表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蝉鳴村殺人事件  作者: 奥田光治
第一部 訪村編
13/57

『葛原論文』 事件の考察~5

5 ジャージの捏造について

 先述したように、ジャージに付着した被害者の血痕については、加藤氏が槍で被害者を刺し貫く事が物理的に不可能である事や、再鑑定の結果、抗凝血剤であるクエン酸ナトリウムが検出されている事から、捏造された証拠品である事が裁判でほぼ確定となっている。しかし、捏造された証拠品ではあるものの、ジャージ自体は加藤氏が事件当日に着ていた物で間違いなく、またジャージに付着していた血痕が被害者の血痕であるという点についてはDNA鑑定により間違いないと科学的に立証されており、この点に関しては疑問の余地は一切存在しない。となれば、この捏造が可能なのは、事件当時加藤氏が問題のジャージを着ていた事を知っていて、なおかつ被害者の血液(それもそれなりの量)を手に入れる事ができる人間に限られるという事でもある。果たしてそのような立場の人間が存在するのだろうか。

 真っ先に思いつくのは、裁判で弁護側が主張した「捜査を焦った警察もしくは検察による証拠捏造」の可能性である。遺体の解剖を行った警察は当然ながら被害者の血液を入手できる立場におり、また過去の冤罪事件においても警察が証拠品に被害者と同型の血液をまぶして捏造を行うという事案は実際に発生している(もっともこれはDNA鑑定がなかった時代だからこそできた話で、現在だったら一発でばれる類の捏造であろうが)。無論、警察側は捏造の事実を否定しているが、可能性という意味で一番確率が高いのはやはり警察(特に実際に現場の捜査を主導した猪熊警部やその周辺が怪しいと考えられる)による捏造であろう。

 しかし、警察が捏造を行ったという決定的な証拠がないのも事実である。そこで、他の可能性はないのかと考えた場合、次に浮上するのは犯人が加藤氏に罪を着せるためにジャージに血を振りかけたというケースである。言うまでもないが、実際に被害者を殺害した犯人であれば、注射器などの道具さえあれば(なければ最悪被害者の傷口から漏れる血液を直接何らかの容器などに入れるという手段で)その場で被害者の血液を採取するのは容易であろう(無論、被害者の体には注射痕などはなかったが、この点については槍で貫かれた傷口から血を採取する形で充分に回避できる)。

 では、実際の所、何らかの形で被害者の血液を入手できたとして、加藤氏の所有するジャージに血液を振りかける事はできるのだろうか。捏造を行ったのが警察ならばこれは充分に可能である。血液検査を行うのが警察自身なので、押収したジャージに捜査本部なりで血液を振りかけさえすればいい話だからだ。だが、これが犯人など第三者によるものだとすれば、その人物は警察が家宅捜索でジャージを押収するよりも前に加藤氏の家に侵入し、そこにあるジャージにあらかじめ保管しておいた被害者の血液を振りかける必要がある。果たしてそんな事が可能なのだろうか。

 それを確認するために、私は実地調査で今も蝉鳴村に残る加藤氏の家を訪れた。すでに加藤氏は村を出ているため該当する家は空き家となっており、当然ながら家屋の中に入るような事はできなかったが、外から家屋の様子を観察する事はできたし、裁判資料からこの家の見取り図も入手できていたため、事件について考察をする事に何ら支障はなかった。

 その上での考察であるが、加藤氏の家は築年数が相当経過していると思われる二階建ての日本家屋で、裁判資料によれば問題のジャージは一階にある加藤氏の書斎のタンスに入れられていたという事になっている。家族の寝室は二階にあり、家に入るには正面の玄関と裏手にある勝手口の二ヶ所のいずれかを使う必要があるが、実際に確認をしてみた所、そのうち勝手口の鍵がかなり簡易的な代物である事がわかったのである。

 その鍵の詳細な構造についてはここでは割愛するが、端的に言えば掛け金式の簡易的な鍵であり、何かカードのようなものでもあれば外からでも簡単に開ける事ができてしまう類のものだった。しかも問題のジャージがあった書斎はこの勝手口のすぐ隣にある部屋であり、すなわち家族が二階で寝ている夜間にこっそり勝手口の扉を開けて侵入し、加藤家の誰にも気付かれないようにして書斎のタンスにあるジャージに血液を付着させる事は、この勝手口の扉の鍵の状況さえ知っていれば誰にでも可能だったと結論付けられるのである。

 そうなると、このジャージの捏造はまさしく「誰でも」可能だった事になる。もちろん、先述したように「被害者の血液を入手できる」事が最低条件になるが、真犯人や警察関係者のみならず、彼に罪を着せたいと考えている村の人間がいた場合、犯人でなくともその人物が捏造を仕込む事は充分可能だったと言わざるを得ない。無論、その場合は「なぜ犯人でもない村の人間がそこまでして加藤氏に罪を着せようとしたのか」が問題になる上に、「誰でも可能」という点を逆に言えば、この観点から捏造を行った容疑者を絞り込む事が極めて難しいという事でもある。残念ながら、現時点の調査状況では具体的に誰が捏造を行ったのかという点について具体的な推察をする事は断念せざるを得なかった。

 ただ、突飛な可能性と批判されるのを覚悟で書けば、一つの可能性として村内の医療関係者がこの捏造に関与しているという説が考えられる。名崎証言で述べられているように、この村には診療所が存在する。また、村での実地調査における聞き込みによると、この診療所では村人を対象とした健康診断も行っており、蝉鳴学校に通う生徒も例年六月頃に健康診断を行っていたという事だった。実施が六月なので、事件の一ヶ月前に被害者もこの健康診断を受診している(実際、その健康診断によって得られた被害者の身長のデータが名崎証言の矛盾を明らかにする事となった)。そして、この健康診断には採血検査があり、この採血の際に採取された被害者の血痕がジャージの捏造に使われた可能性はあり得るのではないだろうか。

 もちろん、通常ならば採血された血液は即座に専門機関に輸送され、診療所に保管されるような事はない。ただ、もし診療所の関係者が何らかの理由で被害者の血液の一部を保管していたとすれば話は変わってくる。しかも医療関係者の場合、クエン酸ナトリウムを入手する難易度が一般人に比べて容易である事も疑いに拍車をかけている。もっとも、その場合は「なぜ診療所の関係者がそんな事をしたのか」という点が大きな問題になってくるだろうし、現状、診療所の関係者がそのような事をする理由が私には思いつかないので、正直この可能性は低いと考えている。あくまで可能性の考察に過ぎないという点はご理解頂ければと思う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ