黒百合殿下の思惑
「おやおや。可愛い甥嫁殿じゃないか。まさかこんなところで顔を合わせるなんて」
要件は済んだのでクリストファーを待たずに部屋を出て、廊下を歩いていると会いたくない人物に出くわした——黒百合様こと、オズワルド王弟殿下である。
オズワルドは癖のある長髪をかきあげて、冷徹な視線でリザベラを見下ろした。
——この国の王族は、代々サファイアのような瞳と金色の髪を持って生まれる。しかしオズワルドは先帝の側妃の髪色を受け継ぎ、闇夜の鴉のような黒髪だった。
冷たい青色に見下ろされて、リザベラの背中に冷たい汗が流れる。
何を考えているのかわからないこの男とは、なるべく対峙したくないというのが本音だった。
「……王弟殿下、ご機嫌麗しゅう。私もまさか、こんな場所でお会いするとは思いませんでしたわ」
ここは宰相の執務室に続く廊下。
オズワルドの向かう先には、普段はクリストファーとウォルトしかいない。
どんな意図があって政敵のもとへ向かうつもりなのかと、リザベラは探りを入れた。
「ただの散歩だよ」
オズワルドは貼り付けたような笑みを浮かべた。
「私は陛下と違って政務を任されていないものだから、暇を持て余してしまってね。あまりに退屈だったもんで、普段向かう機会のないところを気ままに歩いていたというわけさ」
「……そうでしたか」
下手に返さない方が良いと思い、リザベラは曖昧な笑みを浮かべてオズワルドの言葉を流す。
さすがは王弟殿下といったところか、簡単に尻尾を掴ませてくれそうにはない。
会釈して横を通り過ぎようとしたとき、オズワルドはとぼけたように投げかけてきた。
「そんなことより、甥嫁殿はどうしてこんなところに?」
仮にも王弟から話しかけられて無視するわけにもいかず、リザベラはその場に留まる。
「……弟に用事がありまして、宰相室を訪れたのです」
「おやおや、そうだったか。私はてっきり、ティアーズ家の怪物に媚びを売りに行っていたのかと。……おっと、そんな怖い顔をしないでくれ」
ティアーズ家の怪物、とはウォルトのことだ。
彼の優秀さとハリス公爵家に重用されることを受けて、一部の者が尊敬と揶揄を込めてそう呼んでいるらしい。
オズワルドの下衆な発言に、リザベラは嫌悪感を丸出しにして彼を睨みつけた。ハリス家とリザベラ自身を蔑む言葉に、リザベラの神経を逆撫でるための嫌味だと分かっていてもはらわたが煮え繰り返る。
リザベラの眼光を真正面から受け止めても、オズワルドは臆する様子もなく飄々と肩をすくめた。
「すまないすまない、なにせ優秀な侯爵令嬢を差し置いて姉御を妻に迎えるくらいだし、よっぽどあの男を囲い込みたいのだろうと思ってしまってね。この時間は宰相殿は甥っ子とおしゃべりをしているはずだから、二人きりで丁重なもてなしをしてあげたのかと、つい下世話な勘ぐりをしてしまった。悪く思わないでくれ」
大仰に嘆く様子を見せて、リザベラの肩に手を置く。
そしてリザベラの耳元に顔を寄せると、凄みを聞かせた声で囁いた。
「最近、いろいろとこちらに探りを入れているみたいだが、あまり出過ぎた真似はするなよ。こちらもそれなりの手段を取らざるを得なくなる」
「……あら、なんのことかしら」
リザベラは澄まし顔を保ったまま、努めて冷静な声で返す。
そして、淑女の笑みを浮かべてオズワルドに向き直った。
「私は殿下の叔父上様とも仲良くしたいのに、下手な勘ぐりで攻撃されてしまうだなんて悲しいですわ。私はそろそろ次の用事がありますので、これにて失礼いたします。今度お会いするときは、もっと楽しいお話をしましょう」
「そうだな、お互い平和で友好的な関係でいたいものだ」
口元に薄い笑みを浮かべるオズワルドにカーテシーをして、その場を立ち去る。
無意識に早足になるのを抑えながら廊下を進み、リザベラが息をついたのは自室に戻ってからだった。
「どうぞ、カモミールティーです」
「……ありがとう」
ソファに座ったリザベラに、心配そうな顔をしたメイドがお茶を持ってきた。
淡い黄金色の水面から、柔らかい湯気がのぼっている。
——これは、アーノルドとクリストファーに伝えるべき案件だ。
甘い香りに心を落ち着かせながら、リザベラは先ほどの出来事を思い返していた。
オズワルドが先ほどあの場にいたのは、リザベラを介してアーノルドとクリストファーを牽制するためだろう。
半月ほど前。
王弟殿下はダドリー家と共謀して秘密裏に武器を蓄えようとしているらしいという話を、ウォルトが掴んだ。ダドリー侯爵領はティアーズ伯爵領と隣り合わせだ。ウォルトは隣領の人と物資の流れに不自然なところを見つけ、独自に調査をしていたらしい。
急を要する事態ではないが、このまま手をこまねくわけにもいかない。
本日のアーノルドとクリストファーの会合は、今後の対策を検討するためのものだった。
あぁして牽制を入れにきたということは、これは王弟殿下にとって刺されると痛い部分なのだろう。
——だからこそ慎重にならなければ。
リザベラは、ゆっくりと深呼吸をした。
先ほどの出来事など、アーノルドとクリストファーが常日頃から抱える心労に比べれば大したことない、と心を落ち着ける。
怜悧狡猾な王弟殿下を相手にしないといけない緊迫した政治の世界は、弱冠22歳で公爵位を継ぐことになった弟にとってかなりのストレスになっているだろう。王座を揺るがす問題に発展しかねないため、アーノルド王太子も陛下と密に連携をとりながら、細心の注意を払って対応している。
『黒百合様のせいで、ここ最近は四六時中気が張り詰めているんです。そんなピリピリした日々のなかで、いい歳した男女がもだもだしてるのを眺めて楽しむくらいの娯楽は許してほしいものです』
ふと、先ほどのウォルトの言葉が思い返された。
弟は可愛い妻を愛でて満たされ、義妹は夫に慈しまれ、我々はその様子を見て癒される。
——なんだ、みんな幸せじゃないか。
「シャーロットちゃんがお嫁にきてくれてよかったわねぇ」
リザベラがそう呟くと、そばにいたメイドは話の脈絡がわからず首を傾げたが、「そうですね」と話を合わせて頷いた。
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