親愛なる友人への手紙
2023/06/12:前話「姉とアサガオ」ですが、ウォルトとクリストファーのやりとりを少しだけ改変しました。
さてどう断ろうかと悩み、ウォルトはクリストファーに目線を向ける。クリストファーは手にしているペンで机に積まれた書類を指し示して、困ったように笑った。
「姉さん、シャーロット。せっかく誘ってくれたのに申し訳ないですが、私もウォルトくんもこのように仕事が立て込んているんです。グリーンカーテンは二人で楽しんできてくれませんか」
この、クリストファーの公私混同しないところをウォルトは素直に尊敬している。贈ったばかりのドレスに身を包んだ妻と王宮の庭で涼むだなんて、かなり強い誘惑だろうに迷う様子をおくびにも見せない。
しかしリザベラは、弟のその真面目さを理解した上で、一歩先を行っていた。
「ふふ。そう言うと思ってね、アーノルドに話を通しておいたのよ」
リザベラのメイドが、かしこまった様子で1枚の封筒をリザベラに渡した。リザベラはそれを、ウォルトに手渡す。
ご丁寧に蜜蝋で封されたその印は、アーノルド王太子殿下のものである。宛名には『宰相室の親愛なる友人へ』と記されていた。
「開けてくれ」というクリストファーの視線を受けて、ウォルトは「失礼します」と一言断ってから手紙の封を切った。
『親愛なるクリストファー
君が最近仕事ばかりで可哀想だと、
リズに叱られてしまった。
やるべきことはたくさんあるが、
彼女の言うことも一理ある。
少しばかり仕事を忘れて息抜きをしても、
君にバチが当たることはないだろう。
このあいだ渡した
王都城下町商業区域の税率に関する書類だが、
あれは宰相のサインだけはどうしても必要でね。
ここ最近で一番重たい書類だったと思うが、
量を減らすことは勘弁してくれ。
まぁ、少しばかり遅れてしまっても大丈夫だろう。
難しいことは忘れて、
今日の午前中はゆっくり過ごすといい。
P.S.
ウォルトくんによろしく。
また一緒にチェスをやろうと伝えておいてくれ。
アーノルド・バートレット』
ざっと目を通して、ウォルトは恨めしげな視線をリザベラに向けた。表向きはクリストファー宛だが、これはウォルトに送られた手紙だ。
そうだ、リザベラは、ウォルトに手紙を手渡した。
『宰相室の親愛なる友人へ』
『宰相のサインだけは』
『ウォルトくんによろしく』
——つまりは、クリストファーはサインをするだけで良いから、あの膨大な書類は代わりにウォルトが処理をしろという意味だ。
この場合の『少しばかり遅れてしまっても大丈夫』は、まったくもって大丈夫ではない。書類が遅れたとして、アーノルドはきっと本当に責任を負ってくれるだろうが……「まさか『宰相室の友人』はそんな甘えに乗るわけがないだろう?」と試すように笑う彼の顔が思い浮かぶ。
「なんて書いてあった?」
「……今日の午前中は、仕事を忘れてゆっくり過ごしてくれと」
クリストファーに問われて、ウォルトは苦笑いを返した。
——王太子夫妻にしてやられたのは悔しいが、この上司が休息を取れるのなら悪くない。
シャーロットとの仲をお膳立てしたいだけでなく、クリストファーを休ませたいという気持ちもあるのだろう。それは、ウォルトも同じである。
「ほら! 殿下からの許可もいただいたことだし行きましょう!」
リザベラは満面の笑みでクリストファーを急かす。
ウォルトは主人が罪悪感を抱かないように送り出す。
「宰相室を空にするわけにもいきませんので、僕は残りますね。あそこの近くは書類を運ぶときによく通りますし、僕はそうやって廊下を歩くときに、意外と息抜きができているので。殿下からのお言葉もありますし、これも仕事だと思ってゆっくり休んできてください」
殿下から、というのが効いたらしくクリストファーは素直に席を立った。
「ありがとうウォルトくん。君も今日はゆっくり過ごしてくれ」
「そうですね、ありがとうございます」
クリストファーはウォルトに優しく笑いかける。
ウォルトも、にこりと笑顔を返した——もちろん、ゆっくり過ごす暇などウォルトにはない。
ドアの前で様子を見ていたシャーロットが、「ありがとう」とにこやかにウォルトに手を振る。
ウォルトは同じ笑顔で、姉に手を振り返した。
「……あなたって本当、賢くて物分かりがいいから助かるわぁ」
手紙を渡したときのまま、ウォルトの近くに立っていたリザベラは二人に聞こえない声で言った。
リザベラとウォルトの視界の先、ドアの近くでクリストファーとシャーロットが談笑している。シャーロットがひらひらとドレスの裾をゆらしたので、おおかた、ドレスが似合っているという会話をしているのだろう。
「……それは光栄です」
「今度、埋め合わせしてあげるわね。仕事を減らすとかは無理だけど……厄介な人間から守ってあげるくらいのことはしてあげるわよ」
「ありがとうございます。僕みたいな人間は敵も多いので、こうしてアーノルド様とリザベラ様に友好的に接していただけるだけでとても助かっております。もちろん、クリストファー様にも」
二人とも視線は公爵夫妻に目を向けたまま、会話を続ける。
クリストファーは溶けたような甘い笑顔を浮かべて、シャーロットは照れたように頬を染めていた。
「敵ねぇ……大半はくだらない嫉妬だから気にする価値もないのでしょうけど。でも、相手が上位貴族だと『気にするな』とも言っていられないわよね。あなたも、シャーロットちゃんも」
これには、ウォルトは曖昧に笑うしかない。
リザベラとは立場が違うので、大っぴらに上位貴族を非難するわけにはいかない。その事情も理解しているリザベラは、独り言のように言葉を続ける。
「爵位が下というだけで蔑んだり嫌がらせをする人たちは、本質を見ることができないのでしょうね……」
ハリス家の夫人となったシャーロットを庇護してきたリザベラにとって、ティアーズ家の者が公爵家や侯爵家から受け取ってきた悪意は、他人事ではないのかもしれなかった。
「あなたたちを見ているとね、どうしてティアーズ家は伯爵位なんかにおさまっているのかしらって思うのよ」
「それは買い被り過ぎですよ」
ウォルトは苦笑して、「二人が待ってますよ」とリザベラに背を向けた。
——ここでその話をしても意味はない。嘆くだけの会話は何も生まないし、陞爵するという話ができる立場でもない。リザベラもそれに気づいて、「そうね。喋りすぎたわ」とウォルトから離れていった。
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