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第72話 腹の探り合い

 遠くに岩壁が見えてきたが、星の石があるという洞窟はなかなか見えてこない。

 岩壁のすぐそばに、ローブをまといフードをかぶっている人が見えた。壁を調べているように見える。

 近づいていくと、その人の横に洞窟の入り口が見えた。


「さっきまで洞窟の入り口が見えなかったような」

「遠かったから見えなかっただけじゃないっすか」


 ローブの人はクグたちの足音に気づいたようで、少しだけクグたちの方を見た、と思ったらまた壁の方に向き直った。そして、フードをとって振り向いた。ライズだ。こんなところで何をしているのだろうか。

 この洞窟は教団とは関係がないはずだ。もしくは、魔族として何か用事があるのだろうか。


「お久しぶりです」

 ライズから話しかけてきた。

「何をしているのですか?」

「ちょっと、この洞窟で調べものを。ちょうど終わったところです。そちらこそ、どうしてこちらまで?」

「ほかの冒険者から近くに洞窟があると聞いて、どんなところか見に来たんです」

「そうなんですか。お気をつけて」

「ひとつ伺いたいのですが、どんな石でしたか?」

 クグは去ろうとしたライズに聞いた。


「えーと、何の石ですか?」

「星の石というこの洞窟にしかない珍しい石があると聞きまして、冒険者の端くれとしては一度見ておきたいと思ったんです。この洞窟を調べたのですよね? どこかにあるはずなのですが」

「ああ。たぶんあれかな。ありましたよ」

 ライズはどこかよそよそしい。何か急いでいるのだろうか。ライズが本当に星の石を見たのか、クグは少し怪しいと思った。洞窟ではなく、何か別の用事があった可能性もある。


「石もいいんすけど、ベヒーモスってぶっ倒しちゃったっすか? 勇者案件なんすけど」

「いや、そうじゃなくて、えーっと。『勇者モモガワくらい強くないと倒せない』と聞いたので、冒険者の端くれとしてどんなモンスターか遠くから見てみたいなー、という意味です」

 クグは、ゼタの不用意な発言をすかさずはぐらかした。


「ベヒーモスですか」

「いなかったですか? 星の石があるところに棲みついているみたいなので、星の石を見たのであれば、ベヒーモスもいたはずですけど」

「いなくなっちゃってたら、力試しできないっす」

「それ以前に、洞窟を出て町で暴れでもしたら大変なことになるぞ」

 ほかのイベントを無視して、勇者たちをいきなりサンクに連れてくるわけにもいかない。


「いましたよベヒーモス。僕も見ました。とても強そうだったので逃げてきました。一番奥のところにいます」

 星の石について不自然だったのは、ベヒーモスがいたからきちんと見ていなかったのだろう。だとしたら、そう言えばいいはずだ。何か不都合なことでもあるのだろうか。

 何にしても、クグは早く任務を開始したい。ライズとこれ以上、話をしても何も得られなさそうだ。


「貴重な情報ありがとうございます。お忙しいところすみませんでした。では行ってまいります」

「ちょっと待ってください」

 クグが洞窟へ入ろうとすると、ライズが呼び止めた。


「どうしましたか?」

「僕も同行します」

「もう調査を終えられたのですよね? わざわざそんな手間をとっていただかなくても大丈夫ですよ」

 勇者モモガワのイベントのための調査なので、同行されると任務に支障が出て困る。


「調査をして洞窟の中をわかっているので、少しくらいなら案内できます」

「もこう見えても一応、冒険者なので、案内がなくても大丈夫ですけど」

 クグは少ししつこいと思った。なぜ、そこまでして同行したいのか理由がわからない。先ほどまでは歯切れの悪い受け答えをしていたのにだ。


「減るもんじゃないし、いいんじゃないっすか」

 クグは思った。減るんだよ。貴重な時間が。任務に他人が同行するなんてデメリットしかない。

「ほら、お仲間の方もこう言っていますし」

「で、では、お願いします」

 むげに断ると逆にこちらが怪しまれることになる。二度手間になるが、まずはライズと軽く調査して、あとから詳しく調べ直すしかない。


「そんじゃあ、俺がエーリーデーかけるっすね」

 洞窟へ入るなりゼタが言った。気が進まないクグは、ゼタに任せることにした。


「今度は気をつけろよ」

「どうかしたのですか?」

「こいつのエーリーデーは力加減がおかしいから、目がつぶれるくらい強力なんですよ。それはもう、結界があったら破壊できると思ったくらいです」

「そうなんですか」

「大丈夫っす」

 ゼタはそう言うと、メイスを振った。今度はふつうの明るさのエーリーデーがかかった。


 ライズの案内で、脇道に行くことなく洞窟の奥の手前までたどり着いた。

「たしかこの先のはずです。ちょっとここで待っていてください。ベヒーモスがいるかどうか確認してきます」

「一緒にいけばいいじゃないっすか」

「もしベヒーモスが起きていたら、一度に3人も行くと見つかってしまい襲われる危険性があります。僕が安全かどうか見てきます」


 モンスターを見て興奮したゼタが何をしでかすかわからないし、ライズがいる以上、あまり詳しい調査をして任務がバレてもいけない。クグは、ここはいったんライズに見てきてもらうことにした。

「では、お願いします」

 3分ほど待つと、ライズが戻って来た。


「間違いなくこの先です。ちょうど眠っているから大丈夫そうです」

 奥へ進むと通路の先は広い空間になっている。そこへは入らず、通路から様子をうかがう。

 中央には、ライズの言ったとおり巨大なウシのモンスターが眠っている。全長10ミートルはありそうだ。頭から突き出た2本のツノが、人を容易には近づけさせない威圧感を放っている。

 額に宝石のようなものがあることにクグは気がついた。何か特別な魔力でも持っているのかもしれない、


 ベヒーモスの存在感もすごいが、この空間自体も不思議な場所になっている。

「洞窟の中なのに、一面にびっしりと草が生えてるぞ」

「どうやら、ここの空間だけ常に明るいんです。星の石のせいだと思います」

 ライズが説明してくれた。

「ほんとっすか? 消してみるっす」

 ゼタがエーリーデーを解除したというのに、壁も天井も程よい光を放っており、空間内は外だと思うくらい明るい。この光と洞窟内の水分のおかげで、草が生い茂っているようだ。


 ベヒーモスがいるとわかったので、いったん洞窟から出て、ライズと別れたらすぐに戻って詳しく調べようとクグは思った。「満足しました」と言えば、「では帰りましょう」となるはずだ。


「これで満足しました。もう戻りましょう」

「せっかく来たのだから、詳しく調べていったらどうですか?」

 想定外の反応でクグは戸惑った。催促されたら調べないわけにもいかない。何もしないで帰れば逆に怪しまれる。


「エーリーデーついでに、シラベイザーもやるか?」

 ライズがいて気が進まないクグは、ゼタにそれとなく勧めた。


「よーしっ、はりきって調べるっす」

 ゼタがスマホのシラベイザーでベヒーモスをスキャンした。

「なんか、すっごいあっさりしてるんすけど」

 クグは、ゼタが見せてきたスマホを確認する。


『ベヒーモス。ウシのモンスター。強靱な肉体。鋭い2本のツノ』

 表示されている情報はこれだけだ。


「何も書かれていないが、下にスペースが続いているぞ」

「ほんとっす」

 ゼタは表示をスクロールさせる。

「なんすかコレ。文字化けしてて読めないっす」

 クグも見ると、空白の最後の一行は文字化けしていて読めない。


「壊れてるのか? 私のでもやってみるか」

 クグもシラベイザーで調べてみたが、ゼタと同じ内容だった。

 いつもなら『この空間に生えている草には魔力が含まれており、それを食べることで強い魔力をもつ巨大なモンスターになった』みたいなことが書いてあるはずだ。そればかりか、弱点や特徴的な攻撃さえも書かれていない。


「どっちも同じってことは、こんなもんなんじゃないっすか」

「おかしいな。いつもはもっと詳しく出るはずだが」


「データで出ないんだったら、どれくらい強いか起こして調べてみるっすか?」

「それはやめたほうがいいと思います。それよりも、星の石というのはどこにあるんですか? この空間全体が星の石ではないのですか?」

 クグが止めるよりも先にライズが言った。


「でも、中に入らないと調べられないっすよ。起こしちゃっていいっすか?」

「中に入るのはやめたほうがいいと思います。モンスターが起きたら大変です」

 ライズは、先ほどまでは調べろと言っていたのに、今度は調べることに反対するかのような口ぶりだ。


「じゃあ、どうやって調べろっていうんすか」

「こういうときは、偵察機で探すんだ」

 ライズがいるのでベヒーモスはもう調べなくていい。星の石がある場所だけ調べておけば十分だ。


「俺のズンガリの出番っすね」

「いや、ズンガリの羽音で目が覚めると危険だ。今回はチュータで調べる」


 クグの放ったチュータが、草をかき分けながら進む。

 偵察機を放ってわかったのは、この空間そのものが五芒星の形をしていることだ。

 星の先端部分に相当する場所には、たくさんの石が積み上がっている。アーサー王の言うとおり、どれも五芒星の形をしているが色はよくある普通の石だ。

 ベヒーモスの後ろ側、一番奥のところに、ほかよりも大小たくさんの石が積み上がっている。


 ベヒーモスを見てすぐ逃げてきたのであれば、星の石がどこにあるのかわからないわけだ。

 とはいえ、この洞窟で星の石とベヒーモス以外に何か調べるものがあるのか、クグは疑問に思った。洞窟のほかの場所を詳しく調べてみないと、何とも言えないことではあるが。


 最低限のことは調べ終えたので、洞窟を出てライズと別れた。

 その後、クグとゼタは再度、洞窟を細かく調査したが、とくに怪しい点は見つからず、よくある普通の洞窟だった。ベヒーモスについても、シラベイザー以外の詳しいことはわからなかった。


 結局、ライズが何を調べていたのかわからなかった。もしかしたら、教団のことを探っているクグたちのことを探っていたのか。つまり、お互い腹の探り合いをしていたのかもしれない。

 ライズはチーム・スッキャキや、チーム・オーデーンなどの人たちと違い、身分も明かさない。何をしているのかも言わない。教団との関わりもいまだ不明だ。教団と関係があるのであれば、キャサリンの報告に出てこないことも気になる。

 ライズには、ほかの魔族とは何か違うものをクグは感じた。ほかの魔族とは考えが違うと言っていたことと関係があるのかもしれない。





 パシュトはサンクのダウンタウンのパブに1人座っている。

 外は日が落ち、闇が町を包む。大通りは無数の明かりで照らされ、たくさんの人が行き交っている。

 大通りから脇道に入ると、打って変わって明かりが減り、人通りも少なくなる。

 そんな静かな通りにあるパブは半分ほど客で埋まっており、それぞれのペースで酒とおしゃべりを楽しんでいる。


 一見地味なパブだ。しかし、表向きは酒を飲ませる店だが、店の奥ではカード賭博をやっている。

 この町はすべてがマフィアの支配下にあり、みかじめ料なしでは商売ができない。酒や食品の卸し、貸し絵画や観葉植物、周旋業、労働組合だけでなく、おしぼりの業者さえもがマフィアのビジネスだ。


 パシュトは、情報屋をはじめあちこちいろいろ手を尽くして、最大勢力のマフィア『ワルソナレンチュ』の男と会う約束を取りつけることができた。


 イラサはカウンター席でワインを1人で飲んでいる。最初は別行動の予定だったが、万が一、争いごとになり、マフィアの仲間が控えていたら危険だということで、別の客を装って控えている。


 酔ったスキンヘッドの男がイラサにちょっかいをかけている。初めのうちは無視していたイラサだが、しつこくからんでくる男に堪忍袋の緒が切れたのか、席も立たずに左手で男の頭頂部をつかんだ。

 男の頭がみるみるうちに氷で覆われた。イラサが手を離すと、男は床に尻もちをついた。

 頭が凍った冷たさとイラサの冷たい目線によって、男は一気に酔いが覚めたようで、逃げるようにして店を出て行った。

 イラサは何ごともなかったように、またワインを飲み始めた。


 すでに待ち合わせ時間から30分以上たっている。

 パシュトは口をつけていないミルクとタブロイド紙が乗ったテーブルを前に、ドアを見つめる。こんな時間にこんな場所で、ミルクを飲みながらタブロイド紙を読む人なんていない。わかりやすい目印だ。


 くたびれたシャツにジレの男が店に入ってきた。30代くらいだろうか。ジレのボタンはとめられておらず、赤色のナロータイが見えている。とはいえ、不快感を与えるような感じはない。

 一見しただけでは、マフィアなのかわからない。ビジネスマンのようにも見える。


 ジレの男はあいさつもなくパシュトの前に座るなり、ミルクをひとくち飲んだ。

「客と会うときは、酒は飲まない主義なんだ」

 時間に遅れたことなど少しも気にしていないようだ。

 マフィアの構成員のひとりで、みかじめ料を回収している中堅。昼間はいろいろな店に顔を出しているので顔が広い。つまり、情報も集まる。


「まどろっこしい話はキライなんだ。で、俺に何を聞きたいんだ?」

 ジレの男は、前置きもなく聞いてきた。パシュトも余計な詮索をされたくないのでありがたい。


「ブレッシング・スター教団との関わりについて」

「お互い余計な詮索をしないのが礼儀だから、それを教えておまえに何の得があるのかいちいち聞きはしないが、俺にとって何の得になる? 面倒を持ち込まれるのだけはゴメンだ」

 ジレの男の言うとおりだ。しかし、パシュトも手ぶらで交渉にきたわけではない。


「こちらが持っている情報との交換。脇が甘い検察官のリスト」

「へえ」

 ジレの男は表情こそ変わらないが、眉がピクリと動いた。

「それに加え、最近、手荒い方法で勢力を拡大してきているギャング『レッドカウベル』の内部情報」

「ヤツらのやり方は暴力とクスリと売春だ。娼婦をクスリ漬けにするなんてスマートじゃねえ。目障りだと思ってたところだ」


 パシュトは手のひらサイズの薄いメモ帳を、無言で机の上に置いた。

「いまどき、アナログだな」

「あとあと形に残らないほうがお好みかと」

「むしろ大歓迎だ。怪しいウイルスでデータが抜かれる心配もないしな」

 ジレの男は手帳をパラパラとめくって中身を軽く確認すると、胸ポケットにしまった。


「教団とカネの取引はあるのか?」

「ご想像にお任せってところだな」

 ジレの男は相変わらずポーカーフェイスで、何を考えているのかわからない。

 しかし、なかったらないと言うはずだ。資金洗浄にでも使っているのだろう。

 教団を利用するのはマフィアだけではないだろう。政治家や貴族、企業による脱税だ。さらには、マフィアにカネを渡すときの仲介に教団を利用する。その一部を手数料として教団が受け取る。いくらでも方法は考えられる。


「最近は、マフィアもいろいろと手広くやっているみだいだな」

「まあな。今の時代はゴミビジネスだな。ゴミ回収とか産廃処理だ。人々が消費をやめないかぎり、絶対になくなることはない」

 ジレの男はミルクをひとくち飲むと、話を続ける。

「この町が出すゴミの量を知ってるか? 100階建てビル1つ分だ。誰かが回収してやらなきゃ、一晩で町はゴミであふれかえる。俺がガキのころは、ゴミが金儲けになるなんて思ってもみなかったが」


 最近は、非合法ビジネスよりも建設業、小売チェーン、飲食チェーンなどの合法ビジネスも手広くやっていると聞くが、ゴミ収集業者もマフィアがやっているビジネスだとは、パシュトは思ってもいなかった。

 儲かる合法ビジネスも時代によって変わってきたということか。

 マフィアが生き残るのも難しい時代になってきたとも言える。


「マフィアもいろいろと大変そうだな」

「そんなことを聞きにきたんじゃないだろ」

 たしかに、こんなことはちょっと調べれば誰でも簡単にわかることだ。腹の探り合いは必要なさそうだ。


「教団に関しては、表向きで調べられることは調べた。具体的に何についてというのはない。おたくらが知ってる内部のことを聞きたい」

 パシュトの素直なもの言いに、ジレの男は少し考えてから言った。

「そうだな。ひとつとっておきのを教えてやろう。教団は何か作ってるみたいだぜ」

「おたくらが武器を作らせて、売っているんだろ」


 マフィアから教団へ、武器を作るノウハウと初期費用を渡す。教団が武器を作ったら、マフィアがやっている業者へ卸す。さらに、教団の売り上げの一部をマフィアがコンサル料としてもらう、というところだろう。


「いやそうじゃねえ。それを持ちかけたら断りやがった。何か大事なものを作らねないといけねーって。何を作ってるかはわからねーが、なんかヤバそうだなありゃ」

「クスリか?」

「どうだろうな。俺の見立てでは、カネをしこたまためこむってより、何かを作ることにつぎこんでる感じだな」


「それが何なのか、どこの組織を通じて外に出ているのか」

「さあな。そこまで世話してねえから知らねえ」

「信者を利用しているのは間違いないということになる」

「さしずめ、信者は工員ってとこだな。それが何であれ、賃金が出てれば貧困のヤツらも助かってるんだろ」

「ということは、別の組織とつながってる。いや、武装蜂起もあり得るな」

「いろいろと察しがいいな。話がわかりそうじゃねえか。こっから先はビジネスの話じゃなくて、酒を飲みながら話すか」

 パシュトはジレの男に気に入られたようだ。酒が入ればもっといろいろ聞けるかもしれない。


 ジレの男が酒を注文しようとしたら、店のドアが開き女性が入ってきた。化粧はしておらず髪はヘアゴムで束ねただけ。出かけるような格好ではなくヨレヨレの服を着ており、履いているのは靴ではなくサンダルだ。

 手に握られた小さな赤いハンドバッグは、女性の服装だけでなくこの場所にもちぐはぐで、パシュトは異質なものが自分の中にまで入り込んできたように思えた。


 女性がジレの男のところまで真っすぐに来た。

「よくここがわかったな」

 ジレの男が言った。さっきまでのポーカーフェイスではなくなり、少しニヤついている。相手を小ばかにしているようにも見える。

「あんたはいつもここにしかいないでしょ」

 女性は荒っぽく言った。

「俺に手料理を食べて欲しくなったのか? おまえの焼くパンケーキは絶望的に硬いけど、食ってやってもいいぜ」

「誰があんたのために料理なんか作るんだよ。ゴキブリと一緒に残飯でも食ってろ」

「じゃあ何の用だ?」

「あたしだってこんなとこ来たくないわよ」

「だったら来なきゃいいだろ」

「あんたがミルク代払ってくれたらさっさと帰るわよ」

「いくらだ?」

「先月もそう言って出し渋ったわよね」

「ムダ遣いしてんじゃないのか?」

「一度でいいからムダ遣いできるほど渡してから言いなさいよ」

「こいつは別れた妻だ」


 言い争っている最中だというのに、ジレの男はパシュトに女性を紹介した。女性はパシュトのことなど意に介さず、男につっかかる。


「子ども育てるのにいくらかかると思ってんのよ」

「さあ?」

「あんたの子だよ」

「子どもの顔を見たことがないな」

「妊娠中にあんたが勝手に出て行ったんでしょ」

「だったら子どもに会わせろよ」

「あんたみたいなクズに会わせたら、教育によくないに決まってるでしょ」

「抱いてくるくらいできるだろ」

「こんな所に連れて来られるわけないじゃない」

「家でひとりぼっちで泣いてるな」

「ちゃんと寝かしつけてから、友だちに頼んできたわよ。あんたに似なくておりこうさんなの」

「会うといつもこんな感じだ。おまえも女には気をつけろよ」

 ジレの男はパシュトに向かってグチった。女性はお構いなしに口撃を続ける。


「そのセリフ、まともな人間になってから言わないと説得力ゼロね」

「俺の魅力に気づかない女が悪い」

「ちゃんと払うもん払ってくれたら、少しは魅力のある男だと思ってやるよ」

「今日は友人と飲むカネしか持ち合わせてねえんだ。帰んな」

「あしたのパンもないんだよ。このまま帰るわけにはいかないよ」

「食事代なら――」

 パシュトがしゃべろうとしたのをジレの男は片手で制し、ズボンのポケットに手を突っ込むと、何かを捨てるように机へ放った。クシャクシャの紙幣と数枚の硬貨が机の上に散らばる。


「今日はこれだけだ。あさってまでに若いやつに届けさせる」

「あした中だよ!」

「わかった」


 女性は机の上のカネを乱暴に掴んでハンドバッグの中に押し込むと、そそくさと店を出て行った。みかじめ料を回収しているマフィアの男から、養育費を回収する女性。

 女性の度胸が据わっているのか。それとも母は強しなのか。


 パシュトが何と言っていいか戸惑っていると、ジレの男がしらけたように言った。

「そろそろ潮時ってところかな」

「マフィアから足を洗うのか?」

「そっちじゃねえよ。教団だよ」

「何か問題でもあるのか?」

「あんたみたいなヤツが嗅ぎ回ってるってことは、教団にいつガサ入れがあるかわかんねえからな。メルシでは支部が襲撃されたっていうし」

 ジレの男はミルクを飲み干すと、

「じゃあな。達者でやんな」

 と言って店の奥へと行った。


 パシュトは店を出た。見上げた先には、マテン・スパイアがギラギラと夜空に浮かび上がっている。パシュトには一夜限りの虚像のように見えた。

 こんな町でも、夢と希望を胸に田舎から出てくる人がたくさんいる。しかし、その思いはいとも簡単に打ち砕かれる。夢がかなう人など、ごく一握りしかいない。ほとんどの人が今日を生きるので精いっぱいだ。

 イラサも店を出てきた。

「くだらん町だな」

 マテン・スパイアを見ながら、吐き捨てるようにイラサが言った。




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