秘書官への相談
◇ ◇ ◇
リザベラが王宮の執務室を訪れると、部屋にいた二人は手を止めてこちらに顔を向けた。
弟のクリストファー・ハリス公爵が、来訪者がリザベラであることに気付いて、眉をひそめた。
「……姉さん。どうしたんですか、急に」
「うーん、急ぎの用事じゃないんだけどね、少し、あなたと話したいことがあって」
弟の返事を待たずに、リザベラは部屋の中央に据えられたソファに身を沈める。
少し体を捻って、窓辺に置かれた執務机に目を向けると、クリストファーは少し困ったような表情を浮かべていた。
弟に会うのは、シャーロットとのお茶会翌日に王宮でたまたますれ違って会話して以来、数日ぶりである。
「……すぐに終わる話ですか?」
「うーん……終わらないかも?」
「じゃあ、日を改めてもらえませんか? このあと、アーノルド殿下にお会いする予定があるんです」
「あら、そうなの」
アーノルドは、リザベラの夫の名前だ。
「じゃあ待つわ」とリザベラが正面へ向き直ると、ちょうど、ウォルトがリザベラの前にティーカップを置くところだった。可愛い義妹の弟、公爵家お抱えの秘書官だ。
彼はそつのない手つきでカップを温めるためのお湯を注ぎながら、「茶葉を蒸らし終わるまでもう少々お待ちください」とリザベラに伝えた。ティーポットの横には、砂を三分の一ほど減らした砂時計が置かれている。リザベラがソファに向かって歩き始めたときにはすでに紅茶の準備をはじめていたのだろう。相変わらずの仕事の早さである。
「ミルクと砂糖は」
「両方いらないわ。あとは私のメイドがやるから大丈夫よ」
お目付役のメイドがお茶の用意を引き取ると、ウォルトは会釈をしてクリストファーの元に戻っていった。長年の姉弟間のやりとりからまともにやり合っても勝てないことを学んでいるクリストファーは、姉の襲来をすんなりと受け入れて、書類仕事に戻っている。
リザベラが1杯目の紅茶を飲み干したころ、仕事はひと段落したらしい。
クリストファーは羽ペンを置いて、懐から懐中時計を取り出した。アーノルド殿下の元へ向かうのにちょうどいい時間のようで、立ち上がって身支度を整えはじめた。髪を整え、上着を羽織ったクリストファーに、ウォルトがシルクの布で丁寧に包まれた小さな箱を手渡す。
——あの小箱の中身は、リザベラもよく知っている。
ハリス公爵家の当主の証。
王族に謁見する際は必ず身につける、50カラットはあろうかという大きなサファイアの指輪だ。サファイア・ブルーは、この国の王族が持つ瞳の色である。
クリストファーは指輪を左の薬指にはめると、リザベラに声をかけた。
「半刻くらいで戻るはずですが、遅くなるかもしれません」
「はーい。あんまり遅くなりそうだったら帰るわね」
リザベラの気ままな発言にクリストファーは一瞬うんざりした表情を浮かべたが、すぐに気を取り直して部屋を出ていった。
執務室には、リザベラとウォルトが残る。ウォルトは秘書官用の執務机に向かい、書類の仕分けをおこなっていた。
このあとの殿下との会合に、秘書官は同席しない——リザベラは、それを知っていた。そしてこの有能な秘書官は、リザベラがこの時間を狙って執務室を訪れたことに気付いていた。
「本日は僕にどういったご用件でしょうか、リザベラ様」
書類から目を離さず、ウォルトはリザベラに話しかける。
その態度に、お目付役のメイドが目を剥いてウォルトを威嚇する——いつもの光景だ。この秘書官は有能だが、少々慇懃無礼なところが玉に瑕だった。リザベラ自身はウォルトの態度を気にしていない。彼は弁えるべき場面は弁えているし、義理とはいえ弟に必要以上にかしこまった態度をとられるのも息が詰まる。
「あなたに用事があるだなんて、よく気付いたわね」
「リザベラ様ともあろう方が、殿下と閣下のご予定を把握していないなんてこと、あり得ませんから」
「じゃあ、どんな用事だかはわかる?」
リザベラが問いかけると、ウォルトはやっと書類から目を離してリザベラに視線を向けた。
「……黒百合様の件でしょうか?」
黒百合様、とは王弟殿下を指す隠語である。
王弟派の活動が活発になるにつれその名を口に出す者は減っていき、今ではその花の名で呼ばれることがほとんどだった。
「ぶぶー、はずれ」
王太子妃らしからぬ言葉遣いに、メイドが今度はリザベラに目を剥くが、意に介さず会話を続ける——身内しかいないときくらい、少しは気を抜きたいものだ。
「シャーロットちゃんと、クリスとのことなんだけどさぁ……」
そこまで言うと、ウォルトは得心したように「あぁ」とつぶやき、にっこりと笑った。
「リザベラ様も気付きました? こじれる様子はないので放っておいているんですけど、はたから見てると面白いですよね」
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