黒百合派閥の提言
クリストファーが戻ってきたのは、王太子に託された書類をちょうど片付け終えたころだった。
時計を見ると、13時を少し超えている。昼食をとってから戻ってきたのだろう。
「遅くなってすまない、ウォルトくん」
そう言ってクリストファーは、ウォルトに牛乳瓶と鶏がデザインされたロゴが描かれた紙袋を手渡した。クリストファーから「愛妻への贈り物」について相談を受けることが多い都合上、ウォルトは流行り物に詳しくなっている。このロゴが目印の店はハニーバターチキンが有名で、サインドイッチもテイクアウトできるがかなり並ぶはずだ。
「アントンが薦めてくれたお店で、彼が並んで買ってきてくれた。今日は天気も良いし、クロエ広場まで行って食べるのも気持ちが良いかもしれないな」
「お気遣いありがとうございます」
クロエ広場は王宮から歩いて30分ほどの距離にある。本当にそこまで行くことを薦めているわけではない、少し長めに昼休憩をとってくれて構わないという意味だろう。
アントンは姉の護衛騎士で、快活で実直な性格な男だ。
彼は訓練の合間に仲間と買い食いすることも多いので、飲食店に関する情報には厚い。そんな彼も薦めるということは、きっと評判通りの絶品に違いない。紙袋を受け取ると、手のひらにずしりとした重さが伝わる。数字で満たされていた脳みそが、そういえば空腹だったということを思い出した。
ウォルトは、紙袋と引き換えのような形で先ほどまで確認をしていた書類をクリストファーに手渡す。
「このあいだ殿下に渡された王都城下町商業区域の税率に関する書類です」
「あぁ、あの書類か。ウォルトくんが見てくれたのか、ありがとう」
クリストファーは執務椅子ではなく近くになったソファに座り、手渡された二つの書類を見比べた。
ひとつは議会に提出された提言書で、もう一つはウォルトが先ほどまでまとめていた書類だ。
「ご報告します。まず結論から言うと、今回の提言には『却下』の判を押すべきかと。まず1つ目の仰々しい表紙の書類ですが——」
『王都城下町の活性化・衰退抑止ならびに公平なる機会算出のための北西部商業区域税率低減の提言』という大袈裟なタイトルのその書類は、貴族院の議員が提出した提言書だ。タイトルの下には、提起者としてハンス・ウォルコックと署名されていた——王弟一派の一角と目されていて、黒真珠でできた十字架のブローチを胸に飾っている。
ウォルコックの署名を見て、クリストファーはわずかに眉間を寄せる。
「税率軽減の申請が出された区域内の店舗ごとの経営状況の推移を表した数字と、税率を下げるべき理由と効果がもっともらしい文章で記されていますが……意味のない数字を長々と並べ、それらしい言葉を並べて説得力があるように見せかけているだけというのが、僕の抱いた印象ですね。しかもこの数字、うっすらと都合の良い方に脚色されています」
ウォルトの話を聞きながら、クリストファーは書類をめくり、灰色の視線を走らせる。
「——北西部は他の区域に比べて地形的な理由で人の流れも少なくそれゆえに商売上不利になっている、だから税率を優遇するべきだというのがウォルコック侯爵の主張です。ですが比較に用いている数字が恣意的で、あえて北西部が不利になる年度を持ち出したりしていますね。そういう数字を持ち出しているとしても、この数字は優遇が必要なほどの有意な差ではないですが。人の流れが少ないっていうのも、地形的な理由だと断定できる理由がありません。北西区域にも繁盛店はありますし」
クリストファーは1つ目の書類のすべてに目を通すと、視線を向けずにソファテーブルに滑らせた。分厚い書類は、ぱさりと音を立てて静かに広がった。
手元に残ったもう一つの書類を見て、ウォルトに目線を向ける。
「なるほどね……こちらの書類は、ウォルトくんがまとめてくれたものかな?」
「そうです。侯爵の出してきた数字は恣意的なものであることの裏付けをとるための昨年の実際の納税額と、北西区域内で商売している店舗や商人に関する情報をまとめています。案の定といいますか……この区域内で商売している店舗のうち、ウォルコック侯爵家が出資をしているものが7割を占めています」
やってられない、とばかりにクリストファーが長いため息を吐いた。
「…………ありがとうウォルトくん。疲れただろう」
「いえ、とんでもないです」
「本当はこんなことに、君の時間を割きたくはないのだがな」
それはお互い様だ、とウォルトは思った。
宰相になったばかりのクリストファーは多忙を極めているが、それは彼が今の地位についてから日が浅いことだけが理由ではない。「経験の浅い宰相につけこむのであれば今がチャンスだ」とばかりに、このような利己的な提起や陳情が増え、それを精査するのに時間を取られている側面も大きかった。
——特に王弟派と目されている貴族たちは、その傾向が強い。
筆頭公爵家として国王派閥に絶対の忠誠を誓っているからか、過去にジョセフィーヌ嬢を使って企てた乗っ取りが失敗したからか。「黒百合様」はハリス公爵家のことをことさらに敵視していた。こうした提言も、嫌がらせの一環なのかもしれない。
クリストファーは立ち上がり自分の執務机に戻ると、ウォルコック侯爵の作成した書類に『却下』の判を押し、羽ペンでサインを書き加えた。
そして二つの書類を1つの封筒にまとめて、封蝋をしてからウォルトに手渡した。
反応が遅ければ、王弟一派は「仕事の遅い宰相殿下」「民の苦しみがわからないから減税に消極的なのか」とあげつらう材料にするのが目に見えている。アーノルド王太子もそれがわかっているので、この書類は早々に片付けてほしいと言ったのだろう。
ウォルトがまとめた書類があれば、却下の正当性も十分に保証できるし、利己的な提言はするなという牽制にもなる。
「すまないがこれを、アーノルドのところまで渡してきてほしい。そうしたらそのまま休憩に入ってくれて構わない」
「わかりました。ありがとうございます」
ウォルトは封筒とサインドイッチの入った紙袋を持って、執務室を後にした。
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