第76話 水の都グラチ
シブクイーナの件の事務処理が一段落し、クグとゼタはサンクから一路東へ向かう。
海沿いの町グラチに着いた。町じゅうに水路が張り巡らされた水の都だ。
ここはオトナリナの東端。すぐ東は南北に長い内海になった比較的穏やかな海だ。
隣の国のトーイットコの国へ行くには、この町から海を渡るしかない。
大陸の北側、つまり内海の北側の陸地には、アマソソル山という世界一高い山がそびえ立っている。
この山だけが唯一、トーイットコとつながっている。
アマソソル山を越えるのは無謀だ。何人もの勇敢な挑戦者が命を落としている。
およそ50年前、プロスキーヤーでもあり伝説の登山家でもあるチョカコルノ・マガルノムリヤンが人類初の登頂を果たし、スキーで降りてきた。
その後、登山道具の進化と登山技術の進化により登頂できる人は増えたが、簡単に登ることのできない山であることには変わりない。
山を熟知した冒険者でも、山岳ガイドをつけて大量の物資と長い期間をかけて登るのが精一杯だ。
一方、大陸の南端はセバマテル海峡になっており、外洋へつながっている。
セバマテル海峡は両側とも断崖になっており、船が寄港できる場所はない。 断崖絶壁で町も何もないので、橋も架かっていない。
グラチからトーイットコへ行くには、比較的波の穏やかな海を渡った方が早くて安全なのだ。
内海には年に数度、チメタイフーンという山から吹き下ろす、冷たく乾燥した風が吹く。丸1日から2日続く嵐で、平均風速は時速50キロ、最大風速は100キロ近くになることもある。
勇者がこの町でやるイベントは決まっている。船を手に入れることだ。
グラチからトーイットコのテヤンデという町まで定期船が1日2便出ているが、勇者が冒険をするのにいちいち定期船を使うわけにもいかない。
それに、自前の船に乗ると冒険してる感がでるし、船でしか行けない場所もある。
クグとゼタは港へとやって来た。大きな船に荷揚げをしている人や、漁を終えた漁師たちがいて活気がある。
「定期船があるんだったら、先にテヤンデに行っちゃうってのはどうっすか? テポトポイントをつくっておけるっすよ」
「定期船は逃げないから慌てる必要はない。この町のイベントが優先だ。まずは、船について調べるぞ」
「勇者が乗る船って、ゴムボートでも何でもいいんすか?」
「代々勇者に受け継がれている魔法の帆船『ドコフクカーゼン号』でなければダメだ」
「どんな魔法の船なんすか?」
「帆を張り、勇者が操舵輪を握ると、どこからともなく風が吹き、思った方向へ自在に船を進めることができる」
「いろんなところへ行きまくりじゃないっすか。でも、それっぽい船が見当たらないんすけど。どっかのドックにあるんすか?」
港に併設された乾ドックのひとつは、民間の整備会社『ペンギニア』のものだ。代々、勇者の船を修理してきた。そしてペンギニア社は、土木課船舶係が表向きに活動するための会社だ。
勇者からしたら、「勇者のため、世界平和のためなら無料で修理してやるぜ」と言って整備してくれる気前のよい人たちだが、土木課船舶係の職員が装っているとは知る由もない。
「港にもドックにもない」
「廃船になったんすか?」
「そうではない。先代勇者フォールズがこの町の港に乗り捨て、そのままだった――」
その後、野ざらし雨ざらしになった。勇者フォールズが戻ってくるかもしれないので、ペンギニア社は手をつけずそのままにしておいた。そして、チメタイフーンのときに係留ロープが切れ沖へ流された。
勇者フォールズが戻ってきたら船を入手し直すイベントになるということで、流された場所にいかりを下ろし、手入れは何もしなかった。
その後、勇者フォールズが亡くなり、勇者モモガワが現れたので船はそのままにされた。勇者モモガワが入手するイベントにするためだ。
「――というわけで、町から北の沖にあるはずだ」
「そこにある船を勇者が取りに行くだけなら、こっちはなんもやることないっすね」
「いや、船の調査をしないといけない」
「土木課がやってるペンギニア社に任せておけばいいじゃないっすか」
「彼らは保守点検が仕事で、イベントを作るのは仕事ではない。まずは港の人たちの話を聞くぞ」
漁を終えた漁師たちや、海上物資輸送をしている人たちに、ドコフクカーゼン号のことについて聞いてまわった。
皆、幽霊船とウワサして近寄りたくないようで、冒険者にあの船まで乗せてくれと頼まれても断っているそうだ。
先代勇者フォールズの霊がとりついていると言う人もいた。
危険なところへ船を出すなんて考えたくもないと思うのはクグも理解できる。冒険に関わることのない人たちにとっては、今の自分の生活のほうが大事なのは当たり前だ。
先代勇者フォールズは乗り捨てるような人ではない。何か訳があるはずだから戻ってくるまで誰にも近づかせず、そのままにしておかないといけない、と考えている人たちも一部いた。
「聞き込みはこれくらいでいいかな」
「ただで船を手に入れるっていったら、難破船を手に入れるイベントくらいしかないっすけど。前の勇者のときもおんなじイベントをやったんすか?」
「先代勇者フォールズのときは――」
勇者フォールズの前の勇者フラワシは魔王を倒したので、船はペンギニア社によってドックに保管されていた。
操舵輪が据え付けてある台の中にオーブが入っており、これが勇者の力を風に変える動力源となっている。
勇者フォールズが船を手に入れる前、そのオーブを魔族に奪われてしまった。このままでは船は動かない。
町から船で北へ行ったところに、切り立った岸壁が幾重にも連なる地帯の『キリタッタクリフ』がある。
小型の船を借りた勇者フォールズはそこの洞窟に魔族がいることを聞き、洞窟へと向かった。
洞窟の奥深くにオーブがあったのだが、魔族が巨大なカニのモンスターを従え待ち構えていた。
そして、勇者フォールズはモンスターを倒し、オーブを取り返した。
「船そのものではなく、部品を入手するイベントになった例だな。さて、次の場所へ行くぞ」
「あとは船の調査に行けばいいんすね」
「その前に、さらに詳しい情報を聞いておく必要がある。次はペンギニア社だ」
ペンギニア社の事務所は港の近くにある。作業着のつなぎを着てスパナを持っているペンギンが、イメージキャラクターとして看板に描かれている。
受付で勇者部企画課だと伝えると、船舶係の係長と話ができることになった。
案内された会議室で待っていると、ショートカットの日焼けした女性が入ってきた。名前はナミ。土木課から出向でこちらの会社に来ている。
クグは早速、話を進める。
「ドコフクカーゼン号の状況はどうなっていますか?」
「外側から船体を確認している限りは、大きな破損はないね」
ナミはハキハキと答えた。
「船内の状況はわかりますか?」
「詳しくはわからない。乗船した職員によると、ゴーストが居着いてしまっているようで、調べられなかった」
「ウワサだけでなく、実際に幽霊船になってしまっているということですね」
「そのようね」
「お祓いしないんすか?」
「勇者が入手するイベントにできる可能性があることに関しては、職員が勝手にやるわけにはいかないから。うちは船体の保守点検だけ」
あくまでも、所有者は勇者というスタンスのようだ。
放置されているのにモンスターやゴーストが住みつくこともなく、掃除もされてきれいな状態であると不自然だし、勇者が入手するイベントにできなくなってしまう。
「とはいえ海に放置されていたら、いたずらをしようとか、盗もうとする人も出てきそうですが」
「魔法の帆船というのが、一般の人にはとっつきが悪いんだよね――」
ナミが説明を始めた。
一般の人からは、「魔法の船」は下手に操作したら暴走するのではないかと思われており手が出ない。もともと勇者が乗っていたものなので、壊したら弁償できないし、冒険に支障が出ても責任が取れない。つまり、そもそも盗もうとする人がいない。
さらに、勇者の力でしか動かないから、盗賊など一般の人が乗って動かそうとしても、うんともすんとも動かない。つまり、盗もうと思っても動かないので盗みようがない。
新しい勇者が入手するまでその場所に置いておくことが、漁業者や海運関係者の間では暗黙の了解となっている。
そして、ペンギニア社が無償で見回り役を買って出ているということになっている。
ほかの業者は、コストはかかるのにもうけにならないことはやりたがらないから、誰も文句は言ってこない。
表向きはペンギニア社の業務として常に監視しているので、不届き者が破壊やけん引をしようとしてもできない。
「とまあ、こんな感じ」
大まかな状況はわかった。勇者モモガワのイベントは、船に居着いているゴーストを駆除し船を手に入れる、という内容になりそうだ。
「ドコフクカーゼン号の内部の調査をしたいので、船を貸していただきたいのですが」
「船舶免許がいるけど、大丈夫だよね?」
「え? いや、持ってないです」
盲点だった。先代勇者フォールズの支援をしていたときは、パシュトが免許を持っていたので問題がなかった。クグはゼタの方を見た。
「俺も持っていないっすよ」
「だったら貸せるものがないけど」
「一緒に乗船していただくことはできますか?」
「忙しくてそっちの仕事に付き合ってられないんだけど」
漁師や海上物資輸送をしている人たちに頼もうにも、船に近寄ろうとさえしないのは聞き込みでわかっている。
スタボーン課長に相談したところで期待はできない。どうせ「泳げ」とか「イカダで行け」とか、シブクイーナのときみたいにむちゃぶりをされるだけだ。
「困ったな」
「船があるのはわかってるんだから、もう調べないくてもいいんじゃないっすか」
「そうはいかない。船室などの内部がわかっていないとイベントにできない。ゴーストがどれくらいいて、勇者のイベントとして成立させられるかどうか。イベントになりそうになかったら、船でどこかに行くイベントを作るか。具体的な計画が立てられないと、情報課も物資課も動けないだろ」
先代勇者フォールズのときのイベントを参考にして、今回はわざとオーブを洞窟に隠す案もあるが、これは最終手段にしたい。
「町の水路の観光用の貸しボートなら、ペンギニアがやってるから貸せないこともないけど」
「それでお願いします」
見かねて言ってくれたナミの提案に、クグはすぐさま乗った。これ以外に選択肢がないので迷いようがない。
「ただ、町の水路から出るとなると、規則外の利用になるんだよね。上に話を通したり、それなりにゴニョゴニョしないといけないんだよね」
「そこをなんとか、お願いします」
「気持ちを物で表してくれたら考えてもいいけど」
「ということですか?」
「それなりの気持ちといったら、手土産でしょ」
ナミは遠慮することなく言った。
「どんなものがいいですか?」
手土産といってもいろんなものがある。いらないものを買ってくる訳にはいかない。悩むくらいなら聞いた方が早い。
「そうね、トーイットコで作られたおにぎりが久しぶりに食べたいなあ」
「1つでいいですか?」
「全員分ないとね。20個」
「わかりました」
クグは即決した。
「おにぎり買ってくるって、お使いイベントじゃないっすか」
そんなことを言っている場合ではない。
ペンギニア社としては、危険な地域に船を貸し出すリスクがある。そんな事情を考慮したら、おにぎり20個で済むのであればそれに越したことはない。もちろん、経費で落とす。れっきとした接待交際費だ。
「今すぐ行ってまいります」
クグは一礼すると、すぐさまペンギニア社をあとにし港へと急ぐ。
「結局、先にテヤンデへ行くんじゃないっすか」
ゼタがクグのあとをついて来ながらグチった。
「つべこべ言うな。定期船は待ってくれない。乗り遅れたら大幅なタイムロスだ」
ダッシュで港へ向かい、テヤンデへ向かう午前の便になんとか間に合った。




