第21話 楽しいお仕事
企画課のオフィスは、30人程度が事務仕事をできる個人用デスクと、入り口から向かって左奥に4人用と10人用の会議室兼応接室がある。
クグは自分のデスクへ行く。事務仕事では不必要な装備を外して道具袋に入れ、道具袋を片袖机の引き出しにしまうと、パソコンで事務作業を始めた。
業務報告書や出張経費精算書など各種書類の作成。ペーパーカンパニー用のプーションの発注。その他、次の実地任務で必要な消耗品の補充などの雑務だ。壊れた武具があれば備品係に交換をしてもらわないといけないが、今回はその必要がない。
クグの隣に座るゼタはというと、事務仕事をやろうとしない。というか、一切覚えようとしない。椅子に座ってダラダラしているだけだ。そろそろ事務仕事もひととおり覚えてもらわないといけないのだが、クグや他の職員が全部をやってしまっていては、いつまでたっても覚えられない。
後輩の育成というもっともらしい理由を利用して、日々の不満をお返しする絶好の機会だ。
昨日、無理やりおごらされた昼食代にゲップをくらった分の利子をつけ、戦闘で殺されそうになっていることも追加し、厳しく事務仕事を教え込まなければ、とクグは意気込んだ。
「クグ君、ゼタ君ちょっと」
クグは何から教えようかと仕事を選定していると、奥の方から呼ぶ声がした。岩よりもカタイ堅物、カネキチ・スタボーン課長だ。四角い顔。50代前半にして、頭頂部の毛が薄いのを、サイドの毛で補うタイプのヘアスタイルだ。
クグとゼタはスタボーン課長のデスクの前まで行く。
「報告書読んだぞ。家畜被害の解決で、犯人の大蛇退治か」
スタボーン課長は、感情に起伏のない声で2人に向かって言った。
「今朝、町長の許可も得てまいりました。これから報告書をまとめるところです。何か問題でもありましたでしょうか?」
「問題はないと言えばないのだが、ある意味、そこが問題なんだ」
「と、言いますと?」
「これじゃあ冒険者案件レベルのイベントなんですよねぇ」
横から嫌みったらしい声が聞こえた。声がした方を見ると、小太りの男性がすぐ近くまで来ていた。ブレイズン・エリーティズだ。
長髪を真ん中で分け高級なヘアオイルをつけているが、つけすぎなのかツヤ感というよりベタついて見える。真鍮の丸メガネがいやみったらしく光る。ギョロリとむかれた目、引きつっているかのようにつり上がった口角、目尻と額にはシワがよっている。まるで悪魔にとりつかれたかのような、寒気のする笑顔だ。人間に化けた悪魔のようにも見える。
クグより1つ年下だが、役職は課長補佐で上司になる。いわゆるキャリア組というやつだ。
クグは課長との会話を無難にこなし、早く事務作業にとりかかりたい。面倒なやつが会話に割り込んでくると話がこじれる。ブレイズンを無視してスタボーン課長に言った。
「普通の冒険者では倒すのが困難な強さの大蛇だと思われます。ステータスのデータも添付しましたので、強さは納得いただけたかと思いますが」
「強さは及第点かもしれないけど、勇者がやる意味はあるのかという話なんですよ」
しかし、ブレイズンが言い返してきた。
クグはスタボーン課長の方を向いたまま答える。
「町の重要な産業である畜産業で起こっている問題であり、町にとって大きな問題と考えられます。それに比例して、得られる感謝や尊敬の念も大きくなると思われます。闇雲に強いモンスターを倒すイベントより、勇者イベントとしてやりがいがあると思われます」
ブレイズンは言い返すことができず、腕を組みむっとして黙った。課長に何かを言い返してほしいのだろう、課長の様子をうかがうようにちらちらと見ている。
スタボーン課長が口を開いた。
「その点はいいんだ。私が言いたいのは、ここ最近、どの町でもこれといった大きな問題がないことだ。平和なことは結構だが、平和すぎるのも困ったものだ」
クグもうすうす感じていたことだ。
「かといって、町の人に問題を作ってくれとお願いするわけにもいきません」
「いっそのこと自分たちで問題を起こして、イベントを作っちゃったらどうっすか?」
「そんなのは論外だよ、ゼタリオ君。もう少し真面目に考えたまえ」
ブレイズンはヒステリック気味に反応した。
「今回はこのイベントでよしということにしておく。次の町のイベントは、もう少し勇者の冒険らしいものにしてくれることを期待する」
「とにかく、クグツィル君とゼタリオ君にはもうちょっと真摯に仕事をしてもらわないと。課長補佐であるボクの身にもなってもらいたいものですよ。これだからノンキャリは」
「……最善を尽くします……」
「うぃっす」
クグは、自分でも冒険者案件レベルではないかと思っていた。だから、そうならないように根回しをしないといけないと思い、昨夜の吹聴と今朝の交渉をしたのだ。
他に勇者ができそうなイベントといっても、仕入れた情報といえば政治関係のグレーなウワサ話だ。こういった類いの話は、どの町でもある。いちいち勇者が対応していては、すべての町のイベントがそういった関連のものになってしまう。
それに、部外者の勇者があれこれ言ったところで、知らぬ存ぜぬで終わってしまうだろう。ただのウワサだとしたら、逆に名誉毀損で訴えられてしまう恐れさえある。
クグたちが不正を調べるにしても期間が短すぎる。情報公開請求をして、あっさり不正をした情報が開示されることなどあり得ない。仮に調べることができたとしても、勇者がデータを提示しながら理詰めで不正を暴いたところで、どうだというのだ。それこそ勇者らしくない。
魔族に操られて人が殺されているとかでもいない限り、市民オンブズや民間団体に任せておけばいいことだ。
訪れる先々で――とくに小さな町や村などで――勇者にしかできないイベントが都合よく転がっているわけがない。スタボーン課長の言うクオリティを重視するあまりイベントを設定できずにいたら、それこそ本末転倒だ。
いちいち気にしても仕方がない。クグは自分にそう言い聞かせ、気持ちを落ち着けながら自分の席へと向かう。
今日中に事務仕事を片付けてしまいたい。勇者がイベントを手早く解決してしまったら、こちらの支援が間に合わなくなってしまう。1日でも早く次の町へ向かわねばと気ばかりが焦る。20代のころより時間が早く過ぎていく。常に何かに追い立てられているように仕事をしている。
席に戻ったクグは、ゼタに仕事を教えようと隣を見るが席に戻って来ていない。ゼタのデスクはきれいに片付いている。片付いているというよりも、事務仕事をしないのでパソコン以外、何も置かれていない。もちろん、パソコンの電源さえも入っていない。これから新入職員を迎え入れるのを待っているような状態にも見える。もちろん、そんな爽やかな気分にはならない。ゼタが主任になって1年が経過してしまっているのだから。
どこにいるのかと周りを見ると、ゼタはスタボーン課長と話している。少しは仕事に対してやる気が出始めたのだろうか。クグはゼタに教える事務仕事の準備をしながら、聞き耳をたてる。
「歩いて調査するの面倒なんで、マクーターの導入ってないんすか?」
「そんな贅沢なものを導入する余裕はない」
「なんなら魔動車でもいいっすよ」
「問題外だ」
魔動車とは、魔力で動く四輪の乗り物である。一部の資産家や貴族が乗ることもあるらしいが、庶民が日常的に目にすることはない。庶民には値段がとても高くて手が出ない。
それだけでなく、運転者に高度な魔力操作技術が必要なことに加え、運転技術も必要とされる。所有者は専属の運転手を雇えるような人だろう。金持ちのステータス兼、税金対策として減価償却資産にするため経費で購入する経営者もいるらしい。
値段的にも運転技術的にも、誰でも気軽にというわけにはいかない代物だ。
ゼタのくだらない魂胆がわかったので、クグは根回しにとりかかる。
ゼタは引かずに話を続けている。
「でも効率がよくなるっすよ」
「一度行ったことがある町へは移動魔法で行けるからいらんだろ」
「問題はそっから先なんす。歩いて行くのが面倒なんすよ」
「勇者が歩いて冒険しているんだから、支援する側も歩かないでどうする」
「課長の言うとおりですよ、ゼタリオ君」
ゼタとスタボーン課長の会話を聞いて、ブレイズンまで会話に入ってきた。大した仕事もしないのに、いつも口ばかりはさんでくる。ブレイズンの甲高い声がオフィス内に響き、聞きたくなくても聞こえてしまう人たちの集中を削ぎ、神経をいちいち逆なでする。
スタボーン課長は話を続ける。
「モンスターが出るところで、いちいちマクーターから降りて戦って、なんてやってたら任務にならんぞ。しかも、モンスターに壊されたり、自分の魔法が当たって壊れたりしたらどうするんだ? 重い荷物になるだけだ。修理代もシャレにならん。任務上必要な戦闘だと認められなかった場合、自腹修理になるぞ。それでもいいなら、中盤以降に勇者が乗り物を手に入れるから、考えてやらんこともない。そのころにはほとんどの町に行っているだろうから、逆に邪魔になりそうだが」
「自腹はキビシイっすよ。やっぱりいらないっす」
「次からこういうことは、課長補佐であるボクを通して稟議書を出してもらわないと困りますよ。これだからノンキャリは」
「ういーっす」
ゼタは落ち込む様子もなく席まで戻ってきた。クグはちょうど事務仕事の準備を終えたところだ。
ゼタの魂胆はくだらないが、「歩くのが面倒」という言い分は、わからないでもないとクグは思った。
移動魔法テポトは便利な魔法だが、どこへでも行くことができる万能なものではない。一度行ったことがある村や町だけだ。ダンジョンの入り口や何の変哲もない道へは行けない。
次の町へ行く道中で日が暮れたら、野営するか、いったん戻って翌朝また前の町から次の町を目指さなくてはならない。
また、術者だけでなく、同行者もその場所へ行ったことがなければならない。
勇者支援をする上では不便な仕様だが、逆にこの仕様があるからこそ勇者支援を可能にしている点でもある。もしこの仕様がなかったら、勇者がベテラン冒険者を仲間にすれば、自力で冒険することなく世界中へ行き放題になってしまう。支援する側にとっては困る。
それに、実力が伴わないのに全世界へ簡単に行けてしまうのは、勇者にとっても良くない。モンスターに殺されたり、再起不能な重症を負ってしまったりする可能性がある。国家情報局勇者部としても本望ではない。勇者支援も一からやり直しになってしまう。
人間が超えることのできない限界つまり、神々が定めたこの世の摂理なのだろうか。うまいことできているものだ。
ちなみに、人間界と魔界の行き来はテポトではできない。歩いて魔界の門をくぐる方法のみだ。いちど魔界へ入ってしまえば、魔界内の行ったことがある場所へはテポトで移動できるらしい。クグはまだ魔界へ行ったことがないので、人から聞いた内容だ。
それにしても、堅物課長に無茶な要望をするとは、ゼタは何を考えているのだろうか。スタボーン課長はたたきあげで課長にまで昇進した苦労人だ。そのせいもあってか、他人にまで自分がやってきたレベルのクオリティーを求めるあまり融通がきかないし、他人に共感することもない。個人の考えよりも組織を重視する。
クグはスタボーン課長から褒められたことがない。いや、クグだけではない。スタボーン課長は誰も褒めたことがない。部下からの要望や意見が通ることもほぼない。とくに今回のゼタのような要望は、聞き入れられることなどありえない。
スタボーン課長に環境改善を期待するのは時間のムダだ。そんなことを直訴している暇があったら、ゼタには事務仕事をひとつでも覚えてもらいたい。
「お待ちかねの事務仕事の時間だ」
クグはファイリングされたいくつもの書類をゼタの机に置いた。世間ではペーパーレス化が叫ばれるが、お役所仕事はまだまだ紙での保存がスタンダードだ。整然という秩序に守られていたゼタの机が、書類という混沌に占拠された。
「俺は待ってないっすけど」
「こっちは待ちくたびれてるんだ」
「ちょっと、筋トレで忙しいっす……」
ゼタが逃げようとすると、目の前に黒縁メガネをかけた女性が立ちはだかった。キャサリン・ホイールだ。ゼタがスタボーン課長と話している間に、事務仕事を教えるのを手伝ってもらえるよう、クグが話をつけておいたのだ。
キャサリンは総合戦略係の事務を担当しており、ゼタが事務仕事をしない分いつもしわ寄せがくるので、快く引き受けてくれた。仕事中は邪魔なのだろう、肩よりも長い髪を後ろでひとつに束ねている。
「楽しい楽しい事務仕事のお時間ですよ」
とキャサリンは言いながらゼタの両肩をガッシリとホールドすると、くるりと机の方に回転させ、椅子に座らせた。三十路手前でこういったことに場慣れしているのか、笑顔でグイグイくると逆に怖い、とクグは思った。
逃げ場を失い強制的にパソコンの前に座らされたゼタは、俄然やる気がなさそうだ。急に顔色が悪くなってゲッソリしたような気がするのは気のせいということにして、クグとキャサリンはゼタに事務仕事の強制労働を課した。
その成果もあり、ゼタに仕事を教えつつも、片付けてしまわなければいけない事務仕事を、1日で無事終えることができた。これで明日から、次の実地の任務にとりかかることができる。




