第36話 賄賂
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全身を包む旅人風のローブをまとっている男と女が、応接室の壁を背に並んで立っている。2人以外には誰もいない。
応接室といっても、公に客を迎え入れるための悪趣味な装飾品であふれた部屋ではない。空いている使用人の部屋なのだろう、簡素なテーブルと椅子を置いただけのこぢんまりとした部屋だ。
金持ちの屋敷の部屋だというのに、壁に絵画もなければ、カーペットも敷かれず、机に一輪挿しの花さえない。
裏口から入り、この部屋に通された。後ろめたいことがあるからだろう。
2人はいつもこのような扱いだ。しかし、もともと接待を期待してこの仕事をしているわけではないので、特に不満だと感じたことはない。実際に、この部屋に来るのは2回目だ。
晴れて気持ちのいい午前だというのに、北向きの窓から差し込む光はどこか暗鬱で、のどかな町とこの部屋はまるで別の世界にあるように感じられる。机も椅子も前回来たときと寸分違わずそこにあり、この部屋だけ時が止まっていたかのようだ。
男は、陰気臭い部屋でじっと腰掛けていたら自分の気分まで悪くなりそうな気がして、落ち着いて座る気になれない。
ミリタリーブーツを履いた長身の女は、陰気臭い空気がまとわりつくのを嫌うかのように、部屋の中を歩きながら男に話しかけた。
「どうする? パシュト。あいつ信用できるか?」
ハスキーで無愛想な女性の声は、湿っぽい部屋の空気に吸い込まれ、壁に響くことなく消えた。
「さて、どうだろう。思っていたより黒かったな。イラサはどう思う?」
フリー冒険者のパシュトとイラサは、ボッカテッキの前町長の屋敷の一室で、依頼主である前町長が来るのを待っている。
前町長から依頼の話があったのは7日前のことだ。屋敷に行くと裏口から入るよう案内され、この部屋に案内された。
前町長本人から依頼内容を聞き着手金を現金一括で受け取ると、依頼主の身辺調査と、依頼内容に関係する事柄の調査を開始した。
どんな依頼でも滞りなく完了するには、最低限必要なことだ。場当たり的なやり方で失態をすれば、依頼を完了させられないだけでなく、依頼主にも影響が出てしまう。
依頼主の身辺調査をした結果はこうだ。
在任期間中から、「税金の使われ方に不審な点があるのでは」というウワサがあった。しかし、政策自体にこれといって良い点も悪い点もなく、悪評があったわけではなかった。
町の施設の老朽化に関心を示したこともなければ、住民サービスを拡充させるような政策も一度もしたことがなかったようだ。
そんな前町長が退職後、「お世話になった皆さまへお返しを」と公民館や図書館などに寄付をした。
それを知った町の人から、「何か裏があるのではないか」というウワサ話が出始めた。
そんな中、市民オンブズが町に対して「前町長の税金の使途に関する情報公開請求」をした。前町長による官官接待、特定の企業との談合、税金の私的流用などの疑いがあるとのことだ。
パシュトたちが消息筋から得た情報によると、現町長と前町長との間で密約が交わされたらしい。前町長在職中の黒いお金の流れを訴追しない代わりに、それまでに得た利益の一部を、町の公共施設に寄付をするという内容だ。
現町長から前町長に「残りの人生をいい人のままでいられる」ともちかけたようだ。
寄付する金額は、現町長が調査して把握している金額の4分の3という条件。
前町長には退職金も出ているが、残りのカネは現町長なりの敬意、もしくは手切れ金として今後、選挙も含むこの町の政治に一切関わるな、ということだろう。
実際に、何回かに分けて寄付が行われ、寄付を知った町の人たちが疑問を持ったという流れだ。
結果として、寄付があったことにより前町長の疑いが噴出することになってしまった。
しかし、町としては約束どおりの金額の寄付があったので、市民オンブズの情報開示請求に対してウヤムヤな回答をしている。一部開示された書類は、情報公開法の『率直な意見の交換若しくは意思決定の中立性が不当に損なわれるおそれ』という部分に該当するとして、ほぼ黒塗りで事実関係は何もわからないという状況だ。
「前町長が依頼してきたとき、密約をしたなんてこと言わなかったな。断る理由になるんじゃないか?」
30代半ばのイラサはキリッとした目鼻立ちで一見クールビューティーだが、表情はなく近寄りがたい印象が強い。いつも答えを急ぐきらいがある。
「ウソをついたわけではない。それが依頼を受ける際の重要事項にあたるかどうかだ」
コンビを組んでいるパシュトは、いつものようにそんなイラサに対して冷静にブレーキをかける。
「故意に隠したとも言えるぞ」
イラサは動きながら身振り手振りをして話す。対象的に、パシュトはその場で腕を組んで立ったまま動かない。
「しかし、今回の依頼に直接的な関係はない。あくまでも身辺調査で出てきただけだ」
どんな依頼でも受けるわけではない。調査をした時点で、受けるのが難しい案件であれば断る。依頼内容の難しさというよりは、信用問題に関することを最重要事項として判断する。
例えば、依頼の際にウソの証言があるとわかったり、依頼内容に関する重要な情報を故意に伝えなかったことがわかったりした場合だ。この場合、着手金は返金しない。
どんなことがあっても「お互いに口を割らない」「裏切らない」というルールを守れない人をふるいにかけることは、この仕事を続けていく上で一番大事なことだ。
信用問題以前に、危険すぎたり、リスクが大きすぎたりする依頼だと判断した場合は、言うまでもなく断る。この場合、着手金の返金は応相談となる。
それらをクリアしてはじめて、依頼の具体的な遂行方法を話し合うことになる。
そして今日、調査結果を踏まえて、依頼を続行するのか断るのかの返答をしにきたということだ。
調査によってわかったことは、行われている内容はともかく、前町長も現町長も口は堅く約束を守るタイプだということだ。
これらのことを踏まえてパシュトは言った。
「こちらのリスクは少ないし、依頼内容も簡単なものだから、やっても構わないんじゃないか」
「今回の依頼ってカネだよなカネ。賄賂だろ」
「簡単に言えばそうだな」
前町長の孫が地元のギルドを就職先に希望しているので、お金を渡して採用をとりつける、という依頼だ。
この地区にあるギルドのうち、大手の支部以外では唯一のギルドだ。地域に根ざした活動を主としているローカル・ギルドで、地元では就職先として人気がある。ここで実績を上げて、大手のギルドに引き抜かれたり、独立してフリーになる人もいるようだ。
前町長としては、ギルドに出入りしているところを見られたり、ギルド関係者が屋敷を出入りしているところを見られたりしたら疑われるかもしれない、ということでパシュトたちに依頼がきた。
「そもそも学校の成績がよかったら、裏でカネを使って口利きなんてしなくてもいいのにな」
イラサは机の端にもたれるように浅く座ると、脚をクロスさせ腕を組んでダルそうに言った。
「それができないから、こういう仕事がくる」
前町長の孫は特に武術の才能があるわけでもなく、勉強ができたわけでもなく、学校の成績は芳しくなかったようで、シュトジャネの進学校には進学できなかった。
お金さえ払えば成績は問われない、貴族や金持ちの子どもが通う寄宿制の高等学校へ進学した。ここでの成績は中の下だったようだ。
「シュトジャネの進学校に入れないって時点で、冒険者になろうってのが間違ってるんだよ。これだから世間知らずのボンボンは」
イラサは吐き捨てるように言った。
「経済的自由権が保障されている以上、どんな人だって職業選択の自由がある」
パシュトはなだめるように言った。
パシュトは公務員から冒険者になった異色のパターンだ。主な顧客は貴族や政治家・高級官僚を対象としており、正規のギルドには出せないような依頼内容に特化している。40代前半にしては落ち着きすぎているのは、こういった仕事の交渉は場馴れしているからだ。
ギルドを立ち上げているわけではないので、全国冒険者ギルド連盟には所属していない。依頼の内容が内容だけに、ギルドにして人員を増やし事業拡大をしようとも思っていない。イラサとのコンビで充分足りている。
前町長の孫はよくいる若者と同じで、冒険者になりたいという夢はあるが大手ギルドに入れるほど成績はよくない。かといって小さなギルドに入るのも世間体がある。地元のギルドに入るのが無難だと考えたのだろう。
しかし、親や祖父が先回りして干渉するのはいいが、本人は知っているのだろうか。この依頼の件を知らず、自分には期待されるほどの力があるのだと過信することになれば、滑稽な話だ。祖父の金の力で入れたと知ったら、悔しがるだろうか、それとも開き直るのだろうか。
ギルド側は使えない人を雇うことになるばかりか、前町長の孫という切るに切れないお荷物を抱えることになる。宣伝にうまいこと使えればいいが、前町長の風評が良くない状況ではそれも難しそうだ。
「孫に過干渉だから話がややこしくなってんだよ。正々堂々、落ちたら諦めさせればいいんだ。カネを渡したいんだったら寄付にすればいいんだし」
「町の施設に寄付をしただけで疑われているんだぞ。今のタイミングで寄付をして孫の就職がわかったら余計に疑われるだろ。ギルドも印象が悪くなる」
「地味な仕事だな」
「嫌ならやらなくてもいいんだぞ。こんなのは俺1人でもできる。その代わり、今回の成功報酬は俺が全部もらう」
「やらないなんて言ってない。ギルドの奴らが言うことを聞かなかったら、魔法で全員ブッ飛ばす」
イラサは組んでいた腕と脚をほどいて机から離れると、パシュトに向かって言った。
「事を荒立てるのはやめてくれよ。これまでの仕事が台無しだ」
「ヤツらが言うことを聞けば穏便にやる」
「穏便に事が運ぶよう、アシストしてくれよ」
「もちろんだ。ただし、売られたケンカは買う」
イラサは短気を起こすことはあるが、バカではない。パシュトは依頼を実行する上で、最悪の事態は想定するが余計な心配はしない。それよりも、前町長との交渉でやらなければいけないことがある。
「他にも引き出さないとけいないことがあるからな」
「ゆすりみたいなもんだろ」
「人聞きが悪いな。正当な対価のためと言ってもらいたい」
今回の依頼交渉の方針が決まった。パシュトは少し気分が落ち着いたので、椅子に座ろうと進むとドアの方から音がした。
ノックもなしにドアが空くと、髪の毛がなくメタボ体型の高齢男性が部屋に入ってきた。この屋敷の主人、前町長だ。老人ホームを利用している同年代の人に比べると、まだまだ活力がみなぎっているように見える。70代にして朝昼晩と肉を食べていそうだ。
前町長はノックをしなかったことや待たせたことに対して、申し訳無さそうな様子はない。堂々とした動きで、さっさと自分だけ椅子に座った。パシュトとイラサも黙って向かいに腰掛けた。
前町長の表情は少し暗いが、機嫌が悪いというわけではなさそうだ。
「ご依頼いただいた件につきまして、調査が終わりましたのでご報告にあがりました」
「余計な説明はいらん。受けるのか受けないのか、結果だけ言いたまえ」
前町長は無愛想に言った。
「依頼をお受けいたします。完了しましたら再度うかがいますので、成功報酬の支払いをよろしくお願いいたします」
世間話を好まない前町長を前に、パシュトは本題の話を始めた。
交渉内容は採用の確約と金額の決定までであること。金額の上限。交渉さえまとまれば、泣き落としでも脅しでも構わない、などなど。
「――以上でよろしかったですね」
「あと、もうひとつついでにやってもらいたいことがあるんだが。もちろんカネは出す」
前町長の表情が先ほどより険しくなった。あまりいい内容ではないとパシュトは悟ったが、眉ひとつ動かさず表情を保つ。
「どのような内容でしょうか?」
「市民オンブズの件はもうすでに知っていると思うが」
「はい、調べさせていただきました」
「奴らの追及をかわしたい」
「というと?」
「市民オンブズの中心人物を殺す、いや、事故に遭わせるとかはどうだ?」
もしかしたらと思っていたことが的中した。パシュトは冷静に対応する。
「……申し訳ありませんが、それはおすすめしません」
「なぜだ?」
「寄付しただけで町の人から疑うようなウワサが出ている状況では、不審死や不審な事故があった場合、真っ先に疑われるだけになりますよ」
「役場も実質、市民オンブズは相手にしていない」
イラサは腕と脚を組み、背もたれにもたれながら言った。イラサの言うとおり、現町長の任期中は、これ以上の情報開示請求に応じることはなさそうだ。
「うーむ、それはそうだが……」
「それに、この件に関しましては実行する側のリスクが大きすぎるので受けられません」
どんな形であれ、税金の不正流用の問題に関わるのは避けたほうがよさそうだ。
「私は死ぬまで逃げ隠れして生活しなければいけないのか」
前町長の目線がテーブルへと下がった。無念の中に怒りがこもったような声だ。
「何もしなければ恐れることはありません。余計な波風を立てると、自分の起こした波風にも怯えなければならなくなりますよ」
パシュトは諭すように言った。自業自得だと思ったが、優良顧客に対してそんなことを言えるはずもない。
「何もしないのが一番だな」
イラサは姿勢を変えず、吐き捨てるように言った。
現町長も約束を守っていることだし、静かに余生を過ごしていれば大丈夫だろう。
「依頼をすすめるにあたり、こちらからも追加の条件がありまして」
パシュトは今回の本命の話に入った。
「なんだ? カネが少ないのか?」
前町長はやれやれといった表情をした。いろんな人からカネを無心されるのだろう。
「お金もですが、もうひとつ。簡単なことです……」
パシュトは条件を前町長に伝えた。
「――以上が条件です。成功報酬の支払いの際で結構です。まとめた書類をご用意ください」
「お前たちには関係ないことだろ」
「関係があるかないかは、こちらの問題です」
「そんなことは現町長に聞けば早いだろ」
「現町長から依頼がないのに、私たちのような者が行っても取り合ってもらえませんので」
「退任した私にはもうわからん」
「それはおかしいですね。携わったすべての事業の書類をコピーし、持ち出しておられますよね? 中には高度な機密文書も含まれている。退任後も権力を維持したいというお考えからでしょう」
「そんなものは知らん」
前町長は声も表情も変わることなく平然と言った。
「調べさせていただきましたよ。コピーを手伝った職員や、文書を自慢気に見せられた政治関係者や経営者」
「あいつらベラベラと……」
前町長はパシュトたちに聞こえるか聞こえないくらいの声で言った。
見せる方が悪いとパシュトは思ったが、もちろんそんなことはいちいち言わない。
「聞き出すのに手間だけでなく、お金もかかりました。調査に追加料金が発生しております。相応の金額とモノを用意していただかないと割に合いません」
「何があっても書類は渡さん」
「すべての書類を手放せとは言っていません。条件に提示させていただいた事項について、コピーをお願いしたいだけです」
「お前たちが条件に出した書類には、機密度の高い文書は入ってない。調査不足だったな。一部のコピーを手に入れたからといって、私を追い詰めることに使えると思ったら大間違いだぞ」
提示条件に対して素直に応じないのは、やはり後ろめたいことだとわかっており、脅しの材料にされると危惧しているからのようだ。
「脅しなどという悪趣味なことに使うことはありません。むしろ依頼完了後は、依頼主との関係を一切もたないのが私たちのポリシーです。それがお互いに禍根を残さない最善の手段だと思います。何がきっかけで依頼がバレて身に危険が及ぶかもわかりませんから」
「それはそうだが。ではなぜその書類にこだわるんだ」
「個人的な興味だと思っていただければ」
「どうだかな。万が一そうだとして、なぜ私がお前たちの個人的なことに付き合わねばならんのだ。そんな筋合いはない」
「条件を飲んでいただけないのであれば、今回の依頼はなかったことになります」
「替えなどいくらでもいる。他のヤツに頼めば問題ない」
前町長は今さら鞍替えなどできないことを、パシュトはお見通しだ。強気なことを言って形勢を持ち直そうとしてもムダである。
「それだけではありません。機密文書を持ち出したことは現町長も知らない特ダネです。文書そのものが私どもの手元になくてもネタの価値は変わりません。どのように扱うかは、私たちの気分次第ということに。特に私の相棒は短気なんですよ」
イラサは腕組みをして町長を真っすぐ見ている。もともと表情がないのでにらみつけているように見える。
依頼の契約が成立しなければ、情報がリークされ、前町長は証拠隠滅のため文書を手放さなければいけなくなる。さらに、自身の政治スキャンダルのせいで孫の就職もすべてダメになるだろう。契約が成立すれば文書を手放さなくても済み、孫の就職も滞りなく決まる。最初から前町長に選択肢はない。
「……わかった」
イラサの圧の強いまなざしに耐えられなくなったのか、前町長は目を背けながら言った。
「そろえていただく書類の内容に虚偽が発覚した場合も、同様の対処をとらせていただきますのでご承知おきください」
「約束は必ず守る。これまでそれが信条でやってきたんだ。その代わり、もしこの件が外に漏れたら、お前たちの命はないと思えよ」
前町長が強い口調で言ったのはプライドからか、それとも、ただの強がりか。実際に、殺し屋を雇うことにためらいはなさそうなので、はったりでないのは確かだ。
「ご心配には及びません。それでは、契約内容にご納得いただけたようですので、こちらの書類にサインを」
パシュトは笑顔で言いながら、ウエストにつけたシンプルな道具袋から取り出した契約書とペンを前町長の前に差し出す。前町長はしぶしぶといった様子で、胸ポケットから装飾のはいった高そうなペンを取り出しサインをした。
「ありがとうございます。それでは早速、依頼にとりかかりたいと思います」
パシュトは真っすぐに前町長の目を見ながら言い、契約書とペンをしまった。
陰気臭い部屋に長居したくないパシュトとイサラは、金額欄だけが空欄になった賄賂用の小切手を受け取ると、ローブのフードを深々と被り、足早に裏口から屋敷を出た。
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