グレーダイヤモンドの輝き
ウォルトの視線に気が付いたオズワルドが、口端を僅かに上げた、気がした。
指先でブローチを軽くつまみ、位置を直す仕草をすると、胸の高さまで掲げた右腕をシャーロットの顔に伸ばす。クリストファーの瞳の色に輝くダイヤが、オズワルドの指先で揺れた。
シャーロットは、色気を伴う触れ合いに耐性がない。しかも、相手は王族だ。突然のことに対処できず固まるシャーロットに、オズワルドは悠然とした笑みを浮かべた。
「自分を連想させる宝石を大切な者に贈ることは、世の男どもの常套手段だな。かくいう私もそのうちの一人でね——そうは思わないかね、秘書官殿」
オズワルドはウォルトに顔を向けるが、ウォルトの視線は胸元で輝く銀鷲をじっと捉えていた。
ウォルコック侯爵の胸元を飾る十字架が持つ意味を、オズワルドは暗に伝えている。遠回しの宣戦布告だろうか。黒百合派閥は、着実に貴族社会の裏側で勢力を伸ばしているという。
「…………そうですね。殿下がそうおっしゃるのなら、きっと、そうなのでしょう」
「理解ってくれて嬉しいよ」
オズワルドは満足げに唇を釣り上げた。シャーロットから離れると、庭園に向かうための通路に視線を向ける。奥に、足早にこちらへ向かっってくる人影が見える——おそらく、日傘を取りに戻ったエミリーだ。
「さて……有意義な時間を過ごせたことだし、私は散歩の続きでもしようか。いやはや、政に携わらないと、暇を持て余してしょうがない」
事情を知るウォルトにとって、オズワルドの発言はあまりに不穏だった。宰相秘書官として政治の中心に携わるウォルトは、何も言わず、にこりと笑うにとどめた。シャーロットはカーテシーをして、オズワルドに淑女の笑みを向けた。オズワルドは片手を掲げてそれに応えると、愉快げな視線をウォルトに向けて、去っていった。
王弟の影が遠くなったことを見届けて、ウォルトはシャーロットに向き直る。
「……姉上に何事もなくて良かったです」
「助けにきてくれてありがとう、ウォルト」
シャーロットは穏やかに微笑む。
「私が領地運営に関わっていないことも、ティアーズ家がお人好しなのも事実だものね。お父様もお母様も、他の貴族家とは違うところを大切にしているだけ。ただ、その感覚でハリス領を運営することはできない。ちゃんとわかっているわ」
シャーロットの言葉は、自分自身を慰めているかのように聞こえる。オズワルドがシャーロットに接触した目的が、うっすらとした亀裂の種を残すことだとしたら……それは、きっと成功だろう。「わかっている」とは言っていても、他人に突かれた傷はわずかに残る。ここで変に慰めるのは悪手だ。ウォルトは、淡々と事実を返した。
「そうですね。ぶっちゃけティアーズ家があの領地運営でやっていけてるのは、人と場所に恵まれているからですし。王宮から遠く、牧歌的な気風で、自然の要塞もある。欲を出さずに冬の厳しさを乗り切れればなんとか自給自足でやっていけるから、貴族社会で力を持たなくても意に介さないで済む。だけど、王宮に近くて商業の盛んなハリス領ではそうもいかない。王族の側近として、ある程度の権威も保たないといけない。ハリス家に慣れるための時間を設けているのは、ひとえに閣下の優しさです」
「ふふ、わかっているわよ」
シャーロットは苦笑した。
「大丈夫、ちゃんとわかっているわ。ティアーズ家の優しさが成り立っている理由も、クリストファー様の優しさも、ちゃんと」
シャーロットは、そっと左耳のイヤリングに触れた。
ウォルトの脳裏に、自分を快く昼休憩に送り出してくれたクリストファーの顔が浮かぶ。悪い種は芽になる前に排除したいし、優しい上司にささやかなお礼もしておきたい。
「そうでした、姉上は僕ほどではないですが賢いお人でした。そして、思慮深く思いやりのあるお方だ。閣下が、国中で一等上等なグレーダイヤを見つけさせて贈るほどに」
「ふふ、大丈夫。わかっているわよ、ウォルト」
シャーロットは瞳を閉じて、静かに頷く。
それは果たして本当にわかっているのか、追求することは野暮ではないかと逡巡したタイミングで、エミリーが戻ってきた。自然とその場は解散となり、ウォルトは姉と別れて庭園へ向かう。
腰をおろしてサンドイッチに齧り付きながら、心中で優しい上司に詫びを入れた。
閣下の恋路にあまりお役に立てなかったようで、すみません。
——いや、でも、ご自身の恋心に無自覚な閣下が悪いとは思いますけどね。真正面から正直に愛を伝えれば即座に解決する話なのですから。