第32話 環境保護団体
翌朝、クグは昨夜リサーチした場所へひとりで向かう。
公益社団法人ゲイムッスル環境支援機構の職員として話をしに行く。ゼタには別の仕事を用意した。
新市街の商業区の一角にある、3階建て雑居ビルの前まで来た。環境保護団体『水源と竜神を守ろうの会』の事務所がある。1階が目的の事務所のようだ。
通りに面しているところはガラス張りだが、ブラインドがかかっていて中の様子はわからない。
クグは深呼吸をして気持ちを落ち着けると事務所のドアを開けた。
小売店がつぶれた後の居抜き物件にそのまま入居したようなたたずまいの事務所には、5人の男女が事務机に座って仕事をしている。
クグが公益社団法人の者だと言うと、団体のスタッフたちは顔を見合わせた。クグを歓迎する雰囲気は感じられない。
一番奥に座る40代くらいの女性が入り口まで来て、代表のエスデー・ジズと名乗った。
クグは名刺を表示させたスマホを差し出して言った。
「地域の環境保護団体の視察をしておりまして。急な訪問でぶしつけとは存じますが、挨拶がてら寄らせていただきました」
ジズさんは少し訝しむように黙ってスマホを見た。クグは笑顔のままスマホをしまう。
「活動状況をお伺いして、お困りごとや支援できることがありましたら――」
「少々お待ちください」
ジズさんは忙しそうに言葉を遮ると、他のスタッフのいるところへ行き話し始めた。
「ああいう系の団体の人って、いっつも急に来て上から目線なんだよね」
「無下に追い返すわけにもいかないし」
「身になる話し合いになったためしがないけど」
「とりあえず話だけ聞いとく?」
スタッフ一同が、クグの方をチラチラと見ながら話している声が聞こえてきた。クグは聞こえていないフリをして笑顔を崩さずに待った。
ジズさんが再び近づいて来た。
「とりあえず、こちらへどうぞ」
入り口近くの4人掛けのミーティングテーブルに案内された。
席につくとクグから話を切り出した。
「どのような活動を中心にされておられて、具体的にどのようなことで困ってらっしゃるか、聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
ジズさんは少し戸惑いながらも話し始めた。
この町にある工場が廃液を不法投棄しているので、やめさせたい。
旧市街の井戸水が汚染されて飲めなくなっている。井戸水を飲むと体の調子が悪くなる。症状は、胃腸機能の低下、手足のしびれなど。
工場で働いている人は、工場の上水道の水を飲んでいるので問題はない。また、1人あたり5リットル分の水を持ち帰ることができる。
工場と関係がない旧市街の人たちは井戸水を使っている。最近は浄水器をつけたり、ウォーターサーバーを契約したりしている家庭が多い。
この団体では、年金暮らしの方や生活が苦しい方に、無料で水を配る活動をしている。1家庭につき2リットルのペットボトルの水を1日1本。事務所の水道水をポリタンクに入れてあげることもある。
資金が潤沢にあるわけではないので、水の購入代だけでなく、水道代もばかにならない。
この事務所は、知り合いのつてで協力的な大家さんを紹介してもらい、空き店舗だったところを格安で貸してもらっている。
冒険者をボディーガードにして半日ほど水源である丘を調査した結果、池や泉が汚染されていることがわかった。
廃棄場所はどこかわかっていない。現場をおさえることはできていないが、丘のどこかに捨てていることは間違いなさそう。
予算の都合で、冒険者を一日中雇って、あてもなく丘のどこかに張り込むわけにもいかない。
町役場の環境政策課の担当者がこの団体の活動に参加している。役場の職員なので表立った参加はしていないが、町役場の情報をこっそりリークしてもらっている。
その情報によると、町は工場のおかげで税収が潤い雇用も生まれたので、立場的に強く言えない状況。廃液の件で厳しい対応をしようとすると、工場の移転をちらつかせてくる。
工場が他の都市へ移転してしまうと、町としては雇用がなくなり、市民が困るだけでなく、税収が激減してしまう。それに加え、町長や町の議員が献金や寄付という口実で、金銭をを受け取っている。実質、口止め料になっている。
団体としては、町役場へ工場の立ち入り調査の情報公開請求をしたが、ほとんどが黒塗りだった。情報公開法の不開示の基準である『特定の個人を識別出来る情報』、『公共の安全・秩序の維持に支障を及ぼす情報』、『意思決定の中立性を害するおそれがある情報』に該当するとのことだった。
質問状に対して得られた回答は、『工場から出ている廃棄物は、ただちに健康被害がでるようなものではない。かつ、安全に処理されている』。『井戸水は不衛生なので、旧市街に上水道の整備を計画している』だけだった。
昔の人たちのように、貴重な水源を竜神のいる神聖な場所として保護していけるようになったら、という思いで活動している。
簡単にまとめるとこのような内容だ。
「この情報を使って不正を公開しようかという案もありますが、まだ具体的な計画にはいたっていません」
ジズさんは芯のあるはっきりとした口調で言った。
「不正を暴いたら、工場は操業停止になる可能性もありますね」
「そうなんです。だから具体的な行動に移れないんです」
「それはどうしてすか?」
「夫が工場で働いているんです。うちだけではありません。工場はこの町の唯一の産業なので、お世話になっている人が多いのです。工場が操業停止してしまうと、たくさんの人が生活に困ることになるんです」
町の雇用を一手に担っているとなると、根が深い問題だ。
「難しい問題ですね」
「工場を閉鎖に追い込もうとは思っていません。不法投棄しないで、きちんと処理をしてほしいだけなんです」
他のスタッフの人たちは聞き耳をたてているようで、先ほどから仕事をしているような音は聞こえてこない。ジズさんのみならず、みんなの切実な悩みのようだ。
「状況はわかりました。今後は、工場や自治体に対してどのような対応をお考えですか?」
「とりあえずは、工場の前でデモ活動をしてはどうかと話し合っています。それでダメなら不正をリークするしかないかと……」
「そうですか。不正を暴くことだけが解決策とは限りません。自ら不正をしなくなる方法もやりようによってはあるんですよ」
クグはまっすぐにジズさんの目を見て言った。
「利益優先の思考の人たちが、そんな考えになるなんてありえないと思うのですが」
「利益優先だからこそ、不正をしないほうのメリットが大きければおのずとそちらを選ぶのです」
「信じがたいですけど。どんな方法なのか、とりあえず聞かせてもらえますか?」
「それはですね」クグはもったいつけるように一呼吸おく。「自治体が主導でグリーン首都コンテストに参加するというのはどうでしょう」
「どんなコンテストなんですか?」
ジズさんの声は期待よりも疑いのほうが強く感じられる。
「当機構が主催するコンテストで、各自治体が環境に配慮した都市であることを競います。グリーン首都賞に選ばれたら、先進的な取り組みをしているモデル都市としていろんな地方から視察にも来ますし、観光の目玉にもなります。もちろん、工場の閉鎖も必要ありません。何もないスルーする町から脱却できると思いませんか?」
「他の町ではできるかもしれないけど。そんな都合のいいアイデアなんて、町役場や工場がいちいち考えてくれないですよ」
「考えてくれるのを待つのではなく、自分たちから提案するのです」
クグは一夜漬けの浅知恵で考えた案を、ベテラン職員が考えた案であるかのように披露した。
まず、自治体が環境政策として緑の都市づくりを策定する。
都市整備では、新市街と旧市街を、自然を感じられるプロムナードでつなぐなど。
学校で環境についての学習を取り入れる。
環境保護に関する企業の設備投資に補助金を出す。他には、一定のレベルの環境保護を達成した企業には、税制優遇措置を設けるなど。
工場側は、浄化装置を導入してもらうだけではインパクトに欠ける。せっかく水をきれいにするのであればビオトープにして、自然や生き物との共生をアピールする方法がある。工場で水循環システムが機能すれば、水の使用量の削減になり、コスト削減もできる。
ビオトープを教育に活用して、子どもたちが生き物を観察する場にもできる。
「工場に浄化装置を導入させるための、アメとムチみたいなものですか?」
「そういうことです。あと町のみなさんには、丘や泉の環境美化活動や、廃れてしまった昔の人の風習の再興があります。これは自治体の助成事業として、御団体が中心になって活動するとよいでしょう」
「自分たちで提案しておいて、ちゃっかり自分たちのための事業も入っていると、周りから癒着だとか思われないですか?」
「自前ですべてを企画できる自治体はありません。民間から意見を集めたり企画を出してもらい、それを精査するのが自治体の役目です。何ら問題はありません」
「では、これからの関係のためにも、デモ活動はやらないほうがいいですか?」
「ただ情報を与えただけでは、重い腰を上げるのは難しいと思われます。さらに、グレーなお金を受け取っている議員さんには、発言力を弱めるか退場していただかなければいけません。そのために、デモ活動と不正のリークもあったほうがよいでしょう」
「そうですね。簡単に動くのであれば、とっくに問題は解決していますよね」
「一番効果的なタイミングでやらなければなりません。もみ消されてしまっては元も子もありませんから」
「ご提案の趣旨はわかりました」
ジズさんの訝しむような様子は依然として変わらない。
「町役場の担当者さんが活動に参加されていらっしゃるということなので、グリーン首都コンテストがあることを伝えてみてください。自治体と工場と町のみなさんが一体となって町や丘の環境保全に取り組めば、きっとすばらしいものになることでしょう」
「それが全部できれば魅力的な町になるとは思いますが……そんなうまいこといきますか?」
「もちろん、自治体も工場も町のみなさんも、環境保護活動にしっかりと取り組むという努力が必要になります。しかも、一朝一夕で効果が出るものではありません。日々の生活の延長として続けていくことなので、終わることもありません」
昔の人たちが泉を竜神のいる神聖な場所として大事に保護してきたのは、貴重な水源を守るための生活の知恵であり、自分たちの力の及ばない自然現象に畏敬の念を抱くことによって生まれた信仰でもあったのだろう。
「たしかにその方法は、『昔の人たちの風習を取り戻すことによって自然を保護する』というわたしたちの目的に一番近いのかもしれません」
最初のときに比べ、ジズさんの表情は幾分かゆるんだ。
「そのほうが、泉の竜神もきっと喜ぶでしょう」
クグは安心させるようにほほ笑んだ。
「竜神はいますよね!」
ジズさんはスイッチが入ったように前のめりになった。
「ど、どうされました?」
先ほどまでとは様子の違うジズさんに、急にクグは少し気圧された。
「私たちは泉に竜神がいると本当に思っています!」
「そ、そうですか」
「過去の文献も調べました。その昔、泉にコダッシーというモンスターが住み着いたとき、勇者が倒したんです。そしたら竜神が現れて勇者にお礼を言った、という伝説があるんです」
「勇者も関わっているんですか。それはすごいですね」
クグは初めて聞く内容だ。昔の勇者支援について、すべて頭に入っているわけではない。しかし、平静を装い表情を崩すことはない。
「勇者といえば、先代の勇者はこの町を魔族の手から救ってくださったんですよ」
「そうなんですか。それは素晴らしいですね」
「それをきっかけに勇者のファンになったんです。クールでとってもステキな方で、握手とサインもしてくれたんですよ。でも、辞められてしまったのですよね。残念です」
「そのようですね」
「今回の勇者はちょっとチャラそうな感じらしいですけど、この町に寄ってくれるんでしょうか。もし寄ってくれるのなら、助けてもらえたらうれしいです。でも、毎回そんな簡単に勇者が助けてくれるなんて都合よすぎますよね。どうせこんな町、スルーするだけですよね」
「勇者ならきっと助けてくれますよ」
「だといいんですけど」
クグは相手が勇者ファンであるとわかったので、焦らず話をすすめる。
「実は、わたしも勇者のファンでして。そっち系の情報に詳しい筋からの情報によりますと、近々、勇者がボッカテッキの町に来るのではないかという情報を聞きました」
「たしか勇者のSNSに『ヤットコッサにいる』とあったので、もしかしたら本当に来るかもしれないですね」
「ヤットコッサからボッカテッキとくれば、次はスルースルに来るはずです。勇者がこの町に来たタイミングで不正のリークとデモをするのはどうでしょう」
「それなら勇者も何事かと思って、スルーしないかもしれないですね」
「不正情報ももみ消されずに済む可能性が高くなるはずです」
「それでもスルーされてしまったらどうしましょう」
「では、勇者が関わらない案を基本の案として、勇者が助けてくれる案をサブの案として計画しておくのはどうでしょうか。勇者が味方してくれれば一気に解決に向かうでしょうし、スルーされてしまったら、これまでどおり腰を据えて取り組んでいけばいいのです」
「それなら、スルーされてもガッカリしないで済みそうです」
クグのスマホからメッセージの着信音が鳴った。スマホを取り出しチラッと確認する。ゼタからだ。何か動きがあったらメッセージで連絡をするように言っておいたのだ。
「急ぎの用事ができましたので、これで失礼いたします。コンテストの参加、ご検討のほどよろしくお願いします。応募要項などの詳細につきましてはホームページに記載されておりますので、ご参照ください」
ここでの話し合いはこれで十分だろう。勇者が社長とただ話し合うのでは、勇者のイベントとしては弱い。デモが起こって町が騒然とした状態で勇者が出てくる、という演出にすることで、ただの話し合いではなくなる。これでいけるはずだ。
「問題が改善に向かうようお祈りしております」
クグは別れの挨拶をして事務所を出ると、歩きながらスマホのメッセージを確認する。




