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蝉鳴村殺人事件  作者: 奥田光治
第二部 殺戮編
27/57

第十三章 銃声二発

 捜査関係者が厳戒態勢を敷く中、三月十一日日曜日早朝、第三の事件はこれ以上ないほど明確な形で発生した。


 この日、蝉鳴村は昨日と打って変わって濃い朝靄に覆われていた。時刻は午前五時頃。まだ日は昇っておらず、朝靄の存在もあって視界が効かない状況である。そんな中でも、刑事たちは何人かの組に分かれて村の見回りを行っていたが、この状況だけに周囲がよく見えず、懐中電灯の光さえもやで乱反射してしまう現状、警戒は困難を極めていた。

「くそっ、こんな時についていない……」

 そんな中、村の中央辺りで巡回を行っていた山岡が吐き捨てるように呟いた。相方には警視庁からの応援組である新庄が付き、朝霧の中、周囲を警戒しながら村の中を歩いていた。

「犯行を行うには絶好の状況ですね」

「えぇ。油断せずに行きましょう」

 すでに犠牲者が多く出ている事もあり、刑事たちには拳銃携帯許可が与えられている。必要があれば発砲も許可されている状況だが、第一の事件で犯人が拳銃目的で大津留巡査を殺害している事から、武器強奪目的で警察関係者が襲撃される危険性も示唆されている。そのため、この見回りは自身の身の安全も考慮しながら行う、刑事たちにとってもまさに命懸けのものとなりつつあった。

「しかし、榊原さんの協力を得ながらここまで苦戦した事件というのはかなり珍しい話です」

「やはりそうなんですか?」

「えぇ。逆に言えば、それだけ今回の事件の犯人が凄まじいという話になるかもしれませんが……」

「しかし、だからこそ放置するわけにもいきません。何とか犠牲者が増える前に解決できればいいんですがね」

 そんな事を言いつつ、二人は油断なく周囲を確認しながら進んでいく。このまま何事も起こらないでほしい。二人はそう思いながら、しかし同時に嫌な予感を抱えつつ、巡回を続けていた。

 と、まさにその時だった。


 ドンッ……


 朝靄に包まれる暗闇の蝉鳴村のどこかで、腹の底に響くような鈍い音……二日前に蝉の鳴き声とともにこの村に響き渡ったのと同じ、銃声が一発響き渡った。それを聞いて、山岡達の顔色が変わる。

「今のは……」

「畜生、どこだっ!」

 山岡は咄嗟に拳銃を取りだしながら叫ぶ。村のどこからか響いたのは間違いない。だが、それがどこなのかわからない。それでも懸命に今の銃声がどちらから響いたのかを互いに確認していると……


 ドンッ……


 今度は先程よりもはっきり、同様の鈍い発砲音がもう一度村に響き渡った。それはすなわち、二度目の発砲が行われたという何よりもの証拠であった。

「こっちです!」

 その二発目の銃声で音が響いてくるのがどちらなのかを判別したのか、新庄がおもむろに走り出す。山岡もそれに続き、二人は村の東側のエリアへ向かって田んぼ道を駆け抜けていった。

「この辺りです!」

 そこは、青龍橋から少し南に下った辺り……ちょうど村の中央から村の東部の山中にある林業エリアへ続く東西の道と青龍橋へ続く南北の道が交差する辺りだった。どうやら一番乗りしたのは山岡と新庄のようで、他に刑事たちの姿はない。二人は銃を構えながら、油断なく周囲を確認していた。

「一体どこから……」

 そう言いながら周囲を見回すが、この交差点の周囲には人工物は古い家が一軒だけしかなかった。それは敷地の周囲をブロック塀で囲まれた二階建ての小さい家で、どうも長い間空き家になっているようであった。が、不意にその敷地の入口の辺りで何かが動くのが見え、山岡と新庄は反射的にそちらに銃を向けて叫んだ。

「動くな!」

 と、その人影はゆっくりと肩をすくめるような動作をすると、クックッと笑いながら二人の前に進んだ。そしてその時点で、二人は相手が誰なのかを確認するに至った。

「あなたは……」

「いやはや、刑事さんたちも随分お早い事ですなぁ。小生、感服いたしました」

 そこに立っていたのは、あの時代錯誤な格好をした不気味な怪奇小説家……夕闇逢魔その人だった。

「お前、なぜここにいる!」

「心外ですなぁ。小生も刑事さんたちと同じく、朝の散歩をしている時に銃声を聞いて駆けつけた次第です」

「散歩だと?」

「小生の習慣なのですよ。こうして誰も出歩かない早朝に村の中をぶらぶら歩いていると、創作意欲がわいてくるのです。もっとも……今日は思わぬものを見つけてしまったようですがな」

「どういう意味だ?」

 新庄の問いかけに、逢魔は芝居がかった仕草で一礼すると、今まさに出てきた空き家の敷地に道を譲った。山岡と新庄は一瞬顔を見合わせたが、やがて最大限の警戒をしつつ、慎重に空き家の敷地内に足を踏み入れた。

「うっ!」

「これは……」

 そして、その場で絶句した。敷地の入口と家屋の間には手入れがなされていない庭のような部分があったが、その真ん中で誰かが倒れているのが見えたのだ。そしてその人物は頭からどす黒い血を流しており、その傍には血に染まった金属バットのような物が転がっているのが見えた。

「おい、大丈夫か!」

 山岡がそう言ってその人物に近づく。が、近づいた時点で山岡はその人物がすでに手遅れである事を悟った。おそらく転がっている金属バットで殴られたと思しきその人物はうつぶせのままピクリとも動かず、それどころか背中の心臓の辺りに開いた穴から焦げ臭いにおいと共に血が噴き出し、衣服を真っ赤に染めつつあった。その穴の存在は、この人物が殴られた後に背中から拳銃で心臓を撃たれた事を意味していた。

「何てむごい事を……」

 そう言いながら、山岡は改めてその人物が誰なのかを確認する。このさびれた空き家の敷地内で、頭を殴られた上に銃で撃たれてとどめを刺された人物……


 それは、今回の巫女候補の一人である竹橋食堂の一人娘……竹橋美憂の変わり果てた姿だった。


 当然、疑いの目はその場にいた逢魔へと向く。が、逢魔は相変わらずクックッと笑いながら両手をオーバーに広げつつ反論する。

「誤解なきように言っておきますが、これは小生がしたわけではありませんぞ。小生がここに来た時にはすでにこうなっていたのです」

「信用できるか!」

 山岡が叫ぶが、逢魔は余裕たっぷりに首を振る。

「疑うなら身体検査でも何でもすればよろしい。この様子では彼女はバットで殴られて意識を失った後で追いうち的に射殺されたようですが、なれば犯人の体にも返り血が飛び散っているはず。小生の体にそのようなものはついておりませんし、拳銃も持っていませんぞ」

「貴様……」

「それに、銃を発射すれば硝煙反応だの射撃残渣だのが検出されるはず。小生の体からそのようなものが出ない事は検査をすればすぐにわかるのではないですかな。小生、その検査を拒むような事はしませんぞ」

 その余裕綽々な態度を見るに、おそらく検査をしてもそれらのものが検出されないだけの自信があるのだろう。それがわかるだけに、山岡はどうする事もできず拳を握りしめるしかなかった。が、その時、新庄がこんな事を言った。

「妙ですね。あの時響いた銃声は二発。しかし、見る限り彼女に銃弾は一発しか撃たれていません」

 それを聞いて、山岡は慌てて遺体を再確認する。確かに、銃創は背後から撃たれた一発しか確認できなかった。

「もう一発は一体……」

 と、その時だった。敷地の外の道路の方から誰かが騒ぐような声が聞こえ、やがてそのざわめきが徐々に大きくなっていった。この近くで何かが起こっているらしい。

「山岡さん、ここを任せます!」

 新庄はそう言うと、敷地を飛び出して辺りを見回す。徐々に朝靄は晴れつつあり、見ると敷地を出た左側……南方側の路上で大勢の人間が何かを騒いでいる様子である。新庄がそちらに近づくと、そこには駆けつけた何人かの刑事たちが深刻そうな表情で何かを囲っており、どういうわけかその近くでジャージ姿にスポーツ刈りの男がすっかり血の気の退いた顔で呆然として地面にへたり込んでいるのが見えた。

「どうしましたか!」

「あぁ、新庄警部補。それが……」

 刑事たちの中にいた間瀬が場所を開け、路上に転がる『それ』を指さす。それを見た瞬間、新庄は改めて最悪の事態が発生してしまった事を悟った。

「これは……そんな馬鹿な……」

 絶句する新庄の視線の先……


 そこには、背中の銃創から血を流して路上にうつぶせに倒れている一人の少女……雪倉美園の変わり果てた姿があったのである……。


「しかし、運命とはわからぬものですなぁ」

 同じ頃、空き家の敷地に残された逢魔は山岡に向かってそんな事を言っていた。

「どういう意味だ?」

「どうもこうも……刑事さんは、この空き家が何なのかご存知ないのですかな?」

 まるで試すようにニヤニヤ笑いながら聞く逢魔に山岡は怒りを覚えたが、かろうじて抑えて振り絞るように答える。

「どうだろうな。そう言うお前は知っているのか?」

「もちろん。これほど小説の題材になりそうな家はありませんからなぁ」

 そう言うと、逢魔は大きく手を広げて叫ぶ。

「ここは『旧加藤家』! もうおわかりでしょうな。あの涼宮事件の際に無実の罪で逮捕され、村八分の仕打ちを受けた加藤柳太郎。ここはその加藤家が住んでいた家なのですよ。涼宮事件後、加藤の逮捕により家族も村から追い出された事で空き家になっていたのですが……今度はそこで別の殺人が起こるとは、『事実は小説より奇なり』とはまさにこの事ですなぁ! そうは思いませんかな!」

 そのどこか狂気すら感じる逢魔のふるまいに、山岡は何も言えず、ただ黙り込むしかなかったのだった……。


 立て続けに二体の遺体が発見されてから少し経過した午前六時頃。靄が晴れ、徐々に太陽が昇って村全体がぼんやりと明るくなっていく中、事件の発生を知った捜査員たちが現場となった旧加藤家とそこから少し離れた道路に集まっていた。その中には、厳しい表情を浮かべた榊原や、すっかり顔面蒼白となった亜由美の姿もあった。

「第三の事件……ですね。残念ながら、ですが」

 柊が竹橋美憂の遺体を見下ろしながら淡々と事実を告げ、榊原がそれに応じる。

「事件数としてはそうなりますが、被害者数はこれで七人。随分なハイペース殺人です」

「くそっ……犯人の奴、一体どこまで続けるつもりなんだ!」

 刑事の一人がそう吐き捨てるが、結果として、警察は第三の犯行を防ぐ事ができなかった。その事実が、この場に重苦しい空気を形成していた。

「改めて状況を確認します。今朝午前五時十五分頃、村に銃声が二発響き渡り、巡回警戒中だった私と新庄両刑事がこの家に駆け付けたところ、竹橋美憂さんが射殺されているのを発見。それとほぼ同時刻、南からこの家を目指していた別の捜査員二人が悲鳴のような物を聞き、駆けつけたところ途中の路上に倒れている雪倉美園さんの射殺体と、その傍らで腰を抜かしていた雪倉建業の作業員・佐久川満を発見したという流れです。なお、雪倉美園の遺体はこの家から三十メートルほど南の路上で発見されています」

 山岡の説明に柊は頷きながら質問を加える。

「両家に連絡は?」

「すでにしてあります。もっとも、両家とも信じられないと言った風で、特に竹橋美憂の父親である竹橋和興は呆然自失の状態でした」

「無理もない……」

 そう言いながらも、柊は厳しい声で尋ねる。

「昨日の会議で、前回、及び今回の巫女候補には警備をつける手はずだったはずだ。にもかかわらず、なぜ犯行を許した? 警護担当の捜査員は何をしていた!」

 この疑問に対し、間瀬が恐縮しつつも悔しそうに答えた。

「雪倉家に関しては……こう言っては何ですが、見逃した可能性を捨てきれないという事です。雪倉家は周囲を塀で囲まれた典型的な日本屋敷で、入口は正面の門と雪倉建業の従業員用の裏口がありますが、敷地がかなり広いのでそれ以外の場所から梯子でも使って塀を乗り越える形で抜け出される可能性を否定しきれません。まして、今朝の濃霧という事になると……」

「では、竹橋家の方はどうなっていたんだ! あっちは雪倉家ほど規模の大きい家ではないはずだ!」

 柊の問いかけに、間瀬はどういうわけか困惑気味に答える。

「それが、担当捜査員は竹橋食堂近くの物陰から建物を見張っていたらしいのですが、こちらも濃霧で視界が悪かった上に、見張っている途中に邪魔が入ってしまい、その対処をしている間に家から抜け出された可能性があるという事です」

「邪魔だと?」

「竹橋美憂の自宅でもある竹橋食堂の建物は二階建てで、店舗内へ通じる正面入口と、竹橋家の人間だけが使う裏の勝手口の二ヵ所が出入口になっています。担当捜査員二名がそれぞれの出入口を見張っていたわけですが、このうち裏の勝手口を見張っていた捜査員が第三者に声をかけられ、そこで押し問答になってしまったという事です」

「その第三者というのは?」

 榊原の静かな問いかけに、刑事ははっきり答えた。

「雪倉建業の作業員、釘木久光です」

 榊原の脳裏に、今回の第一発見者である佐久川満と一緒にいる所を以前竹橋食堂で見かけた、作業服姿の茶髪の男の顔が浮かんだ。

「問題の捜査員の話では、物陰に隠れて勝手口を見張っていたところ、通りかかった釘木がその捜査員を不審者と勘違いして突っかかってきたらしいのです。どういうわけなのか怒り心頭の彼はなかなかこちらの話を聞こうとせず、結局そのまま十分前後押し問答をした末にようやくこちらの事情を理解してくれたという事です」

「時間は?」

「午前四時半頃です」

「なぜその釘木という男は、事件が起こって村中の人間が警戒している中、そんな時間にそんな場所をうろついていたんだ?」

 柊のもっともな問いかけに、報告した刑事は首を振る。

「わかりません。本人は『俺は自警団だ!』というような事を言っていたらしいですが」

「自警団?」

 そんなものがあるなど初耳である。とにかく、その邪魔さえなければこんな最悪の事態にならなかった可能性は非常に高い。そうなると、後でその釘木という作業員から詳しい話を聞く必要がありそうだった。

 と、そこで検視をしていた検視官が立ち上がった。彼もここ数日で何体もの遺体の検視をする事になり疲労を隠せないでいるようだったが、それでもなお自分の職務を全うし続けていた。

「死因は両名とも背後から胸部を拳銃で撃たれた事による出血性ショック死だ。特にこっちの被害者……竹橋美憂は近い距離から心臓目がけて銃弾を撃ち込まれている。ほぼ即死だっただろうな」

「こっちの被害者は頭部を殴られているようですが?」

 柊の問いに検視官は頷く。

「あぁ、頭部をかなりの勢いで殴られているのは間違いない。詳しい鑑定は必要だが、凶器はそこに転がっている金属バットで間違いないだろう。見た限り、傷口も一致するようだしな。ただし、バットの一撃は瀕死にこそなっただろうが致命傷にはならなかったようだ。致命傷はあくまで背後からの銃撃と考えて間違いない」

「つまり殴られたのが先で、銃撃されたのはその後?」

「そう考えてもらって結構だ」

「普通に考えれば、被害者の動きを封じるために金属バットで殴りつけ、瀕死になった被害者をゆっくりと射殺したとも考えられますが」

 山岡がそんな意見を言う。

「確か、被害者は空手の有段者だったというような事を生前言っていた。ならばその動きを封じようとするのも不思議ではないか……」

 柊が自問自答する。食堂で生前の彼女と話をした際、確かにそのような事を言っていたのを亜由美は思い出していた。

「ここは加藤柳太郎の家という事ですが」

 ふと、榊原は近くにそびえ立つ二階建ての廃墟と化した家を見上げながら尋ねた。

「えぇ。涼宮事件で加藤柳太郎が逮捕され、一家が村八分同然の形で追い出されて以降、そのまま放置されているようです。加藤が無罪になった後も彼が村に戻ってくる事はなく、私物の引き取りなどもしなかったようですね。気になりますか?」

「まぁ、気にならないと言えば嘘になるでしょうね」

 何しろ涼宮事件の当事者の家である。気にならないわけがなかった。

「ひと段落した後で家の中を見る事はできますか?」

「それは構いませんが……」

 もちろん、この家屋は現場であるため今は鑑識による作業が継続して行われている。だが、今の所屋内からは目ぼしい証拠は見つかっておらず、それどころか埃のつもり具合などから見ると長い間人が出入りをした形跡すらないらしい。今回の事件において家屋内部は関係がないらしいというのが鑑識の見解だった。

「いえ、大した事ではないんですが、葛原論文に書かれた内容の確認をしておきたいので」

「はぁ」

 と、そこへ雪倉家の捜査をしていた刑事の一人が駆け寄ってきた。

「警部! 雪倉家の屋敷を囲う塀の裏手に梯子が立てかけられているのが発見されました」

「梯子だと?」

「はい。どうやら、雪倉美園はこの梯子で塀を乗り越えて屋敷から脱出したようです。鑑識の話では、梯子からは靴跡も検出されていて、その靴跡が雪倉美園の履いていた靴のものと一致する可能性が高いという事です」

 図らずも、先程の推測が当たった形である。これで事件当時の雪倉美園の行動の一部が明らかにはなったが、なぜ彼女がそこまでして屋敷を脱出したのかは未だに謎だった。

「一体、ここで何があったんだ……」

 柊が深刻そうに呟く横で、榊原は黙って何かを考え続けていたのだった……。


 遺体は現場検証終了後、再び警察ヘリで岐阜市の岐阜中央大学附属病院法医学研究室に移送され、ここで正式な解剖を受けた。毎日のように立て続けに合計七体も遺体が運び込まれてくる状況に解剖担当医は悲鳴を上げていたというのが立ち会った捜査員や検察官からの報告だが、とにかく解剖結果はすぐに出る事となった。

「当初の見立て通り、死因は両名とも背後から胸部を撃たれた事による出血性ショック死。竹橋美憂に関しては射撃以前に頭部を殴られて瀕死の重傷になっていたようですが、致命傷はあくまでも背後からの銃撃だったと考えて差し支えないでしょう。また、竹橋美憂の頭部の傷口と転がっていた金属バットの形状が一致。竹橋美憂を殴ったのはこの金属バットと考えて間違いありません」

 午後になって開かれた捜査会議の席で、検視官は改めて二人の死因についての報告を行っていた。

「銃弾についてですが、両名とも体内から銃弾を摘出。線条痕を比較した結果、先日飯里稲美殺害に使用された大津留巡査の拳銃の物と一致。すなわち、この一件は第一の事件を引き起こした犯人と同一人物の手によって引き起こされた可能性が高いと判断します。無論、第一の犯行後に拳銃が別人の手に渡ったというなら話は別ですが、少なくとも今回、竹橋美憂と雪倉美園を射殺した犯人は確実に同じ人物です」

「問題の拳銃に銃弾は何発あった?」

 汐留の問いに、柊が答える。

「ご承知の通り、警察官が所持する拳銃は一発目が空砲になっていますので、それを除けば五発。第一の犯行で一発、今回の犯行で二発使用されていますので、残るは二発です」

「まだ二発もあるのか……」

 汐留が呻き声を上げる。これだけ警察関係者がいながら犯行が防げなかったというのもかなりの失態だが、警察官から奪われた拳銃が犯行に使われ続けているというのもかなり問題である。だが事がここに至れば、岐阜県警にできるのは誰が何を批判しようと真相を突き止める事だけである。それがわかっているのか、刑事たちは疲労を顔に出しつつもみな真剣な様子で捜査会議を聞いていた。

「死亡推定時刻は、遺体発見から検視までが早かった事もあってかなり正確に出ています。はっきり言って、銃声が発生した午前五時十五分前後を死亡推定時刻と考えても差し支えないでしょう」

「凶器のバットの出自は?」

「調べたところ、現場となった旧加藤家の敷地内に放置されていた物ではないかと思われます。敷地の一角に倉庫があり、そこの一角にボールやグローブなど野球道具一式が保管されていました。倉庫の鍵は壊れていて、誰にでも中の物を持ち出す事は可能です」

 葛原論文によれば、加藤柳太郎はこの村に来る前に社会人野球のチームに所属し、そこで肩を壊した事がきっかけで会社を辞める事になっていたはずだった。結果的にはこの肩の怪我が、彼が無罪である事を示す切り札になったわけだが、この情報から考えると、彼が野球道具を所持していたとしても何ら不思議はなかった。

「金属バットに犯人の痕跡は?」

「ありません。指紋も付着していませんでした。加藤家のバットを利用したなら指紋が全く付着していないというのはおかしいので、犯行後に拭ったか、あらかじめ手袋をしていたと考えるのが妥当でしょう」

「竹橋美憂の第一発見者の夕闇逢魔に対する聴取はどうなっている?」

 汐留の問いに答えたのは山岡だった。

「一貫して事件への関与を否定。あくまで散歩中に銃声を聞いて現場に駆け付け、そこで遺体を発見した直後に我々が駆け付けたと主張しています」

「その話が正しいとして、逢魔が銃声を聞いてから現場に駆け付けるまでの時間は?」

「本人曰く、朝靄のせいでどこで銃声がしたのかはっきりわからず、結局到着するまでに十分程度はかかったと言っています。我々も銃声を聞いてから現場に駆け付けるのに同じくらいかかったと記憶しています」

「仮に犯人が逢魔ではなかったとして、十分あれば逢魔が来るまでに犯人が霧に紛れて現場から逃走する事は充分に可能です」

 柊が補足する。

「なお、念のため夕闇逢魔の身体検査及び射撃残渣の確認を行いましたが、怪しい所持品、及び射撃残渣の痕跡は発見されませんでした。少なくとも、この男はあの場で銃を撃っていません」

 鑑識の報告に、何人かの刑事がため息をつく。事件直後に現場にいた最有力容疑者なのに犯行不可能とわかり、何とも言えない気持ちになったのだろう。

「それに、夕闇逢魔には第一の事件におけるアリバイがあります。第一の事件で銃声、及び蝉の鳴き声が響いた時、村の北東辺りで高笑いしているのを何人もの村人に目撃されています」

「高笑い?」

「何やら訳のわからない事を叫んでいたようですが、内容が何であれ、銃声がした時に神社の境内にいなかった事は間違いありません。奴に第一の犯行は不可能です」

 どうもはっきりしない話だった。

「まぁいい。それよりも、もう一人の被害者である雪倉美園の傍にいた佐久川満への聴取は?」

 これに応えたのは間瀬だった。

「こちらもはっきりしません。本人が言うには、夜中に響いた銃声で目が覚めて、何事かと思って自宅から飛び出して駆けつけたら雪倉美園の遺体に遭遇した、という事ですが……」

「連続殺人鬼がうろついている現状で、しかも銃声がしているのに、自分が殺される心配をしていなかったのか?」

「気が動転していてそんな事は考えていなかったと」

「本気でそんなテンプレートみたいな言い訳をするつもりなのか?」

「そのようです」

 とはいえ、それを否定する材料がないのは弱いところだった。

「では、事件当夜の被害者の動きについては?」

 これについてはすでに竹橋家と雪倉家に対する聴取が行われていた。が、正直この聴取の結果は芳しいものではなかったようだった。聴取を担当したのは、事件の拡大を受けて急遽他の近隣所轄署からの補充捜査員として応援派遣されていた桜庭克茂さくらばかつしげという名前の若い刑事だったが、報告するその表情は芳しいものではなかった。

「結論から言えば、時間が時間だけに双方の被害者の動きははっきりしません。それぞれの自室に荒らされたような形跡もなく、両者ともに深夜から明け方にかけての時間帯に、他の家族に気付かれないよう自分から家を抜け出して現場へ向かったと推測できるだけです。実際、雪倉家の屋敷を調べた所、予想通り屋敷を囲う塀の一角に雪倉美園が使用したと思しき梯子が立てかけられているのが見つかりました。この梯子は庭の手入れのために屋敷内に保管されていた物で、ここから少なくとも雪倉美園は、警察関係者が見張っている可能性の高い正規の出入口ではなく梯子を使って直接塀を乗り越える形で屋敷から自発的に脱出したと考えるべきです。ただ、連続殺人が発生して厳戒態勢になっているこの状況下にもかかわらず、危険を承知で両者がそのような行動をした理由もわかっていません」

 悔しそうに報告する桜庭に対し、汐留が鋭い問いを発した。

「二人が偶然あの場で遭遇したとも思えない。あの場で落ち合って何かの話をしているところに犯人の襲撃を受けたと考えるのが妥当じゃないか?」

 その問いかけに柊は頷きながら自身の考えを述べる。

「現状、その可能性が高いと思います。実際、雪倉美園の着ていた衣服からも微量ではありますが竹橋美憂の飛沫血痕が検出されており、竹橋美憂が殴られた際に彼女が近くにいたのは間違いなさそうです。その後の行動から考えるに、二人が旧加藤家の敷地内で秘密の会合をしている際に犯人に襲撃され、最初に空手の有段者である竹橋美憂が抵抗するもバットで殴られ瀕死となり、さらに拳銃により射殺。これを見た雪倉美園が慌てて敷地を飛び出して自身の家がある南方面へ逃げ出そうとしたところを、犯人が背後から拳銃を発砲して射殺した……と考えるのが妥当ではないでしょうか」

 確かにそう考えれば筋が通っている。が、一つ不透明な事もあった。

「被害者二人……竹橋美憂と雪倉美園は夜中に秘密の会合をするほど親しい仲だったのか? あるとすれば雪倉美園が前回の巫女候補で、もう一人の竹橋美憂が今回の巫女候補だったという事くらいだが……」

「しかも竹橋美憂は幼少期から村を出ていて、人生の大半を村の外で過ごしています。村に帰ってくること自体稀で、涼宮事件当時も村にはいなかった事が確認されています。そんな人間と長年村に住み続けていた雪倉美園の間に接点ができるとは私も思えませんが……」

 どうも不可解な状況だった。

「家宅捜索で他に何か見つからなかったのか?」

 柊のこの問いかけに対し、引き続き桜庭が答える。

「竹橋美憂の部屋についてですが、調べた限りではかなり殺風景な部屋で、私物はほとんどなく、机とベッドが置かれているだけでした。もっとも、彼女は普段岐阜市に住んでいたので、この私物の少なさは当然かもしれませんが」

 ただ、とその刑事は言い添える。

「一点だけ、室内からこのようなものが見つかっています」

 そう言って提示したのは一枚の紙だった。そこにはパソコン打ちの文字でこう書かれていた。


『話をしたい。秘密をばらされたくなければ、今夜午前五時、一人で加藤家に来るように』


 その文言に、捜査本部はざわめく。

「竹橋美憂は何者かに手紙で呼び出された可能性が高いという事か?」

「この手紙の文面を信じるならそういう事になります。なお、雪倉美園の自室からはこのような手紙は発見されていませんが、内容が内容だけに他人に見つからないよう処分してしまった可能性も捨てきれません」

「そうか……。しかし、気になる文面だな。『秘密』か……」

 この文面が正しいなら、美憂は何か『秘密』を抱えていて、それをばらされたくないがために家を抜け出した可能性が高い。そしてそれは、同時に殺害された雪倉美園にもいえる可能性がある。しかし、その『秘密』というのは何なのだろうか。真っ先に思い浮かぶのは涼宮事件絡みだが、雪倉美園はともかく、何度も言うように竹橋美憂は涼宮事件当時この村にはいなかったはずなのである。正直、現段階では謎という他なかった。

「それ以外に何か手掛かりになりそうな情報はあるか?」

 改めて汐留が問いかけると、再度桜庭が立ち上がって報告を行った。

「事件当夜に竹橋家を見張っていた捜査員に声をかけて押し問答をした釘木久光という雪倉建業の作業員の聴取を行いました。ただ……」

「ただ?」

「正直、かなり苦労しそうな相手ですね。神経質というか感情の起伏が激しいというか……事件のストレスのせいか情緒も不安定になっているようです。自宅にいる事はいたんですが、いきなりスタンガンを突き付けられました」

「スタンガンだと?」

 思わぬ話に部屋の中がざわめく。

「見た限りかなり高圧のスタンガンで、護身用として持っているらしいです。事件の際の話を聞こうとはしたんですが、結局大した話もできないまま、家に引っ込まれてしまいました。任意の聴取なので、現時点ではこれ以上どうしようもないと思います」

 いかにも怪しい立ち位置の男ではあるが、現状では様子を見る他ないようであった。

「一応、周辺の住人に聞き込みをしてみましたが、この釘木という男の評判は芳しくありませんね。事件の前から時折夜になると木刀なりスタンガンなりを持って村の中をうろついていた事があったらしく、本人を問い詰めると『俺はこの村の自警団だ! 見回りをして何が悪い!』というような事を言っていたそうです。どうも本人は村を守っているつもりのようですが、正直何を考えているのかわからないと村の人も不気味に思っていて、大津留巡査が対応に出る事も多かったと言います。正直、村の中でもかなり浮いている存在なのは間違いなさそうです」

「この村の生まれなのか?」

「いえ、三年ほど前に雪倉建業に就職して、それを機にこの村に引っ越してきた人間のようです。これは今回の第一発見者である佐久川満も同様です。両名とも引っ越してくる前の経歴については現状では不明ですが、調べてみますか?」

 桜庭の問いかけに柊が汐留を見やると、汐留は黙って頷いた。

「今はどんな情報でも欲しい。身元調査については県警本部に依頼する事にしよう」

「了解です」

 その後もしばらく、捜査会議は続いた。だが、事態を動かす決定打となるような情報はついに出ず、捜査会議は何とも不完全燃焼のまま終わらざるを得なかったのである……。


 会議が終わり、刑事たちが部屋を飛び出していくと、残った柊は正面の席で苦悶の表情を浮かべている汐留に近づいた。

「大丈夫ですか?」

「……涼宮事件の事があるから一筋縄ではいかない事件だという覚悟はある程度していたつもりだったが……これは想像以上にきついな。正直、事件が解決する前にこちらが参ってしまいそうだ。いや……本当に解決するのかさえ疑わしく思えてくる」

「……」

「できる限りの事はしたつもりだ。さっきの桜庭刑事を筆頭に優秀な補充捜査員も何人か呼び寄せたし、県警のみならず警視庁や警察庁も全面的にバックアップをしてくれている。それに涼宮事件と違って村側の抵抗も可能な限りは抑え込んでいるし、さらにはあの榊原君まで協力してくれている。にもかかわらずこの体たらくではな。……己の無力さに嫌になってくるよ」

「部長らしくない言葉ですね」

「わかっている。だが、ここには今、君しかいない。愚痴をこぼすくらいの事はしても構わんじゃないか」

「……私でよければいくらでも愚痴くらいお聞きします。ただ、ここだけでお願いします」

「すまんな」

 そう言いながら汐留は深く息を吐いた。

「ちなみに聞くが、これで巫女選びはどうなるのかね?」

「どう、とは?」

「今回の巫女候補は堀川頼子、竹橋美憂、名崎鳴の三人だ。しかし、今回の事件でこのうち堀川頼子と竹橋美憂は死亡してしまっている。この状況で次の巫女をどうするのかと思ってな」

 その問いに対し、柊は慎重に答える。

「巫女の二十三歳ルールは絶対ですから、現巫女の左右田常音が続投する事はたとえ左右田元村長がごねても不可能です。しかし、これ以外に巫女候補はいませんので順当にいけば……」

「残った名崎鳴が無条件で巫女就任か」

 結果的にはこの事件で一番得をしているのは彼女という事になる。

「そうなりますね。最終的に選ぶのは現巫女の左右田常音ですが、選択肢が一つしかない以上、彼女の意向も何も関係ないと思われます」

「……事件で一番得した人間を疑えと言うのが捜査の鉄則ではあるが」

 汐留がぼそりとそんな事を呟くが、柊もそんな事はすでに考えているようだった。

「ですが、いくらなんでも七歳の彼女に一連の犯行は不可能です。空手の達人である竹橋美憂を金属バット殴り倒す事はおろか、そもそも金属バットを持ち上げて振り回す事ができるかというところから怪しい。拳銃に関しても、七歳の女の子の体では撃っても反動で体勢が崩れ外れる可能性が高い。推理小説における『意外な犯人』としてはありかもしれませんが、今回は物理的に彼女が犯人である可能性はゼロに近いと考えます」

「まぁ、そうだろうな」

 汐留も特に反論せずに頷く。さすがに無理がある事は自分でもよくわかっていたのだろう。

「ただ、彼女本人は無理でも、彼女が巫女になる事で得をする人間となれば話は別ですが」

「……父親の名崎義元だな」

 前回の涼宮事件でも「名崎証言」という形で深くかかわった支所職員の男である。娘の鳴が巫女になった場合、最も得をするのは彼女の父親で村における絶対的な権力を手に入れられる義元である。さらに言えば、第一の事件における大津留巡査の遺体の第一発見者は、この名崎義元と今回殺害された竹橋美憂の父親である竹橋和興の二人である。

「名崎が娘を巫女にするために他の候補者を殺害した可能性は?」

「どうでしょうね。その場合、第一の事件の際に竹橋和興と一緒に堀川頼子の捜索を行っていたというアリバイがネックになります。それに、それならばなぜ今回の巫女選びに関係ないはずの安住家を狙ったのかにも説明がつきません」

「候補者を殺した後、新たな巫女候補が擁立できないようにしたとすればどうだ? 雪倉美園殺害もそれで説明がつく」

「しかし、第二の事件で殺害された安住梅奈は現巫女の左右田常音と同学年で、すなわちもうすぐ二十三歳。いくら村の有力者の娘とはいえ、そもそも今回の巫女候補になる資格自体が存在しないはずです」

「うーむ」

 汐留が唸る。どうも一筋縄ではいきそうになかった。

「何にせよ、このまま終わるような事はないんだろうな」

「おそらくは。私の感覚に過ぎませんが、この犯人はこのままおとなしく引っ込むような奴じゃありません。唯一のこちらの勝ち星は、行方不明扱いだった堀川頼子の遺体を発見したという点で、そのせいでおそらく堀川頼子に全ての罪を着せるつもりだった向こうの計画は破綻しています。しかし、今日の犯行を見るに、犯人はこの想定外を既に修正しにかかっている。厳しい状況なのは明確な事実です」

「そうか……」

 汐留はそう呟くと、改めて今後の方針を示した。

「とにかく、こうなったらもう残る巫女候補は名崎鳴ただ一人だ。彼女だけは絶対に殺されるわけにはいかない。名崎家と警備のための警官を配置できないか交渉する必要があるし、それが不可能でも名崎家周辺の警備は必要だ。今度は抜け出されるなどというへまを打つわけにはいかないぞ」

「もちろんです」

 柊は厳しい表情で頷く。そしてそれを見る汐留の表情にも、どことなしか疲れが見えていたのだった……。

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