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蝉鳴村殺人事件  作者: 奥田光治
第三部 解明編
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第十七章 真犯人

 三月十二日月曜日午後五時頃、夕闇迫る蝉鳴村の北東、千願寺の廃墟近くにある墓地の墓石の間を貫く石畳を、一人の男が無言のまま歩いていた。村の喧騒とは対照的に千願寺周辺は静寂に包まれており、どこか世界から孤立したような雰囲気が漂っている。

 だが、そんな場所を歩くその男の顔に余裕はない。顔を引きつらせながら神経質そうにしきりに辺りを見回し、誰もいないのを確認しながら、慎重な足取りで前に進んでいく。墓地自体も今朝の地震で墓石が倒れるなどの被害があるようだが、男にそれを気にするだけの余裕は全くないようだった。

 やがて、男は墓地を抜けた先にある千願寺の廃墟へと到着する。男は入口の門の前で再度神経質そうに周囲を確認すると、やがて意を決したように境内へと入って行った。境内は多少崩落した箇所はあるが、思った以上に廃墟の建物などに損壊らしいものはない。

 男は一瞬だけ足を止めたが、すぐにそのまま石畳を突っ切り、正面にある本堂の廃墟の中へ入って行った。そしてそのまましばらく出てこない。本堂の中で何かをしているようではあるが、それが何なのかは外からはうかがい知る事ができない。時間だけが静かに過ぎていく。

 動きがあったのは、男が本堂に入ってから十分ほど経過した後だった。本堂の扉が開き、中から再び先程の男が顔を出し、キョロキョロと境内を確認してから慎重な様子で外に出てきた。そのまま本堂から石段を降りて境内の石畳へと到達し、そこで一度本堂の方を振り返ってようやくホッとしたかのように息を吐いた。

 が、その時だった。不意に男の背後でガサリと音がして、男は反射的にそちらを振り返った。そして、境内の一角にある木の影から『その人物』が姿を見せるのを見て、驚愕の表情を浮かべた。

「お、お前は……」

 男は呻くように何かを言おうとする。だが、次の瞬間だった。


 その人物……否、『真犯人』の手に握られていた拳銃が轟音と共に容赦なく火を噴き、放たれた銃弾が目の前に立っていた男を瞬時に貫いたのである。


「ぐっ……はっ……」

 撃たれた男は悲鳴を上げながら血しぶきをあげてその場に倒れ込んだ。犯人によって慈悲なく放たれた銃弾は彼の右足を貫いており、男は死にこそしなかったものの、出血と激痛で抵抗はおろか立つ事すらできなくなっていた。だがそれでも、男は意識を失う事はなく、必死に地面に這いつくばりながら逃げるそぶりを見せていた。

「来るな……来るな! やめろ、やめてくれ!」

 その男はそう叫びながら、這いずるように少しでも犯人から離れようとする。だが、『真犯人』はそんな男の後ろから拳銃を突き付けながらまるでいたぶるように追い立てていく。もはやこの男には何もできない……それがわかっているが故の余裕であり、男の方も『真犯人』がそう考えている事が目に見えてわかっているからこそ、己のみじめさが際立ってしまっていた。

「何で……何でお前が……くそっ……くそっ!」

 弱々しい声でそんな事を口走る男を見て、『真犯人』には一瞬、蔑むような感情が浮かんだ。この男は、結局最後まで自分がなぜ『真犯人』に殺害されるのかを理解できないようだった。その傲慢さと無神経さがこの事件を生む結果につながったとも言えるし、ある意味自業自得とも言える。とにかく、この男に生きる価値などない事が、これ以上ないほどはっきりしたのは間違いなかった。

 やがて、『真犯人』はそんな追いかけっこにも飽きたのか、その銃口をゆったりとした仕草で再び男へと向けた。顔が涙でぐちゃぐちゃになった男はそれでも必死に地面にはいつくばってもがき続けているが、『真犯人』はもはやそんな男の様子に興味をなくしたようであり、凄惨な笑みを浮かべてゆっくりと拳銃の引き金に指をやると、そのまま引き金を引こうとする。これにて万事休す……誰かがこの場にいれば恐らくそんな感想を抱くような状況だった。

 だが、まさにその瞬間だった。

「待て!」

 『真犯人』の背後からそんな声が響き、直後、複数の人影が千願寺の門から境内になだれ込んで来た。その先頭にいるのは私立探偵・榊原恵一その人であり、その背後には柊や亜由美、さらには何人もの刑事たちが銃を構えながら控えている。

「動くな! 銃を捨てろ!」

 『真犯人』に向かい、柊が鋭く叫ぶ。だが、『真犯人』は指示に従うどころか、不気味で狂気じみた笑みを浮かべながら地べたに這いつくばる男……否、堀川家当主・堀川盛親のこめかみに銃口を突き付ける。それを見て、柊の横にいる山岡が堀川に声をかけた。

「くそっ。堀川さん、大丈夫ですか!?」

「あ……あぁ……痛い……た……助けてくれ……」

 盛親は痛みで顔をしかめながら、情けない声で支離滅裂な言葉を漏らしている。だが、『真犯人』は一切動じることなく銃口を彼から外そうとしない。こちらが少しでも強硬手段に出れば即座に発砲されてもおかしくない状況だった。

 互いに動けず、一瞬この場が硬直する。だが、そんな中、榊原が相手を刺激しないようにゆっくり刑事たちの前に出ると、『真犯人』から数メートル離れた場所で足を止め、そのまま相手と真正面から対峙した。榊原が出てきても『真犯人』の顔色は変わらない。二人の間に見えない火花が散り、しばらく無言のまま互いに相手の出方を伺う様子を見せる。刑事たちもこの場は榊原に全てを任せるつもりのようで、榊原の後ろから『真犯人』にむけて拳銃を構えながらも場の成り行きを見守っていた。

 そんな中、最初に言葉を発したのは榊原の方だった。

「……ようやく、本性を見せたな。よくここまで、これだけの警察関係者がいながらその正体を隠し通し続けたものだ」

「……」

「正直、ここまで長かった。事件が始まってから常に先手を取られ続け、正体を暴けないまま新たな犯行を許し続けた事は私にとって不覚以外の何物でもない。はっきり言うが、今回の事件の『犯人』は私が今まで対峙してきた犯人の中でもトップクラスに凶悪で、なおかつ狡猾な殺人鬼だと言っても過言ではないだろう」

「……」

「だが、それもここまでだ。これ以上、『犯人』の好き勝手にさせるつもりはない。今この場で、今回『犯人』が仕込んだ犯罪の全てを暴く。覚悟してもらおうか」

 榊原が厳しい表情でそう宣告する。が、『真犯人』は盛親に銃を構えたまま、緩慢な動作で榊原のいる方を見やっただけだった。その様子に投降の意思はない。榊原にとって、ここからがこの事件最後の……そして事件そのものの命運を決める『論理の一騎打ち』……否、『論理の死闘』の始まりであった。

「君……いや『真犯人』の正体の尻尾を掴むきっかけになったのは、あの神社に正面の石段とは別に工事車両の出入りが可能なもう一つの進入経路が存在するという事に気付いた時だった。それになぜ気付いたのかという点については後で説明するが、とにかくそれについて油山神主に尋ねた結果、彼は社務所裏手にかつて境内に工事車両などを搬入するために使用されていたという封鎖された裏経路があるという情報を教えてくれた。そしてこの経路を確認したところ、犯人がその経路を使用した痕跡が実際に確認された。神社の境内が舞台となった第一の犯行の際に犯人がこの経路を使ったのはほぼ確実だろう」

 そこで、榊原は少し声のトーンを落とす。

「ただし、一見するとこの事実は今回の事件に何か大きな影響を与えるものには見えない。神社には一般には明らかになっていない裏経路が存在した。しかし、だからと言ってそれが事件の真相を明らかにする事に何か特別な影響を与えるものでないように見えるのも事実だ。確かにこの裏経路の存在は、第一の事件において発砲から村人が駆け付けるまでの間に犯人が脱出できるのかという問題に解決を与えるものではあるが、所詮はその程度。本来ならそこまで重要視されるようなものではないし、実際誰もがそう思っていた。だが……この事実は今回の事件を解決するための大きな手掛かりになるものだった」

 そして、榊原は鋭く相手を見据えながら告げる。

「この裏経路の存在……それは、今まである事実から犯行不可能だと思われていた『ある人物』に犯行が可能であるという事を証明するものでもあった。そして、それを踏まえて考えれば、これまで次々と発生していた連続殺人事件の中で私がかすかに感じていた疑問にすべて説明がつく。それはすなわち『なぜ犯人は危険を冒してまで大津留巡査の拳銃を奪わなければならなかったのか』、『なぜ犯人は絞殺などのありふれた……言い方を変えれば手軽で簡単な殺害手法を採用せず、焼却炉による焼殺やスプレー缶を使った爆殺、さらにはわざわざ他人を殺して奪ったスタンガンで相手を気絶させてからの刺殺など回りくどくて面倒な殺害方法を採用したのか』『なぜ犯人は雪倉家に侵入する際、壁を乗り越えるなどの簡単な手段などを使わず、余計な殺人までしてわざわざ馬鹿正直に正面の出入口から敷地内に侵入する事にこだわったのか』という疑問だ。犯罪者は己の犯行に文字通り命を賭けている。ゆえに少なくとも計画的犯行においては無駄な事は極力避ける傾向が強い。それでもなお無駄に見える事をしていたとすれば……その一見『無駄』に見える事に何かしらの必然があったという事になる。つまり、今言った一見無駄に見える犯人の行動にも何かしらの必然的な理由があったという事だ。ではその必然とは何なのか」

 榊原はここで一際声を張り上げる。

「それは非常に単純なものだった。犯人はなぜ危険を冒してまで大津留巡査の拳銃を奪ったのか? その理由は単純に、犯人が拳銃がなければ犯行を成し遂げる事ができない状態だったからだった。犯人はなぜ絞殺など単純な殺害方法ではなくわざわざ回りくどい殺害方法にこだわったのか? それは別に犯人が好き好んでやったわけではなく、普通の人間にとっては簡単な絞殺などの殺害手法が犯人にはできず、逆にあの回りくどい殺害方法をやるしかなかったからだった。犯人はなぜ雪倉家に侵入する際に、余計な人間を殺してまで正面からの侵入にこだわったのか? それは純粋に犯人が真正面の出入口からしか侵入が不可能だったからだった。ここに、あの神社には自動車などの出入りが可能な裏道があったという情報を加えれば、犯人の正体はおのずと明らかになる」

 榊原は一転して押し殺した声で告げた。

「すなわち、犯人は銃なしでは犯行が不可能なほどの障害を負っており、なおかつ神社の裏道や雪倉家の正面の出入口から『しか』それぞれの敷地内への侵入が不可能だった人物……有体に言って、『車椅子』に乗っている人物だ。違うかね? この事件を仕組んだ真犯人の……」

 そして、榊原はその名を告げる。



「先代巫女、美作清香!」



 その瞬間、榊原の目の前で夕日に照らされる『真犯人』……否、電動車椅子に座ったまま銃を構える美作清香は、無言のまま狂気じみた笑みを浮かべた。

「君こそが、今回この村で引き起こされた恐るべき連続殺人事件の犯人であり、そしてあの『イキノコリ事件』を引き起こした大量殺人鬼・葛原光明の狂気を継いだ人間だ! 違うというなら、反論を聞こうか!」

 両者の視線の間に火花が散り、清香は凄惨な笑みを浮かべて榊原を睨み返す。史上空前の犯行を引き起こした正真正銘の凶悪殺人鬼と『真の探偵』の異名を持つ名探偵……二人による日本犯罪史にその名を残す論理の『死闘』が、今まさに火蓋を切ったのだった……。

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