない。発砲音を聞かれてしまうというリスクはあったが、君は飯里稲美を御神木まで追い詰め、そこで射殺。銃声を聞いた村人が境内に来る前に裏経路から脱出した。もちろん、脱出の際には新しい南京錠をつける事も忘れていなかったはずだ。村人が集まるのは正面の石段の方。裏経路からなら車椅子でも難なく脱出はできたはずだ」
そこで榊原は一度声のトーンを落とす。
「もっとも……その後、境内では地面が熱せられた事によって季節外れの蝉の大量羽化を引き起こす事になってしまい、犯人の思惑にもなかった伝説通りの世にもおぞましい光景が出現する事になってしまったわけだがね。君の本来の予定では、堀川頼子は永久に行方不明になる予定で、その後の犯行は全て失踪した堀川頼子の犯行に見せかけるつもりだったんだろう。あの焼却炉の存在を知っている人間は、先代神主の山彦氏が亡くなった今となっては君しかいないはずだったからな。だからこそ第二の事件で、恐らくは拳銃で脅して奪い取った堀川頼子のヘアピンを現場に遺棄するなどという見え透いた事もやった。しかし、予期せぬ蝉の伝説の発生によって神社地下の熱源……地下焼却炉の存在がばれてしまい、結果、堀川頼子の遺体は君の想定に反してかなりの早期に発見される事になってしまった。それだけは君にとって完全に想定外だったと思うがね」
そう言われても、清香は相変わらずの不気味な笑みを浮かべながら反論しない。榊原は構わず話を先に進めた。
「第二の事件も構図そのものは非常に簡単だ。事件当夜、君は侵入が容易い裏木戸の鍵を破って安住家の敷地内に侵入し、被害者の安住梅奈の自室の窓から大量のスプレー缶をストーブの前に投げ込んだ。多分、鍵の部分だけ小さく割って窓の鍵を開けたんだろうな。地上からの窓の高さそのものは低かった上に問題のストーブも窓の傍にあったから、車椅子でもスプレー缶を直接室内に投げ込む事はできただろう。それができないなら釣り竿でも使えば犯行は充分可能だったはずだ。それにスプレー缶もストーブの前に置いてすぐに爆発するわけではないから、設置する時間はたっぷりあったはず。しかも前日の事件で神経衰弱に陥っていた彼女は睡眠薬まで服用していて、ちょっとやそっとの事では気付かれる心配もなかった。何から何までおあつらえ向きの状況だったというわけだ」
と、ここで不意に柊が話に割り込んだ。
「待ってください。第一、第二の事件はそれで説明がつくとしても、第三の事件は彼女に犯行は不可能ではないですか?」
「なぜでしょうか?」
「第三の事件で殺害された竹橋美憂と雪倉美園のうち、雪倉美園の殺害はまだ彼女が犯人でもわかります。彼女の死因は背後から拳銃を撃たれた事による射殺で、車椅子でも犯行は可能ですから。ですが、竹橋美憂殺害はそうはいきません。被害者は正面から金属バットで殴られ、瀕死になった所を雪倉美園射殺と同じ拳銃で射殺されています。威力から考えてこの金属バットによる最初の一撃は相当な力で殴られたと考えられ、少なくとも大津留巡査の殺害のように凶器を被害者の上から落とすような類のものとは明らかに違います。これは間違いなく犯人が直接被害者を力いっぱい殴りつけている。車椅子の人間にこの犯行は不可能です」
そう、犯人が車椅子の清香だとすると、神社の犯行以上にこの点が問題になってしまうのである。だが、榊原はそれについてもすでに答えを用意しているようだった。
「……その点なんですがね。第三の事件が起こってから、私はずっと違和感を抱いていたんですよ」
「違和感、ですか?」
「どのみち同じ拳銃で殺害するなら、どうして竹橋美憂に対してはあらかじめ金属バットで殴りつけて瀕死にするなどという工程が必要になったのでしょうか。そんな事をせずとも、雪倉美園と同じようにいきなり拳銃で射殺すればいいものを。私はそれがずっと疑問だったんです。『彼女が空手の有段者で殺害前に動きを封じる必要があったから』という説は通用しません。空手をやっていようがいまいが拳銃の前では何もできないはずですし、逆に下手にバットで殴りかかって近接戦を挑めば返り討ちになるリスクがむしろ高まる事になってしまう。しかも遺体の状況によれば犯人がバットを振り下ろしたのは彼女の真正面から。まともに考えれば犯人にとって自殺行為外の何物でもありません」
「……」
「何度も同じことを言います。犯罪者は己の犯行に命を賭ける。ゆえに犯行においては無駄な事は絶対にしない。それでも無駄に見える事をしていたのだとすれば……そこには必ず、何か必然が存在するはずです」
「必然……」
「やる必要もないのに被害者の頭を殴りつけて瀕死に至らしめる理由。普通に考えて、そこには合理的な理由は存在しません。ならば、ここは発想を逆転させればいい。同一人物がこれらの犯行全てを成し遂げたとなれば矛盾が出る。それならば……竹橋美憂の頭を殴りつけた人物と、被害者二名を立て続けに射殺した人物。この二人が別人だったとすれば、全てに説明がつくのです」
思わぬ話に、当の清香以外のその場にいた誰もが絶句した。
「別人……」
「いわゆる『困難の分割』という奴です。まず、前提条件として二人を最終的に射殺したのは、大津留巡査を殺害して凶器の拳銃を所持しているこの事件の真犯人……すなわち美作清香で間違いありません。問題なのはその前……竹橋美憂を金属バットで殴りつけたのが誰かという点です。少なくともそれは、車椅子の観点から美作清香ではありません」
「では……」
「考えられる可能性は一つ。竹橋美憂を殴りつけたのは、その時確実に現場にいたもう一人の被害者……すなわち雪倉美園だったという事です」
柊にそう答えると、榊原は改めて清香に視線を向けた。
「正直な所、彼女たちの間に何があって、雪倉美園がなぜ竹橋美憂に殺意を抱く事になったのかまでは現段階でははっきりしない。だがあの時、何らかの動機で雪倉美園が竹橋美憂に金属バットを振り下ろしたのは確実だと判断する。その殴り方からして、雪倉美園は明らかに竹橋美憂に対する殺意を持っており、そして実際、その金属バットの一撃で竹橋美憂を殺害したと思ったんだろう。実際は、瀕死とはいえ竹橋美憂はまだ生きていたわけだがね。そして、目的を遂げたと判断した雪倉美園はその場を離れようとしたわけだが……運が悪かったのは、その場面を真犯人である君に見られてしまっていて、それに気付いていなかったという事だ」
「……」
清香は何も答えない。ただただ榊原の話を聞いている。
「君がなぜあの場にいたのか、その理由までは判然としない。私自身は君があの夜に雪倉美園を殺害しようとして後をつけていた結果だと思っているが、それを証明する証拠はないし、正直そんな事はこの期に及んでは些末な事だ。とにかく美園の凶行を目撃した君は、しかしその場で彼女以上の天才的な閃きを思いつき、それを実行に移した。……『悪魔の』という接頭語がつく閃きではあるがね」
榊原は清香を睨みつける。
「君はまず、現場を去ろうとしていた雪倉美園に向かって拳銃を向け引き金を引き、元々の標的だった彼女を射殺した。そしてその上で、足元に瀕死で転がっていた何の恨みもないはずの竹橋美憂に向けても拳銃を向け、こちらも自らの手で射殺して急いで現場を立ち去った。さて……警察の捜査が始まれば、この両者に撃ち込まれた拳銃の弾は同一の拳銃から発射されたもので、なおかつその拳銃が先日奪われた大津留巡査の拳銃である事はすぐにわかるはず。となれば、この第三の事件は少なくとも第一の事件と同一犯で、さらにもっと細かく言えば第三の事件で殺害された二人とも一連の連続殺人鬼が殺害したと断定されるはず。まぁ、断定も何も実際にそうだったわけなんだが、ここで重要なのは実際に同一の拳銃で射殺されているがゆえに、『射殺前に金属バットで竹橋美憂を瀕死にした』というこの行為自体も第三の事件の付属行為と認定されてしまって、結果的に実際は犯人が全く手出ししていなかったこの金属バットによる凶行も『真犯人』の犯行の一部とみなされてしまったという点だ。そしてこの状況が、美作清香が犯人だった場合は非常に有利に働く事となる。言うまでもなく、車椅子の美作清香が空手の有段者である被害者を真正面から金属バットで力いっぱい殴りつけるなどという芸当はできるわけがなく、この時点で捜査陣の頭の中から無意識に車椅子に乗る美作清香という存在を容疑者から除外させる事ができるというわけだ」
「そこまで考えて……」
背後で亜由美が絶句する。美園が美憂を襲撃するというイレギュラーな光景を見て、即座にそこまで考えられる清香の頭の回転の速さに恐怖すら感じたという風だ。
「二人を同じ拳銃で殺害したのは、下手に別の凶器で殺害すると二人を殺害した犯人が別々ではないかという疑いを抱かれて、そこからこの小細工が見抜かれる危険性があるからという理由もあったんだろう。こう考えれば、今まで考えられてきた事件の構図も一変する。今まではあの時村に響いた二発の銃声について、まず一発目が事前に金属バットで殴られて瀕死となった竹橋美憂に発射され、そこから逃げようとしていた雪倉美園に二発目が発射されたと考えられていた。だが実際はそうではなく、まず一発目の銃声で雪倉美園が射殺され、その後、雪倉美園の手で瀕死になっていた竹橋美憂に二発目が放たれたという事になるんだろう。要するに、捜査陣が想定していた殺害順序が逆転していたというわけだ」
だが、そこで亜由美が榊原に待ったをかけた。
「で、でも、おかしくありませんか? その前の日に、雪倉美園さんと竹橋美憂さんは何か密談をしていたはずです。つまり二人にはこの事件に関わる何らかの繋がりがあった。なのに、次の日になっていきなり美園さんが竹橋さんを殺しにかかるなんて、いくらなんでも急展開過ぎます」
だが、それに対する榊原の答えは簡単だった。
「その『事件前日に被害者二人が密談していた』という情報、そもそもどこから出たものだったかね?」
「え? それは……」
そこで亜由美はその事にハッと気づいたようだった。
「……診療所で清香さんから聞いた話、だったはずです」
「そうだ。そして、彼女はこの事件の真犯人その人だった。ならば、あの証言自体がかなり怪しくなってくるとは思わないかね?」
「そ、それじゃあ……」
「あぁ。少なくとも『事件前に雪倉美園と竹橋美憂が密談していた』というこの情報は、大胆にも犯人である彼女が私に対して真正面から仕掛けた『虚偽情報』だと判断する。実際には、この二人の関係はそれまで思われていた通りほとんどなかったというのが本当なんだろう。だが、この虚偽情報が加われば『二人が生前に繋がりがあった』という事になり、そうなれば現実に起こった『雪倉美園が竹橋美憂を襲った』という事実から目をそらせる事ができるという計算もあったはずだ」
「けど、あの証言の『安住梅奈さんと竹橋和興さんが事件前に美作宿を訪れた』という情報は間違いなく正しかったはずです。当の和興さん自身がそれを認めていましたし……」
亜由美は必死にあの時の清香の証言を思い出しながら言う。が、意外な事に榊原はその言葉に頷きを返した。
「その通り。だから、あの時彼女がついた嘘は『事件前に雪倉美園と竹橋美憂が密談していた』というこの一点だけだ。嘘をつく人間が人を信じさせるテクニックの一つに『すべてを嘘で固めるのではなく、ほとんどの部分は本当のことを言って、肝心な事だけ嘘をつく』というものがある。彼女はそれをやっただけだろう」
「そこまで計算して……。だったら、彼女が聞いたっていう『自転車』とか『しかたない』とかの言葉は?」
「言うまでもなくまったくの出鱈目だ。余計な情報で捜査をかく乱できれば、単語自体は何でもよかったんだろう。この単語について考えれば考えるほどドツボにはまるだけの、たちの悪い偽の手懸りだったと思った方がいい。もっとも、もしかしたら『しかたない』は本当に横溝正史の『獄門島』のセリフから拝借したのかもしれないがね。君がよくいる美作宿のラウンジの本棚には横溝正史の著作がたくさん置かれていたから、それを読んだといったところか」
そう言って、榊原は清香に問いかける。
「以上が、第三の事件に対する私の考察だ。反論は?」
しかしここに至っても清香は何も反論しない。それを確認すると、榊原は間髪入れずに次の推理へ移った。
「第四の事件……つまり雪倉統造と雪倉笹枝の殺害については私から言う事はあまりない。すでに第一の事件及び第三の事件に仕組まれた工作により、車椅子の人間が犯人である可能性は無意識に除外されてしまっていた。この状況では多少大胆な犯行が行われたとしても、すぐに警察関係者に疑われる心配は少ない。その心理状況の隙をつき、君は続く犯行を手際よく行った。……この犯行については誰でも犯行が可能だ。当然それは、車椅子の君であっても例外ではない。ただ、わざわざ余計な殺人までして裏口から入ろうとした事だけは不自然になってしまったようだがね」
「……」
「君はまず、密かに盗んだ農薬で釘木久光を毒殺し、彼が所持していた雪倉家の裏口の合い鍵や各種凶器を盗む事にした。殺そうとしている相手は二人プラス見張りの刑事。銃弾の数も減っているし、車椅子の君からすれば正面から挑んでも勝てる相手ではない。だから君は釘木を殺して合い鍵を奪うと共に、彼が所有する武器も奪う必要性があった」
「……」
「釘木殺害の凶器に使用された日本酒は手原商店から配達されたものだったが、この日本酒は君の家である美作宿にも提供されていたはずだ。宿屋である以上、客に出すための酒類は必須であり、それを販売しているのはこの村では手原商店しかないのだから当然だ。君は美作宿に配達された日本酒の瓶を一本拝借し、その中に農薬を入れた上で、釘木宅の玄関口に配達されていた日本酒の瓶と入れ替え、本来釘木宅に配達された日本酒の瓶は美作宿の方へ戻しておいた。その場で毒を入れるわけでもなく、やる事は瓶の入れ替えだけ。タイミングさえしっかりすれば車椅子の君にも充分可能な犯行だっただろう。そうなれば、日頃の釘木の酒浸りの状態から考えて、その日のうちに釘木が農薬入り日本酒を飲んで死ぬ事は充分に予測できる。あとは頃合いを見計らって釘木の家に行き、ノックするなりして彼の死亡を確認した上で多少強引ではあるが鍵をピッキングでこじ開けるなりして押し入れば、目的の合い鍵やスタンガン、日本刀、ボウガンなどを奪う事に何ら支障はない。釘木の家は土足式で車椅子の障害になる玄関口の段差や框も存在しないから侵入は楽にできたはずだ」
「……」
「目的の物さえ奪ってしまえば、後の犯行はもはや説明するまでもない。雪倉家を見張っていた間瀬刑事と野城刑事をボウガンで背後から射殺し、合い鍵を使って雪倉家の裏口から侵入した君は、まずブレーカーを落として邸内を停電させ、ブレーカーを戻しに来た雪倉統造の背後から近づくと、電動車椅子で体当たりなりをしつつスタンガンで彼を気絶させた上で殺害。さらにその後、電気が戻らない事を不審に思って様子を見に来た雪倉笹枝にわざと統造の遺体を発見させ、彼女が遺体に駆け寄って動揺しているところに再び近づいて統造と同じようにスタンガンで気絶させた後に殺害。速やかに現場を立ち去った。ブレーカーは高い位置にあったが、車椅子の君でも棒なりを使えば落とせない事もない。また、万が一笹枝が様子を見に来ない、あるいは来たとしても遺体に近づかずすぐに通報した場合は、そのまま一度撤退して改めて別の機会をうかがうつもりだったんだろう。君からしてみればいざとなれば拳銃があるし、できれば二人まとめて殺すのがベストだったとはいえ、無理してまで二人を一度に殺す意味合いもなかったはずだからな。ただ今回は全てが君の思惑通りに進み、二人まとめて殺害するというベストの状況が出現してしまったわけだが」
「……」
「ちなみに、この時の凶器に日本刀を選んだのにも理由がある。車椅子の君が地面に倒れる被害者の首筋に刃物を突き立てようとした場合、前かがみになって突き刺さねばならない包丁やナイフより刀身の長い日本刀の方が犯行をやりやすいからだ。一件無駄に見える行為にも、ちゃんと理由があったというわけだな」
榊原の論理は確実に相手の心理的な牙城を崩しているはずだった。だが、ここまで追い詰めても清香は何も言わず、反論も一切せずに榊原の推理をただ聞いているだけである。と、ここで柊が口を挟んだ。
「榊原さん。この状況下では彼女が犯人であるという事実はもはや覆らないでしょうが、裁判を見越して念のためにお聞きします。彼女が今回の事件の犯人だという、決定的な物的証拠はありますか?」
本人が言うように確認の意味を込めた問いかけに、榊原は即座に応える。
「もちろん。証拠は、東京拘置所に送られた小里ノートです」
「あのノートですか?」
「えぇ。もっとも、より正確に言えば、証拠になるのはノートを送る際に使用された封筒の方ですがね」
「封筒……まさか、貼られた切手に彼女の唾液が残っているとでも?」
柊は反射的にそんな推理をしたが、榊原は首を振った。
「いえ、さすがにそこまで甘くはないでしょうし、警視庁もそれは調べているでしょう。私が問題にしているのは、封筒に書かれている宛先です」
「宛先、ですか?」
隣で亜由美が首をひねる。
「当然だが、何かを郵送しようと思ったら宛先を書かなければ届かない。しかし、今回は郵送物の都合上、その宛先を手書きで送るわけにはいかない。それをした瞬間、筆跡鑑定で送り主がばれてしまうからな。実際、その宛先はパソコンで印刷されていた」
そこで榊原は清香を睨みつける。
「普通ならこんなものは何の証拠にもならないが、今回に限っては話が別だ。私の予想が正しければ、東京拘置所に小里ノートを送った封筒の宛先のインクの成分が、美作宿のプリンターのインクの成分と一致するはずだ。それが証明されれば、小里ノートの送り主が美作宿で宛先を印刷した事が科学的に証明される。それはすなわち、小里ノートを東京拘置所に送り付け、今回の事件を引き起こした犯人が美作宿のプリンターを使える人間に絞られるという事でもある。当然、客にそんな事は不可能なので、該当する人間は宿側の人間……つまり、君か美作氏の二人という事になるだろう」
「……」
「そして私の考えが正しければ、問題の美作宿のパソコンから、表向き脳の障害でパソコンなど打てないはずの君の指紋が検出される可能性が高い。どれだけ注意しても、パソコンのキーボードに付着した指紋を全てふき取るのは至難の業のはず。君の指紋が一部でもそこから検出されれば、少なくとも君が自身の意志でパソコンのキーボードを打った事……すなわち脳障害が嘘である事と、君が東京に小里ノートを送った事は明確に立証される。なぜなら、もし美作氏が犯人なら自宅のパソコンで宛先を印刷するなどという危険は冒さないだろうが、君が犯人なら嫌でもこのパソコンを使わざるを得ないからだ。何しろ、表向き脳障害という事になっている君が他のパソコンを借りたりする事は絶対に不可能だからな」
「……」
「今回の事件、小里ノートを東京に送った人間と連続殺人犯が同一人物なのは明らかだ。つまり、小里ノートを送った人間が君だとわかった時点で、連続殺人犯の正体も自動的に明らかになってしまうという事になる。少なくとも、この証拠が裁判所も納得するだけの価値を持っている事は確実だろう」
「……」
「それにどれだけ注意したとしても、犯行現場に持ち込まざるを得ず、また処分する事もできない車椅子への証拠の付着は防ぐ事ができない。具体的には、発砲の際に生じる射撃残渣や返り血の血痕だ。もちろん、事件後に拭くなりして表向きは取り繕っているとは思うが、警察がしっかり調べればそんな小細工は一切通用しない。いずれにせよこれだけの大規模な事件だ。それぞれの事件のカラクリがはっきりした現状、君に絞って再捜査をすれば、物的証拠はいくらでも出てくると推察する」
「……」
「さて、以上がこの事件における私の推理の全てだ。これでもまだ反論があるなら聞こうか。もっとも……この状況でそれができるものならば、だがね」
榊原の宣告に、清香はなおも無言で応じる。だが、今度ばかりは榊原も何も言わず、ただ清香が自らの言葉を発するのを待ち続けている。今までにない重い沈黙がその場を支配し、その緊張感に、亜由美は思わず唾を飲み込んだ。
と、まさにその瞬間だった。
「……やっぱり、本物の探偵さんは凄いですねぇ。私、感動しちゃいました」
今までの「清香」という一人称から「私」という一人称に変え、明らかに今までとは違う丁寧ではっきりと知性を感じさせる口調で話しながら、しかしどこか無邪気な雰囲気は残しつつ、清香は不気味な笑みを浮かべて歌うように告げた。
「探偵さんみたいな人が昔からこの村にいたら、私がこんなに苦労する事もなかったんですけどねぇ。うん、もういいかな。今回の事件、犯人は私です。凄かったでしょ? 楽しんでもらえましたか?」
そのどこかアンバランスな話し方の中に不気味さと凄み、そして狂気さえ感じられる敗北宣言に、誰もが絶句し、榊原はなおも気を緩める事無く、厳しい視線を清香に向け続けていたのだった……。




