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蝉鳴村殺人事件  作者: 奥田光治
第二部 殺戮編
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第十一章 蝉鳴の真実

 その日……すなわち三月十日土曜日の夕方。夕日が村中を照らす中、柊ら数名の刑事が榊原に呼び出されて蝉鳴神社の石段を登っていた。『事件に関係して少し確認したい事がある』……榊原は電話口でそう言うと詳しい話は神社の境内でしたいと付け加え、それを受け、柊以下山岡ら数名の刑事が改めて神社を訪れる事になったのである。

「一体何なんでしょうね?」

「わからんが、あの人の事だ。わざわざ呼びつけたという事は、それなりの事があっての事なんだろう。少なくとも、無駄足という事はないはずだ」

 そんな事を言いながら石段を登り切って鳥居をくぐると、その先は先日凄惨な光景が広がっていた社の正面に出た。すでにここに散らばっていた蝉の亡骸や空蝉はすべて回収され、遺体もすでに搬送されているので表向きは元の神社に戻っているように見える。だが、この場に漂う何とも嫌な空気は健在で、実際、さすがに御神木の周りは今でも規制線のロープで立入が制限されている状態だった。

 そして、そんな中、榊原と亜由美、そしてこの神社の主である海彦と、なぜか地質学者の青空雫という四人が、社務所の前に立っているのが見えた。それを確認し、柊達はそちらへ近づいていく。

「あぁ、どうも。ご苦労様です」

 柊たちが近づいてくるのを見ると、榊原はそう言って頭を下げた。

「事件について話があるとか?」

「えぇ、まぁ。少し、考え付いた事がありましてね。もちろん事件のすべてを解決した、というわけではありませんが……その推理が正しいかどうかここで検討したいと思いまして、柊さんたちにもご足労頂いたわけです」

 榊原はあくまで冷静な口調でそんな事を言う。柊としても、榊原が何か思いついたというのであれば、それを聞かないという選択はあり得なかった。

「それで、その話と言うのは?」

「そうですね。まずはそれをはっきりさせてしまいましょうか」

 榊原はそう言うと、柊に対して口調を変える事なくこう告げた。

「例の蝉の大量死の謎……それが解けたかもしれません」

 あまりにもあっさりと言われたため、刑事たちは一瞬呆気にとられたようだったが、すぐにその言葉の持つ意味に気付いて一気にその表情が真剣なものになった。

「つまり……伝説上の『蝉の祟り』の謎が解けたと?」

「あくまで可能性ですがね。ただ、状況的にこれしかないと確信しています」

「……聞かせて頂けますか?」

「もちろん、そのためにお呼びしたわけですから」

 そう言うと、榊原は早速自身の推理を話し始めた。

「さて、今回の事件、いくつかの謎が提示されているわけですが、その中でも一番解決が困難に思えたのが、事件当時に季節外れの蝉が大量に鳴き出し、その亡骸が飯里稲美の遺体を覆い尽くしていたという超常的現象としか思えない事実です。しかし、実際にこの場でそれが発生してしまった以上、その超常的現象には必ず何らかの理由が存在するはず。そこで、私はその理由が何なのかについて考えてみる事にしました」

 そう前置きして、榊原は薄暗くなりつつある社を背景に己の理論を展開する。

「まず考えたのが、この蝉の大群による超常現象を、今回の事件の犯人が意図的に発生させたものなのか否かという点です。仮に意図的なものだったと考えた場合、この蝉の大群の出現には今回の犯行にとって必要不可欠な何らかの『必然』が存在していた事になります。犯罪者は自身の犯行に文字通り己の人生を賭けている。ゆえに、犯罪者は犯行に対して無駄な事をしない。それでも仮に一見無駄に見える事を犯人が何かしていたとするなら、それは無駄に見えても犯人にとっては何らかの必然である……。というのが私の持論でしてね。そんなわけで、私はまずこの点について考えてみたわけです。すなわち、どのようにこの超常現象を発生させたのかという手段についてはこの際置いておいて、犯人が射殺した被害者の遺体を蝉の亡骸で埋め尽くす行為に何の『必然』が存在するのかという点です」

 そう言ってから、しかし榊原は首を振った。

「ですが、どれだけ考えてもその『必然』が思い浮かびませんでした。遺体を蝉で埋め尽くす行為に、一体どのようなメリットが存在するというのでしょうか? 少なくとも、私にはそれが全く想像できません。推理小説的に考えるなら『蝉の伝説に対する見立て』とでもいうのが定番なのでしょうが、通常、このような見立て殺人は犯人の愉快犯的動機で行われるケースはほとんどなく、何らかの犯人側の目的が介在するというケースが大半です。具体的には連続殺人における殺害順序の誤認や、犯行時のトリックやアクシデントの隠蔽などが代表的な目的ですが、今回はそのどのケースにも当てはまりません。見立てを使った殺害順序の誤認は、例えばこの手のトリックの代表格である『犬神家の一族』における『琴菊斧』の見立てのように何らかの連鎖する元ネタが存在する事が大前提で、その元ネタの順序に従って犯行を行ったように見せかける事で本来の連続殺人の殺害順序を誤魔化すわけですが、今回は元ネタとなる伝承が『蝉が鳴くときに人が死ぬ』というシンプル極まりないもので、これでは犯行順序の誤認も何もあったものではありません。また、後者の犯行方法の錯誤というのは、見立てを行う事で使用したトリックを誤魔化すという単純明快な目的の他に、例えば第一の犯行が偶然見立てに似てしまった事を利用して後続する犯行を同一の見立てに見せる事で何か犯人側に都合の悪い事を隠そうとしたり、あるいは本来別人が行った別個の犯行を同一人物による連続殺人に見せ掛ける事でアリバイなどを確保したりするというもの。あるいは、本来見立てを行う予定などなく行った犯行で何らかのアクシデントが発生してしまったため、そのアクシデントから犯人がばれるのを恐れて見立てめいた細工を行うというようなケースです。しかし、今回の場合は遺体を蝉で埋め尽くす事で誤魔化せるトリックやアクシデントなど全く想像できなかった上に、明らかに連続殺人でありながら蝉に関わる事件は稲里先生の事件の一件しか起こっていないため、『後続の殺人を同一の見立てに見立てる』『別人が行った犯行を同一人物の連続殺人に見せ掛ける』などの可能性もまず考えられません」

 そこで一息入れてから、榊原は結論付ける。

「以上から、私は今回の蝉の大群の一件について、犯人側がそのような事を行うメリットは存在しないと結論付けました。であるなら、結論は一つ。この蝉の大群に関しては犯人の意図したものではなく、本当に伝承に伝わる『蝉の伝説』が何らかの要因で発生してしまったと考えるしかないのです。犯罪者は無駄な事をしない。無駄に見える事があるならそれは必然である。しかし、それでいてもなお犯人の行動に必然性が見えないなら、その事象は犯人にとって本当に予期せざる要因によって発生したものだった……それが私の考えです」

「いや、しかし……伝承に伝わるような事象が、よりによって神社で犯行が行われたまさにその瞬間に偶然発生するというような事が果たしてあり得るのでしょうか? ないとは言いませんが……確率はかなり低いはずです」

 柊がもっともな疑問を呈するが、榊原は即座に言葉を返す。

「確かに柊警部の言うように、こんな事が犯行を狙ったかのように偶然発生するというのは極めて考えにくい話です。ならばこう考えるべきです。『蝉の大群は犯人が意図的に引き起こしたものではなかったが、犯人が犯行に際して行った何らかの行為によって、犯人の意に反して偶発的に発生してしまったものだった』……すなわち、この蝉の大群は犯人が犯行を行う際の何らかの要素によって発生したアクシデントのようなものだったのではないかという推理です。そして、ならばなおの事、先程は棚上げした『いかにして蝉の大群をこの季節に羽化させるか』という点が問題になってくるわけです。では、現実問題としてそんな事が可能なのか。それについて考えた時、私は一つの素朴かつ根本的な疑問にぶつかったのです」

「素朴かつ根本的な疑問?」

「えぇ。すなわち……『そもそも蝉の幼虫というものは、地面の中にいながら羽化の時期をどのように判断しているのか』というこの一点です」

 それは、あまりにも根本的な疑問だった。

「当たり前ながら、地中にいる蝉の幼虫に地上の様子はわかりません。すなわち、蝉の幼虫は何らかの方法で地上が夏である事を判断して羽化をしているわけです。では、その判断はどのようにして行われているのか? これについてはいくつかの説が今でも混在しているようですが……その中でも有力だと言われているのが『地中の温度変化で羽化の時期を決定している』というものです」

 いきなり生物学というか理科の話になって、柊は少し戸惑ったような表情を浮かべる。

「地中の温度変化、ですか」

「はい。地中の温度は空気中に比べて変化しにくいとはいえ、夏と冬ではその温度に明らかな差が生じます。その地中の温度の変化で蝉は季節を認識し、地中の温度が上昇して夏と判断すると地上に出て羽化をするのではないか……とまぁ、そういう説があるわけです。実際の所、この説はかなり有力なようで概ね事実ととらえても差し支えないでしょうし、どの説を採るにしても、地中の温度が蝉の生態に大きな影響を与えているのはほぼ間違いなさそうです」

 しかし、と榊原は続けた。

「仮にこの『地面の温度変化で蝉の羽化が誘発されている』という仮説が正しかったとした場合、ある条件を果たせば季節外れの蝉の羽化を誘発させる事は可能になるかもしれないのです。すなわちそれは、夏でないにもかかわらず、蝉の幼虫が大量に眠っている地面の温度が何らかの要因で急激に上昇してしまったというようなケースです。実際、青空先生に話を聞いたところ、地中の温度変化が原因で動物が季節を勘違いしてしまうという現象は過去に何例か発生しているそうです」

 その言葉を受けて、後ろに控えていた雫が専門家として補足説明を加える。

「実例はいくつかありますが、有名なのは大正時代に発生した桜島の大噴火ですね。この噴火の際、噴火による溶岩の上昇によって地面が熱せられた事により、冬場にもかかわらず冬眠中の虫や爬虫類が活動を始めるという事象が発生したという記録が確かに残っています」

 雫の後を受けて再び榊原が説明に戻る。

「青空先生の話した実例が事実だとすれば、地中温度の変化によって動物の行動に変調が発生する事は充分に起こり得る。従って今回、私はこの神社の境内でその現象が発生したものと判断します」

「地中の温度が上昇した、ですか……」

 理屈は理解できる。しかし、それが実際にこの場で起こったとなれば首をかしげざるを得ないのも事実だった。だが、榊原はさらに自身の推論を続ける。

「例えば、伝承に伝わる内ケ島氏滅亡のきっかけとなった戦国時代の事例ですが、この内ケ島氏滅亡の直接的な原因となったのは天正大地震に伴う帰雲城背後の山の山体崩落です。この天正大地震は帰雲城近くが震源地となっていて、その原因はこの付近にある断層帯が動いた事によるものだと推測されています。しかし、仮にこの断層帯が動いた原因が、この近隣にある白山などの火山活動によるものだったとすればどうでしょうか? 断層が動いたというのは、言い換えれば何らかの理由でひずみのエネルギーをためていた断層が崩壊したという事です。となれば、例えば火山噴火に伴う振動、もしくは火山活動による溶岩の流入で断層の活動が発生したとしても、何ら不思議な話ではないはずです」

「蝉鳴の伝説は、火山熱によって地面が熱せられた結果発生したという事ですか?」

 柊の言葉に榊原は頷く。

「もちろん、もう数百年以上も前の話である以上、この話は証拠のない仮説にすぎません。実際、意外な話ですが、青空先生によると現在でも地震と火山噴火の間に因果関係があるかどうかは明確に立証されていないようですしね。ただ、そう考えれば伝承における蝉の行動に説明がつくのも事実です。事実、この伝承の話が発生したのは安土桃山時代後期に当たる一五八〇年代から九〇年代の事ですが、青空先生の話だとその約三十年前の一五五四年と、逆に約五十年後の一六五九年に白山が噴火活動を起こしていたという記録が残っているそうなのです。つまり、該当時期の白山は今と違って噴火の活性期だったわけで、この火山活動が天正大地震の原因となった活断層の活動に影響を与えた可能性……そしてこの周辺の地中の温度を上げた可能性は捨てきれないと考えます。戦国時代の蝉の伝承は、白山の噴火活動に伴う溶岩の流入で地面が熱せられた事によって発生したものだった。それが私の結論です。念のために地質学の専門家である青空先生にもこの仮説を話してありますが、『ちゃんとした研究によるエビデンスがないので現段階で絶対に間違いないと断定はできないが、非常に興味深い仮説であり、そのような事が起こり得る可能性がゼロと言い切る事もできない』との事でした」

 当の雫は榊原の言葉を認めるかのように後ろで頷いている。つまり、可能性は充分にあり得るという事である。だが、柊の表情は厳しいままだった。

「……なるほど、確かにそれは面白い仮説です。しかし、伝承に伝わる戦国時代の蝉の大合唱についてはそれで説明できるとしても、今回の事件や戦時中の事例についてはその仮説は該当しないはずです。何しろ、私の知る限り白山はその一六五九年を最後に噴火活動が沈静化していて、戦国時代に地面が熱せられる原因となったと思われる溶岩の流入は戦時中や現代ではあり得ないからです。となれば、地面が熱せられた事によって蝉の羽化が発生したという榊原さんの主張は成立しないのではないですか?」

 当然とも言える疑問だった。だが、榊原はそれに対する答えをすでに用意しているようだった。

「だからこそ調べました。その『あり得ない事象』が起こり得る可能性……火山熱が発生していないにもかかわらず、この一帯の地面が熱せられる可能性が果たして存在するのかという点についてです。そしてそのためには、戦時中におけるこの神社の真実……及び先代神主である油山山彦氏の真実について知らなくてはなりません」

「この神社の真実……ですか?」

 生物、地学ときて今度は歴史について語り始めた榊原に柊は戸惑いを隠せない。

「海彦さんから仔細を聞きました。油山山彦氏はこの神社の先代神主でしたが、それと同時にもう一つの顔を持っていました。それはすなわち、旧帝国陸軍の若手将校の一人でありながら病により予備役としてこの村に舞い戻り、戦時中にもかかわらず神主の職にあったという事実です。そして彼は神職にありながら、戦時中にこの近く……現在は千願寺の廃墟がある場所に存在した米軍捕虜収容所の設立・運営に大きな影響力を持っていた疑いがあります」

 そう前置きして、榊原は扇島から聞いた話を柊達にも話した。思わぬ話に刑事たちは聞き入っていたが、この話が一体何につながるのかわからず困惑する者も多かった。

「さて、仮に疑惑通りに山彦さんと当時の軍がつながっていたとして、その上で問題の捕虜収容所について考えてみると、一つ気になる事がありました。扇島さんの話では、この捕虜収容所には相当数の捕虜が収容されており、今となっては理由はわかりかねますが、終戦までにかなりの数が死亡した可能性が高いとされています。それは戦後、この収容所から生きて帰った捕虜がほとんど確認できない事からも自明です。ですが、そうなるとある問題が発生する事になります」

「その問題というのは?」

「言うまでもなく、『死亡した捕虜の死体の処理』です」

 榊原はあっさりとその疑問を口に出した。

「軍側としては、死亡した捕虜の死体をそのまま放置するわけにはいきません。戦時下における捕虜の死体は、戦争犯罪を立証する大きな証拠になりますからね。必ずどうにかして隠蔽したはずです。問題は、数百人規模の捕虜の死体を、近くにあるこの村の住人に気付かれる事なく軍がどう処理したのか、という点です」

「処理と言われても……普通に考えたら、火葬したんじゃないんですか?」

 山岡が意見を述べる。が、榊原はそれに対してこう答えた。

「確かにそれが一番単純な方法でしょう。しかし、少なくとも目に付く所に焼却施設があった様子はありません。それがあればさすがに村人が気付くでしょうし、戦後にアメリカ軍が占領した時に、焼却炉の存在からここで捕虜の大量死があった事がばれてしまいます。そうなれば、軍と繋がっていた可能性のある山彦さんがただで済むはずがありません。つまり、死体の処理方法が火葬だった場合、どこか人目につかない場所に死体を焼くための焼却炉が存在したはずなのです。では、その場所はどこなのか? 今までの話を思い返せば、その場所はおのずと推測できるのではないでしょうか?」

 その言葉に、柊が真剣な表情で答えた。

「それは……まさか……」

「えぇ。おそらく柊警部の考えている通りです」

 そして榊原は、とんでもない『真相』を告げた。

「おそらくこの神社の地下……そこに戦時中の捕虜の死体を処理するための焼却炉が存在するはずなのです」


「この神社に……戦時中の死体焼却施設が……」

 あまりにも突拍子もない話に、刑事たちはいっせいにざわめいた。だが、榊原はその間にもさらに論理を展開していく。

「本当に当時の軍が神主の山彦さんと協力関係にあったとすれば、不可能ではないはずです。仮に日本が敗戦して米軍がやって来たとしても、まさか神聖な神社の境内にそんなものがあるなどとは考えもつかないでしょう。そして、もし本当に神社の地下にこのような施設が存在するとすれば、戦争末期に起こったという第二の『蝉鳴』にも科学的な説明がつく事になるのです」

「まさか……」

 柊がその『結論』を予想して絶句する。榊原は頷きながら答えを告げた。

「そのまさかです。先程の理論で、『蝉鳴』が発生するには地面の温度が異常に上昇する事が条件だという事になりました。という事は、戦時中の『蝉鳴』が起こった理由は、この神社の地下に作られた死体焼却施設が稼働した事により地中の温度が急上昇をし、地中にいた大量の蝉が羽化する事になって起こったものだったと考えれば矛盾がなくなります」

「そんな……事が……」

 もはや刑事たちは言葉を失ってしまっている。が、ここで山岡が声を上げた。

「待ってください。その話が本当なら、捕虜の数から考えて死体焼却炉が使われたのが一回だけとは思えません。しかし、戦時中の『蝉鳴』は一回しか起こっていない。これはなぜですか?」

 当然の疑問ではあったが、榊原はすぐに答える。

「それは簡単な話で、一度『蝉鳴』が起こってしまうと、その時点で地面の中にいた蝉の幼虫は全て羽化してしまい、地中には蝉の幼虫がいなくなってしまうからです。いくら地面を熱しても肝心の幼虫がいなければ何も起こらないのは当然で、同じ現象を起こすには、数年かけて蝉の幼虫が再び神社の地中にいる状況を作り出さなければならないというわけです」

「な、なるほど……」

 理路整然と説明されて、山岡は素直に引っ込んだ。だが、榊原の推理はここからが本番だった。

「さて……これで、戦国時代と戦時中に起こった『蝉鳴』については説明がつきました。そうなると次の問題は、今回の事件における『蝉鳴』……つまり、神社の地中の急激な温度上昇はなぜ起こったのか、という点です。言うまでもありませんが、今現在白山に噴火の兆候はありませんので、戦国時代の時のように『マグマの熱で』という可能性はあり得ません。そうなると、考えられる可能性は一つだけです」

 その『可能性』に思い当たり、刑事たちは何も言えなくなる。それは、あってはならない事実だった。

「結論は明確でしょう。すなわち、『戦後ずっと封印状態にあったはずの神社地下の死体焼却炉が、どういうわけなのか事件発生時に何者かの手によって稼働していた』……この可能性しかあり得ません」

「そ、そんな馬鹿な……」

 山岡が消え入りそうな声で言う。それは刑事たちにとっても、あまりに予想外過ぎる結論だった。だが、榊原は止まらない。

「もちろん、地下の焼却施設がこのタイミングで偶然勝手に稼働してしまったなどという事は考えられません。すなわち、この焼却炉の稼働には何者かの意思が働いています。言うまでもなく……それを行ったのは、未だ正体のわからぬこの事件の『犯人』の可能性が非常に高い」

 榊原の指摘に、刑事たちは息を呑む。そして、ここで榊原は『最悪』極まりない推理を告げた。

「そして、ここまでわかれば次に出てくる疑問は明白です。すなわち、『犯人はなぜ地下の焼却炉をこのタイミングで起動したのか』です。そこに『堀川頼子が今現在も行方不明である』という事実を合わせれば……背筋が凍る予想が自然と浮かんでくるのではないでしょうか」

 もう誰も何も言わなかった。事がここに至れば、もはや彼らが確認しなければならない事は一つだけだった。

「……榊原さん。その『地下焼却炉』は、この神社のどこから入れるんですか? あなたの事ですから、その目安もついているのでは?」

 柊の問いに、榊原はしっかり頷いた。

「問題の『蝉鳴』の現象は、戦時中も今回も、神社の社の正面付近で発生していました。つまり、地下焼却炉は社正面の地下にある可能性が高い。となれば、その『入口』もその周辺のどこかにあるはずです。それで、少し調べてみたわけですがね」

 榊原はそう言うと、社のすぐ横……神社正面から裏へ向かう経路の途中にある『七つ地蔵』の前に足を進めた。

「この地蔵はこの神社が造られた当初から存在する古いもので、その設置の経緯と地蔵自体に文化財級の価値がある事もあり、村人もそう簡単に手を触れる事がないそうです。逆に言えば……ここに何か仕掛けがあれば、そう簡単にばれない事になります。社周辺で怪しい場所となると、ここくらいしか思いつきませんでした」

「……調査は?」

「まだしていません。さすがに神主さんの許可がいりますし、私よりも警察がやった方が後々問題になりにくいと思いますから」

 柊の判断はすぐだった。

「神主さん、ここを調べる許可を頂けますか?」

 柊が海彦に確認を取ると、海彦は緊張した表情で頷いた。彼としても境内にそんなものがあるとすれば、見過ごす事はできないのだろう。

「よし、慎重にやれ!」

 柊の号令と共に、刑事たちが『七つ地蔵』を調べ始める。台座に置かれている地蔵を一つ一つ持ち上げて下の台座を調べるが、なかなか不審な点は見つからない。だが、ちょうど真ん中にある地蔵を確認したところ、ついにそれは見つかった。

「警部!」

 そこを調べていた刑事が叫び、榊原たちが駆け付ける。すると、地蔵を持ち上げた下の台座の部分に、何か四角い蓋のようなものがあるのが確認できた。刑事が慎重にその蓋を開けてみると……

「当たりのようですね」

 そこには、見た事もない古びた装置があった。まず0~9までの数字が書かれたダイヤル式の数字キーが横一列に十三個並び、その横に『開』『閉』と書かれたボタンが一つずつ。その下には何かのメーターと思しきものが四つと、その横に赤と黒のスイッチが一つずつあった。

「下のメーターや赤と黒のスイッチはともかく、上のダイヤルキーと開閉ボタンは、明らかにどこかに入るための装置ですね。おそらく、正しい数字を入力して『開』ボタンを押すと、神社のどこかにある秘密の入口が開くといったところではないでしょうか」

 仕組みそのものは非常にシンプルである。だが、問題はその『数字』であった。

「しかし、これは厄介ですよ。十三個あるダイヤルキーをヒントなしで全て正しい数字に合わせるのはほぼ不可能に近い。全ての組み合わせは単純計算で10の13乗ですから、10000000000000通り(十兆通り)の中から一つを選ばなければならない事になります」

「十兆通り……」

 亜由美が絶句する。有名なドリームジャンボ宝くじの当たる確率が一千万分の一くらいなので、いかに桁外れの確率の低さなのかは自明である。つまり、それだけ外部の人間に入ってほしくない何かがここにはあるはずなのである。

「これはもう、専門の鍵業者でも呼んできて開けるしかないのではないですか?」

「確かにそうだが……できればあまりこの装置を壊したくない。この事件の証拠になる可能性がある」

「しかし、他に方法が……」

 柊と山岡が今後の方針について話し合っている。が、その時不意に榊原が何か思いついたようだった。

「十三桁の数字、か。……もしかしたら」

「何か心当たりが?」

「いや……まさかとは思うが……」

 そう言うと、榊原は手袋をした上で、物は試しと言わんばかりに十三個のダイヤルキーをある数字に合わせた。


『9280784638125』


 その数字に誰もが首をひねる。榊原が打ち込んだその数字は法則性も何もないでたらめな数字の羅列にしか見えなかったのだ。ちゃんと読むと『9兆2807億8463万8125』であり、一体どこからこんな数字が出てきたのか柊達にはさっぱり理解できないようだった。

 だが……

「えっ」

 亜由美が思わず声を上げる。数字を入力し終えた榊原が『開』のキーを押すと、同時にどこかでカチッというかすかな音が響き、直後、社正面の石畳の一角が地下に沈むと、そこに地下へ通じる石階段が出現したのである。

 その場にいた誰もがどよめき、同時に驚いた顔で榊原の方を見やる。

「どうしてわかったんですか? というより……これは何の数字なんですか?」

 柊の疑問も当然ではある。が、榊原は厳しい声色でこう返す。

「説明は後ほど。今はこの中の確認が第一です。どうやら……最悪の状況のようですが」

 榊原が睨む穴の先は、先述通り地下へ続く階段になっていた。そして、その穴の中から物凄い熱気と、何かが焼け焦げた強烈な臭いが地上に流れてきているのである。これはすなわち、この穴の中でつい最近何かが焼けるような事態が起こったという何よりもの証拠に他ならなかった。

「どうしますか?」

「……仮に、最近ここで何かが燃えたとすれば、中の酸素濃度がかなり低下している可能性があります。酸欠の恐れがあるので、下手にこのまま入るのは危険です」

「酸素マスクが必要ですね。多分、村の消防ならあると思いますし、安住家で実況見分中の消防隊が所持しているかもしれません」

「この状況では、どのみち消防は必要です。呼んできてください。今すぐに!」

 榊原の鋭い声に、山岡が慌てて神社の敷地を飛び出していったのだった……。


 それから一時間後、駆けつけた消防隊と全身を防護服で身を包んだ刑事たちが、神社の敷地にぽっかり空いた地下への入口の前に集まっていた。専用の機械で測定したところ、やはり地下内部の酸素濃度はかなり低く、あのまま入っていたら酸欠で死亡していた可能性が高いとの事だった。

「では、行きます」

 酸素ボンベを背負った防護服を着込んだ刑事たちが、指揮を執る柊にそう告げる。柊の後ろには榊原を始め、心配そうな表情で作業を見守る亜由美や雫、油山海彦神主の姿もあった。中の熱気が物凄いため、まずは同じく防護服を着込んだ消防隊が放水をしながら先行し、その後から刑事たちが続くというプランである。

「あぁ、始めてくれ」

 柊の言葉に消防の隊長も頷き、地下への突入作戦が実行に移された。だが、それからさほど時を置かずして地下から一人の刑事が慌てた様子で地上に戻って来て、そして切迫した声で叫ぶように柊に報告をした。

「報告します! 地下室内部で、人間の焼死体と思しき物体を一体確認! これから搬出します!」

 それは、考えられる限り最悪の知らせだった。重苦しい空気の中、榊原が静かに告げる。

「恐れていた事が現実になってしまったようですね」

「えぇ、そのようです」

「亜由美ちゃん、君は社務所の中に戻っていなさい。少々、きつい遺体確認になるかもしれない」

 その言葉に、亜由美はためらいながらも、海彦と一緒に社務所の中へ入っていく。一緒にいた雫もこの遺体は見たくないと思ったのか、少し蒼ざめながらその後に続いた。

「……榊原さん、あなたにはこの焼死体の正体に心当たりがあるのですか?」

 柊の問いに、榊原は頷きながら短く答える。

「えぇ」

「誰ですか?」

「……おそらく、柊警部が考えているのと同じ人物だと思います。というより、現状では『彼女』以外、該当する人間が考えられません。残念ですが、ね」

「……畜生が!」

 夕闇に沈む神社の境内。その中で柊がそう言って吐き捨てるのを、他の面々は沈痛な面持ちで聞く他なかったのだった……。

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