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蝉鳴村殺人事件  作者: 奥田光治
第二部 殺戮編
29/57

『関ヶ原事件 捜査報告書』

『関ヶ原アベック殺人事件(通称・関ヶ原事件) 捜査報告資料』

               報告者:小石川蔵彦(岐阜県警関ヶ原警察署刑事課・警部補)

【発生日時】

 二〇〇三年八月一日(金)

【発生場所】

 岐阜県不破郡関ヶ原町名神高速道路上り線関ヶ原IC~養老JCT間

【事件概要】

 二〇〇三年八月一日金曜日午前二時頃、岐阜県不破郡関ヶ原町の名神高速道路上り線・関ヶ原IC~養老JCT間の防音塀に走行中の乗用車が突っ込む事故が発生。通行中の他車両の通報で駆け付けた関ヶ原署員が車内を確認したところ、運転席からこの自動車の持ち主である江橋統一えばしとういち(二五)、同自動車の後部トランクから高円仄美たかまどほのみ(二四)の遺体が発見された。司法解剖の結果、江橋統一の死因は頭部及び全身の打撲(諸々の状況から自動車が防音塀にぶつかった際の衝撃によるものと推察されており、江橋の死因が自動車衝突によるものである事はほぼ確定)、高円仄美の死因は首を強く絞められた事による絞殺と判断され、高円仄美の遺体については殺人の疑いが強い事から関ヶ原署に捜査本部が設置された。

【捜査状況】

 発見時、江橋統一はエアバッグが作動したハンドルにもたれかかるような形でぐったりしており、自動車や防音塀の損傷具合などから、事故発生当時、自動車は時速八十~百キロ程度で走行していた可能性が高いと推測された。残念ながら発生が深夜であった事もあり、事故の直接的な目撃者は存在しなかったが、現場にブレーキ痕が確認できなかった事から、制限速度以上で車を走らせていた江橋がハンドル操作を誤り、ブレーキを踏む間もなく防音塀にぶつかったと推測された。なお、肝心のブレーキ装置は壊れていたが、これが事故前から壊れていたのか事故の衝撃で壊れたのかの判別は不可能であった。ただ、事故車は事故のわずか一週間前に車検を終えたばかりであり、その車検記録(車検は大垣市の自動車整備工場で実施)でブレーキに異常がなかった事が確認されているため、事故の衝撃でブレーキが故障した可能性の方が高いと推察される。

 一方の高円仄美は車の後部トランク内に押し込まれているのが発見され、首に索状痕が確認された。先述した通り彼女の死因はこの索状痕による絞殺であり、事故の衝撃によるものではない。凶器はネクタイやタオルのような布状の物と推察されるが、その詳細は不明。少なくとも車内から該当しそうなものは発見されていない。また、司法解剖で判明した両者の死亡推定時刻についてもばらつきがあり、江橋統一が事故の発生したまさにその時間に死亡したと推定できるのに対し、高円仄美は事故発生の二時間~三時間程度前にすでに死亡していたという結果が出た。ここから事故発生時に高円仄美はすでに死亡しており、すなわち江橋統一は死亡した高円仄美をトランクに詰んで運んでいた疑い(すなわち死体遺棄容疑)が非常に高くなっている。

 捜査本部は、事件当日の二人の動きについての調査・聞き込みを行った。江橋統一及び高円仄美はかねてからの恋人関係にあり、この恋人関係については家族や友人など複数の関係者が周知している事であった(すなわち秘密の関係などではなく、調べればすぐにわかる程度の関係だった)。また、江橋統一は関ヶ原町内のスポーツ用品店、高円仄美は同じく関ヶ原町内の信用金庫に勤務している。

 生きている二人が最後に目撃されたのは事故発生前日……すなわち七月三十一日の昼である。この日、江橋統一は高円仄美をドライブに誘っており、正午頃に高円仄美の自宅まで彼女を車で迎えに行っている。この際に高円仄美の母親が車に乗る彼女を見送っているが、この母親の見送りが二人の生きている姿が直接確認された最後の瞬間である。また、この時の車が問題の事故車であるが、具体的なドライブの目的地については不明。両名ともその行先は誰にも告げておらず、わかっていたのは一泊二日のドライブ旅行だったという点のみである。その宿泊先も不明。二人は若く、さらに車で移動していたため、車中泊をするつもりだった可能性も否定できない。

 ただ、あくまで補足意見という形ではあるが、このドライブの行先を特定するヒントになるかもしれない事象として、事故車の走行距離メーターを調べるという意見が捜査本部で出されている。すでに述べたように、事故車は事件の約一週間前に車検を受けており、その際に走行距離メーターの数字も記録されている。すなわち、車検が行われた大垣市から関ヶ原町の自宅までの距離や事件が起こるまでの江橋統一の自動車の運転状況を調べ、その間に走った距離を算出した上で事故車に実際に表示されている走行距離からその値と車検で記録されている走行距離の値を引けば、自宅を出発してから事故が発生するまでどれだけの距離を走行したのかがわかるのではないかという考えである。

 捜査本部は、実際に江橋家に聞き込みを行い、この走行距離の特定を行った。もちろん、自動車の使用状況を家族がすべて把握しているわけではないので概算という事になるが、この結果、江橋統一が家を出発してから事故に遭うまでの走行距離は概ね三〇〇~三二〇キロメートルだという事が判明した。事故現場が江橋家と同じ関ヶ原であるので、おそらくこの距離は往復距離という事になり、実際の行き先までの距離は最大一五〇~一六〇キロメートルという事になるだろう。いずれにせよ、かなりの長距離なのは間違いないが、繰り返し述べるようにその行き先は現段階では不明である。なお、地図上で関ヶ原を中心に半径一五〇キロメートルの円を書いた場合、北は岐阜・富山県境の白川村付近、南は三重県志摩市付近、西は京都府宮津市付近、東は長野県飯田市付近が該当し、さらに南東へ目を向ければ愛知・静岡県境の浜名湖周辺が当てはまる。ただし、これはあくまで直線距離であり、実際は道路事情でこれよりも内側のエリアのどこかであった可能性もある。

 いずれにせよ、現時点においては江橋統一が旅先で被害者の高円仄美との間に何らかのトラブルが生じて殺害に至った可能性が非常に高いと判断される。具体的には「旅先で被害者を殺害して関ヶ原まで戻ってきた」あるいは「関ヶ原に帰ってきた直後に車中で被害者を殺害し、その後二時間程度遺体の処理を思案していた」のいずれかが起こり、その後遺体を処分するため東名高速に乗った所で事故を起こしてしまったという筋書きである。無論、これを裏付ける証拠の収集は今後の捜査次第となるが、当面はこの筋書きに従い捜査を継続する所存である。


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