第58話 いろいろピンチ
今日はダンジョン探索をした日よりも疲れた気がする。腰掛けたクグは脱力感に襲われ、まだ事務作業には取りかかれずにいる。
窓の外は夕日で赤く染まっている。オフィスの皆は忙しそうに仕事をしている。
「おい、どこに行くんだ?」
クグは、どこかに行こうとしているゼタを呼び止めた。
「屋上で筋トレっす」
「いってらっしゃーい……って言うわけないだろ。逃がすか」
クグはゼタの首根っこをつかみ、引き戻した。ゼタに疲れという概念はないのだろうか。いや、事務仕事から逃げようとしただけだろう。
「事務仕事が残ってるだろ。っていうか、先に課長へ報告をしないとな」
クグは、無抵抗のゼタを引きずりスタボーン課長の席へ直行すると、口頭で簡単な報告を済ませた。
スタボーン課長は報告を聞き終えると、ひきだしから食品用チャック付ポリ袋を取り出した。
「うちの娘が作った甘食だ。君たちも食べて感想を聞かせてくれ」
サルーズの件で連絡をしたときに課長が食べていた甘食は、娘さんの手づくりだったようだ。てっきり奥様が買ってきたものだとクグは思っていた。15、16歳の一人娘さんで、それはもう溺愛っぷりが半端ないらしい、というウワサだ。
甘食を買って帰ろうと思っていたのをクグは思い出した。1ついただけるのであれば、買わなくて済む。それに、課長にすすめられて食べないわけにはいかない。
しかし、ヘタなコメントはできない。『一口食べたら即座にオイシイと言う作戦』の決行だ。事なきを得るのが、双方にとってウィンウィンだ。
クグはおなかがすいていたのもあり、一気に半分を頬張った。真ん中の膨らみ部分から食べたりなどしない。
4、5回咀嚼するかしないかのうちに、口の中の水分を甘食に全部もっていかれた。どうしてくれるんだ。おじさんの口の中、パッサパサだよお嬢さん。かろうじて甘さを少し感じるパサパサの物体を、飲み込もうにも水分が足りない。
「どうだ。おいしいだろ」
「ふぁ、ふぁい(は、はい)」
スタボーン課長に感想を求められ、クグはかろうじて返事をしたが、口の中が潤いという概念のない物体に占拠され、まともに喋れる状態ではない。呼吸も苦しくなってきた。
こうなったら公務員魂で意地でも飲み込むしかない。クグはレモンを丸かじりするのを想像し、大量に唾液を分泌させ、パッサパサの物体に水分を与えた。
しかし、中途半端に水分を吸収した口の中の物体は、凶悪なひとかたまりの物体となり、逆に飲み込みづらくなってしまった。窒息しそうで逆にピンチだ。
どうしたものかとゼタの方をちらりとみると、普通にプーションで流し込みながら食べている。その手があった。
でも、せっかく課長の娘さんが作ったものを、プーションを飲みながら食べて怒られないだろうか。クグは課長の方をちらりと見ると、とくにゼタに対して気分を害している様子はない。
これまでの任務の疲労に加え、口の中の水分を全部もっていかれた挙げ句、窒息しかけているという累積ダメージを考慮すると、回復効果のあるプーションを飲むのは無駄遣いではなく合理的だ、とクグの脳は即座に判断した。
それなら決まりだ。クグは無理やり飲み込む作戦から、プーションで流し込む作戦に切り替えた。
道具袋から取り出したプーションを口に含み、ひとかたまりになった物体をほぐしながら、慎重に少しずつ飲み込んだ。
なんとか口の中のブツを飲みきり、残っていたブツもプーションで流し込みながら食べきることができた。なかなか手強い相手だった。これはもはや食べ物ではない。兵器だ。
「お、おいしかったです課長。な、ゼタ」
「う、ういっす。おいしかったっす」
課長が溺愛している娘さんが作った甘食だ。さすがのゼタも課長相手に「パッサパサで食えたもんじゃない」だなんて言えるはずもない。
クグはしばらく甘食を買う気が失せた。
この甘食を片思いの人か彼氏にでもあげるのだろうか。死なないことを祈るしかない。
こういった職場の部下による試食は、適正な感想がもらえないという致命的な欠陥があることを、本人も家族も理解しない限り、若い命を危険にさらすという事件が繰り返されることになる。
甘食の感想を聞き終えたスタボーン課長がそわそわしている。
「どうかされましたか?」」
「ところで、お土産はどうした?」
クグは背筋が寒くなり、脇汗がどっと出るのを感じた。人生最大のピンチだ。いろいろくだらない、ではなく大変だったので、課長のお土産のことなどすっかり抜け落ちていた。ねだる方もねだる方だが、買うと約束したのに買ってこなかったのは、完全に自分の落ち度だ。メモをしなかった自分を呪った。
忘れていたと正直に言うか、知ったこっちゃないと逆ギレするかの、二者択一だ。どちらを選択しても、もはや公務員もこれまでかとクグは覚悟を決めた。悩んだところで絶望の淵に立っていることは変わらない。
「お荷物のお届けでーす」
「クグさーん。お荷物届いてますけど」
メール室からの荷物を、事務の女性が受け取ったようだ。どこからだろうか。クグには心当たりがない。
「ちょっと失礼します」
スタボーン課長に断りを入れて荷物を確認しに行った。
送り状を見ると、グビグビドリンコからの荷物で3箱もある。
見覚えのある大きな木箱には『イカコーラ』と焼印が入っている。500ミリリットル、48本入りで倉庫に積んであったあの箱だ。
大きいダンボール箱には『おしるこダイナゴン お取り分けセット付き』とプリントされている。中くらいのダンボール箱には『ビタニューブースト』とプリントされている。1箱24本入りだ。
タコビッチ社長が送りつけると言っていたのをクグは思い出した。そして、ふと思いついた。これをお土産ということにしてしまおうと。先ほどまでの絶望はどこへやら、笑顔をかみしめダッシュで課長のデスクまで戻った。
「課長。お土産が届きました」
「そうかそうか。グッドタイミングではないか。なかなかやるな。サプライズになったぞ。高評価の査定だ」
「あ、ありがとうございます」
こんなことで仕事の高評価をもらってもうれしくない。しかし失業は免れたので、クグは小さくガッツポーズをした。
ゼタと2人で荷物を課長のデスクの横まで運ぶと、職場の皆がわらわらと荷物に寄ってきた。
「みんなでイカコーラを飲んでもいいっすか?」
ゼタはスタボーン課長に確認を取ると、率先して皆に配った。
クグは皆のリアクションを見るのが怖いので、荷物の確認をする。
送り状の業者名は『ギルド・いきいきシニア人材センター』とプリントしてある。配送業者ではなく、冒険者ギルドと提携しているようだ。『ワレモノ注意』『天地無用』『テポト当日配送』のラベルが箱に貼られている。
社長命令でグビグビドリンコによる素早い当日発送。受け取ったギルド・いきいきシニア人材センター・シオサイン支部によるテポト当日配送で、バーチャルオフィスに届く。そしてバーチャルオフィスのサービスの、1日1回の定期転送便に間に合ったようで、庁舎に届く。メール室の夕方の配送でオフィスまで届いたということだ。
ギルド・いきいきシニア人材センターといえば、冒険者や職人を引退したシニアの方々が暇を持て余して……ではなくて、自らの生きがいや、地域社会に貢献したいと望んでいる、まだまだ元気な方々が集う熟練ギルドだ。若い頃に世界中を冒険していれば、テポトで荷物の当日配送なんて仕事は、朝飯前だろう。
荷物に1枚のチラシが添えられてあった。ギルド・いきいきシニア人材センターのお仕事募集のチラシだ。
『お困りごとはございませんか?
植木の剪定、大工仕事、鍛冶、薬草の調合など、職人さんに頼みたいお仕事から、
宅配・物資輸送、迷子ペット探し、掃除、ゴミ出し、買い物代行、筆耕、チラシのポスティングなど、生活一般のお仕事まで。
なんでもお申しつけください。
あなたの身近ななんでも屋さん、ギルド・いきいきシニア人材センター。フリーツウワー、468555まで。まずはお気軽にお問い合わせください。
※危険をともなう内容や、公序良俗に反する内容など、ご依頼の内容によりましては一部お引き受けできない案件がございます。ご了承ください』
手広く活動をしているようだ。チラシの裏には料金の目安も載っている。ほかの業者より2割から3割安く、お財布にも優しい料金設定だ。
箱の中には、グビグビドリンコの注文書が入っている。ウェブからでも注文可能なようだ。
クグが顔をあげると、スタボーン課長がイカコーラの瓶を片手に、落ち着いた口調だが怒りを含んだ声で言った。
「私が社長なら、これを開発した社員は即クビだ」
社長が開発したモノだと知ったら、何と言うだろうか。
ブレイズンがクグに近づいてきた。わなわなと震えている。手には、すでに空になったイカコーラの瓶。一気に飲んだのだろうか。ヤバイ、怒られると思いクグは身構えた。
「クグツィル君。君はなんてモノを取り寄せてしまったんだ。こんなモノは……うまーい!」
味覚がイカれてるぞ、コイツ。クグはさげすむような目でブレイズンを見た。
「そ、そうでしたか。それはなにより……」
そして、悟られないよう無難な返事をした。
ブレイズンは上機嫌で「オイシイだろ?」と皆に言ってまわり、引かれている。
他の職員は、イカコーラの栓を開けただけで飲む気が失せた者、飲んでグロッキーになっている者などなど。
ゼタはイカコーラを一気飲みして、皆を驚かせている。飲んだあとの、「ゲロマズーイ!」のひと言もセットだ。本日2本目なのにケロッとしている。ゼタの胃袋は化け物なのか?
イカコーラの味の評判は最悪だが、なんやかんやで皆ワイワイと楽しそうだ。
「気を取り直して、おやつタイムだぁー」
スタボーン課長が高らかに宣言すると、そのままおやつタイムに突入した。
スタボーン課長はデスクの引き出しからマイエプロンを取り出し装備した。胸の真ん中に赤いチューリップのワッペンが縫い付けてある、クリーム色のカワイイエプロンだ。なぜそんなものを引き出しに常備しているのだろうか。もしかしたら、娘さんが学校の家庭科の授業で作ったものだろうか。
課長が取り出したおしるこダイナゴンの一斗缶には、紙パックのドリンクにストローが付いているのと同じ要領で、おたまが斜めに貼り付けてある。
さらに、箱の中には紙製のお椀とスプーンがセットで入っており、みんなで取り分けて食べられるようになっている。食べたあとも、洗い物が出ずに便利だ。最初から振る舞い用に取り分けが想定されているようだ。なぜ蓋にプルトップをつけたのか。無駄だ。
スタボーン課長はプルトップを無視し、蓋を開けた。そして、おたまを持つと張り切って腕を回した。
しかし、「ぐおっ!」と言って急に右肩を押さえ、片膝をついた。課長の手から滑ったお玉は幸いにも一斗缶の中だ。スタボーン課長は苦悶の表情をしている。
スタボーン課長は昔、総合戦略係でかなりのやり手だった、とクグはウワサで聞いたことがある。もしかしてそのときに、モンスターに受けた古傷とか、魔族に力を封印されたなど、何かいわく付きの傷でもあるのだろうか。
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ大丈夫だ」
「もしかしてその肩は……」
「うむ。五十肩だ」
紛らわしいわ! てっきりそっち系の逸話かと思い余計な気を遣って損をした、とクグは思った。
「ご、五十肩ですか」
「そうだ。五十肩をナメてはいけない。腕が上がらない、背中のかゆいところに手が届かない。ひとつもいいことがない。君にもそのうちやってくるぞ」
やめてくれ。クグは、頼りなく光る未来という希望の光が、おじさんパワーでかすんでいくのを感じた。
肩の痛みが収まったスタボーン課長は、うれしそうに率先しておしるこを取り分けた。一人ひとりに「どうぞー」と言いながら手渡しだ。皆でおしるこダイナゴンに舌鼓を打った。
クグは思った。おいしいけど、ドリンクではなくて軽食だなコレ。スタボーン課長の娘さんが作った甘食の口直しになったとは、口が裂けても言えない。
おしるこはコーラと違って好評だ。皆、おかわりをしている。
スタボーン課長もおしるこをおかわりしたそうだが、なぜかためらっている。自ら取り分けるくらいなので、誰かによそってもらえなくてスネているわけではなさそうだし、遠慮するような性格でもないはずだ。
「どうされました?」
クグはさりげなく聞いた。
「おかわりしたいのだが、ずっと口の中が甘いとくどく感じてな。何か口直しになるものはないか?」
「そう言われましても……」
イカコーラでは口直しにはならないし、ビタニューブーストの強炭酸はおしるこには合わない。
「しょっぱいものがいい」
わがままだ。クグはちょうどいい物を思い出した。道具袋から取り出す。
「サハギン印の塩コンブはどうでしょうか?」
「ナイス。査定アップだ」
スタボーン課長は上機嫌で塩コンブを食べながらおかわりをした。
こんなことで仕事の高評価をもらってもクグはうれしくない。
塩コンブを皆にも分けた。「ほどよい塩味が付け合わせにぴったり」だと、とても好評だった。
おしるこを食べ終え、空になった紙のお椀を持ったまま、クグはふと思った。今日の任務はいったい何のための任務だったのだろうか。私たちは何をしに行ったのだろうか。
クグは1人窓際で、太陽が少しずつ傾きはじめた空を眺めながら、思い描いていた公務員の仕事とは何かが違うような気がしてならないのを、グッと胸の奥へ押し込めた。




