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蝉鳴村殺人事件  作者: 奥田光治
第二部 殺戮編
31/57

第十五章 天変地異

 三月十二日月曜日。第一の事件が発生してから四日目。残る村の有力者、警察関係者、その他諸々……それぞれの思惑が交錯する中、まだ名もわからぬ「犯人」による凶行は、『第四の事件』という形で容赦なく村に襲い掛かった。

 ただし……その事について語る前に、事件前後に起こったある出来事についてこの場で述べておかねばなるまい。それはこの事件に関係する「犯人」も含めたあらゆる人物にとって完全に想定外の事であり、まさに真の意味での「天変地異」と断言できるものだった。

 それが起こったのは、同日の午前五時三十七分の事であった。刑事たちが前日以上に警戒態勢を敷き、村人たちが各々の家で事件がどうなるのかを固唾を飲んで見守っている中、不意に静まり返っていた蝉鳴村に山なりのような轟音が鳴り響き、その数秒後には、激しい地鳴りと共に地面が大きく揺れ始めたのだった……。


 後に気象庁が発表したところでは、最大震度五強(岐阜県高山市にて観測)、マグニチュードは6.5。


 岐阜県北部を震源とする中規模の地震が、このタイミングで連続殺人に揺れる蝉鳴村一帯に襲い掛かったのである。


 その揺れが起こった瞬間、蝉鳴学校の体育館で仮眠していた榊原や刑事たちは反射的に飛び起きると、またどこかで爆発が発生したのかと周囲を警戒した。が、すぐにこれが地震である事に気付き、揺れが収まるとすぐに体育館を飛び出して被害状況の把握に努める事となった。

「こんな時に地震とはな……」

 榊原は暗闇で目を凝らしながら呟く。見た限り、騒ぎにこそなっているが、村の中で建物が倒壊するなどの大きな被害はなさそうだ。それでも村全体で停電が発生しており、何人かの村民が避難所になっている支所の建物に避難しているという情報も入ってくるようになっていた。とはいえ、大きな怪我を負った人間や死亡者が発生していないだけまだましである。

 だが、それでも村人たちの動揺は相当なものだった。そしてそれは、単に大きな地震があったからと言うだけではないようだった。

「『災い鳴く時 蝉が鳴く 蝉が亡く時 災い亡く』……でしたか」

 隣にやって来た柊がそう言う。

「えぇ。戦国時代にあの神社で蝉が鳴いた直後、この村に災いをもたらした内ヶ島氏が天正大地震で滅亡したという伝承がありますからね。すでに蝉が鳴いたカラクリは明らかになっているとはいえ、実際に伝承通りに蝉が鳴いた直後に地震が起これば、あの伝説の再来かと村人が怖がるのも無理はありません」

「今回も伝承と同じように地震が起こった……偶然ですかね?」

「さすがに偶然でしょう。というより、偶然と思わないとやっていられませんよ。今回は戦国時代と違って白山も活動していないようですし、蝉が鳴いたのは地殻変動ではなくあの焼却炉のせいですから」

 とはいえ、地震はあくまで偶然としても、榊原たちとしては気を抜くわけにはいかない。問題は、これまで毎日のように連続殺人を引き起こし続けてきた犯人がこの地震を受けてどのような行動に出るかという事だった。

「いくら犯人でも神でない限りは地震を自分で起こす事はできないし、この凶悪連続殺人事件の犯人が神だなどという事は絶対にあり得ない。この地震はあくまで自然現象で、すなわち犯人にとっては明らかに想定外の事象であるはずです。その想定外を、犯人がどう利用してくるかが問題です」

「今までの傾向からすれば、自身の混乱のどさくさに犯行をするくらいの事はやりそうですからね。無論、捜査員たちには細心の注意を払うように警告していますが……」

「ならいいんですがね……」

 そう言いながらも、榊原の表情は険しいものだった。

 ……だがこの時、犯人がすでに犯行を成し遂げていた事に、さすがの榊原も気付く事ができなかった。それがわかったのは、地震が発生してから三十分ほどが経過した後、支所職員・名崎義元が血相を変えて蝉鳴学校の敷地内に飛び込んできた事によってだった。

「た、大変です! すぐに来てください!」

「どうしたんですか?」

 いきなりそんな事を言い始めた名崎に榊原がそう尋ねると、名崎は切羽詰まった様子で告げた。

「それが……こんな状況なのに、雪倉さんの家からの反応が全くないんです! 誰も出てこないし、呼びかけても返事がないし……いや、寝ているだけかもしれないんですが、状況が状況だけに何かあったのかと思って……」

 それを聞いて、榊原や刑事たちは一瞬顔を見合わせると、すぐにその表情を険しいものにして状況を確認し始めた。

「柊警部。今、雪倉家には当主の雪倉統造氏と、かつての巫女で統造氏の妻でもある雪倉笹枝さんの二人しかいないんですよね?」

「えぇ。『雪倉建業』従業員は夜になると帰りますし、安住家などとは違って住み込みの使用人はいないはずですから」

 榊原と柊は素早く言葉を交わし続ける。

「雪倉家に見張りは?」

「もちろん置いていますが、敷地が広すぎるので、正面の門と従業員用の裏口を刑事二人に見張らせているだけです」

「見張りは誰が?」

「それは……うちの間瀬巡査部長と高山署の野城敦哉巡査部長のペアだったはずです」

 柊は重い表情で自身の部下の名前を告げる。榊原も昨日扇島老人を搬送した時に手伝ってもらった刑事の顔を思い出しながら、名崎の方を振り返った。

「屋敷の近くに刑事の姿はありましたか?」

「い、いえ。もしいたら、ここに来る前にその刑事さんたちに話をしていますよ」

 もっともな意見であるが、そうなると事態は深刻だった。そもそも、これだけの地震が起こっていて屋敷が名崎の言うような状況になっているのに連絡一つない時点で何か異常な事態になっているのは明白である。

「間瀬刑事に連絡を取ってください。今すぐに!」

 榊原の深刻な表情に、柊は即座に携帯を取り出して連絡を取る。が、通じない。着信音は鳴っているのだが、相手が出ないのだ。

「これは……様子を見に行った方がいいかもしれませんね」

 榊原のその言葉を合図に、刑事たちと榊原は名崎の案内で雪倉家の方へ向かって走り始めた。場所は昨日事情聴取をした際にわかっている。十数分して刑事たちは雪倉家の正門の前に到着したが、確かにこの地震で村中が大騒ぎになっているにもかかわらず、雪倉家の屋敷は不気味なほどの静けさに包まれていた。近くを見回すが、屋敷を見張っていたはずの二人の刑事の姿は見当たらない。

「二人を探せ!」

 柊の言葉に、刑事のうち何人かが周辺の捜索へ向かう。残った刑事たちは屋敷の正門の前に立ち、屋敷内の様子を伺おうとする。

 これだけ騒がしいにもかかわらず門は固く閉ざされたままだ。柊が正門横にあるインターホンを鳴らすが、まるで反応はない。

「どうしますか?」

「……中に入って安否確認をすべきだと思います。今は災害時ですから、無事だったとしても『安否確認のため』という理由で通るはずです」

 柊の問いかけに榊原は即座に答える。事がここに至れば、不法侵入だのと言っている場合ではなかった。その言葉を受けて柊は頷き、刑事数人で力づくで門を開けようとするが全く動く気配はない。内側からかんぬきがかかっているようだ。

「従業員用の裏口はどこだ!」

「そ、そっちです!」

 柊が怒鳴るように言い、名崎がしどろもどろになりながら答えた。見ると、正門から少し離れたところの壁に確かに小さな扉があった。ここが敷地内にある雪倉建業の事務所に行くための従業員用の出入口なのだろう。刑事たちがそちらに殺到し、代表して柊がそっと扉に手を触れると……

「鍵が……開いている……」

 従業員用の裏口扉の鍵は開いていた。殺人鬼が跋扈し、しかも自身の娘が殺されているこの状況で、鍵を開けっ放しにしたままというのは明らかに異常である。

「全員、拳銃を構え! 場合によっては発砲を許可する!」

 柊の押し殺しつつも鋭い号令に、刑事たちはいっせいに拳銃を取り出す。もはやこの状況では、相手の出方次第では犯人の射殺もやむなしというのが上層部の判断である。事態はすでにそこまで切迫していた。なお、拳銃を携帯していない一般人の榊原と名崎は刑事たちの後ろの方に控えている。

 拳銃を構えながら刑事たちはいっせいに雪倉家の敷地内に突入していく。庭の木々の間をしばらく進むと雪倉家の家屋が見えてきたが、目立った損壊がない代わりにやはり人の気配もない。屋敷は相変わらず不気味な静けさに包まれていた。

「雪倉さん、警察です! 大丈夫ですか!」

 柊が声を張り上げるが、建物から反応はない。刑事たちの緊張の度合いが嫌でも高まる。と、その時だった。

「警部、あれを!」

 山岡が建物近くの一角を示して叫んだ。そして、そちらに視線をやった柊や刑事たちが呻き声を上げる。

「これは……」

 柊たちの視線の先……


 そこには二人の人間が血まみれになって横たわっており、虚ろな視線を虚空に向けていたのだった……。


「くそっ!」

 柊はそう舌打ちをすると、それでも慎重な様子でゆっくりと遺体に近づいて行った。転がっているのは年配の男一人に女一人。二人とも仰向けに倒れており、頸部……喉の辺りから大量の出血をしている。そして、その死体の傍に、こちらも血まみれになった日本刀が転がっているのが見えた。柊が二人の顔を確認しながら脈を取り、そして首を振りながら告げる。

「……雪倉統造と雪倉笹枝だ。二人とももう死んでいる」

 それはすなわち、第四の犯行の発生が確定した瞬間だった。

「これは、日本刀で刺されたか? しかし、なぜこんな場所で……」

 柊はそう呟きながら周囲を確認する。だが、事態はこれで終わらなかった。この時、さらなる悪夢の発生が柊達の元へもたらされたのである。

「警部! 大変です!」

 屋敷の外の捜索をしていた刑事の一人が駆け込んでくると、そんな事を叫んだ。柊は振り返ると、険しい声で尋ねる。

「どうした!」

「そ、それが……間瀬刑事と野城刑事の二人が死んでいます! 殺されているんです!」

 それは、この場の誰もが恐れていた知らせだった。柊は鋭く叫んだ。

「二人の拳銃は!」

「そ、それは大丈夫です! 拳銃は奪われていません!」

「山岡、ここを頼む!」

 一声そう指示を出すと、柊は駆け出し、何人かの刑事もその後に続いた。そして再び裏口から表に出ると、屋敷の正面……道路を挟んだ反対側にある竹林に刑事たちが集まっているのが見えた。屋敷の周辺は一面の水田が広がっているが、屋敷の正面部分だけポツンと竹林のエリアが存在しており、ここ以外に隠れる場所が存在しない事から、間瀬たちはここに身を隠して屋敷を監視していたようである。

 そして、その竹林の一角に、二人のスーツ姿の男性……間瀬巡査部長と野城巡査部長が折り重なるようにしてうつぶせに倒れていた。具体的には間瀬が下で、野城がその上から覆いかぶさるように倒れている。そして、二人の死因は遺体を見た瞬間すぐにわかるようなものだった。なぜなら……

「これは……矢か?」

 そう……二人の刑事の首をそれぞれ金属製の矢が貫いていたのである。呆然とする柊の後ろから、不意にこんな言葉がかけられる。

「矢の材質を見るに『ボウガン』ですかね」

 柊が振り返ると、榊原がかなり厳しい目で死体を見つめており、名崎はすっかり顔を青くして体を震わせながらその場にへたり込んで何やらブツブツ呟いていた。

「そんな……一気に四人……そんな馬鹿な……」

 状況はもはや明白だった。犯人は犯行の邪魔となる見張りの刑事二人を不意打ち的にボウガンで射殺し、その後屋敷内に侵入して、屋敷に残っていた雪倉夫妻を日本刀で殺害したのである。隠す気もないというか、あまりにも大胆不敵で、そして残虐極まりない犯行だった。

「……もはや、刑事が見張っていても関係なしか。調子に乗りやがって……」

 柊はぼそりとそう呟くとふらりと一度竹林から道路に出て、そのまま屋敷を囲む壁に近づくと、それを思いっきり殴りつけながら叫んだ。

「くそったれが! 畜生!」

 柊らしからぬ叫びに対し、その場の刑事たちは何も言う事ができずただただ怒りの拳を握りしめ、榊原は静かな怒りを込めた視線を、目の前で殉職した二人の刑事たちに向けていたのだった……。


 それから約一時間後の午前八時頃。突如として発生した地震による混乱がまだ収まらない中、現場となった雪倉家に警察関係者が踏み込み、もはや何度目なのかもわからない現場検証が行われていた。そして、ブレーカーの下で遺体となった雪倉統造、笹江夫妻を確認した検視官は、即座にこう宣言した。

「刺殺だ」

 その一言に、警察関係者たちの空気が一気に重くなった。だが、ここで止まるわけにはいかない。柊は覚悟を決めて状況を確認していく。

「凶器はそこに転がっている日本刀で間違いありませんか?」

「あぁ。詳しくは後でちゃんとした検査が必要だが、見た限り傷口も一致するし、おそらく間違いないだろう。二人とも頸部を一突きされている」

 そこまで言って、しかし検視官は眉をひそめた。

「しかし妙だな……この遺体、傷口以外に防御創が見られない。日本刀で正面から襲われたとなればそれなりに抵抗するはずだから、普通は防御創が見られるはずなんだが……」

 そう言いながらなおも遺体を確認していた検視官だったが、不意にその顔が険しくなった。

「あぁ、なるほど。そういう事か」

「何かわかったんですか?」

 柊の問いに、検視官は頷いた。

「被害者の腰の辺りに小さく焼け焦げた傷跡がある」

 そう言ってその箇所を示す。確かに、遺体の腰の辺りにそれらしき小さな傷があった。

「この傷跡は……」

「あくまで私見だが、多分高圧のスタンガンか何かを押し付けられた跡だな」

「スタンガン、ですか」

 予想外の単語に、柊は思わず再確認をする。

「そうだ。以前、別の事件でスタンガンを使われた遺体を見た事があるが、その時に見た傷跡とそっくりだ。多分、間違いないだろう。ただし、このスタンガンによる高圧放電が死因になったとは考えにくい。直接的な死因はあくまで頸部に日本刀による刺殺だ」

「つまり……犯人は被害者をスタンガンで気絶させてから、倒れ伏す被害者の頸部に日本刀を突き刺したというわけですか」

 あまりに残虐な殺害手法だった。むしろそんな事をされるくらいなら、素直に日本刀で斬り殺された方がましという死に方である。

「警部、スタンガンといえば……」

「あぁ。一人、心当たりのある人間がいるな」

 山岡の言葉に、柊も頷く。彼の頭には、先日、護身用のスタンガンをことさらアピールしていて捜査員を追い返していた雪倉建業の作業員……釘木久光の姿が浮かんでいた。

「物が物だけに、この小さな村で他に同じものを所持している人間がいるとは考えにくい。しかも釘木は雪倉建業の従業員だ。業務のためにここに通じる従業員用の裏口の鍵を所持している可能性が高い」

 つまり、その鍵を使えば雪倉家の敷地内に無断侵入する事は容易という事でもある。

「どうしますか?」

「状況がわからないが、放置しておくわけにもいかない。何人かを釘木の家に向かわせて、スタンガンの有無を確認させろ!」

「了解です!」

 山岡を始め、刑事数名が飛び出していく。その間にも、検視官はさらなる検視を進めていた。

「死亡推定時刻は、両名とも今から八時間から七時間前……つまり今日の午前零時から午前一時くらいまでの間だろうな。おそらくだが……そこのブレーカーを直しに来たんじゃないか?」

 見ると、二人が倒れていた場所の近くの壁に電気のブレーカーがあり、そのブレーカーが落ちているのがわかる。よく見ると、死体の傍には懐中電灯らしきものも転がっていた。確かにこの状況では、家の電気が切れるのは致命的である。危険を承知でブレーカーを確認しに来たとしても、おかしな行動とは言えなかった。

「足跡の採取は?」

 これは鑑識への問いかけだったが、鑑識官は首を振った。

「駄目ですね。さっきの地震の振動のせいで地面の痕跡がかなり損壊しています。遺留物の採取はともかく、足跡等の採取は絶望的かもしれません」

「そうか……」

 一通りの情報を聞き取ると、続けて柊は屋敷の外の竹林で見つかった間瀬健太郎巡査部長と野城敦哉巡査部長の遺体の方へ向かう。こちらの現場の空気は屋敷以上に重く、捜査をする刑事たちが今も怒りを込めた表情を浮かべている。実際に自分たち捜査陣の中からこうして殉職者が出てしまった以上、もはや県警の怒りは頂点に達しつつあった。

「どうですか?」

「二人とも、ボウガンの矢で後ろから喉を貫かれている。ほぼ即死だ。拳銃を構える暇もなかっただろうな」

 こちらを調べていた検視官が簡単に報告を行う。

「状況的に、最初にやられたのが間瀬巡査部長の方。おそらく、背後の死角から不意打ち的に撃たれたんだろう。で、異変を感じてこっちに来た野城巡査部長が遺体を発見し、驚いて駆けつけたところで再び後ろから一撃を撃たれて即死し、間瀬巡査部長の遺体の上に倒れた……と言ったところか」

 もちろん違う可能性もある。だが現状、その筋書きが一番しっくりくるのも事実である。

「凶器のボウガンは?」

「現在捜索中。結果は少し待ってくれ」

「……拳銃は奪われていないという事ですが、間違いありませんか?」

 最初の犯行で大津留巡査から拳銃が奪われている事から、今回の事件の捜査に参加している刑事たちは再発防止のため、拳銃とホルスターをより丈夫な鎖で結ぶという処置をとっていた。例え日本刀を振り下ろされても、今回ばかりは拳銃を奪い取る事は不可能であるはずである。実際、二人の拳銃はそのままホルスターに収められたままだった。

「あぁ、間違いない。弾も確認したが、奪われた様子はなかった。今回、犯人が警官を殺した目的は拳銃ではなく、純粋にこの二人の刑事が『邪魔』だったからだろうな」

「……そうですか」

 だが、ボウガンなどという便利なものがあったのだとすれば、なぜ犯人が雪倉夫妻を殺害するのにそれを使わず、わざわざスタンガンで気絶させて日本刀で突き刺すなどという犯行を選択したのかに疑問が残る。しかし、これについては「持っていた矢が二本しかなかっただけではないか」という意見がすでに捜査員の中から出ていた。当たり前だがボウガンは矢がなければ凶器にならないわけで、犯人はその飛び道具を、拳銃を持っている刑事に対する切り札として優先的に使わざるを得なかったのではないかというわけである。

 また、拳銃や弾を奪っていない事から、犯人が今後標的にしようとしている人間が今の時点で少なくなっているのではないかと希望的観測をする刑事も何人かいた。が、柊としてはこれまでの犯行の経緯から考えてそこまで楽観視できないと判断していた。

 と、そこへ周囲を捜索していた刑事が駆け寄って来て、緊張した様子で報告する。

「警部、ボウガンが見つかりました!」

「あったか」

 その場所に行ってみると、竹林の近くにある田んぼへ続く用水路の中にボウガンが無造作に捨てられているのが見えた。ひとまず、犯人が次の犯行にボウガンを使用するという最悪の事態だけは避けられたようである。ただ、水の中に遺棄されていた事からも、指紋や各種痕跡などは期待できなさそうであった。

「……間瀬、すまない」

 思わずそんな言葉が柊の口から洩れる。柊にとって間瀬刑事は自身の直属の部下であり、彼の家族とも面識がある。それだけに柊にとって間瀬の無念さは察するに余りあるものであったが、同時に柊は岐阜県警刑事部の警部として冷静に捜査をしなければならない立場でもあった。

「必ずかたきは取る。これ以上、好き勝手にさせてたまるか」

 そう言って一呼吸置くと、柊は再び現場へ戻ったのであった……。


 遺体や現場の鑑識が続くのと同時並行で、雪倉家の屋敷に対する家宅捜索も行われていた。すでに一家全滅し、誰もいなくなった屋敷である。新たな事件を起こさないためにもその捜索は徹底したものとなったが、現状では芳しい手掛かりは得られないでいた。

 そんな中、榊原は屋敷の一角にある『雪倉建業』の事務所内を調べていた。元々この雪倉家は『雪倉建業』という大工の棟梁一家として村の中での地位を築き上げてきた家である。事務所内に保管されている記録を見ると村内の建築・工事といったものを一手に引き受けていたようで、敷地内にはそれに使う工事車両が何台か停車しているのも確認できた。もっとも、雪倉家が全滅した今となっては、今後この村の建築がどうなっていくのか、榊原には予想もつかなかった。

 と、棚を調べていた榊原の目がやがてあるファイルの所で止まった。

『蝉鳴神社関連工事書類』

 どうやら、あの古い文化財級の神社の修復も、この雪倉建業が一手に引き受けていたらしい。確かにあのような古い文化財は定期的に修復工事を行う必要があるはずであり、しかもその修復にはそれなりのノウハウや専門的な知識が必要なはずである。ゆえに関連工事ができるのも、少数の事務所に限られているはずだった。

 早速、榊原は中を確認する。そのほとんどは作業計画書(何らかの工事を行う際は必ずこれを作成する必要がある)や図面など事務的な書類がほとんどで、過去に定期的な修復工事や、台風などの災害で発生した破損などを修復する臨時工事が何度か行われていたようである。そんな中、榊原の目がある書類で止まった。

「これは……涼宮事件があった年の作業計画書か」

 その作業計画書は、一九九九年四月から九月にかけて行われた定期的な修復工事のものだった。涼宮事件が起こったのは一九九九年の七月なので、どうやらあの事件が発生した当時、境内では雪倉建業による定期修復工事が行われていたようである。もっとも、工事の規模を見る限り建物を解体するような大規模なものではなく、いくつかの古くなった部分の取り換えが主のようだった。

「定期修復工事は十年に一回か……。このままいけば次は二年後の二〇〇九年のはずだったが……」

 続いて具体的な当時の工事内容を確認する。

「ええっと……社の屋根の瓦の張替え……枚数は一五六枚……これは六月までに終了しているな。それと社務所のトイレの修理……痛んだ石畳の張替えが四カ所……灯篭の修復及び新調工事……これは境内の十三灯篭全てで実施か。あとは賽銭箱の補修……鳥居の塗装……それに社の障子の張替えが十二枚……」

 それ以降も事細かな修復内容がつらつらと書き連ねられていた。

「総工事費用三億円……これは神社が県の有形文化財である事から、岐阜県の文化財保護の予算から出る事になっているな」

 さらに、榊原は一番最近の神社への修復工事について確認した。

「工事は二〇〇五年……これは大雪の影響で破損した社の屋根の臨時的な修復工事か。工費は一億円。これも県の文化財保護の予算から出ている」

 と、そこまで読んだところで、誰かが部屋の中に入ってきた。顔を上げると、そこには応援捜査員の桜庭刑事が立っていた。

「何か見つかりましたか?」

「えぇ、まぁ」

 榊原はそう言って桜庭に図面や計画書を見せる。

「これは……あの神社で行われた工事の記録のようですが、この記録が何か?」

「さてね。ただ、こんな状況だから少しでも手掛かりはほしい所でしょう」

「はぁ……」

 戸惑いながらそんな事を言って桜庭がもう一度図面を見やった……その時だった。

「榊原さん!」

 当然、部屋に柊が緊張した表情で飛び込んできた。それを見て、榊原は「何かあった」と直感的に悟ったようだった。

「どうしましたか?」

「それが……山岡からの報告で、釘木宅で家主の釘木久光の変死体を発見した、と」

 それを聞いて、榊原の目が鋭くなった。

「なぜ山岡警部補が釘木の家に?」

「被害者の雪倉夫婦の遺体からスタンガンの痕跡が確認されて、そこからスタンガンを所持していた釘木に話を聞く必要が生じたので向かわせたのですが……」

「行きましょう」

 榊原と柊は部屋を飛び出していく。後に残された桜庭はしばらく何かを考えていたが、不意に携帯電話を取り出すと、どこかに電話をかけた。相手が出る。

『俺や』

「桜庭です」

『待っとったで。ほんで、どうなっとるんや?』

「はい、それがですね……」

 その後、彼と謎の人物の間で交わされた会話を知る人間はいない……。


 雪倉家の屋敷から走って十分ほど。そこにある釘木久光の家はすでに多くの警察関係者と野次馬に囲まれていた。時刻は午前九時頃。家のドアの前で鑑識が作業していたが、そのドアの鍵孔には明らかに何者かにこじ開けられたような痕跡が確認できた。その奥の室内には靴脱ぎ場やかまちは存在せず、どうやらこうした田舎の家では珍しい事に土足式の家のようだった。家自体も一階建てで、部屋の数もトイレや風呂などを除けば三部屋程度しかないかなり小さい構造になっているようであり、はっきり言って「家」というより「少し大きな小屋」と言った方がいいかもしれない建物だった。

 柊と榊原が鑑識に断って中に入ると、家主の釘木の遺体がダイニングキッチンの中央にあるテーブル横の床に苦悶の表情で転がっているのが見えた。見た限り、外傷らしい外傷はない。一瞬病死に見える死に様であったが、それも雪倉夫妻に続いて検視を担当した検視官がこの言葉を発するまでの事だった。

「詳しくは解剖が必要だが、毒死の可能性がある」

 思わぬ死因にその場の誰もが緊張した表情を浮かべ、柊が代表して検視官に尋ねる。

「毒物の種類は?」

「多分、有機リン系の化合物だな。瞳孔の縮小にかすかなニンニク臭。典型的な有機リン系化合物の症状だ。あの松本サリン事件や地下鉄サリン事件で使用されたサリンも元々はこの有機リン系化合物の一種で、この系列の毒物の中で一番強力なものに相当する。地下鉄の事件の時も、大半の被害者には瞳孔の縮小の症状が発現していたはずだ」

 ただし、と検視官は言い添えた。

「だからと言って今回の事件にサリンが使われたとかそういう話じゃない。サリンのように化学兵器レベルの効力を発するものは論外として、これより毒性の弱い一般的な有機リン系化合物は殺虫剤や農薬などにも使用されている物質だ。もっとも、毒性が弱いとは言っても経口摂取すれば少量でも即死する毒性は持っているから、危険極まりない物質である事に変わりはないがな。実際、地下鉄サリン事件の際にサリンの解毒剤として使用されたのは、元々こうした有機リン系の農薬中毒に対する解毒剤として生産されていた『PAMパム』という治療薬で、これを全国各地から新幹線で東京までピストン輸送をして被害者の治療にあたったという逸話は有名だろう。こんな田舎なら、そうした有機リン系化合物が使用された昔の殺虫剤だの農薬だのがどこかに保管、あるいは放置されている可能性が高い。毒の出自はおそらくそう言ったところだろう。もちろん、確認は必要だが」

 そう言われて、刑事の何人かが飛び出していく。おそらく周囲にそうした殺虫剤や農薬がないかを確認しに行ったのだろう。

「自殺か他殺かはわかりますか?」

「検視官の立場からは何とも言えんよ。それを決めるのはあんたらの仕事だ。ただ……個人的な見解を言わせてもらえれば、連続殺人が起こっているこの状況で、しかもこんな形で自殺する人間がいるとは思えんがな」

 吐き捨てるように言う検視官の見解を否定するような人間は、この場にはもう誰もいなかった。この場の誰もが、これが自殺だなどという甘い考えは持っていないのは明白だった。

「死亡推定時刻は、今見た限りだと十一時間から十二時間前……つまり、昨日の午後九時から十時頃と言ったところか。もっとも、今回はアリバイだのは関係がなさそうだがな」

 確かに犯行が毒殺となれば、あらかじめ毒を仕込んでさえしまえば、殺害時刻にアリバイがあろうがなかろうが全く関係がない事になってしまう。確かなのは、この犯行が雪倉家の殺人よりも前に行われたという事実だった。つまり、釘木が犯人で犯行後に自殺したという推理は成立しないという事である。

「毒物が何に含まれていたかについては?」

「はっきりした事はわからんが……多分、あれだろうな」

 検視官が示したのは、テーブルの上で横倒しになっている日本酒の瓶だった。横倒しになった瓶からは中身の日本酒が漏れてテーブル上に水たまりを作っており、その水たまりから日本酒特有の強烈なアルコール臭が漂っている。どうやら晩酌していたらしく、近くには日本酒を入れていたと思しきコップも確認できるが、作業中の鑑識がそれらの証拠を押収しているのが印象的だった。

「焼殺に撲殺、射殺、爆殺、刺殺、矢による射殺ときて、今度は毒殺か。殺害方法のオンパレードだな」

 榊原がぼそりと独り言を呟き、刑事たちは重苦しい表情でそれを聞いている。と、室内の捜索をしていた山岡が柊に報告する。

「警部、被害者が所持していたスタンガンと雪倉家の裏口の鍵が室内から見当たりません。おそらくは……」

「犯人が持ち去った、か」

 恐れていた事が現実になったような心境だった。

「それと、ドアの鍵にこじ開けた形跡があります。被害者が毒殺された後、犯人が鍵をこじ開けて中に侵入した可能性がありますね」

 これでいよいよ殺害当時、犯人が室内にいた可能性は低くなった。おそらく犯人は被害者が毒死したのを見計らって鍵をこじ開けて室内に侵入。死亡時も彼が手近に持っていたであろうスタンガンや雪倉家の従業員出入口の鍵を盗み、そのスタンガンで雪倉家の凶行に及んだという事なのだろう。

「つまり……この男の殺害は、大津留巡査同様、本命の殺害に使用する凶器を入手するためだけに行われたと解釈する他ないという事ですね」

 榊原の言葉に、刑事たちの顔色がいよいよ悪くなる。以前言及されたこの犯人の性質……すなわち「目的のためなら関係ない人間を巻き込む事に容赦しない」という事が如実に示された事に戦慄しているのかもしれなかった。

「奥の部屋は?」

「今調べていますが……正直、かなりひどい事になっています」

 山岡の案内で奥の部屋に入ると、室内は様々な物品が床に散乱している状態だった。どうやら、今朝の地震で大半が床に落下してしまったようである。

 だが、それよりも問題なのは床に落ちている物品の正体だった。

「これは……すごいな」

 柊が呻き声を上げる。そこには、刀剣やモデルガンなど様々な武器と思しきものが落ちていたのである。よく見ると、そうした物を置くための台のようなものも確認できる。

「被害者は武器マニアか何かだったのかもしれませんね」

 榊原の指摘を否定する人間はいなかった。この状況を見れば、そう思うのも無理はない話である。

「後でインターネットの購入履歴を調べる必要があります。それと、刀剣の所持許可の有無についても」

「雪倉家の殺人で使用された日本刀やボウガンですが、これもここから奪われた可能性はありませんか?」

 榊原の言葉に柊は厳しい顔をする。

「確かに……その可能性は否定できませんね。その辺にいくつもある物ではありませんし、仮にスタンガンがこの家から盗まれたのだとすれば、そのついでに日本刀やボウガンを持ち出したとしても不思議はありません」

「ここにあるコレクションを全て確認した方がいいかもしれませんね」

「同感です」

 とにかく、こうなれば後は鑑識に任せた方がよさそうだった。家の外に出ると、住民たちが不安そうにこちらを見ながらも、地震の跡片付けで忙しそうに動きまわっている姿が見て取れた。

「こうなるともう、この先何がどうなってもおかしくないように思えてきます。感覚が麻痺してきているのかもしれませんね」

「……笑うに笑えない話です」

「同感です。それより、榊原さんはこの後どうしますか?」

「私は私のできる事をやるだけです。ただ、一つ言える事はあります」

「何ですか?」

 柊の言葉に、榊原は静かな声で答えた。

「こっちも、このまま犯人の好き勝手で終わらせる気はないという事です。残念ながら、今の今までずっと後手に回り続けてきましたが……それもここまでにしたいものです」

 静かに、しかし何か決意を込めたその言葉に、柊は何も言う事ができなかったのだった。


 正午になり、地震の後片付けがようやく終わろうとした頃、蝉鳴学校では警察関係者による第四の事件についての捜査会議が始まろうとしていた。被害者五名の遺体はヘリにより再び岐阜市内の岐阜中央大学附属病院へ搬送、解剖という一連の流れを受けており、解剖医はもう反応すること自体を諦めたのか、無言で解剖を行っていたという。

『本日未明に岐阜県北部を震源地として発生した地震は、岐阜県や富山県を中心に被害が発生しています。これまでの情報によると、岐阜県高山市ではブロック塀の倒壊や水道管の破裂などの被害が発生していて、現時点で死者二名、負傷者六名が確認されているという事です。これに対し、岐阜県の三木橋寅蔵知事は被災地への自衛隊の出動要請を出したと発表しており……』

 捜査本部に設置されたテレビのアナウンサーが今朝の地震の情報を読み上げ続けている。連日蝉鳴村の事件についていたマスコミも、さすがに今日は地震のニュースを優先しているようだ。そんな中、柊の音頭で捜査会議が開始される。

「では、始めようか。最初に検視官から解剖報告を!」

 その言葉に、間髪入れずに検視官が立ち上がって報告を行う。

「まず雪倉家の被害者二名の死因についてですが、結論から言えば、頸部を刺された事による出血死と断定して間違いないとの事です。死亡直前にスタンガンで気絶させられたような痕跡も確認できましたが、こちらは致命傷には至っていません。凶器は現場に転がっていた日本刀。この日本刀と被害者を気絶させるために使用されたスタンガン、さらに間瀬刑事と野城刑事を殺害した凶器のボウガンですが、これらについても釘木久光の自宅から持ち出された可能性が高い事がわかりました」

 検視官の言葉に刑事たちがざわめく。スタンガンが釘木の家から持ち出されていた可能性がある事は事前に知っていたが、日本刀やボウガンもそうだったと聞いて意外に思う人間が多かったらしい。これについては鑑識が立ち上がって報告を行った。

「釘木の自宅を家宅捜索しましたが、どうも彼は軍事・武器オタクか何かだったようです。さすがに本物の銃器まではありませんでしたが、家のあちこちに収集した武器類やモデルガンが飾られていました。そんな中で彼が死んでいた部屋の隅に日本刀を飾る台が置いてあったのですが、肝心の日本刀が見当たりません。凶器の日本刀はここから奪われたものと思われます」

 さらに鑑識はボウガンの情報についても言及する。

「ボウガンについては室内の一角に金属製の弓矢が入っていたと思しき筒が残されており、その中に何本か金属製の矢が残されていました。ここから犯行に使われたボウガンも、釘木宅から持ち出されたものと判断してもいいと思います。ただし、保存状態が悪かったせいなのか残されていた矢はさび付いていたり破損していたりして使えるような代物ではなく、状況的に犯人は使える矢だけしか持っていく事ができなかったと思われます。確認したところ、筒の外に貼られたシールに元々入っていた矢の本数が『一ダース』と記されており、残されていた矢の本数が十本である事から、犯人により持ち出されたと考えられる矢の本数は二本。これは犯行に使用された矢の本数と一致します」

 鑑識の報告に、柊達も頷きを返す。どうやら、そもそも矢が二本しかなく、犯人が拳銃を持っている二人の刑事に対して優先的にボウガンを使わざるを得なかったのではないかという推理は正しいようである。

「なお、釘木は日本刀の所持の許可申請を役所に提出しておらず、刀剣を無許可所有していた可能性があります。これについては後々被疑者死亡のまま銃刀法違反で捜査を行う必要がありますね(作者注:ボウガンはこの事件当時は未規制。ボウガンの規制が行われるようになったのは二〇二一年六月八日の銃刀法改正以降の話である)」

 とはいえ、今はそんな事を言っている場合ではない。何しろ銃刀法違反どころか物凄い勢いで人が虐殺されている状況なのである。さらにもう一人の被害者であるその釘木久光の解剖結果についても、再び立ち上がった検視官によって立て続けに報告が行われた。

「こちらに関しても、現場で所見を述べたように有機リン系化合物による毒物中毒死であると正式に断定されました。死亡推定時刻等も現場で所見を述べた時刻で間違いないと追認されています。また、現場で発見された日本酒の瓶及びその日本酒を晩酌したと思しきコップからも有機リン系化合物を検出。両者の成分が一致していますので、これを摂取した事で亡くなったのは間違いないと思われます」

 検視官の報告は、概ね現場検証の際に述べた事柄の繰り返しだった。柊がさらに突っ込んだ事を尋ねる。

「その日本酒の入手経路はどうなっている? 毒物がどこで混入されたかを特定する大きなヒントになる可能性があるが」

 この問いに答えたのは桜庭だった。

「それについてですが、調べた所、昨日この村唯一の雑貨屋である手原商店が届けたものだという事がわかりました」

「届けた、というと?」

「手原商店の店主・手原岳政に話を聞いたところ、被害者は問題の日本酒を週に一度手原商店に届けてもらっていたらしいのです。手原商店は竹橋食堂や美作宿などに対する食材や酒類などの配達業務も請け負っていて、配達ついでだから構わないと引き受けていたそうです」

「じゃあ、被害者は手原商店の店主から直接日本酒の瓶を受け取ったのか?」

 しかし、桜庭は首を振った。

「それが……手原岳政の話では、彼は問題の日本酒を釘木宅の玄関先に置いておいたそうなんです」

「置いておいた、だと?」

「はい。被害者は三ヶ月分の日本酒の代金を支払っていて、配達の際は玄関口に置いておくよう指示を出していました。なので、その事さえ知っていれば、玄関先に無防備に置かれた日本酒に毒を混入するなどの細工をする事は不可能ではなさそうです」

 どうやらこの線から犯人を特定するのは難しそうである。

「凶器の有機リン系化合物ですが、調査の結果、近隣の空き家の農具小屋の中にこの物質が使用された農薬が放置されたままになっているのを発見。成分を分析したところ使用された毒物の成分と一致しましたので、この農薬が使用されたと考えて間違いないと思われます。なお、発見された農薬の容器などに犯人の痕跡等は確認されず。農薬が放置された棚にはスペースがあったので、もしかしたら農薬の容器が複数存在し、犯人がそのうちの一つをそのまま持っていった可能性もあります」

 凶器の捜索を担当した山岡の報告に、捜査本部の空気がさらに重くなる。もしそれが本当なら、犯人がまだ多量の毒物を所持している可能性が出てきてしまうのだから当然だ。

「被害者の釘木久光は武器オタクだという話だが、現場から持ち出された武器は日本刀とスタンガン、それにボウガンだけなのか?」

 柊の問いに、鑑識が再び立ち上がる。

「それについては現在捜査中。残されていた武器類は全て押収し、これ以上悪用されないよう現在ヘリで県警本部へ輸送中です。ただ、釘木は入手した武器類のリストなどを作っておらず、地震でそれらの武器類の大半が床に散乱している状態である事も相まって、何がなくなっているのか把握できない状態です。一応、日本刀とスタンガン、ボウガン以外に何か武器類が持ち出された様子はありませんが、油断できないとだけ申し上げておきます」

「他にも何か盗まれているという前提で捜査を進める必要があるわけだな」

 柊の言葉に鑑識は重々しく頷く。

「あと、武器ではありませんが、釘木久光が保管していた雪倉家の裏口を開けるための合い鍵も盗まれている可能性があります。他の従業員の話だと、雪倉建業の従業員には全員合い鍵が渡されていたそうです。ですが、現場を調べてもそれらしい鍵が見つかりません」

「犯人からすれば、むしろ鍵を手に入れるついでに武器を調達した、という認識なのかもしれないな」

 最後に、殺された二人の刑事についての解剖状況が報告される。だが、これは現場で検視官が言った以上の情報が出てくる事はなく、二人の死因が背後から首をボウガンで撃たれた事による即死である事と、その死亡推定時刻が雪倉家の二人とほぼ同じかその少し前くらいである事がはっきりしただけだった。また、現場から見つかったボウガンからは犯人の痕跡は一切検出されず、こちらからの捜査は極めて難しいというのが実情である。

 そんな報告を聞く汐留の表情には、やはり疲労の色が浮かんでいた。

「いずれにせよ、被害者はこれで十二人か……こう言っては何だが、涼宮事件で大騒ぎしていた事が小さく思えてくる状況だな」

 正面の黒板には今まで殺害された被害者の氏名……すなわち、堀川頼子、大津留真造、飯里稲美、安住梅奈、安住煕正、雪倉美園、竹橋美憂、釘木久光、間瀬健太郎、野城敦哉、雪倉統造、雪倉笹枝の名前がずらりと並んでいる。このうち安住家と雪倉家に至っては一族全滅の憂き目に遭っており、さらには岐阜県警からも三名の殉職者が発生してしまっている。その被害の甚大さは、汐留の言うように八年前の涼宮事件の比ではなかった。被害者数だけで見れば、もはや事件ではなく『災害』と言っても過言ではない状況ではある。

「なぜだ……一体、どんな動機があれば、これだけ大量の人間を殺害することができる」

 汐留の呟きに対し、しかし答える人間は誰もいない。それは、この場にいる誰もが知りたい事だった。

「部長、釘木久光の過去の経歴の調査についてはどうなっているのですか?」

 桜庭がそんな問いを発するが、汐留は首を振った。

「それについては県警本部が総力を挙げて追跡調査をしているが、今朝の時点ではまだ結果が出ていないという事だ。どうも県内ではなく他県から引っ越して来たらしく、該当する県警に調査依頼をしている状況らしい。ただ、それでも今日中には結果が来る手はずになっている」

「そうですか……」

 桜庭は少し残念そうに座り、入れ替わるように柊が問いかける。

「ところで、釘木の同僚である佐久川満に対する聴取はどうなった?」

 今回の事件により、佐久川満は雪倉建業の関係者における数少ない生き残りになっていた。そのため事件直後に捜査員は佐久川の家に押しかけ、幸いこちらは無事を確認していたのである。事件の知らせを受けて佐久川は呆然自失の状態だったというが、もはや一刻の猶予もない中、警察の事情聴取が行われていた。これについては山岡が答える。

「事件当時は家で普通に寝ていたと証言しています。アリバイの証明は不可能だとも」

 もっとも、それは時間的に致し方がない話でもある。柊は続けて質問する。

「事件前日の行動については?」

「何しろ、佐久川は第三の事件……雪倉美園・竹橋美憂殺害事件の第一発見者の一人でもありましたからね。午前中はずっと我々の取り調べを受け、事件の余波を受けて雪倉建業も休業になっていたため、午後からはずっと自宅にこもっていたというのが本人の弁です」

「つまり事件前日、佐久川は雪倉家に行っておらず、雪倉夫妻にも会っていないという事か?」

「その通りです。それと屋敷の裏口の鍵ですが、やはり従業員全員に合い鍵が手渡されていたそうです。佐久川自身が所持する鍵も見せてもらいました」

「ふむ」

 柊が少し考え込む。と、そこで山岡が続けて意見を述べる。

「警部、釘木殺害が合い鍵を奪う事が目的だったとすれば、佐久川が犯人である可能性は低くなるとは思えませんか? すでに合い鍵を持っているのに、わざわざ危険を冒して釘木を殺害するのはリスクが高すぎます」

 だが、これにはすかさず桜庭が反論した。

「しかし、自身の合い鍵を使えば容疑者が雪倉建業の関係者である事は簡単に特定されてしまいます。だからこそあえて釘木を殺害して合い鍵を奪う事で『誰もが犯人である』状況を作り出した可能性はあります。また、釘木を殺害したのはあくまで釘木が所有する凶器類を奪うためであって、合い鍵の奪取はついでだった可能性も捨てきれません」

「それは……そうかもしれませんが……」

 山岡は言葉に詰まる。どうやら、これだけで佐久川の無実を確定する事はできないようだった。ひとまず、この件については保留である。

 と、ちょうどそんな議論をしていた所に捜査本部に設置したファックスが鳴り響き、そこから何枚かの書類が送られてきた。すぐに担当捜査員が送られてきた書類をまとめて汐留に渡し、汐留はしばしその内容を読んでいたが、やがて顔を上げて重々しい口調で告げた。

「ちょうどいいタイミングだ。今しがた話題に出ていた釘木久光と佐久川満の経歴についての報告が県警本部から送られてきた。今からその内容について共有したいと思う」

 それを聞いて刑事たちの表情が一気に緊張する中、汐留は重苦しい表情でその結果を報告した。

「まず、被害者の釘木久光だが、やはり前科があった。予想通りこいつは武器マニアだったらしく、国内で所持が禁じられている武器類を不正所持していた疑いで三重県警に一度逮捕されている。執行猶予判決が出た後で職に困り、何度か職を変えた後で二年程前にハローワークを通じて雪倉建業に就職したという事らしい。本籍地は三重県伊勢市。現在、三重県警に照会してより詳しい経歴を調べているところだ」

 こちらはある程度予想の範囲内の経歴だった。問題はもう一人の佐久川満の方である。

「佐久川満は愛知県小牧市出身。高校卒業後に上京して大手運送会社に就職し、トラック運転手として活動。しばらくして独立し、都内で個人経営の運送会社を経営していた。だが、今から十年前に発生したフェリー沈没事故に巻き込まれ、一命こそ取り留めたものの商売道具のトラックを失う事になった。これにより廃業を余儀なくされ、しばらく土木作業員や警備員などの職を転々とした後、五年ほど前に雪倉建業に就職したらしい」

 その経歴に、柊が自身の記憶を思い出そうとする。

「十年前のフェリー事故というと……あれですか。悪天候が原因で、鹿児島から東京へ向かっていたフェリーが伊豆沖で沈没。五十人以上が亡くなったという……」

「あぁ。発生したのが長崎の原爆と同じ日で、長崎市の平和祈念像前で行われていた平和式典の中継途中にこの事故の臨時ニュースが流れた事で当時かなり有名になったのを覚えている。最終的な生存者はわずか七名だったが、佐久川はそのうちの一人だ」

 と、ノートパソコンを操作していた捜査員が、ネット上で見つけてきたこの事故の記事を正面のスクリーンに映す。どうやら、事故発生から一週間後の記事らしい。そして、その記事の中に確かに『佐久川満』の名前が確認できた。

『……一週間前に伊豆沖で発生したフェリー「ムーンナイト号」の沈没事故について、静岡県警及び海上保安庁は現時点までに七名の生存者が確認できたことを公表した。生存者の氏名は掛川正太さん、柿島才子さん、佐久川満さん、真希波有子さん、奥羽崇信さん、倉浜和歌奈さん、貝原悦彦さん。海上保安庁は引き続き生存者の発見に全力を尽くすとしており……』

 刑事たちがその記事を一通り読み込むのを待って、汐留は険しい表情で話を続けた。

「結局、その後の捜索でも、これ以上の生存者は発見できなくてな。遺体が相模湾方面に流れている可能性があったから神奈川県警にも協力要請が入って、当時神奈川県警にいた私も多少なりこの件にはかかわっている。だからこそ、この事故についての基本的な事は知っているわけだがね」

 そこまで言うと、汐留は空気を切り替えるようにこう続けた。

「ひとまず、私からの報告は以上だ。ところで話は変わるが、今回の地震についての続報は?」

 事件と直接関係ないとはいえ、警察である以上、地震の事についても把握をしておく必要性がある。これに対し、刑事の一人が立ち上がって報告した。

「それについては現在、駿河大学の青空先生が詳細を調査中だそうです。ある程度まとまり次第、こちらにも報告に来ると言っていました」

「こんな時に現地に地質学の専門家がいるのは心強いな。具体的な村の被害は?」

「いくつかの家屋に被害が出ている他、山の方で土砂崩れがあった場所も確認されているそうです。また、村の南側の岐阜側からこの村へ通じる道の一部で崖崩れが起こっており、そちら側からこの村への陸路での進入がしばらく難しくなりそうだという連絡が高山市から入っています」

「厄介だな」

 一応、ヘリでの移動や村の北側の富山県側の道を使った移動は可能なので完全に孤立したわけではないのだが、それでも交通や流通の中心はやはり岐阜県側の道であり、村と外との間の移動に制限ができたというのはかなり厄介な話なのは間違いなかった。

「幸い、現段階でこの村内で地震による死者は出ていませんが、今後負傷者が確認される恐れはあります。また、青空先生の話だと、今後しばらく余震に警戒が必要だという事です」

 その報告に、柊は少し険しい表情でこう呟いた。

「この地震は犯人にとっても明らかに想定外の事象のはずだ。これが吉と出るか、あるいは凶と出るか……全く予想ができないがつらいな」

 とにかく現状、地震に関しては専門家や行政機関に任せるしかない。問題は今後の事であった。

「それで柊君。今後、この事件はどうなると思う?」

 汐留の問いに、柊は真剣に答える。

「正直、よくわかりません。少なくとも今回の事件で、犯人の狙いが巫女候補であるという考えが少し怪しくなりました」

 今までの事件では、第一の事件で堀川頼子、第二の事件で安住梅奈、第三の事件で雪倉美園と竹橋美憂と、いずれも前回もしくは今回の巫女候補が殺害されていた。しかし、今回の事件では該当する巫女候補は誰一人殺害されていない。あえて言うなら殺された雪倉笹枝が三代前の巫女だったという事実が少し怪しいが、今更そんな前の巫女を殺害するというのは何かしっくりこないと言わざるを得ない話である。

「もしかしたら、犯人の狙いは巫女候補ではなく、この村の有力者である堀川家、安住家、雪倉家だったのではないでしょうか?」

 桜庭がそんな意見を述べる。実際、こうなってくるとその可能性も考慮しなければならないのも事実だった。

「だが、それならそれで別の問題が生じる。なぜこの三つの家が狙われる? 彼らがここまで殺意を持たれる理由は何なんだ?」

「それはわかりません。生前から彼らの口は重く、今となってはどの家も壊滅に近い状態です。地道にそれぞれの家を調べるしかありませんね」

 とはいえ、それも簡単ではない話だった。おまけに、実は警察としても、ここに至って今までのように単に狙われる可能性がある人間を全員見張るというわけにもいかなくなっているのである。

「現状、県警からは三名もの殉職者が出てしまっており、地震で道路が寸断された事から動ける人員も限られている上に、地震そのものへの対処もしなければならない。この状況では今までのように対象者全員に見張りをつけるというのもかなり難しい。状況はかなり厳しいと言わざるを得ない」

 汐留の口調はかなり深刻だった。実際問題、限られた数の捜査員しかいないこの状況下では、それはかなり問題である。また、実際に殉職者が出てしまった以上、現場の士気に関係なく、捜査のやり方を変えざるを得ないのも事実であった。

「あえて聞くが、次に狙われるのは誰だと思う?」

「……今回は殺されていませんが、それでも巫女候補唯一の生き残りである名崎鳴や、現巫女である左右田常音辺りはまだ危険である可能性があります。あとは、例の三家の中で唯一の生き残りとなっている堀川盛親ですかね」

「……改めて考えると、現巫女の左右田常音や、実質的にこの村の最高権力者である左右田昭吉をはじめとする左右田家に一切の被害がないというのも不気味だな。普通に考えて、この村で一番力を持っている家は、堀川でも安住でも雪倉でもなく左右田家だ。にもかかわらず狙われないというのはなぜなんだ?」

 確かにそれは問題だった。もしかしたらその辺りに事件の鍵があるのかもしれないが、市議会議員である左右田は恐らくこの村の中で一番口が堅い存在である。よほどの証拠でもない限り、ここから攻め込むのは難しいと言わざるを得なかった。

「こう言っては何だが……手詰まりになりつつあるな。何とか打破しなければならないのだが……どうにかならんものか……」

 ……結局、その後も捜査会議は白熱し、刑事たちからも様々な意見が飛び出していたが、事態を打破するような捜査方針を示す事はできないまま時間だけが経過していった。だがその途中、村側から捜査本部に思いもよらない知らせが飛び込んできて、にわかに捜査本部は色めき立つ事となった。

「次の巫女が決まった?」

「はい。現巫女の左右田常音が、ついさっき次の巫女を名崎鳴にする事を正式に明言したそうです」

 その報告に捜査本部がどよめく。

「村の寄合はどう言っているんだ?」

「『慣習通り、巫女の判断を尊重する』と言っています。左右田元村長や堀川盛親といった残った村の有力者も特に異を唱えていません」

「なぜこのタイミングで……」

 山岡の呟きに応えたのは新庄だった。

「おそらく、これ以上巫女絡みで何か惨劇が起こる事を防ごうという考えでしょう。決まってさえしまえば巫女争いも何もなく、今後さらに別の候補者が名乗り出て事態がさらに深刻化する前に、候補者が一人になったこの段階で巫女問題を手打ちにする意味合いもあると思います。それと、正式に巫女宣言をする事で残る候補者の名崎鳴に危害が加えられる状況を避ける意図もあるかと。どのような状況であれ、村の人間なら正式な巫女に危害を加える事は避けるはずですから。多分、左右田常音にとっても苦肉の策だとは思いますが……」

 こうなった時点で次の巫女が残った名崎鳴になるであろうことは想定できたが、それにしても話が早すぎた。

「今後どうなる?」

「このままいけば本日中にでも、神社の境内で神主立会いの元、正式に巫女の継承が行われるはずです」

「そうか……」

 この判断が吉と出るか凶と出るか……それはもう、警察では判断しかねる状況だった。

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― 新着の感想 ―
 大変興味深く読まさせて頂いております。 まず誤字報告ですが、 「直接的な死因はあくまで警部に日本刀による刺殺だ」」となっており これでは被害者が警部に刺殺されてしまってる事になってしまいそうです。 …
2025/09/23 20:11 ヘイスティングス
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