3。
(──イィィィ……ン。ガタン。プシュー)
停車した二両編成の列車の扉が開いた。
街中の電車のようにアナウンスの無い地方線。
誰も居ない静かな夜の駅舎。屋根にぶら下がる白い蛍光灯に触れた虫たちが、ジジジ……と小さな音立てて集まる。
扉からは、何人かの人が出て行った。だけど──。
「え?」
私の目が霞んでいたんだろうか。視力には自信ある方だったけど、列車の扉から降りて来た人たちが、駅舎の階段に向かっては、吸い込まれるように消えて行った。まるで、最初から誰も居なかったように。それこそ、幽霊か何かのように。人の気配が無い。辺りには私一人だけだった。
「嘘……」
私が、呆気に取られていると、列車の扉が「ガタン!」と音立てて、「プシュー!」と閉じようとしていた。
「あ! ま、待って!」
急いで駆け込み、閉まりかけた扉の開閉口の溝に、私のつま先が引っ掛かって、靴が脱げた。
「い、痛ぁい……」
車内の床で派手に転んだ。打ちつけた膝を抱えた。足首を捻ったかも知れない。羞恥心でいっぱいだ。転倒した衝撃と痛みと恥ずかしさで、身体中が熱くなる。変な汗。顔から火が出るとは、この事だ。顔が歪む。
だけど、幸いなのか周囲には誰も居なかった。
グリーン色の横掛けの座椅子と、天井からぶら下がる白い吊革。通路を照らす白い蛍光灯が眩しい。夜を映し出す銀色の窓枠と壁が、通用口まで連なっている。私が瞬きしたのか、車内の明かりが点滅したのか、一瞬、暗闇に閉ざされて、また明るくなった。私は、まだ立ち上がれなくて転んだまま目を疑った。
「え? ひ、人?」
通用扉のすぐそこ。横掛けの座椅子にポツリ──。さっきの女の人だ。
「最初から居たのかな。転んだの見られたかな。ど、どうしよう。でも──」
列車がもう走り初めていた。
立ち上がる時、高校で習った物理の数式みたいなのが、頭の中を回って、恥ずかしさを掻き消そうとした。
走行中の列車の中でも、案外、すんなり立てるもの。そう想ってた瞬間、列車が、カーブに差し掛かったのか──。
車両が、少し傾いて、立ち上がってすぐの私の身体は、車内の扉側へ打ちつけられた。
「キャッ!」
「ガタン!」と、ぶつかった時の音がして、私は尻もちをついた。
「も……、なんなの?! 痛……」
これだけ電車に上手く乗れなかったのは、生まれて初めてだ。
今度は、正真正銘、人に見られた。いや、人? さっきの女の人が、人なのか幽霊なのか何かは知らない。いや、きっと、人だろう。傘とか知らないけど、だって今もすぐそこに──。
い、居ない……。
お、おかしい。さっきまで居たはずだ。なのに、音も無く完全に姿が見あたらない。
辺りをキョロキョロと見渡しても、無人の車内が蛍光灯に照らされるばかり。四角い夜の窓の手前で白い吊革が揺れて、グリーン色の横掛けの座椅子が続くだけ。
尻もちをついて、しゃがみ込んで──私のスカートから擦り剥いた自分の膝が見えた。青く内出血してる。
銀色の出入り口の扉にもたれ掛かり、それから床に手をついて立ち上がろうとした。
その時──。
驚いたことに、誰かの足もとが見えた。黒いヒール。透けるような白い足首。
「大丈夫ですか?」
「ひゃっ! で、出たぁーっ!!」
私は、この日──。
3度目の転倒を僅か数分の間で繰り返した。
生まれて初めての体験だった。