良き友人となりましょう
『お義父様もエドワードも早くに亡くなって、ハリス家には男系がいなくなってしまったでしょう? 何かあったときのために、後継者を産んでおいた方が良いんじゃないかしら。妻を迎え入れるのなら、私がもっともふさわしいはずよ。ハリス家の勝手をわかっているし、家格も不足はないのだから』
クリストファー様から聞くジョセフィーヌ様の主張は、なかなかに気分が悪くなるものだった。前公爵様が亡くなり、悲しみもまだ癒えないクリストファー様の傷心をえぐるような台詞だ。
金の亡者が無茶な言い分を言い張っているだけにも思われるが、クリストファー様の見立てでは、王弟殿下が裏で糸を引いている可能性が高いだろうとのことだった。
「まず、2年前の遺産騒動は王弟殿下は関与しておらずジョセフィーヌ様個人の暴走だと踏んでいる。
殿下の目的は、王位の簒奪だ。
当時、仮にジョセフィーヌ殿の主張が通ったとして、それで得られるであろう遺産なぞ王弟殿下にとっては端金だ。そんなものを得ても殿下の影響力が強まるわけでもないし、むしろ、理屈の通らないことを押し通して悪目立ちする方が不本意だろう。
だが今回のアプローチは、殿下が裏で糸を引いている可能性が高い。目的は、ハリス公爵家の乗っ取りだ。筆頭公爵家を我がものにできれば、王弟殿下は貴族社会で今以上の影響力を得ることができる。我が家と同等の家格の貴族家は他にもあるが……家を継いだ私はまだ若輩者だ。ジョセフィーヌ殿の存在もあることから、都合よく簒奪できると踏まれたのだろう」
クリストファー様の指先は、力を込めすぎて白くなっている。
利己的な理論を振りかざす元兄嫁と、ハリス家を道具としか見ていない王弟殿下。お二人への憤りだけでなく、王弟殿下の暗躍を一蹴できない自分自身への歯痒さもあるのかもしれない。
クリストファー様は憤りを押し出すかのように、ゆっくりと息を吐いた。
「——殿下とジョセフィーヌ殿はここ最近頻繁に逢瀬を重ねているらしい。後手に回ると、兄のときのように殿下からの直接的圧力がかかりかねない。ジョセフィーヌ殿には前科があるし、陛下も弟殿の企みには気づいていらっしゃるから、殿下の思い通りにことが進む可能性は低いだろうが……このまま手をこまねいているわけにはいかなかった。早急に、信頼できる家柄で、能力に不足がない令嬢を公爵夫人候補として選定する必要があった。——そこで選ばれたのが、君というわけだ」
王弟派は秘密裏に活動しているため、どこに潜り込んでいるかわからない。
私が選ばれたのは、弟の影響が大きいのだろう。
ウォルトは身内の贔屓目を除いても有能で賢く、世故に長けた人間だ。伯爵家の者が筆頭公爵家に重用されたことによる上位貴族からのやっかみは多かったと聞くが、それらを実力で黙らせてきた切れ者だ。その忠誠心と働きぶりによりウォルトがクリストファー様の信頼を得たことで、ティアーズ家の者であれば引き入れても問題ないと判断されたのだろう。
抜け目のないウォルトのことだ、ティアーズ家を安泰にするために私を推したであろうことは想像に難くない。
たしかお父様は、『ウォルトの嘆きを聞いて、ハリス公爵閣下が我が家を支援してくれることになった』と言っていた。早々に縁談をまとめたい事情があるとはいえ、筆頭公爵家が下手に出て縁談を結ぶわけにはいかない。
ウォルトは、『ティアーズ家は財政支援をちらつかせればすぐ首を縦に振りますよ』くらいは言っているかもしれない。
何はともあれ、これは両家共にメリットを享受できる、紛うことなき政略結婚である。
ここまで赤裸々に誠実に事情を説明されて、これはクリストファー様の優しさなのだろうなと思った。目の前に座る彼は、憂う顔すら美しい端正な顔立ちである。ともすればうっかり恋心を抱いてしまい、愛が満たされないと嘆く羽目になるかもしれない。しかしこうして結婚初日に、お互いのことをよく知らない段階のうちに「これは割り切った関係なのだ」と確認し合えたことで、身の程知らずな期待を抱く未来は防ぐことができただろう。
——クリストファー様の恋人ではなく、良き友人になろう。
私は決意を胸に、ゆっくりと頭を下げた。
「ハリス公爵家のご事情、理解いたしました。知り合ったばかりの私にここまで詳しく教えてくださり、ありがとうございます。今日からは私はハリス公爵夫人となる身。王弟殿下にとっての付け目とならぬよう、立ち回りには気をつけて参りますわ」
そこまで慇懃な態度をとらなくてもいいよ、とクリストファー様は小さく笑った。
「夫婦になるわけだから、必要以上に他人行儀でいるとそこに付け入れられてしまう。私と君は敵ではないのだし、いきなり愛し合うことは無理かもしれないが、良きパートナーとして友好的な関係を築いていこう」
「ふふ、そうですわね。私も、クリストファー様とは友人のような関係性の夫婦になりたいと、ちょうど思ったところでした。私たち、きっと良い夫婦になれますわね」
やっと二人で笑顔を浮かべて、和やかな雰囲気でその夜は終わった。
「初夜に相手にされない花嫁」と思われては使用人に侮られかねないと、クリストファー様から週に1回は寝室を共にすることを提案され、私はそれにうなずいた。
クリストファー様の寝室にあるベッドはとても広く、二人で使ってもまったく狭さを感じない。隣にクリストファー様が横たわっているが、肌が触れ合うことはない。王弟殿下の動きが落ち着くまでは身重になるのも危険なので、世継ぎを設けることは今は考えないようにしたいと言われ、私はこれにもうなずいた。
「おやすみなさい」と穏やかな挨拶を交わして眠りにつく。
——こうして、ハリス公爵夫人としての生活がはじまったのである。
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