気配の正体
奥の部屋に感じた気配の正体は少年だった。
年は10歳くらいだろうか。少しやつれてはいるが、体調が悪いようには見えない。
しかし、ひどく怯えている。
知らない大人の男が、急に大きな音を立てて扉を開ければ驚くとは思うが、ここまで怯えはしない。きっと何か事情があるのだろうと察し、なるべく優しい言葉、口調で話しかける。
「勝手に家に入ってごめんね。ここは君の家?」
「…」
何も言葉は発しないが、頷いてはくれた。ここは、この少年の家のようだ。
「そうなんだね。俺の名前は善。君の名前は?」
「…」
首を横に振った。名前を伝えたくないのか?
「言いたくなかったら、無理に言わなくてもいいよ。」
「…!!」
少年は、さきほどよりも強く首を横に振った。
名前を伝えたくないわけではないということを伝えたいのだろうか?
「もしかして、声が出せない?」
「…」
少年は首を縦に振った。どうやら、この少年は話すことが出来ないらしい。
耳が不自由なのだろうか?
読唇術のように唇の動きで話を推測しているという可能性もあるだろうが、あれは訓練を積んだとしてもそこまで高い精度があるものでもないと聞いたことがある。
「急に知らない人が入ってきて驚いたよね。実はこの辺りのことが全然分からなくて誰かに話を聞ければと思って人を探してたんだ。この辺りは何ていう場所か教えてくれないかな?」
そう伝えると少年は、部屋の奥の机から紙とペンのようなものを持ってきた。
そして、紙に文字を書き、こちらへ差し出した。
やはりこの世界の文字が読めない。言葉は通じるようになったが文字は読めないようだ。今度、ルシアに文字が読めるようになる魔法がないか聞いてみよう。
「ごめん、実は文字が読めないんだ。文字の読める仲間がいるからここに呼んでもいいかな?」
「…」
頷いてくれたので、ルシアを呼ぶ。
扉のすぐ後ろでこちらの様子を伺っていたようで、今までの流れを説明しなくても事情は把握しているみたいだ。
「こ、こんにちは〜。お邪魔してます…」
「ルシア、この文字なんだが。」
「これですね。えーっと、"フクオカ"って書いてありますね。」
『フクオカ』
またしても、聞き覚えのある地名だ。俺の知っている"カナガワ"と"フクオカ"の位置はかなり遠い位置だ。
転移の位置が少しずれてしまったというレベルの距離ではない。
「"カナガワ"との距離はどれくらいだ?」
「うーん、"フクオカ"という場所は聞いたことがなくて…近くの町の名前は、ほとんど知っているんですが…」
今の俺達の目的としては、ルシアの家族の行方を探すことが最優先事項だ。
つまり、遠く離れた場所と仮定する"フクオカ"には用がなく、なるべく元いた場所に近い場所へ移動する必要がある。
しかし、この少年をこのまま放っておくのも目覚めが悪い。
その後、ルシアとの筆談を通じて、少年といろいろな話をした。
少年の名前は、ミゲル。年齢は10歳。
以前はここで家族と一緒に住んでいたようだ。
"フクオカ"は活気のある町だったようで、近くの町との交流もあったようだ。
話の中で、聞き馴染みのある九州の地名も出てきていた。
筆談を続けていくにつれて、ミゲルの表情が少しずつ柔らかくなっていった。警戒心が解けてきたことと、久しぶりに人とコミュニケーションが取れたことが嬉しかったのだろう。
ただ、この町になぜ一人しかいないのか、家族がどこに行ったのかは思い出せないらしい。
時に人間というのは、辛い経験や記憶から自分を守るために記憶を遮断することがある。
もしかしたらと思い、深く追及することはしない。
ただ、彼の問題を解決してあげたいと強く感じた。
とりあえず、俺が町の外を探索してみることにした。
俺一人であれば、何か危険が迫っても何とかなるだろう。
「ルシア、ミゲルのことを頼むぞ。」
「はい、任せてください!」
弟がいるからか、ミゲルと上手くコミュニケーションがとれている。きっといいお姉さんだったのだろう。
家から出て、まずは町で一番高い建物の頂上に登った。
まあ、登ったというよりは跳んだという方が正しいかもしれない。
頂上から町を見渡して分かったが、この町はかなり広い。どこまでも町が続いている。
そして、地平線の先に海が見える。
この世界にも海はあるんだなと当たり前のことを考える。
ただ、やはり人の気配がない。ここまで大きな町に人の気配がないのは明らかにおかしい。
ルシアの村と、どこか似たものを感じる。もちろん、大きさの規模は違うが。
町の外に山が見える。その山の稜線を目で追っていくと、一箇所だけ人工物が見えた。この距離からでも、はっきり見えるということは、かなり大きい建物のようだ。
何も手掛かりがないので、まずはその場所に行ってみるとしよう。
そして、俺はその場所に向けて走り出した。




