第56話 ゴリラを追え
サハギンの村が見えてきた。ゴリラの目撃情報がないか立ち寄ってみることにする。
サハギンの村は、人間がシオサインの町をつくる前からある村だ。
サハギンたちが経営しているフィレッシュ水産は、新鮮な魚介を扱うことで有名だ。人間の顧客も多く、飲食店などの業者にも卸している、信頼と実績のある会社だ。
村へ入ると何やら騒がしい。
「あんたシオサインの人間か!」
数人のサハギンがすごい剣幕でつめよってきた。
「違います。たまたま立ち寄った冒険者です」
「そうなのか」
サハギンたちは何かに怒っているようだ。
「なんかあったんすか?」
「よろしかったらお話を伺いますよ」
彼らが言うには、突如、オーバーオールを着た2頭のゴリラがやってきた。
そして、「カメどこだ」と言いながら家中を荒らし、タルを壊し、おやつのバナナを食べ尽くし、東の砂浜の方へ去って行った。
シオサインの人間は、いまだにこっちの水域に入ってくることがある。
再三、村長から注意してもらってるが、やるのはいつも同じヤツなので確信犯に違いない。
だから、シオサインの人間の嫌がらせで放ったゴリラに決まっている。
今からシオサインへ殴り込みに行こうか、と話し合っていたところ。
ということらしい。
「こうしちゃいられねえ」
と誰かが言うと、サハギンたちは家々へと散って行った。
「シオサインの町の人となんかあったんすか?」
「あれは、先代勇者のときのことだ――」
クグは思い出しながら説明した。
シオサインの漁師とサハギンたちが漁業水域でもめていたので、仲介するイベントをセッティングした。
内容は、まず、シオサインの漁師たちにたきつけられた海賊が、サハギンを全滅させて村ごと乗っ取ろうとしていたので、懲らしめて止めた。
次に、町を襲撃しようとしていたサハギンたちの暴動を鎮圧した。
そして最後に、先代勇者の仲介により建設的な話し合いの場を持ち、お互いの排他的な漁業海域と漁獲量が取り決められた。
「――というわけで、今では平和に漁が行われているはずだが」
勇者のおかげで問題解決したと思ったが、まだルールを守らず漁業海域を越えてくる人がいるとは。人間とはなぜこんなにも強欲なのだろうか。
サハギンたちがモリを手に出てきた。これからシオサインの町へ殴り込みに行くようだ。
「みんな準備はいいか!」
「聖剣を抜ける戦士がいたらいいんだが」
「そんなこと言っててもはじまらねえだろ!」
「俺たちでやってやるんだ!」
「決戦だ! 一気にかたをつけるぞ!」
「オーッ!」
サハギンたちのときの声が上がった。
「ちょっと待ってください」
クグは慌ててサハギンたちを止めた。
「何でえ。関係ねえヤツはすっこんでろ!」
水をさされたサハギンがすごんだ。
「そうではないんです。実は、ある場所からゴリラが逃げ出しまして、私たちはそのゴリラを捕獲する依頼を受けた冒険者です」
「シオサインの人が放ったゴリラじゃないっすよ」
「本当なんだろうな」
「本当です。殴り込みはしないでください」
ゴリラのせいでせっかくの勇者のイベントが水の泡だ。これ以上の関係悪化は、両者にとって良いことは何ひとつない。
「じゃあ、俺たちはどうすればいいんだ」
サハギンたちの勢いづいた気持ちはなかなか収まらない。
「私たちが必ずゴリラを捕獲してきますので、待っていてください」
なんとかサハギンたちを説得し、目撃証言をもとに東の砂浜へ急いだ。
自分で設定したイベントの後日談を、自分で処理することになるとは、クグは思ってもいなかった。
砂浜に着くと、オーバーオールを着た2頭のゴリラが、うずくまったカメをいじめている。
カメを助けねば。ではなくて、サルーズを捕獲せねば。
捕獲といっても相手はゴリラだ。ゴリラの本気握力は推定500キロ。そして、本気パンチ力は推定2から5トンにもなる。うかつに近寄るとこちらが一撃でやられる。
クグが試案していると、ゼタが「うおりゃー」と掛け声をあげながらゴリラに向かって走り出した。
カメをいじめていたサルーズはゼタに気づいた。
バナナイエロー色、つまり兄のゴリッチャが前へと出た。
ゼタはパンチを繰り出した。ゴリッチャは左手で軽々と受け止めた。
ゼタはゴリッチャの左手を両手でつかむと力いっぱい押した。力勝負だ。しかし、ゴリッチャはびくともせず、鼻をほじっている。
ゼタはゴリッチャに担ぎ上げられ、軽々と放り投げられた。
クグの前まで飛んできたゼタは、頭から砂浜に突っ込んだ。
「おーい。死んだか?」
ゼタはジタバタともがき、ようやく砂浜から頭を抜き、頭を振って砂を払い落とした。
「やっぱりゴリラにはかなわないっす」
「当たり前だ。ゴリラの力はトンだよトン。力でかなうわけがないだろ。バッキバキに骨を折られなかっただけよかったと思え」
クグはゼタに冷たく言い放った。
「マジッスルでぶっ飛ばしていいっすかね」
「ダメだ。無傷で生け捕りと言われただろ」
やはり力業で取り押さえるのはムリがある。食べ物を与えている隙に檻を設置し、檻の中に食べ物を置き誘導するしか方法はない。しかし、都合よく檻の中に入ってくれるかはわからない。迷っている暇はない。一か八かやってみるのみだ。
クグは取り出したバナナを2本、高く投げた。サルーズはジャンプし、それぞれ空中でキャッチすると、あっという間に食べてしまった。
ソチャノウォーター博士が言ったとおり、エグいスピードでバナナをたいらげた。通常の速さの3倍だ。檻を設置している暇がなかった。
今度はリンゴを2個投げた。サルーズは1個ずつキャッチした。リンゴは普通の速度で食べている。とはいえ、ひとくちが大きいので早い。
クグはゼタにリンゴとバナナを全部渡した。
「少しずつ与えて時間を稼げ。私がその間に檻を設置する」
「わかったっす」
クグは檻の設置にとりかかった。
ゼタから離れ、急いで檻を置く。ボタンがない。上下逆さまだ。ボタンが上にくるように置き直し、ボタンを押す。
檻がグングン大きくなった。ゴリラ2頭が余裕で入れる大きさだ。
檻の中に入り、仕掛けるエサを置く。しまった。ソチャノウォーター博士からもらったエサは、全部ゼタに渡してしまった。ゼタが叫んだ。
「もう半分食べたっす。急いでくれっす!」
3倍はエグすぎる。エグイサル・ブラザーズだ。果物なんて道具袋に入れていない。どうしたらいいのか。
クグは、ソチャノウォーター博士が言っていたことを思い返す。たしかキノコが好物とも言っていた。
キノコなら迷いの森で手に入れた、痺れキノコと眠りキノコがあった。これならちょうどいい。痺れたうえに眠って動かなくなってくれれば、なおいい。
「うわーっ。最後のバナナ1本を取り合ってケンカが始まったっす、ヤバイっす!」
だからケンカするって言ったじゃないか。いや、ケンカをしている間に時間稼ぎができる。
ゼタの報告を聞いて焦っている場合ではない。クグは道具袋に入っていた痺れキノコと眠りキノコを全部、檻の中にぶちまけた。
「うわーっ。ケンカをやめて仲良く半分こして、最後のバナナをゆっくり堪能してるとこっす。もうダメっす!」
クグは檻の扉が閉まる仕掛けの上にキノコを置き、急いで檻から出た。
「完了したぞ。一時退避だ!」
クグとゼタはダッシュで檻から離れた。
バナナを食べ終えたサルーズは、檻の中にキノコがあるのを発見したようだ。なんのためらいもなく檻の中に入り、キノコを食べ始めた。
その瞬間、檻の扉が勢いよく閉じた。しかしサルーズは、そんなことは気にせず、キノコをむさぼり食っている。全部食べきり満腹になったのか、あぐらをかいて座り込んだと思ったら、動かなくなった。
ゆっくり檻に近づきサルーズの様子をうかがう。サルーズはあぐらのまま檻にもたれかかり、眠りながら痺れているようだ。毒キノコの効果がちゃんと全部出ている。
「よし。無事、捕獲成功だな。スマホでソチャノウォーター博士に報告だ」
クグはスマホで檻のサルーズを写真に撮った。
名刺に書かれたSNSのアカウントに
『サルーズ、捕獲完了しました』
とメッセージを入力し、写真を添付して送信した。即、返事がきた。
『よくやった。持って帰ってきて』
『どうやって?』
『かつぐ』
「ゼタ。この檻、担げるか?」
「ムリっす」
「だよな」
返信する。
『ムリです。檻のボタンをもう1回押したら、ゴリラごと小さくならないんですか?』
『ムリ。檻だけ小さくなってサルーズが死ぬる』
『ほかに方法はありませんか?』
『こっちは忙しい。持って帰ってくるまで連絡するな』
会話が強制的に終了した。むちゃくちゃだ。
「どうするんすか?」
「そうだな……。困ったときのホウレンソウだ」
「ホウレンソウに含まれる硝酸塩は筋肉増強になるっすけど。いまから食べまくるんすか?」
「そっちではない。報告・連絡・相談のことだ。スタボーン課長に報告し相談する」
「マッチョに変身したスタボーン課長が、応援に駆けつけてくれるんすか?」
筋肉と頭が光っている半裸マッチョのスタボーン課長を想像し、クグは気分がなえた。
「そうではなくて、土木課の車両か何かを貸してもらえないか相談するんだ」
クグはスマホの通話モードを起動しオフィスへかける。事務員のキャサリンが出たので、課長にかわってもらえるよう伝える。急いでいるときほど、保留メロディの時間が長く感じられる。
「何の用事だ」
スタボーン課長は淡々と言った。
「お忙しいところ、申し訳ございません。緊急の用件です」
クグは急いで説明した。
「――というわけで、ゴリラの入った檻を研究所まで持ち帰らないといけないんです」
「……」
課長は無言だ。きっと言っていることが通常考えられる事態ではないので、閉口しているのだろう。
クグは、自分でもおかしなことを言っているのはわかっている。しかし事実なのだ。ゴリラを檻ごと運ばなければならないのだ。
「ゴホン。……すまんな。おやつの甘食が喉につまって、お茶で流し込んでたところだ」
人が困っているときに、のんきに甘食食ってんじゃねーよ。クグは心の中で叫んだ。
おっさんがおやつに甘食って、どんなチョイスだよ。いや、甘食はみんなのものだ。おっさんが食べても全然オッケーだ。クグも甘食を食べたくなってきた。仕事帰りに、近所のスーパーで甘食を買って帰ろうかと思った。
そんなことはどうでもいい。
「それで、車両の手配のほうは」
「それについてだが、なんと言うかだな……」
「何か問題でもありましたでしょうか?」
「問題というかだな……」
「はっきり言ってください」
「よし。はっきり言おう。ぶっちゃけ、事務の手間が増えるから気乗りしない」
「気乗りしてくださいよ。お願いしますよ」
クグはスマホを片手におじぎしながら言った。
「考えてやらんでもないが、ひとつだけ条件がある」
「なんでしょうか?」
「お土産を買ってきてくれ」
「お土産ですか?」
「名物でも何でもいいので、お土産を買ってきてほしい。サプライズというやつだな」
自分でねだったらサプライズでもなんでもない。仕方がないので、何か適当なものを見つくろって帰るしかない。
「わかりました。何か良さげなものをお土産に買って帰ります」
「経費では落ちないことを肝に銘じておくように」
「わかりました」
やはり、お土産代は経費では落ちない。
自分でねだったお土産代ぐらい自分で払え。ハゲろ。とクグは呪詛の言葉を心の奥で唱えた。
「ならば問題ない。よその課で手の空いた者がいないか掛け合ってみる」
「ありがとうございますっ」
やっぱり報連相は大事だ。これは報連相というのだろうか。
クグがふと目をやると、カメが砂浜で正座をしてこちらを見ている。どうやらゴリラ捕獲の一部始終を見ていたようだ。
カメがよろよろと立ち上がった。地面に転がっていたブリーフケースを拾い直し砂を払うと、ペコペコとお辞儀をしながら近づいてきた。
律儀にお礼でもしたいのだろうか。さっさと海へ帰ってもらっても大丈夫だったのだが。
「なんかカメっぽくないっすね」
よく見ると、茶色の腰みのをつけた全身緑色の人間が、甲羅を背負ったような姿だ。
顔にクチバシのようなものがついており、頭頂部だけハゲている独特のハゲかただ。手と足に水かきがついている。そして、小綺麗なネクタイをしている。緑地に白のストライプだ。
「あっしはカメじゃねーでゲス。カッパっちゅう種族なんでゲスが」
「カッパってなんすか?」
「なんすかって言われても困るでゲス」
「大陸東端のトーイットコの国にいる固有の種族だ」
ということは、人間でいうと素肌にネクタイをしていることになるのだろうか。しかし、そんなことはどうでもいいことだ。身だしなみは大事だ。たとえ素肌にネクタイであったとしても。
「ふーん。カメでもカッパでも、どっちでもいいっす」
「カメなんかと一緒にされても困るでゲス。あっしのアイデンティティーはカッパで揺るぎないでゲス」
素肌にネクタイもアイデンティティーのひとつなのだろう。
「ところで、何の用でしょうか?」
「そうだった。あっしはそのトーイットコのドゲンっちゅう町の近くにある、スパリゾート・リューグーゼウっちゅうところで営業やらしてもらってるんでゲス」
「営業の方でしたか」
「んで、新規顧客開拓でこの地域を重点的に飛び込み営業してるところなんででゲス」
「それはご苦労様です」
「あ、そうそう名刺名刺」
カッパの営業担当さんは、スマホを取り出し名刺を表示させた。
「あっしはスパリゾート・リューグーゼウ、第二営業部営業課で主任をやっとります、ズンバビノ・ベンベロビッチと申すでゲス」
「どうもどうも。マチョカリプスのヌルムギチャ・マズッソと申します」
クグも条件反射で名刺交換をした。
「あとパンフレットもどうぞでゲス」
ベンベロビッチさんは、ブリーフケース型道具袋からパンフレットを取り出した。クグとゼタは1部ずつ受け取った。
『100年が3日に感じるくらいのパラダイス
レジャーにグルメにショッピング。たのしさい~っぱいっ!
一度はおいでよ、スパリゾート・リューグーゼウ』
と文言がおどる。
そして、施設案内、グルメ紹介、お買い物情報、イベント情報、営業時間などが、写真とカラフルなイラストで満載だ。
「どこまで話したっけか。そだ。そしたらいきなりガラの悪いゴリラの兄ちゃんたちにからまれちゃって、ボコられてたところを助けていただいたと。こんなワケでゲス」
「それはご愁傷さまでした」
「助けていただいたお礼といっちゃなんでゲスが、スパリゾート・リューグーゼウ入場券付き1泊2日ペア無料宿泊券を、どうぞ差し上げるでゲス」
ベンベロビッチさんは、ブリーフケースから取り出したチケットを差し出した。
「ラッキー。ありがたくいただくっす」
ゼタが伸ばした手を、クグは遮った。
「いやーありがたいのですが、こういうのを受け取ってしまいますと、うちの上司からいろいろ言われてしまうんですよ、それはもう。ですので受け取れないんですよ」
クグは低姿勢で丁重にお断りした。
「カタイっすね」
「規則だ」
極秘任務中とはいえ、公務員が民間カッパからこのような無償でのサービス提供を受けると、国家公務員倫理規程に抵触してしまう。
「堅いこと言わないで、遠慮なんかせずにぜひとも受け取ってくだせえ」
「いやいやお気持ちだけで充分ですので」
「いやいやそうおっしゃらずに」
「いやいやそういわれましても」
「では、さらにおまけで、仕事で疲れたときのエナジードリンク『シリコダミン・デラックス』もつけるでゲスよ。効くでゲスよー。ほらほらー、1本なんてケチくさいっ。1箱12本入りでゲスよ」
「シリコダ? なんすかそれ?」
「シリコダミン・デラックス知らないんでゲスか? 『お疲れ気味のビジネスカッパーソンにシリコダミンチャージ! シリコダミン・デラックスでピンチを乗り越えチャンスをつかめ!』ってCMやってるの見たことないでゲスか?」
「まったく知らないっす」
「ちょっと存じ上げません」
「あちゃー。こっちのほうではCMやってないでゲスかー」
箱を見ると、
『頑張るビジネスカッパーソンを応援!
1本にシリコダマ約3個分のアレを配合
キュウリ味 指定医薬部外品 カワナガレ製薬』
とある。
聞いたことがない以前の話で、アレを配合とあるが、ナニが配合されているのか怪しすぎる。ビジネスパーソンではあるが、ビジネスカッパーソンなどではないので、シリコダミンチャージなどしたくない、とクグは思った。
「そいうのも間に合っておりますので」
「そうでゲスかー。いろいろと決まりがあるんでゲスね」
「わかっていただければ」
クグはシリコダミンチャージを回避した。
「あとですね、助けていただいた方に失礼なんでゲスが、一応仕事なんで」
ベンベロビッチさんは、チラシを取り出した。
「団体様向けの早割り宿泊プランがございましてゲスね、10名以上の団体様のご予約を30日以上前にネットでご予約いただきますと、宿泊料金に1日フリーパス券もついて15パーセントオフ。さらに、60日以上前ですと、30パーセントオフでご提供させていただいておりますでゲス」
ベンベロビッチさんは、クグがさえぎる隙間もなくしゃべり続ける。
「社員さんは充実したバカンスをエンジョイできて大満足。社長さんはお安く福利厚生を充実させることができて大満足。ぜひとも御社の福利厚生にご検討ください。きっと、ご満足いただけるかと存じますでゲス」
「は、はあ。どうも」
「そいじゃあ、あっしはこれで。ども、助かりましたでゲス」
ベンベロビッチさんは自分の言いたいことだけ言うと、東の方へ去って行った。
「そういえば、プーション渡し忘れたっすね」
ゼタはベンベロビッチさんの背中を見送りながら言った。
「渡さなくていいだろ」
営業力は相手の方が完全に上だった。聞き込みをする隙もなかった。それに、プーションで回復しなくても、シリコダミンチャージで乗り切れるだろう。
ベンベロビッチさんが振り返った。
「ドゲンに来ることがあったら、一度スパリゾート・リューグーゼウに寄ってくだせえ。あっしの名刺を出してくれれば、何かサービスできるようにしておきやすんで」
最後にそう言い残し去って行った。
檻の方を振り返ると、西から人影が近づいてきた。檻の運搬の応援が来たようだ。




